9, 本当の狙いは
「シグルド様」
「……はい。何でしょう? ルキアさん……」
「……」
(ルキアさんって……明らかに動揺しているじゃないの)
「…………手前の書架に並んでいる本は、明らかに最近誰かが読んだかのような形跡がありますわね?」
「へ、へぇー……」
シグルド様の目が完全に泳いでいる。
(へぇ、ではないでしょう! あぁ、これはもう間違いない!)
普段は誰を前にしてもシグルド様は常に冷静で、こんなに分かりやすく動じる様子を見せる事はない。
けれど、彼は昔から私の前ではこうして素直に感情を顕にする。
「いつからですか?」
「…………何がでしょう」
「誤魔化さないで! ……もう分かっていますから! あなたはいつからここに来ていたのですか!!」
「……」
(忙しい身のはずなのに!!)
あなたはその忙しい時間を無理やり割いてまで、車庫にやって来て何を調べていたの?
「……シグルド様!」
黙りを続けるシグルド様に再度強く呼び掛ける。
「え……」
すると、シグルド様は手を伸ばしてギュッと私を抱きしめた。
だけど、その身体は少し震えていた。
「……ルキアが高熱で倒れた、と聞いた日からだ」
「!」
(私が魔力を失くしたと聞いた後ではなく?)
予想した時より早かったことに驚いた私は抱き込まれている胸の中から顔を上げる。
そんな私の表情で疑問が伝わったのか、シグルド様はバツの悪そうな表情を浮かべながら言った。
「だって“癒しの力”を持っているルキアが高熱を出すなんておかしな話じゃないか」
その言葉に私は息を呑む。
シグルド様はギリッと唇を噛み締めながら続けた。
「これは絶対に何かおかしな力が動いた……そう思ったんだ」
「……」
悔しそうにそう口にするシグルド様の顔を私は黙って見つめる。
シグルド様はそのまま辛そうな表情をしながら続けた。
「───そして、私が危惧したように目を覚ました後のルキアは……魔力を失くしていた」
「……」
「ルキアが魔力を失ったと聞いた時……怖かったんだ」
私を抱きしめているシグルド様の腕に強い力が込められる。
こんなに強く抱きしめられると私の鼓動まで伝わってしまいそう。
私はそっと手を伸ばしてシグルド様の頬に触れる。
「怖かった……というのはどういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。魔力を全て失くすなんてルキアは絶対に絶望しているに決まっているじゃないか」
「……」
「───そしてルキアは絶対に私から離れようと考える」
「!」
(やっぱり……)
シグルド様には本当に本当に何もかもがお見通し。
魔力を失って絶望した私の気持ちも、そして身を引いて離れようと考えたことも。
「そもそも、魔力を失くすなんて聞いたことが無い」
「それは、私もです」
「……だから、ここにある書物なら何か分かるかもしれないと思って、今も毎晩ここに来ている」
「ま、毎晩!?」
その言葉に思いっきり目を剥いた。
さすがに毎晩は想定していなかった。
「そうだなぁ……そこの手前の書庫の辺りまでは読んだかな」
シグルド様が埃を被っていなかった本の書庫の辺りを指さした。
「ま、毎晩……一人で、ですか?」
「もちろん。ルキアの魔力の件は私の頼みで止めてもらっていてまだ公にはしていない話だ。だから、他の人間の手を借りるなんて出来ない」
シグルド様がこのところ疲れている様子だった理由がようやく分かった。
(私のため──だった……)
「シグルド、様……」
私の声が震える。
「うん?」
「っ……私のために、ごめ……」
謝ろうとして気付く。
違う。
ここは謝るところじゃない。
もっと相応しい言葉が別にある。
息を吸ってから顔を上げてしっかりシグルド様の目を見つめる。
「───私のために、ありがとうございます」
私は微笑んでお礼を口にした。
しかし、シグルド様はどこか辛そうな表情で首を横に振る。
「いや、ルキア。これは全部私の自分勝手な願いからの行動なんだ」
