2. 異変
(結局、今日も話は出来なかった……)
私はがっくりと肩を落として、シグルド様の執務室から外に出た。
忙しい彼の邪魔はこれ以上出来ないと思い諦めて帰ることにしたのだけど、気の所為でないのなら最近の彼は特に忙しそう。
私の前ではニコニコいつも通り振舞っていた。
けれど、睡眠時間もかなり削って仕事をしていることを私は知っている。
(そんなに急ぎの案件あったかしら?)
それにしても、もう何度目の失敗かしらと私は深いため息を吐く。
「シグルド様……」
シグルド様が私のことをあんな風に翻弄するのは日常茶飯事。
でも、彼のことが昔から一人の男性として大好きで、将来は隣に立って支えるんだ、という気持ちを強く持っていた私はそんな時間さえも嬉しくて幸せだった。
そして、こんな時間はこれからもずっと続くのだと思っていた。
それなのに───
「どうしてこんな事になってしまったの……」
そう呟きながら私は自分の掌をじっと見つめる。
「駄目……やっぱり何も感じない」
今までの私なら、こうするだけで自分の魔力を感じることが出来た。
しかし、今は……
(こんなの、王太子妃どころか貴族社会でも生きていけない───)
────そう思った時だった。
「あら? もしかしてルキア様ではありませんか?」
「っ!」
(こ、この声は……)
ビクッと私の身体が震える。
今、私が最も会いたくないと思っている方……ここで会うなんて!
「……ご機嫌よう。ミネルヴァ様」
私は精一杯の笑顔を作って振り返り声をかけてきた彼女に向かって答えた。
すると、彼女……ミネルヴァ・ティティ男爵令嬢は不思議そうに首を傾げた。
「ルキア様、そちらは王太子殿下の執務室ですわよね……?」
「え、ええ」
私が頷くとミネルヴァ様が口元を手で覆った。
「まあ! 婚約者とはいえ、お仕事中なのに部屋を訪ねるだなんて私には出来ませんわ。本当に二人は仲が宜しいのですね? 羨ましいですわ」
「……ところで、ミネルヴァ様はどうしてここに?」
相変わらず彼女の発言は嫌味なのかそうでないのかの判断が難しい。
見た目は純粋そうな顔をしているせいだからかもしれない。
とりあえず、話の矛先を変えたかった私は疑問を投げかけることにした。
なぜ、彼女が王城にいるのか────
「ふふ。実は私、もっと魔術の勉強をした方がいいということで、これから王城で勉強させて貰うことになりましたの」
「え?」
「私の魔力量はルキア様には及びませんが、私も“光属性”持ちですから」
「……」
ミネルヴァ様はにっこり笑顔でそう口にする。
「そうそう! 聞いてください! なんとほんの少しだけ“癒しの力”も発現したんですよ! あ、これも、勿論ルキア様には全然及ばないんですけど」
「……そ、そう」
ズキッ
私の胸が抉られるように痛む。
(今、私はちゃんと笑えているかしら──?)
「嬉しくて試しに使って見たんですけど、あれは凄い魔力量が必要なんですね!」
「……そう、ね」
「すぐに魔力が空っぽになってしまいましたわ。だから、これまでもルキア様しか使えなかったんですのね」
「……」
そう。
私の魔力量はかなりのものだったから、どんなに力を使っても疲れることなんてこれまで無かった。
無かったのに───
「ルキア様! この力で王太子殿下を支えられるように私、頑張りますわ!」
「!」
その言葉はかつての私が口にした言葉と同じ。
ミネルヴァ様のその嬉しそうな顔とは対象に私の気持ちはどんどん沈んでいく。
────誰よりも魔力を持っているはずの私に異変が起きたのは、今から一週間前のことだった。
『ルキア、今日のお花』
『ありがとうございます、シグルド様』
『今日はシンプルに薔薇を一本。もちろん、私の君への気持ちだよ』
シグルド様は少し照れた様子で一本の薔薇を私に差し出した。
『ふふ、シグルド様ったら』
『ルキア、君はまた本気にしてないよね?』
『え? そんなことはないですよ? とても嬉しいです』
その日はシグルド様とのお茶会だった。
彼は昔から二人っきりのお茶会が開かれる度に必ず私に一本のお花をくれる。
シグルド様には、
“デートなのだからルキアに贈り物をしたい! どうせなら喜ぶ物をあげたい! だが、毎回何か物を贈るとなるとルキアも負担に思うだろう? だから花を一本なら負担も少ないと思った。それなら受け取ってくれる?”
