7. 王子様には敵わない
「え? 王宮の書庫の閲覧許可が欲しい?」
「はい。駄目でしょうか?」
ミネルヴァ様の不審な行動を知った私は、翌日、シグルド様にとあるお願いをした。
私が“婚約解消”を願う時とそうでないお願いをする時の違いが分かるらしく、この話を切り出した時のシグルド様は……
────……
『シグルド様、お願いがあるのですが』
私がそう切り出すとシグルド様はにっこりと甘く笑った。
『ルキアが私にお願い? 珍しいね。何かな? ルキアの為なら王都の菓子屋を買い占めることだって厭わないよ?』
『買い占め!? ち、違います! そ、そんなことは望んでいません!』
『え? 違うの?』
『なっ!?』
てっきり冗談だとばかり思っていたのに、シグルド様が本気で驚いているように見えてしまい複雑な気持ちにさせられる。
シグルド様の中での私はそんなにも食い意地がはっているように見えているのかと思ったら、少しショックだった。
────……
そんな本気なのか冗談なのか分からない発言の中、私がお願いしたのは許可された人しか立ち入ることの出来ない王宮書庫の本の閲覧の許可。
シグルド様はさっきまでの甘い微笑みを消して顔を曇らせた。
「ルキア……」
「はい」
「それは……今、現在“君の身に起こっていること”について自分自身で調べたい──そういうことであっている?」
「……はい」
私がしっかり頷くと同時にシグルド様は腕を伸ばすとそっと私を抱き寄せた。
その温もりにドキッとする。
「シグルド様!? な、何を……?」
「すまない、ルキア」
「??」
抱きしめられたことですら意味が分からないのに更に謝られた。
私はシグルド様の腕の中で首を傾げる。
「どうして、シグルド様が謝るのですか?」
「……ルキアに辛い思いをさせている」
シグルド様はそう即答した。
「……」
(本当にこの方は優しい……)
そう思ってしまい私の胸がチクッと痛む。
「だが、本音を言うと」
「本音?」
「ルキアが前向きに原因を調べようと思ってくれたことが嬉しい」
シグルド様の私を抱きしめる腕にギュッと力が入る。
そんな彼の温もりを感じながら私は思った。
(この腕の中にずっと居たかったな……)
───でも、ごめんなさい、シグルド様。
私は心の中で彼に謝る。
ただ、昨日のミネルヴァ様の様子を見て私が力を失った件にはもしかして何か裏があるのでは?
そう感じてその理由が知りたくなっただけ。
力が元に戻ることを期待してるわけじゃない。
(だってあれだけの魔力……そんな簡単に戻せるとは思えない)
役立たずとなった私の後のシグルド様の婚約者はミネルヴァ様がなるべきだと思っていた。
でも、貴重な属性や癒しの力を持っていても彼女がシグルド様に相応しい人とは思えない。
ここでそれなら私が!
そう思えれば良かったのだけど、私はもう身を引く気持ちの方が強い。
だから───
「……ルキア、駄目だよ」
(ん? 駄目?)
私のことを抱きしめたままのシグルド様は、突然、否定の言葉を口にした。
「何がでしょうか? あ、もしかして閲覧の許可ですか?」
「違う。そっちの話じゃない」
「……? では何を──」
「そんなの決まっている」
シグルド様がそっと私の耳元に顔を寄せる。
胸がドクンッと大きく跳ねた。
「私から離れるなんて駄目だ──……」
(ひぇっ!? 耳元!!)
あまりの破壊力に耳がおかしくなるかと思った。
抱きしめられたままの体勢で良かったと心から思う。
こんな真っ赤になった顔を見られたら、シグルド様はまた笑うに違いない。
「ははは! ────今、ルキアの可愛い顔は更に真っ赤になっていてもっと可愛いんだろうな」
そんなことを考えていたらシグルド様が突然笑い出す。
「えっ!」
バレバレだったことに驚いて慌てて顔を上げると目が合った。
シグルド様は優しく微笑んだ。
その笑顔に耐えられず私はすぐに下を向く。
「駄目だよ。その可愛い顔をもっと私に見せて? ルキア」
「~~っ!」
急に甘い声になったシグルド様はそう言いながらそっと私から身体を少し離す。
そして、そのまま私の顔を覗き込んだ。
(ち、近い!)
頬にじわじわと熱が集まっていっているのが分かる。
「うん、やっぱり真っ赤だ、今日もルキアは可愛い」
「…………か、可愛いかどうかは知りませんが、今、こうして私の顔が赤いのはシグルド様のせいです」
「ははは! それはそれは───」
そう笑い出したシグルド様の目がキラッと捕食者のような目になった。
「それならいっそのこと……うん。もっともっと可愛いルキアの顔がみたいかな」
「!?」
そんなことを口にしたシグルド様の顔がどんどん迫って来る。
「な、何を言っているのですか!? だ、ダメです……!」
「どうして? だって今までは……」
「っ! こ、これまでと状況は変わったのです! ですから、そ、そんな顔してもダメなものはダメなんです!!」
厳密にはまだ私は彼の“婚約者”ではあるけれど……
とにかく懸命に距離を取ろうとしたけれど、すぐに開いたはずの距離が詰められる。
(ひぇぇぇ!?)
「───ルキア」
「っっ!」
シグルド様の真剣な顔のドアップに私の心臓が今すぐ破裂しそう。
何よりシグルド様の目が逃さないって言っている……
それでも、私は隙を見て何とか距離をとって離れようと試みた。
「うーん、やっぱりルキアは手厳しいなぁ……」
「……」
顔をしかめるシグルド様。
結局、この攻防はしばらく続いた。
*****
結論から言うと王宮書庫の閲覧許可はすぐにおりた。
しかし……
「───えっと? つまり、シグルド様と一緒なら許可が降りた、ということでよろしいでしょうか?」
「うん。ルキアのことは信用しているけれど、一人での閲覧は許可出来ない。その代わり私と一緒ならいつでも大丈夫だって」
「……」
(シグルド様と一緒なら……か)
閲覧の許可を貰えたことは嬉しいし感謝もしている。
そして、王太子の婚約者なだけで一貴族令嬢に過ぎない私一人では許可出来ないと言うのももちろん納得出来る。
だからこそ思う。
(結局、こうして離れられない……)
婚約解消の話もシグルド様の妨害できちんと言いだせず、かといって距離をとることも出来ずにいる私。
あの決心って何だったのだろうという気持ちになって来た。
(それでも、ずっとこのままではいられない)
この先、私が必ず身を引かないといけない時がやって来る。
その時が来たら国はシグルド様に決断を迫るだろう。
さすがのシグルド様も国より私を選ぶことはしない。
(だからこうして共に過ごすのも……あと少し)
「ルキア。今から行くかい?」
「シグルド様の公務に支障がないのであればお願いしたいのですが……」
私がそう確認するとシグルド様は眩しいくらいのにっこり笑顔で大きく頷いた。
「大丈夫、可愛いルキアの頼みの方が優先だとも!」
「え!?」
十年間、私はずっと側でシグルド様を見て来た。
公務をサボったり、不真面目なことをしたりする人ではないと分かっている。
後で徹夜してでも仕事は完璧に終わらせる、そういう人────
(でも……おかしいわ)
────さすがのシグルド様も国より私を選ぶことはしない。
(しない……わよね?)
何だか一気に自信が無くなってきた。