4. 王子様は頑固です
(ヒロ……なんとかって聞こえた気がしたけれど?)
正確にはなんて言われたのかよく分からなかった。
この謎の言葉になぜか胸がザワつく。
あれだけ妙に自信満々に語ることが出来たのは何か意味があるのかしらとも思った。
「……」
よく聞こえなかったヒロなんとかという発言を疑問に思いながらミネルヴァ様の顔を見る。
私と目が合うとミネルヴァ様はニッコリと微笑んだ。
「……っ」
思わず自分の身体を擦る。
ミネルヴァ様はとても可愛らしく笑っている。
でも、何故かは分からないけれど、私はその笑顔を“怖い”と思ってしまった。
(どうして───?)
ミネルヴァ様が私の失くした力を持っていることによる醜い嫉妬のせい?
なんて思ったけれど、それとは何かが違う。
自分でもよく分からず、上手く言葉にも出来ないけれど、ただただ”彼女の存在”が怖い。
そんな私が何も言えずにいるとシグルド様が口を開いた。
「ところで、ティティ男爵令嬢。君は王宮で何をしているんだ?」
ミネルヴァ様はにっこりと笑い返す。
「もちろん! 貴重な力を授かった者として将来の為の勉強ですわ!」
ピクッとシグルド様の眉が動く。
「……将来の為の勉強?」
「そうですわ! だって、これから必要になるかもしれませんし」
「……?」
怪訝そうな顔を向けるシグルド様にミネルヴァ様は意味深な返事をした。
そんな彼女はシグルド様と話しているはずなのに、何故かチラチラ視線を私の方に向けてくる。
(どうして私を見るの?)
「ほら、人生って何が起こるか分かりませんもの」
そんなミネルヴァ様は更にフフッと意味深に笑う。
「今、私がこうして貴重な力を発現したように……ふふふ、そう思いますでしょう? ねぇ、ルキア様?」
「──っ!」
その言葉に胸がドキッとした。
人生って何が起きるか分からない───その通り過ぎて私の気持ちはとたんに落ち着かなくなる。
“私のこの力で必ず将来はシグルド様のお役に立ってみせるわ!”
婚約を結んだあの日から、ずっとずっとそう信じて未来は絶対だと疑ってもいなかった。
でも待っていたのは、ある日突然、役立たずとなってしまった自分───……
(今の私には…………何もない)
ただただそのことが悔しくて悲しかった。
(私の魔力はもう戻らないのかしら?)
視線を落としてじっと自分の両手の掌を見つめる。
そもそも、生まれながらに持っているはずの力が失くなるなんてどう考えても不自然すぎる。
こんな事例は少なくともこれまで誰からも聞いた試しがない。
(まさか、呪いの類とか? あの謎の高熱が呪いだったなんて可能性は……ある?)
「────ルキア? 顔色が悪いけど大丈夫かい?」
「え?」
シグルド様の言葉にハッとして顔を上げる。
目の前には心配そうなシグルド様の顔のアップ。
彼は下から私の顔を覗き込んでいた。
(ひぇっ!?)
思わずは悲鳴が出そうになって慌てて自分の口を塞ぐ。
シグルド様は悲しそうな顔で私を見つめていた。
「それにせっかくのルキアの可愛い顔が険しくなっている」
「かっ……じゃない。えっと……険しい顔、ですか?」
「うん、眉間に皺が寄っているね。何か考えごと?」
シグルド様は優しく私の頭を撫でながら、もう一度私の顔を覗き込んでくる。
その距離の近さにドキドキする。
「シグルド様っ! えっと、ミ、ミネルヴァ様は!?」
「え?」
よく見たらミネルヴァ様の姿がない。
いつの間に居なくなったのかと慌てて聞いてみる。
「……」
すると、シグルド様の目がスッと細められた。
「……? あの……?」
「ティティ男爵令嬢は、“あぁ、大変! 話し込んでしまいました。早く戻らないと教師に怒られてしまいますわ~”とか何とか言いながら慌てて戻って行ったけど?」
「そ、そうでした、か……」
考えごとに集中しすぎて全く聞いていなかった。
ただ、私の気のせいかもしれないけど、シグルド様の放つオーラが何だか怖い気がする。
「……ルキア」
至近距離でそんな真剣な声で名前を呼ばれてしまい胸がドキンッと大きく跳ねる。
私は目を逸らしながら答えた。
「っ! シグルド……様、ち、近い、です」
「ルキア。そんなに私は頼りないだろうか?」
「え?」
そう口にしたシグルド様がそっと私の手を取ると、今度は手の甲にそっとキスを落とした。
(ひえぇ!?)
