1. 婚約者へのお願い
──今日こそ!
今日こそは殿下に私の気持ちをはっきり伝えて見せるわ!!
そう決意して大きく息を吸ってから、私は扉をノックした。
中から聞こえる返事を待ってから勢いよく扉を開ける。
「失礼致します───シグルド様!」
部屋の中にいるのは、この国の王子で私の婚約者でもあるシグルド殿下。
机に向かって書き物でもしていたのか下を向いていた彼は私の声にそっと顔を上げた。
「うん? ルキア! 今日もとびっきり可愛いね!」
「くっ!」
(な、なんて眩しい笑顔なのかしら……)
あまりの笑顔の眩しさと可愛いなどという甘い発言のせいで、決心したはずの心があっという間に怯みそうになる。
しかし、私は負けてたまるかと気合いを入れ直す。
この決意をしたのは何度目だったか。
そして、挫折するのも……
「───シグルド様! 聞いてください。私、今日こそはあなたに大事なはな……」
「ルキアは凄いね。ちょうど私が休憩して君に会いに行こうと思っていたのを知っていて訪ねて来てくれたのかな?」
「え!? なっ、何を言って……?」
「あれ? 違うの? 残念だな」
シグルド様の顔が明らかにシュンッと落ち込んだ。
(……っ!)
「私はルキアに会いたくて会いたくて堪らなかったと言うのに」
「っっ!」
そんなことを言いながら少し拗ねた彼の顔を見ていると、私の心が負けそうになる。
でも、今日こそはちゃんと言わなくては、と決めた。
だって、やっぱりいつまでもこのままではいけない。
(シグルド様の新しいお相手だって──)
そのことを思うとズキッと胸が痛くなる。
でも……
私は再び顔を上げた。
すると、シグルド様は机から立ち上がりソファへと移動して腰を下ろす。
そして私と目が合うとにっこりと笑った。
「でも、本当にちょうど良かったよ。ルキア、隣においで?」
シグルド様が隣のスペースをポンポンと叩く。
「え?」
「君の好きそうなお菓子があるんだ。私も休憩する所だったから一緒にどうだい?」
「……」
そう言ったシグルド様が示したテーブルの上には確かに美味しそうなお菓子が並んでいる。
自他ともに認めるお菓子大好きな私は、その中に驚くべきお菓子を見つけて息を呑んだ。
「っ!!」
(あ、あれは、王都でも一二を争う有名なお店のもの……!)
毎日、開店と同時に即完売するので、もはや幻と言われているお菓子だった。
「っっ、~~っっ」
そんな貴重なお菓子を前にした私は興奮が隠せず身体がプルプルと震え出す。
シグルド様はそんな私の様子を見て笑いながら訊ねてきた。
「ふっ……どうしたの、ルキア? 身体が震えているよ?」
多分、今、私が何を思っているのかは彼に全て筒抜けだ。
「うっ! い、いえ……別に、何も」
「そうなの? でも、私に用があったんだろう? お菓子を食べながらでいいなら話を聞くよ」
「え、えっと」
その言葉に私は大きく躊躇う。
何故なら私のしたい話は、呑気にお茶とお菓子を食べながらするような話ではない。
「うーん、このお菓子は、ルキアの為に用意させたんだけどな……もしかして嫌いだった?」
「!」
そう言ってシグルド様が目の前にチラつかせたのは、まさに私がたった今、興奮していた幻のお菓子!
「い、いえ。す、好きです……」
(すごくすごー~く食べたかったお菓子です)
「だよね」
「っ!」
私が正直に言うと、シグルド様は嬉しそうに微笑んだ。
そんな彼の笑顔に胸がキュンとすると同時に暗い気持ちも生まれて私は目を伏せた。
(お願い……その笑顔、もう私に見せないで?)
こんな笑顔を見せられたらますます決心が鈍ってしまう。
「ルキア?」
「え? あ、すみません……」
「ほらほら、ルキア、座って? それでなくても君は病み上がりなんだから、ね」
「は、はい……」
(病み上がり……)
ズキッと私の胸が痛む。
けれど、とりあえず、私は促された通りに彼の隣に腰を下ろすことにした。
隣に座っているシグルド様は満面の笑顔。
対する私は彼の顔が真っ直ぐ見る事が出来ず、顔を俯ける事しか出来ない。
「……」
「……」
「……ルキア」
「は、い?」
少しの沈黙の後、名前を呼ばれたので顔を上げそっと隣を見上げる。
「はい、口を開けて? あーん」
「え!」
シグルド様はその言葉と共に私の目の前にお菓子を差し出してきた。
私はついつい条件反射で、口を開けてしまう。
口の中に広がる甘い味。
長年の付き合いによる癖という程、恐ろしいものはない。
シグルド様は昔からこうして私にお菓子を食べさせる事が大好きだ。
「あ!」
「美味しい? ルキア?」
そう言いながら私に向かって優しく微笑むシグルド様。
その笑顔はやっぱりとても眩しい……眩しすぎる。
「お、美味しい……です」
「それは良かった。この前、ルキアが小さな声で食べてみたいって呟いていたから色々調べたんだ。このお菓子はかなり人気らしいね?」
「……っ! これ、わ、私の為に……?」
確かに呟いた記憶はある。
あれは視察で共に街に行った時で、このお菓子のお店の前を馬車で通った時だったと思う。
(あの時のあんな小さな私の声の呟きを拾っていた!?)
「当然。可愛くて愛しい婚約者の喜ぶ顔が見られるほど幸せなことは無いからね」
「か、可愛っ……」
その言葉に私が焦るとシグルド様がまたにっこり微笑む。
「それそれ! その直ぐに赤くなる顔だ。うん。やっぱり私の婚約者は今日も最高に可愛い」
「~~~!」
しまった!
今日もこうしてシグルド様のペースに乗せられてしまった。
そして言えない。
だって、こんな空気の中、どうやって切り出せばいいの?
───私では、もうあなたのお役に立てそうにありません。
───どうか、私と婚約解消をして下さい。
───あなたの新しい婚約者にはどうぞ例の“彼女”を……私の代わりにあなたの助けになってくれるはずです。
たったこれだけのことを伝えるだけなのに。
私はルキア・エクステンド。
エクステンド伯爵家の娘。そんな私には幼い時から婚約者がいる。
それが今、この目の前で私を可愛い可愛いと言いながら微笑んでいるこの方。
シグルド・アクリウム様。
この国の王太子殿下だ。
たかが伯爵令嬢に過ぎない私が彼、シグルド様と婚約しているのには当然、理由がある。
それは、私が子供の頃からとんでもない魔力量を保持していたこと。
そして、貴重な光属性持ちで癒しの力を使えたこと。
それだけで、私と彼はかれこれ10年も婚約している。
初めて出会ってから、そして婚約が結ばれてから将来は王太子、やがて王となる彼の支えになりたいと私自身もこの10年間、必死に努力を重ねて来た。
(……でも、そんな努力も全て無意味なものとなったわ)
私はもうただの役立たず。
彼の隣に立つのに全く相応しくない。
そんな私の代わりに相応しい人は別にいる───……
(少し性格的に気になる所はある方だけれど……)
そもそも、シグルド様はお父様を通して私の身に起きたことは聞いているはず。
それなのに、シグルド様は何も言わない。
今も変わらずこうして私を婚約者として扱おうとする。
だから、これでは埒が明かないので私から“婚約解消”をお願いすると決めたのに……
愛しい婚約者だの、今日も可愛いだのという甘い言葉と大好きなお菓子に翻弄されて、結局、今日も私はそんな大事な話を切り出せずにいた。