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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

もう、痛いのは嫌です。――女神さま、私はいつまで聖女でいればいいのですか?

作者: 辛島ミリカ

 

「一週間後に王城が襲撃を受けます。侵入者は――我が国軍の兵の姿をしてました」


 ある日見えた未来。すぐに私は王へと進言いたしました。

 それが私の仕事だからです。


 ですが――ラウド王陛下は額に血管を浮かべて、顔を真っ赤にして仰いました。


「城を襲う? 我が国軍が? 聖女ともあろう者が、どこまで王権を愚弄すれば気が済むのだ!」

 

 国家侮辱罪として、私は冷たい地下牢に放り込まれました。ラウド様は気難しく、進言の仕方を間違うとすぐにこうやって牢へと押し込めるのです。

 今回も、もう少し伝え方を考えるべきでした。……どう、お伝えすればご理解頂けたかはわかりませんが。


 

 日の入りもわからない地下牢で、ただひとり長い時間を過ごしました。

 ただ毛布にくるまって静かに休んでいますと、地上から轟くような地響きが聞こえました。

 あの時見えた未来のように、兵士が一挙に攻め込んできたのでしょう。


 しばらくすると、命からがら兵士を退かせたラウド王陛下たちは私の元へとやってきました。


「お前が奴らを煽動したんだろう」

 

 地下牢の中で何ができたというのでしょうか。そんなに、私の力は万能じゃないです。

 陽の光りも届かない地下牢では、太陽を司る女神の加護は受けられません。


 

 そうして、私は反乱軍を幇助した罪として火炙りの刑で処分されることになりました。



 熱い。熱い。熱い。――痛い。



 聖女として、国のためにこうして仕えていたのに王族に殺められるなんて。

 一体、私はなんのために……。

 

 なぜ、こんな苦しい思いをしているのでしょう。燃え盛る炎の中では、女神――貴女のお姿を探すことすら叶いません。

 歯を噛み締め続けている内に意識を手放していました。


 


 次は普通の人間に生まれ変わりたい。なんて、ありえないことですが。

 

 願うことも罪でしょうか?




 

 気付くと、眩い光りに目を覚ましました。窓辺から差し込む日差しと、ふかふかの布団の感触。見慣れた王城の私室でベッドに横たわってました。

 真っ白な手。火炙りでただれる前の自分の手にそっくりです。


 おかしいです。いつもなら死んだら赤子として生まれ変わるのに。

 身体のどこを見ても死ぬ前と変わらぬ姿をしています。


 

 ズキッと頭が痛んで目をつぶると、雷撃のようにあの光景が脳裏に浮かんできました。

 焼け焦げた城壁に、駆け込む兵士。国旗に描かれた真っ赤なバツ印。

 あの日、みえた未来と同じです。あの日と、同じ……。

 

 女神に与えられたこの力。未来が見える加護《先詠み》は、見えた通りの出来事が起きます。


 

 あの未来を見た日に、戻っている?


 こんなことは初めてです。

 これも、女神の思し召しでしょうか?


 


「おはようございます、エシカ様」

 

 朝の挨拶と共に侍女のマリアがやってきて、いつものように支度を手伝ってくれました。寝癖で絡まった癖毛をほどいてくれます。マリアの手は優しくて好きです。

 白いドレスに袖を通して、城内の教会へ向かいます。女神に祈りを捧げるのは毎朝の日課です。


 太陽を模したステンドグラスが朝陽を通して、教会をきらきらと照らしていました。

 私はただ手を組んで女神へ祈るだけです。


 本日もどうかアストルディア国をお守りください、と。



 そのまま、しばらく祈りを捧げていると、教会内に靴音が響き渡りました。音だけですぐにわかります。

 聴き慣れた司祭様の足音ですから。ただ。どうしても、反射的に手が震えてしまいます。


 今日は儀式の日でした。司祭様が私の隣りに立つとトレイにのせていたナイフを片手に、手を差し出されました。

 

