バルト遺跡のボス
屋根の上。土埃の層がようやく薄れ、下の様子が見渡せるようになってきた。
黒い装甲の巨躯——死霊騎士アルが地に足を据え、口元から黒い瘴気をゆるく吐き、男三人と対峙し、攻撃されているのが見える。
エイミは固唾を飲みながら戦況を見守りながら、デノックに質問をする。
「デノックさん、どこ行ってたんですか! げほっ……! 大変だったんですから!」
咳き込みながら、エイミが袖で口元を押さえる。
「んん、すまんのぅ。ダンジョンの勉強しようと思ってな。ダンジョンに、潜ってた。潜ってみた」
「はっ!? あ、危ないですよ! それで、あのモンスター、いえ、ディアスさん? を拾ってきたんですか?」
「うん。ダンジョンで釣りしてたら、話しかけられてのう。『おい、じいさん、な、何してんだよ。こんなとこで』ってドン引きしながらのう。人間だと思ったんじゃが、違ったみたい」
どこから突っ込めばいいのか、言葉が頭の中に巡る。
「のう、マリーや」
「エイミですよ! もう!」
デノックは相変わらず笑っている。
「モンスターじゃない。ディアハにはディアハという名前がある。……下を見てみい。会って間もないわしらのために戦ってくれとる。一方、あの不細工どもはどうか? どちらが怪物なのか、分かったもんじゃないのう」
名前を全部間違えている事を除けば、デノックの言葉は真っ当な意見だ。
ゾンビのディアスの方が、よほど血の通った人間の行動に見える。
その時、屋根の縁で風が吹く。
一陣の突風。渦の中心からショーンが現れる。
竜巻の気流に乗るように、ふわりと上昇してくる。
「お、お、器用な真似しおるのう」
デノックはのんびり眺めているが、エイミは身を固くした。
あの男は危険だ。デノックに危険が及ぶと思うと、震える膝に力を込めて、エイミは彼の前に立ちふさがる。
ショーンが屋根の縁に降り立つ。
「まだ動けるのか。思ったよりもタフだな」
「……勇者なら、弱者のために戦うべきじゃないですか? 私を助けてくれたのは、そうすべきだと——」
「俺は、お前らみたいな洗脳教育は受けてない」
ショーンの声音は冷たい。
「同族意識を持ってんなら、諦めるんだな」
エイミは唇を噛み、足の震えを押さえながらデノックを庇うように手を広げる。
「大人しくレガリアを渡───」
——その刹那。下から巨大な影が唸りを上げて飛来した。
「なっ!?」
アルのメイスだ。
骨と廃材を固めた異形の塊が空を裂き、垂直に突き上げる。
ショーンは反射で両手を伸ばし、刃を寝かせて受け止める——が、質量と速度が桁違いだった。
衝撃が腕から背骨に抜け、体が弾かれる。ショーンの体は、メイスと共に空中へと押されていく。
まるで加速装置でもついているかと錯覚する程に、メイスの勢いを殺せない。
上を見ていたエイミが下を見下ろすと、地上の男たちはいつの間にか全滅。
死霊騎士は黒い吐息を吐き、無言で首だけをわずかに傾けている。
そしてディアスの姿はそこには無かった。
一方のショーンは、懸命にメイスの暴力的な質量に抗いながら、驚きを覚えていた。
(くそっ! レガリアに集中しすぎて、注意が散漫になっていたか!)
