5. 噂
シグルド様にドキドキさせられていた私は、この婚約話の始まりの時を思い出していた。
『ルキア、王家から呼び出しがあった。一緒にお城に行くぞ』
『よびだし? お城?』
今から十年前のある日、お父様は苦しそうな表情をしながら私にそう言った。
『ルキアの魔力が判明した時から、こうなるだろうと予測はしていたが───思っていたよりも早かった』
『おとうさま?』
この時の私は何故、お父様が苦悩の表情を浮かべていたのかさっぱり分からなかった。
ただ、よく、お父様とお母様が『なぜ、ルキアなんだ……』と話をしているのはよく見かけていたので不思議には思っていた。
お父様は優しく私の頭を撫でながら言った。
『ルキア。これからお城に行って王子様と会うんだよ』
『え! 王子さま!?』
私の目を輝かせて興奮した。
“王子様”
それは、絵本によく出てくるかっこいい人よね!? その人にこれから会えるの??
子供だった私にとっての“王子様”は絵本で見たかっこいい人。
ただ、それだけ。
『王子さまに会えるの? ほんとうに?』
『あ、あぁ……会える』
『わーい、やったーー!』
何故か目をキラキラと輝かせて、わーいとはしゃぎ出した私を見たお父様は大きく困惑したらしい。
けれどこの後、絵本の中の王子様を想像していた私は王宮に着くなり、顔を合わせたシグルド様を見て大興奮…………
しなかった。
むしろ───
『……?』
(おかしいわ? 目の前にいる人は私と変わらないくらいの子供じゃないの。王子さまはどこ?)
王子様=大人
そんな認識だった私は大きな声でお父様に訊ねた。
『ねぇねぇ、お父様、王子さまはどこにいらっしゃるの? わたし、はやく会いたいわ』
『なっ! ルキア!?』
その瞬間、顔合わせの場が一気に凍り付いたことだけは薄ら覚えている。
(あんな失礼でお馬鹿丸出しだった発言をした私なのに……)
顔合わせの段階で私の運命は既に決まっていたようなものだったけれど、あんな失礼な発言をしたのにも関わらず、お咎めもなくすんなりシグルド様の婚約者の座に収まったのは、シグルド様の言葉が大きかったらしい。
『ルキア嬢となら楽しくやっていけそうだから彼女がいい』
あの後、シグルド様が皆にそう口にしたと聞いている。
それからのシグルド様は本当にいつも私を大切にしてくれた。
初めて私がシグルド様の婚約者の座を狙っていた令嬢たちから嫌がらせを受けた時は、率先して解決に乗り出してくれた。
“僕のルキアを傷つける人は男でも女でも許さない!”
その言葉に私は胸を高鳴らせ、ますますシグルド様の為に頑張ろうって決めた。
─────……
「ルキア? どうした? 何だか心ここに在らずな顔をしているけれど?」
「……」
シグルド様がまた心配そうな顔で私を見る。
あんな風に手の甲や髪の毛にキスなんてしておいて、なぜこの方は平然としているのか。
(ずるいわ。私ばかりが翻弄されている気がする)
私はムスッとした目でシグルド様を軽く睨む。
「ルキア? なんでそんな顔を……?」
ますます心配と困惑した様子のシグルド様。
私は、色々思い出したこともありついでに聞いてみたくなった。
「…………シグルド様は、今でも私を傷つける人は男でも女でも許さないのですか?」
「急にどうしたんだい? だが、そんなのは決まってる。当然だ」
シグルド様は私の突然の質問にもきっぱりと頷いてそう言い切った。
「ルキアを傷つける人は万死に値するよ」
「ば、万死!?」
穏やかではない言葉に驚いて目を剥くとシグルド様は、ははは、と笑った。
「もちろん実際には殺れないけど───それくらいの気持ちだってことだよ」
「……っ!」
「だって、もう何度も言っているけど、私はルキアが何より大切だからね」
「シグルド様……」
とても嬉しいはずの言葉なのにこの時は胸がチクリと痛んで素直に喜べなかった。
*****
(どうしよう……)
その日も私はうーんと頭を悩ませていた。
結局、婚約解消の話は一切口にすることが出来ないまま、日にちだけがどんどん過ぎていった。
“話は絶対に聞いてあげられない”
そうはっきり言われてしまったものの、私は隙あらばシグルド様に向かってさり気なく話を持っていこうとしていた。
しかし、それも全て華麗にかわされてしまった。
「……手強すぎる」
シグルド様の何が凄いって……私に“婚約解消”のこの字も言わせないことだと思う。
「このままでは絶対に駄目なのに……」
今日もシグルド様に何度目かのアタックを試みたものの、華麗にかわされた私はとぼとぼ独り言を呟きながら王宮の廊下を歩いていた。
すると、どこからか人の声が聞こえてきて私は足を止めた。
「ねぇねぇ、最近──」
「───だよね」
(……ん? 誰かしら?)
格好からして王宮のメイドだと思われる二人は噂話に花を咲かせていた。
話に夢中で私の姿には気付いていない様子。
「やっぱり、ここ数日のルキア様の様子はおかしいわよ」
「確かに。殿下ともどこかよそよそしい気がするわね」
「それってやっぱり“あの人”のせいかしら?」
自分の名前が出て来たのでドキッとする。
(───私の話……いえ、私とシグルド様の話? そして、あの人?)
聞かない方がいいと絶対に決まっているし分かってもいるのに、話の内容が気になってしまう。
「そうよね、最近あの男爵令嬢も何かと話題の人だものね」
「ルキア様と同じ光属性なんでしょう? 癒しの力も使えるって聞いたわよ~」
────あの人とはミネルヴァ様のことだった。
このメイドたちの様子からして彼女のこともだいぶ噂になっているのが窺えた。
「ねぇねぇ、もしもその男爵令嬢の力の方が強かったらルキア様ってどうなるのかしらね?」
「うーん、王家としては力の強い令嬢を望まれるんじゃない?」
「そもそも、ルキア様が婚約者になったのだってそういう理由よね?」
「そうなるとお二人の婚約は──」
(……やっぱり、誰だってそう思うわよね?)
ため息しか出なかった。
王家が身分よりも魔力や属性を重視しているのは誰もが知っていることだから。
「えー、でもそうなると可哀想ね」
「十年も婚約していたのに捨てられちゃうなんて、ちょっとね……」
「次の嫁ぎ先決めるのも難しそう」
好き勝手なことを言うメイド達にそろそろ釘を刺すべきと思い、私が彼女たちの所に向かおうとしたその時だった。
「───まぁ! そこのあなたたち。ルキア様のことをそんな風に仰るなんてよくありませんわよ?」
それは、とても聞き覚えのある声だった。
飛び出そうとしていた私は慌てて影に隠れて身を潜める。
(どうして……また、こんなタイミングで現れるの?)
その声の持ち主────ミネルヴァ様がにっこりと優しそうな微笑みを浮かべて反対側から颯爽と現れた。