「はい?」
「ルキアが私の前から居なくならないように……と。それに、ずっと調べて来たけれど結局ここまで何一つ手掛かりは見つからなかった」
「……シグルド様」
「私は無力だ……」
「いえ! そんなことはっ……」
シグルド様は悲しそうに目を伏せるともう一度強く私を抱きしめた。
────
シグルド様が既に調べてくれていた部分の本には、魔力を失くすということに関連した記載は無かったらしい。
なので、私はその続きの書物から目を通していくことにした。
しかし……
魔力の基本や仕組み、特殊な力については書かれているけれど“失う”ことに関してはその先もさっぱりだった。
「失くなることに関してはせいぜい、魔力の使い過ぎで空っぽになるという記述くらいね」
その場合、もちろん休めば魔力は自然と回復する。
結局、私のように回復せずに失ったままというケースは無かった。
(そうなると……)
本当はこんなことは考えたくない。
誰かを疑うのだって本当は嫌だ。
でも、私は彼女────ミネルヴァ様の本音を聞いてしまった。
「ルキア? どこに行くの? そっちは……」
「シグルド様、答えはこっちで見つかるかもしれません」
私は魔術関連の書物の棚から離れて別の棚へと向かって歩き出す。
そう。
そこは“呪いや黒魔術”に関する書物が多く収められている。
「ルキア……」
私がどこに向かっているのか分かったシグルド様がハッと息を呑んだ。
そのまま無言で私の後を着いて来てくれた。
おそらくシグルド様も、もしかして……と何度か頭によぎったに違いない。
そうして目的の書架に辿り着いた私は振り返らずに訊ねる。
「シグルド様。今回のこと───あえて私を狙った“呪い”の可能性はあると思いますか?」
「……分からない。だが、その可能性も否定は出来ない」
表情は見えないけど、シグルド様は辛そうな声で答えてくれた。
「では。もしも、本当にこれが呪いだとすると……魔力を失うだけではすまないかもしれませんね」
「ルキア!」
そのまま私は幾つかの呪いに関しての書物を開いて中を確認していく。
さすが王宮の書庫。
一般人が読むことが出来る本の中には絶対に載らないであろう具体的な呪術の方法までもが紹介している本もあった。
「凄いわ……でも」
それでも“魔力を盗む”もしくは“奪う”という呪術方法が載っている本は見当たらない。
(そうなると───)
私はとある一冊の本に目を止めて手に取るとパラパラと中に目を通す。
「あっ!」
「ルキア?」
シグルド様が背後からそっと覗き込む。
私は顔を上げて答えた。
「……シグルド様。あの時、私は熱のせいで夢現だったのですが、何かを吸い取られるような感覚がありました」
「吸い取られる?」
「はい。その後に目が覚めて魔力が失くなっていたと分かったので、てっきり私はその時に吸い取られたのは“魔力”で、目的は“魔力を奪うこと”だとばかり思っていたのですが……」
「ルキア? 何が言いたい?」
私は手に持っている本の目を通していたページをシグルド様に見せる。
「本当の目的……いえ、狙いはこっちだったりしませんか?」
「……ルキア!!」
シグルド様は悲痛な顔で首を横に振った。
そんなこと信じたくない! そういう顔だった。
私だってそうは思いたくない。
だけど……
残念なことにここに書かれていることは、今の私の状況にピッタリ当てはまってしまった。
「ルキア。それは……禁忌の魔術だ」
「ええ、そうです」
私が今、開いて見せている本のページは、究極の禁忌とも言える魔術が載っている。
───そう。
人を呪い殺す魔術。
これは魔術の中でも“黒魔術”と呼ばれる項目。
もちろん、黒魔術の使用は法律で固く禁止されている。
使う人も使える人もいない……はず。
「シグルド様。ここにはこう書いてあります」
「……」
「黒魔術による呪いで対象を死に至らせるまでの間、まずは対象者の“魔力から奪う”のだと────」