手首をひねり、剣に魔力を流す。
風の魔法でメイスの軌道を変えようとした瞬間、がし、と手甲を掴まれる。
灰色の筋張った手が、ショーンの籠手を固定する。
「おいおい、逃げんなって! ショーンさんよぉ!」
そこにはディアスがいた。飛翔するメイスの天辺に虫のように張り付き、ニヤニヤ笑っている。
とてつもない風圧の中、片手でショーンの手首を押さえつけてみせている。
「く、何だ、お前は……! 邪魔をするな! せっかくの収穫が——!」
「収穫? ……ふーん。農場だけに? それとも、何か含んでる?」
「うるさいな。ゾンビと問答する趣味などない」
ショーンが魔力を込めて風圧を爆ぜさせ、長剣を横に払う。
透明な刃が空気を裂き、灰色の腕へ走る——が、金属を弾くような硬質の手応えで軌道が逸れ、その衝撃でディアスの体が中空に投げ出される。
ディアスは目を見開いて、動揺しているように見えた。
「うおっ! ちょ、待って──」
同時にメイスも受け流すことに成功する。
メイスは空の彼方へ、そしてディアスは地面に真っ逆さまに落ちていく。
直後、地面から轟音がする。同時に土煙が上がった。
(…あの死霊騎士ごと、潰れてくれてりゃ上等だ)
ショーンは無表情のまま視線を下ろす。
落下地点に、四肢がぐにゃりと曲がったディアスが倒れている。
最も重い左腕は肩口からひしゃげ、そして——頭がない。
体から少し離れた地面に、金髪の頭部が転がっている。
エイミは屋根の上からその光景を見て、思わず口を手で押さえた。
ゾンビは再生能力があるため、確実に倒すには頭を叩くのが基本だ。もはや動くことは無いだろう。
風をまとってショーンが静かに降りてくる。
勝利を確かめる獣のように、無駄のない軌道で。
地上では前傾姿勢の黒い巨体がゆっくりとショーンの方へと近付いている。
アルと呼ばれた死霊騎士は、赤い眼光をディアスへ向け、抑揚のない声が落ちる。
「ディアス、どんまい。対象をショーンに切り替え。半殺しモードで迎撃します。あれ……メイスは何処」
首がもげたディアスの傍らで、アルは首を傾けている。
ショーンの眉がわずかに動き、怪訝な表情をする。
(……術者が死ねば召喚は消えるはず)
アルはきょろきょろと周囲を見回し、やがてノシノシと森の方へ歩いていった。
メイスを探しにでも行ったのか、それとも戦意を失ったのか、背を向けたまま茂みへ消える。
不意に静寂が訪れる。
聞こえるのは、重い足音が遠ざかる音だけ。
「なんだったんだ、一体」
ショーンが独り言のように呟き、それからエイミの真上に影を落とす。
「時間がかかって悪かったな。心の準備は——」
言いかけた瞬間、森の奥で轟音が響き、木々がまとめてなぎ倒される音が近づく。
一本の大木が、ゆっくりと近づいてくる。
戻ってきたのは、肩に自身の三倍はある巨木を担いだアルだった。
「仕方がないので、これで代用、レディレディゴー。ふぁい」
抑揚のない声が開戦を告げた次の瞬間、大木が投擲された。
空気が震え、家屋が軋む。
「なめるな!」
ショーンは紙一重で回避し、風圧を裂いて滑り込む。
家の壁がたわみ、屋根の梁がびりびりと震えた。エイミは屋根の端に手を突き、風に煽られながら身を低くする。
ショーンは舌打ちをする。
(あの死霊騎士をどうにかしないと、レガリアは奪えない)
目の前の
ショーンの姿が掻き消え、アルの懐に出現。長剣が閃き、肩口から胴へ斜めに走る。
金属の擦過音。赤い眼光が剣閃を追い、アルは素手で刃を受けた。
そして、もう片方の腕でショーンを殴りつける。
(速い、重い、硬い。何だよコイツ。本当に、バルトのボスと同じか?)
紙一重で頭をずらして拳を躱すが、圧力が皮膚越しに骨を軋ませる。
埒が明かない。ショーンは大きく後ろへ跳び、間合いを切った。
跳躍の弧の先、視界の端に屋根が入り、そこに身を縮めて見守るエイミが見えた。肩を震わせ、唇を結んでいる。
……だが、隣にいたはずのデノックの姿がない。
(あの爺さんは?)
視線を走らせると、地上で転がる金髪の頭部を、デノックが靴先でころころと蹴っているのが見えた。
器用に方向を変え、胴体の近くへ押し戻している。
(……何やってんだ? 本気でボケてるのか?)
