6. 向けられた悪意
(どうしてここに……?)
突然のミネルヴァ様の登場に驚いているのは、もちろん私だけではない。
「あ……ティティ男爵令嬢」
「え、えっと! これはですね……」
お喋りだったメイドの二人もミネルヴァ様の登場に大きく狼狽えていた。
「あら? 驚かせてしまってごめんなさいね」
ミネルヴァ様は再びにっこり微笑む。
「え?」
「別にあなた方がお喋りしていたことを責めているわけではないの」
メイドたちは困惑した様子で顔を見合わせる。
ミネルヴァ様は頬に手を当てると、ふぅ……と深くため息を吐きながら言った。
「私は、ただあなたたちが心配だっただけなんですのよ」
「え?」
「私たちを心配、ですか?」
メイドたちがどういうことだろう? という不審な目をミネルヴァ様に向ける。
私も彼女たちと同じ気持ちだった。
(心配……?)
「あなたたち、ルキア様のことをお話しされていたでしょう?」
「は、はい……」
「それも、ちょっと良くない噂の話でしたわよね?」
「は、はい……」
「あ、私のことも話されていたようですけれどそれは良いんですのよ。ただ、ルキア様の話題は……」
コクコク頷くメイドたち。
ミネルヴァ様は二人の会話を本当にしっかり聞いていたらしい。
そして、そこまで口にすると笑顔を消して少し真面目な表情を浮かべた。
「……実はあまり知られていない話なのですけど」
そう言って声を潜めるミネルヴァ様。
メイドたちも真剣に耳を傾ける。
「ルキア様の“裏の顔”は……その、ちょっと何と言うか凄いんですのよ」
「え? う、裏の顔? そんなお顔が!?」
「しかも凄い、ですか?」
(ちょっ────!? 何の話??)
メイドの二人も困惑していたけれど、私もミネルヴァ様の言い出したことの意味がさっぱり分からず困惑した。
「そうですわ───ところでですけど……あなたたちは、まだ王宮にあがってそんなに日が立っていない方々と思うのだけれどあっているかしら?」
「は、はい、そうです」
「どうして分かったんですか?」
「ふふふ、あなたたからはまだ初々しい雰囲気を感じますもの」
ミネルヴァ様はメイドに向けて優しく微笑む。
そして、静かに目を伏せた。
「そういうことだから、まだあなたたちはルキア様の一面しか知らないと思うのだけど……」
「えっと、ルキア様は私たちのような新参者のメイドにも優しくしてくれていますよ? バカにされた経験もありませんし」
私のことを擁護してくれるメイド。
もう一人のメイドも横で頷いている。
「ええ、さすがルキア様だと私も思いますわ。なんと言っても誰もが羨む多くの魔力と希少な属性を持っているだけでなく“癒しの力”も使える方ですもの!」
ミネルヴァ様は気持ち悪いくらいに私を持ち上げている。
だけど、何だか嘘っぽいと私は感じた。
「さすが、未来の王太子妃! ───って、誰もが口を揃えてルキア様のことをそう言うわ。でも……」
「で……でも?」
「それはあくまでもルキア様の“表の顔”に過ぎないのです」
「えぇ!?」
「どういう事ですか!?」
鼻息を荒くしたメイドたちが前のめりで訊ねる。
(───表の顔? ミネルヴァ様は何を言っているの?)
ミネルヴァ様はふう、と息を吐くと口元を押さえる。
「ルキア様の“裏の顔”は────あぁ、駄目。そんなの私の口からは恐れ多くて言えませんわ」
「え? そんな! 気になります。ねぇ?」
「はい、私も気になります!!」
ミネルヴァ様の話に惹き込まれたメイド二人は詳細が気になって仕方がない様子。
続きを……とミネルヴァ様にせがむ。
しかし、ミネルヴァ様は切なそうな表情で首を横に振った。
「ダメですわ。知ってしまったらあなたたちも危険になってしまうかも」
「え! 危険!?」
「ですから───これ以上のことは私の口からは言えませんわ」
「そんな!」
焦らされたメイドたちの顔色が一気に悪くなる。
そんな二人に向かってミネルヴァ様は優しく微笑んだ。
「でも安心して? 私がいれば大丈夫。必ずこの私がルキア様からあなたたちを守ってみせるわ!」
その言葉に安心したのか二人の目がパッと輝く。
「ふふふ。だから、お喋りはここまでにしてあなたたちは仕事に戻るといいわ」
「ティティ男爵令嬢!」
「大丈夫。何かあったら、いつでも私を頼って?」
「「はい! ありがとうございます!!」」
(なっ……!?)
ミネルヴァ様は結局、“私の裏の顔”というものの一切の詳細を語ることはないまま、優しい笑顔を浮かべて話を締め括った。
そして二人のメイドは元気に頷いて仕事に戻って行き、ミネルヴァ様は最後まで笑顔で二人を見送っていた。
(今のは───いったい何だったの?)
一部始終を影で聞いていた私は、今のやり取りを頭の中で振り返る。
どう考えても、ミネルヴァ様が私を陥れるような発言をしていたようにしか聞こえない。
(裏の顔って何? どうしてそんなことを?)
しかも、ミネルヴァ様は私の“裏の顔”と口にしただけで、実際の私の裏の顔とやらがどんなものかという具体的なことは何一つ言わなかった。
言葉巧みに、ただ私には“何かある”と匂わせただけ。
しかも……
その話をした相手は、噂話が好きそうな王宮に不慣れな新人メイド───
(……まさ、か)
そう思った時だった。
メイドたちを見送っていたミネルヴァ様が微笑みを消したと思ったらうーんと伸びをする。
「ふふふ、簡単だったわね~あぁいう子たちは具体的なことを口にしなくても勝手に想像してくれるし、信じやすくてチョロくて助かるわ~」
ミネルヴァ様がそんな独り言を呟いた。
「さてさて、今の子たちで何人目かしらねぇ? 面倒で地道な作業ではあるけれど、こういうのは少しずつ少しずつ広めていくのがいいのよね。最初から派手にすると怪しまれちゃうもの」
その言葉でミネルヴァ様にわざと自分が陥れられていたことを確信した。
(なんて姑息なの!)
ミネルヴァ様のした発言は別に大きく嘘をついたわけではない。
なにか大きな冤罪をきせられたわけでもない。
あくまでもほんのり匂わせただけ……
やってもいない冤罪をきせられたのなら、陥れられた証拠を探して嘘をつかれたと訴えることも出来る。
でも……
今のはちょっとした雑談に過ぎない。
もちろん、表向きは……だけれど。
「あーあ、面倒臭いことって本当は嫌いだけれど、これも私の幸せの為だもの。もっと頑張らなくちゃ!」
ミネルヴァ様の独り言が続く。
そして最後にこう言った。
「“特別な存在”は一人でいいのよ、一人で……ふふ、ふふふふふ」
ミネルヴァ様は不敵に笑いながらそう呟いて、来た方向へと戻って行く。
ここまで一度も私のいる方を見なかったので、おそらく私が聞き耳を立てていたことは気付かれていない。
(ミネルヴァ様はどうしてこんなことを……?)
“特別な存在”と言っていた。
そんなにも私が邪魔なの?
そうまでして私を蹴落としたいの?
そんな思いが私の頭の中でグルグルする。
(ミネルヴァ様の目的は……何? 幸せ?)
ミネルヴァ様の言う幸せが具体的に何の事なのかは分からない。
けれど、私の知らない水面下で私を表舞台から引きずり落とす計画が着々と進んでいた───……
そのことを私は今、ようやく知った。