シグルド様の突然の行動にそんな情けない悲鳴がまたしても出そうになった。
「……誰が何と言おうとも例え何があっても私の婚約者は……君だよ、ルキア」
シグルド様は私の手を握ったまま顔を上げる。
そして真っ直ぐ私を見つめてそう口にした。
本来ならとても嬉しい言葉のはずなのにその瞳を真っ直ぐ見ることが出来ず、私の目線は泳いでしまう。
「で、ですが、シグルド様が良くても周囲の者達が──」
だって魔力の無い王太子妃など許されるはずがない。
「ルキア」
シグルド様がもう一度私の名を呼ぶ。
そして私を見つめるその瞳は───……
「お、お願いです。……そ、そんな目で……見ないで下さい……」
「うーん、それは聞けないお願いだなぁ」
「え? ……きゃっ!?」
手が離されて今度は腕を引っ張られた? と思ったその瞬間。
そのまま私はシグルド様の胸の中に飛び込んだ。
そして、そのままギュッと抱きしめられる。
「シグルド様!?」
「───十年間」
「え?」
「十年間、私はずっと隣でルキアを見て来た。君の努力も頑張りも全部知っている」
「……」
魔力量の多さと貴重な属性の力を買われてシグルド様の婚約者にと私は抜擢。
でも、そんな私へ向けられた当時のやっかみはかなり酷いものだった。
本来、王太子の婚約者───王太子妃は王族に次いで魔力量も多く力も強い高位貴族の令嬢達から選ばれるのが基本。
だから、私は異例中の異例。
当然ながら私の存在は歓迎されるどころか……
───たかが伯爵令嬢のくせに図々しい。
───魔力量しか誇れるものがないくせに!
───なんて不釣り合いなのかしら?
これらの言葉はこれまで何度言われて来ただろう?
その度に“負けるものですか!”と強く思って乗り越えて来た。
どんなに虐められても、嫌がらせを受けても絶対に泣かないと決めていつも前だけを見ていた。
そんな私の胸の中にあったのは、
メソメソしている女はシグルド様には相応しくない!
そんな想い。
誰からも認められるシグルド様の隣に立つに相応しい人になりたかった。
でも、私がそれ程までに強くいられたのは、この絶対的な力のおかげだったんだ……と、こんなことになって初めて思わされた。
「私が求めているのは、魔力量でも属性でも癒しの力でもない───ルキア、君なんだ」
「!!」
驚いて目を丸くしている私に向かってシグルド様はにっこりと微笑む。
「だから───ここ数日、君が私に言おうとしている“話”は絶対に聞いてあげられない」
「……え!」
「本当は大事な大事なルキアの話は何でも聞いてあげたいけれど、ね。それだけは絶対に駄目だ」
(───っっ!)
シグルド様は悲しそうな表情でそう口にすると、今度は私の髪をひと房救い上げ、そこにそっとキスを落とした。
…………この時の私は知らない。
そんな私たちの様子を部屋に戻ったフリをしていたミネルヴァ様がこっそり柱の影から見ていたこと。
「───何なのあれ? やっぱり思った通り目障りな女だわ~。さっさと身を引きなさいよ。“ヒロイン”は私なのだから大人しくしていてくれないと困るのよね」
などと先程とは打って変わったような表情で呟き……
「まぁ、どうせもうルキアは役立たずなのだから、これからは大人しくなるわよね、ふふふふ……」
と意味深に笑っていたことを─────…………