そう熱く語られた。
私の性格をよく分かってくれているシグルド様のそんな気持ちが嬉しくてお花の贈り物は定番と化していた。
そうして、いつもの様に色んな話をしながら二人のお茶会の時間を楽しく過ごし、屋敷に帰ってシグルド様から頂いた薔薇の花を飾り、シグルド様のことを思い出してうっとり眺めていた時だった。
クラッ……
突然、視界が歪み目眩がした。
(な、何……? 視界が……歪む……グルグル回って、る)
あまりの気持ち悪さに立っていられずガクッと膝をついた。
『誰……か、助け……』
ガシャーン
助けを求めて手を伸ばしたせいか、せっかく頂いた薔薇の花を挿したばかりの花瓶が割れる音がした。
(あぁ、シグルド様から……貰った……大事なお花…………なのに)
『ルキアお嬢様何の音ですかーー!? 大丈夫ですか!?』
花瓶の割れた音を聞き付けてきたと思われるメイドが部屋に飛び込んで駆け寄って来た。
身体を揺さぶられるけれど、もう私には答えられるほどの気力は無かった。
『……』
『お嬢様! お嬢様、しっかりして下さい!!』
『シ…………さ、ま』
『お嬢様ーーーー!』
そう呟いたのを最後に私はその場で意識を失った。
───なんだか身体が熱い、痛い。
そして、苦しい。
朦朧とする意識の中で私はそう感じていた。
そして───
(な、何?)
まるで何かが吸い取られていくような感覚。
私は咄嗟に何も無い空間に向かって手を伸ばす。
───駄目! 止めて! “ソレ”を持っていかないで───!!
そう叫んだ所でハッと目が覚めた。
ガバッと勢いよく起き上がる。
『……っ! こ、ここは?』
『お嬢様! 目が覚めたのですね!?』
そう言ってそばに駆け寄ってきたメイドは意識を失う前に来てくれた私付きのメイド、リュイ。
彼女の姿を見てホッと安心するも頭が混乱していた。
『リュ……リュイ? 私、は……』
『お嬢様、声が掠れていますね? でも無理もありません。三日間も高熱に魘されておりましたから』
『みっ!?』
リュイの言葉に度肝を抜かれる。
三日間も高熱に魘されていた!?
『今、お医者様と旦那様たちを呼んで来ますね! 待ってて下さい』
『あ……』
そう言って部屋を駆け出して行くリュイ。
とりあえず、状況がよく分からない私は大人しく待つことしか出来なかった。
(身体が怠い……)
とにかく身体が重く怠い。
これまで経験したことのない感覚。
でも、どうして? と不思議に思う。
癒しの力を使える私は無意識に自分にいつも力を掛けていたのか、これまで病気知らずだった。
(何かがおかしい)
私の身体なのに私の身体では無いような感覚。
(そうだわ! たとえ身体が怠くても“力”は使えるはずよね?)
お医者様を待たなくてもそれで治せるのでは?
そう思って自分に癒しの力を掛けようとしたその時、リュイがお医者様と家族を連れて部屋に戻って来た。
『お嬢様!』
『ルキア! 目が覚めたか!』
家族の顔を見ていたらかなり心配をかけたのだと分かる。
『ご、ごめんなさい。心配かけて』
『大丈夫か? 医者も連れて来たから診てもらうといい』
『ありがとうございます、お父様』
そうして、自分の力は使わずにお医者様の診察を受けた。
『ふむ。熱はまだ、少し高めですがだいぶ下がられたようですな。他に悪そうな所もない』
(よかった……!)
お医者様のその言葉に私も含めて皆がホッとする。
けれど、そのままお医者様は顔を曇らせた。
『しかしですな……』
『?』
その後に続いた言葉は私にとって最も残酷な宣告だった。
『今、ルキアお嬢様からは、全く魔力が感じられません』
『……え?』
『“空っぽ”ですな』
『か……』
この時、私はガンッと頭を後ろから鈍器で殴られたような衝撃を受けて、再び倒れそうになった。