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予兆


 夜も更け、森を渡る冷たい風が農場に吹き込む。

 拠点の窓は暗く、灯りは一つも見えなかった。

 人の気配は無く、四人組はダンジョンに出たらしい。


 エイミは湯気の立つ夜食を盆に載せ、戸口で立ち止まる。

 昼間の馴れ馴れしさを思い出すと、出かけてくれてて良かった、とさえ思ってしまう。


 代わりに頭に浮かんだのは、一週間前の賑やかな拠点だった。

 思い出してふっと頬が緩む。

 だが次の瞬間、昼間の騒ぎが脳裏を掠める。


(散らかってるんだろうなあ……)


 そう思い、拠点の扉を押す。そこには想像通りの風景が広がっていた。


 鼻を刺す酒精の匂い。

 ジョッキは中身を残し、テーブルはパン屑と肉汁で汚れ、床には食べカスや黒いススのような物が散らばっている。

 椅子もテーブルも定位置から大きく動かされており、テーブルの角は擦れて白くなっていた。


 エイミは黙って袖をまくり、まず溢れた酒を拭く。

 洗い桶に皿を沈め、布巾を絞って木目に沿って磨く。

 ジョッキを重ね、箒で屑を掃き、最後に窓を開けて空気を入れ替える。


 布巾をすすぎに立ち上がった時、ふいに笑い声が聞こえたような錯覚がして足が止まる。

 メリアの猫撫で声、ベルの咳払い、冒険者たちのツッコミ。

 ——楽しかった一週間が、瞼に浮かびエイミの頬に、また薄く笑みが浮かんだ。


 けれど、目を開ければこの有様。

 乾ききらない酒の跡、乱暴に扱われたであろう家具や食器。

 

