第六話 窮地
「はぁ……」
ベランダから城下町を見下ろす。
夕日が町を赤く染めている。ジュリアを魔王国へと送り出してから、一か月半ほどが経過した。ジュリアが魔王と共に、この国に帰ってくるにはまだまだ時間が掛かる。俺にできることはもうない。只この町が戦火によって赤く染まることが、ないことを祈るばかりである。
「アレン王太子殿下、お食事の用意ができました」
「嗚呼……」
ビュレット公爵に呼ばれて、部屋を移動する。最近では、ビュレット公爵以外の人間と会話をしていない。ジュリアが魔王国に発って一か月半ほどしか経っていないが、世界が色褪せている。
「…………」
俺は食卓に着くと、目の前に置かれた皿を見て思わず固まる。
「どうかなさいましたか? アレン王太子殿下?」
ビュレット公爵は俺の表情が強張ったことが嬉しいようだ。白々しくも、俺を気にかけたような素振りを見せる。
「ビュレット宰相……これは……」
俺が固まった理由は、目の前に用意された料理にある。純白のスープからは、明らかに催眠作用のある香りが立ち上っているのだ。
現在は結界魔法で俺自身を守っている為、呼吸をしても問題はない。だが、これ程までにあからさまに提供されるのは初めてである。ジュリアの訃報が告げられてからは、飲食物に隠れて催眠作用のある物が混ぜられていた。
ビュレット公爵も、俺が結界魔法を使うことができるのを知っている。結界魔法には攻撃は勿論、毒物など異常な物を排除することができるのだ。その為、いくら飲食物に催眠作用のある物を混入させても意味がないことは、ビュレット公爵も理解している筈だ。それ故に、夕食として用意されたスープの存在が理解することができない。
「はい。こちらは最近、食欲不振の殿下を気遣い。食べ易いようにスープをご用意いたしました」
ビュレット公爵は胡散臭い笑みを浮かべると、スープについて説明を始めた。確かに話の通り、俺の食欲は低下している。幾ら結界魔法により異物を排除することができるとはいえ、その様な物を口にするのは抵抗があるのだ。それ故に、俺は水と少量のパンを口にしているだけである。
「その気遣いは有り難いが……生憎、食欲がない……」
このタイミングで明らかに、催眠作用の異物混入したスープを提供するということは何か狙いがある筈だ。ジュリアが魔王を連れて戻ってくるまで、まだまだ時間がかかる。少しでも、長く戦争を回避する必要があるのだ。その為には、ビュレット公爵の傀儡人形になるわけにはいかない。
俺は食欲がないことを理由に席を立つ。
「それでは……こちらは、国王陛下と王妃様にお出し致しましょう」
立ち上った俺に対して、ビュレット公爵は予想外の発言をした。
「……なっ!? 何を考えているビュレット宰相!?」
俺は思わずビュレット公爵を問い詰める。両親は昏睡状態にある為、これ以上危害を加えることはないと思っていた。如何やらその考えは甘かったようだ。
「どうかなさいましたか? アレン王太子殿下。殿下がお召し上がらないのであれば、国王陛下と王妃様に楽しんで頂こうとかと思いまして……宜しいですよね?」
ビュレット公爵は惚けたように、両親にスープを提供する理由を告げた。それは昏睡状態から目覚める手段があることを意味している。そしてそれを隠すことも無く、俺に話す理由は一つだ。両親を人質に俺を脅し、スープを飲むように促しているのである。
「……くっ。いや、私が頂こう」
今の俺に現状を回避する術も、打開策もない。この城はビュレット公爵に支配されている。俺の味方は誰もいないのだ。
俺は自身にかけていた結界魔法を解くと、再び席に着く。
「おお! それは良かったです! さあ、どうぞ……お召し上がりくださいませ」
ビュレット公爵は俺が結界魔法を解くと、声を弾ませた。そして銀色に輝くスプーンを差し出した。これで俺を守る物はない。ビュレット公爵の思い通りである。
「嗚呼……」
俺を緩慢な動きで、そのスプーンを受け取る。ジュリアが戻るまで、俺の意識があるか分からない。だが、多分意識はあっても何もできないだろう。寧ろ邪魔になる可能性が高い。きっと俺には、ジュリアが幸せになるルートを見届けることはできないようだ。
どうかジュリアが無事に幸せになれますように。そしてそれを俺が邪魔しませんように。そんな祈りを込める。
俺は純白の色とは正反対に、欲望に塗れたスープを掬った。