ショーンは眉間に皺を寄せ、地面に降り立つと更に数歩距離を測る。
アルはなおも微動だにせず、赤い光だけが生き物のように脈打っている。
屋根の上、エイミは拳を強く握っていた。
下では、デノックが“頭”と“胴”の距離を詰め、ショーンは刃先を正中に据え直す。
アルはそんな事もお構い無しに、大股でショーンに近づいていく。
(さて、どうするか。あまり力を使いすぎると、レガリアの回収が出来なくなる。それだけは避けたい)
構える剣の先にいる巨体は、間違いなく強敵だ。
かつて相対した時の事は忘れ、全身全霊で相手をするべきだ、そう思って集中する。
大股で歩いていたアルはショーンの目の前まで来る。赤い眼光が明滅し、巨体が急に膝を着く。
「タイムアップ。ショーン選手、君の勝ちです。またバルトに遊びに来てください。バイバーイ」
場違いなほど明るいセリフを残して、アルの巨体が轟音と共に地面に倒れ、鎧が黒い砂粒になっていく。
ショーンはつまらなそうに鼻を鳴らすと、手を前にかざして遺灰のような砂山を風魔法で吹き飛ばす。
「また、だと? 二度とごめんだね」
風に舞う黒い砂粒は、まるで雪のように地面にゆっくりと落ちていく。
その中をショーンはゆっくりと歩いていき、やがてディアスの体の傍に座るデノックの元へとたどり着く。
そして手に持つ長剣を、デノックの喉元につきつける。
エイミが屋根の上から叫び、足をもつれさせながら屋根から落ち、体を引きずりながら近づいてくる。
「やめて! 狙いは私でしょ! デノックさんは関係ない!」
「関係ないことはない。こいつもレガリアを見ちまってるからな。……おい、うご……勝手に動くな! どういう神経してやがる!」
シリアスなやりとりがされている中でも、我関せず、と言った顔で動き回るデノックに、ショーンはリズムを崩されている。
一方のデノックは、頭をディアスの体に戻して満足そうに大きく頷くと、ショーンの傍に戻ってきてどかりと胡座をかき、大きな欠伸をした。
「チッ。どうにもしまらねえな。おい、さっさと装具をよこせ」
そう言われたエイミは、首飾りについていた緑色のペンダントを外し、ショーンの足元へ滑らせる。
装具とは勇者に配られる魔道具で、これを持っていればレガリアを使うことが出来る代物だ。
ショーンが転がってきたギアを受け取ろうとしゃがんだ時だった。
小動物ほどの大きさのニョロニョロと動く物体が、それを横から掠め取り、草むらの中に消えていった。
「……なんだ?」
ガサガサと動く茂みに向けて、ショーンは風魔法を発動する。
背の低い草は風に巻き上げられ、その中に隠れていた物が露わになる。
それは、先程倒したゾンビについていた灰色の腕だった。
エイミのギアを握りこんでおり、暴風の中で暴れ回っている。
(待て──ということは、つまりあのゾンビは)
そう思いながらデノック達の方へと振り返ると、先程まで転がっていた死体はおろか、デノックとエイミの姿も見えない。
してやられた。
そう思い口の端を歪めた。
ショーンはギアの方へ目を向けると、そこには不気味なディアスが立っていた。
エイミのギアを口で噛みながら、ショーンを見てニヤついている。
ここまでは先程までと変わらない。変わったのは頭の位置だ。
ディアスのもげた頭は首に戻ることなく、ディアスの左手の上に乗っている。
それを器用に投げて足で高く蹴りあげると、吸い込まれるように首の位置に頭が戻り、じゅくじゅくと音を立てて傷が塞がっていく。
「バケモノが……!」
首をとんとんと叩いた後に、つま先立ちで何度かジャンプをする。
ひしゃげた右肩の肉は独りでに動き始めており、今にも再生しそうだ。
「あん? わりーな、頭くっついたばっかで何言ってるか聞こえづらいわ。もっかい言ってくれ」
二人は再度相対し、空を照らしていた太陽が雲に隠れ、辺りに影を落としていく。