 彼女の笑みは霧のように薄れていき、溜息となって消えた。


 元通りに整え終えると、室内はようやく静けさを取り戻した。

 戸締まりをしようと外に出たところで、外から声が近づいてくる。

 エイミは扉の前に出て、四人を待った。軽い笑い声、石を蹴る靴音が近づいてくる。


 先頭の男が手を振り、エイミに気づくと、にやりと笑って距離を詰めてきた。


「あ、どうもー! もしかして待っててくれたの?! 一緒に飲んでくれるとか?!」


 気安い声のまま、男は彼女の手を取る。

 後ろから別の二人が背中をぐいぐい押し、まるで旧友を我が家へ招くような勢いで拠点に引き込もうとする。


「ち、違いますよ! 離してください!」


 抗議の声は夜気に溶け、男たちの赤い顔に届かない。

 視線は浮ついており、足取りは軽い。

 エイミの抗議の声にさえ笑いが起こるほど、酔っ払っている。


「やめろ」


 低い声が割り込んだ。

 その声はショーンから発せられていた。

 柵にもたれ、つまらなそうにこちらを見ている。

 男の一人がぴたりと動きを止め、振り返る。その目に苛立ちが走った。


「うるせえな、傭兵が! 寄生虫の分際で!」


 吐き捨てるなり、勢いに任せてエイミを乱暴に突き飛ばす。

 身体がふわりと浮き、背中が土に落ちた。鈍い痛みが走る。


 そのまま男はショーンの胸倉を掴みに行く。

 だが腕が伸びきるより先に、鈍い音が辺りに響く。

 ショーンの拳が真っ直ぐ男の顔面を捉え、男は地を滑って背から転がる。


「傭兵ごときに負ける雑魚が何言ってるんだ。気持ちわりぃ」


 吐き捨てるように言って、ショーンは顎をわずかにしゃくった。


「俺は明日の探索が終わったら抜ける。ダンジョンにも期待出来んし、お前らにはうんざりだ。文句があるならかかって来い」


 彼は扉を開け、先に拠点へ入っていく。砂塵が、残った三人とエイミの間でしばし舞った。


 エイミはゆっくりと身を起こし、土を払って立ち上がる。目を丸くする二人に向き直り、調子を整えてから静かに言った。


「拠点はあなたたちの家じゃありません。綺麗に使ってください。——今回は私が掃除しましたけど、次は自分たちでお願いしますね」


 言い切って、丁寧に一礼する。背筋を伸ばし、踵を返した。


 遠ざかる小さな背に、二人は苦い顔を交わした。


「……ちっ。ダンジョンはしけてるし、傭兵はええカッコしいだし、散々だぜ」

「ホントだよ。こんなクソ田舎まで来たってのに、何の旨味もねえ。成果としちゃあ、今のところ、先遣隊が残してった酒くらいか?」


 吐き捨てるような愚痴が、夜道に落ちる。


 その時、倒れたままの仲間の袖を引き上げながら、ひとりがにやりと笑った。


「……いいこと思いついた」


 耳元で短く囁く。もう一人の顔にいやらしい笑みが浮かび、肩をぽんと叩く。


「お前、天才かよ?」


 二人は気を失っている仲間を抱え上げ、拠点の中へ運び込んだ。

 樽の栓を抜く音、金属が擦れる音、短い舌打ちの後に押し殺すような笑い声が拠点に響いていた。



 翌朝になり、エイミは畑の見回りを終えると、用意した朝食を盆に載せて拠点へ向かった。

 拠点の外に人影があった。

 ショーンと呼ばれていた男が、鞘をつけた状態で素振りを行っている。


「おはようございます! 昨日は、ありがとうございました」


 駆け寄ってきたエイミに、ショーンは一度だけ視線を寄越し、すぐにつまらなそうに逸らした。


「礼はいらん。それより——あそこのダンジョンについて、何か聞いてないか。ボスどころかモンスターすらいなかったぞ。こんなダンジョン初めてだ」


 エイミは短く考え、ベルが残した言葉をそのまま伝える。


「モンスターは確認できず、危険反応も薄い。迷路みたいで未踏区画が多い——だそうです」


 ショーンは小さくため息を吐いた。


「……ハズレか」


 エイミは盆を地面に置き、湯気の立つスープを器によそい、焼きたてのパンを切り分ける。


「よかったら、どうぞ」

「昨日あんな目にあって、朝飯まで用意するのか。……あんなゴミ共に善意を振りまくな。お前みたいな弱い奴は、食い物にされて終わりだぞ」


 刺のある言い方に、エイミは苦笑で返す。


「忠告、ありがとうございます。でも、どんな人でも、ランプ農場にいる間はお客さんです。それに——ダンジョンは危ない場所と聞いています、せめて体力だけはつけてもらわないと」


 ショーンは「勝手にしろ」とでも言うように肩をすくめ、再び背を向けて無心で剣を振っている。


 拠点の扉を開けると、中では冒険者たちが雑魚寝していた。

 昨日ほどの散らかりはないが、ワインの匂いが残っている。

 窓を開け、卓に朝食を置いた所で、うめき声とともに一人が起き上がった。


「……うるせぇな、こんな朝っぱらから」


 昨日ショーンに殴られた男だ。頬が腫れ、痛みから口の端をいびつに釣り上げている。


「大丈夫ですか? 薬、置いておきますね。あと、ご飯をちゃんと食べてからダンジョンへ行ってください」


 エイミは薬箱を卓の脇に置く。

 別の二人ものそのそと起き出し、椅子に腰を下ろしてスープをすすった。


 仕事に戻ろうと扉に手をかけたとき、腫れ面の男が声をかけてきた。


「なぁ、管理人さんよ。昨日、俺らがここに置いてった物資が無くなってんだけど、何か知らねえか? ダンジョン入る前にここに置いたはずなんだが」

「え、どんなものでしょう?」

「茶色い麻袋。中に俺らの路銀が入ってんだよ」


 エイミは記憶を辿る。——そんな袋は見ていない。片づけもしていない。


「すみません。見てませんし、触ってもいません」


 パンを齧っていた別の男が、鼻で笑った。


「昨日の夜、ここに入ったのはあんただけだ。素直に返してくんねぇかな?」

「ち、違います。私は——」


 そう言いかけ、口を閉じる。

 三人は怪訝な表情を浮かべてエイミを見ている。


「じゃあさ、アンタん家、探させてもらっていいか? 盗ってないなら困らねぇよな?」


 唐突な言葉に、エイミは少し考える。


(やましいことなんて何も無いし、見てもらうのはいいけどーー)


 そうするしか無いと思っていても、頭の片隅では自分の家に無礼な人愛だを入れるのは嫌だと思っていた。


 しかしつい、いつもの調子で頷いてしまう。


「……はい。どうぞ。ただ、畑仕事があるので、早めにお願いしますね」


 三人は顔を見合わせ、にやりと笑った。椅子の脚が床を引っ掻く音が、やけに大きく響いた。



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