 

「はい。腕を出して」


 言われるままに司祭様の手の上に左腕を置くと、ナイフがゆっくりと腕に食い込みます。ただ、歯を食いしめてこらえます。

 女神のためだとわかっていても、痛いものは痛いです。


「……終わりましたよ」

 

 しばらく無心で耐えている内に、腕に薄い布を当てられていました。トレイの上の小皿には赤い液体が溜まっています。

 

 女神に捧げる、聖女の血。

 これは大事な儀式です。

 

 司祭様は事が済むとすぐに、またあの靴音を響かせて去って行かれました。

 当て布があっという間に赤く染まっていきます。あとで洗わないと。どうしても、儀式の後は気が滅入ってしまいます。

 


 

 女神。

 なぜ、今回は時を巻き戻させたのでしょうか。


 ステンドグラスがただ色とりどりの光を散らばせるだけで、一向に女神のお声は聞こえません。

 

 女神は永遠に、私がアストルディア国に聖女として仕えることを望んでいるのですか?

 そのために今回はやり直しが必要なのでしょうか。

 

 私はただ、貴女を信じることしかできないのに。




 あの反乱軍は……。


 彼らがなぜ城を襲うのか。このままラウド王陛下へ進言せずとも、きっと、なぜ先詠みが出来なかったのかと私に詰め寄ることでしょう。

 そうしたら、また火炙りの刑に?


 痛いのは嫌です。どうすれば、反乱をやめてもらえるのでしょうか……。


 

 考え込みながら教会を出ると、足元に何かがぶつかりました。衝撃で思わず、壁に手をついてしまいます。

 

「聖女さま!」

 

「まあ、カフカ王子陛下」

 

 小さな王子様が笑顔で足にまとわりついてます。ラウド様の後、私がお仕えする将来の王様です。不愛想なラウド様にあまり似ていられないのは、きっと王妃様に似られたからでしょう。

 華やぐような笑みに思わず釣られていますと、廊下の先から軍服を纏った男が駆けつけてきました。

 

「陛下! 急にどこに行かれるのです!」


 あの紋章は、確か駐屯軍のものだったでしょうか。最近どこかでみたような気がします。しばらくその姿を見ていると男と目が合ってしまいました。


「聖女さまがいたの!」

 

「聖女様? ああ、失礼しました。私、南方駐屯軍副師団長のクレイン・フィーストです」

 

「クレインは剣の名人なんだ! だから稽古つけてもらうの!」

 

「それはよかったですね。ですが陛下、先生の言うこと聞けない子は魔女に食べられてしまいますよ」

 

「ええ!」


 目を白黒させておどける陛下が愛らしいです。

 稽古場に向かう二人の背中を見送っている間、ふと思い出しました。


 

 あの時見えた未来。城に乗り込む兵士たちが、あの南方駐屯軍の紋章を掲げていたことを。



 

 ……………………

 



 翌日。

 ラウド様に進言をしなかったことで、当然ですが地下牢に閉じ込められることはありませんでした。

 これで未来が変わると良いのですが。


 クレイン・フィースト副師団長。

 南方駐屯地へ帰られるなら翌日の朝だろうと睨んでおりました。王子陛下への稽古は、反乱の偵察も兼ねているのではと考えておりました。

 それならば、すぐに帰るわけがありません。


 兵舎にはいくつか馬小屋があります。

 大きくは近衛兵のものと、それ以外に分かれています。近衛兵の小屋は城内でも奥の裏門近くにありますが、他のものは比較的表の城門近くにあります。

 馬小屋の裏に隠れて、じっと時が来るのを待ちます。


 どう伝えれば反乱をやめてくださるのか。

 わかりませんが、何もせずに来る日を迎える訳にもいきません。

 


 一瞬、めまいを感じて目を伏せますと、脳裏にひとつの光景が浮かんできました。


 燃え上がる炎を囲う群衆。

 雛壇でそれらを見下ろすラウド王陛下。

 炎の中には、私?


 王陛下の元に声を張り上げて近付く黒いドレスの女。

 困惑する表情を浮かべる王陛下。炎を指差して頭を抱える女――。



 ラウド王陛下への進言はやめたのに。

 火炙りの刑はまだ避けられない未来なのですか、女神。


 あの黒いドレスの女は見たことがない顔でした。王妃陛下でも、妾の方でもありません。

 王陛下にあんな風に詰め寄る女性がこの国にいるなんて。



「聖女、殿?」


 突然の声に慌てて顔をあげますと、フィースト様が馬小屋の裏を覗き込んでおりました。


「何をしてるんです?」

 

「あ、あの! 私、どうしてもフィースト様とお話がしたくて……」


 怪しい、と顔に書いてあります。

 なんだか昨日、王子陛下といた時よりも冷たい雰囲気がしました。けれど、怖じ気つくわけにはいきません。

 


「フィースト様、また近い内にこちらへいらっしゃるご予定がおありですよね?」

 

「王子陛下の稽古でまた一月後に来ますが」

 

「いえ。それよりも近い日にいらっしゃいますよね?」

 

「……なんだ。得意の先詠みってやつか」


 急に声が低くなりました。先程よりも一層、冷たい空気が張り詰めているようです。


「まだ……王陛下には何も伝えておりません」

 

「へえ。未来が見える聖女ね……。その有り難い力は戦ごとしか見えないのか? 干ばつでどれだけ民が飢えてるのかも、見えちゃいない」

 

「干ばつ……?」


 南方の土地で干ばつが起こる未来は、少し前に見た記憶がありました。

 あれは一年程前の事だったでしょうか。


「私は……去年の春、南方で雨期の始まりが大きく遅れ、地下水が枯渇しはじめる未来を見ました。加えて、乾季と重なった強風で土が飛び、苗が根付かず……痩せた畑と、飢えた子どもたちが地面に座り込む光景も……」


 いくつかの村ではすでに数年前から井戸が枯れ始めていたことも、報告されていました。


「ちょうど東方で、例年より雪解けが早まる未来も見えたので、早めに堤を整備して川筋を南方の畑地へ分流させたらどうかと王陛下に進言いたしました。堤を整備すれば灌漑できます。少なくとも、備蓄や種まきの時期の調整ができると、何度もお伝えしたのですが……」


「進言した? ならば、王が何もしないからか? ……年々酷くなってるんだ。飢えだけじゃなく、すぐ進軍だなんだと市民まで戦場に駆り出されて。不作ならその分他国から取ってこい、だとさ」

 

「そんな……」

 

「聖女はアストルディア国に仕えてるんだろう。王に仕えてるのか? 国ってのは王様だけがよけりゃいいのか? ……女神様は市民が飢えることを願ってるのか?」


 次々にまくし立てられる言葉に、なんと答えたらいいのかわかりませんでした。

 

 いままでこの国が栄えてきたのは、私の先詠みが少しは貢献できていたからだと思っておりました。

 不吉な未来。不都合な未来。それらを事前に避けるため、いままでずっとアストルディア国の王に何代もかけて進言してきました。

 

 私は何のために……。

 

「乗れ」


 フィースト様は馬に跨がると、手を差し出してきました。


「え……」

 

「ずっとこの城に囲われているつもりか?」


 城から、出る?

 私はラウド様に城から出る事を禁じられています。


 先程の先詠みの光景がふと思い出されました。

 私はあの炎の熱さ、音、身体中が焼ける痛みを今も覚えています。呼吸も出来ない、あの灼熱の炎。


 この手を取れば、未来が変わる?

 

 

「私が付いていっては……迷惑ではありませんか」

 

「俺達が何をするか知っているのだろう。国のために役に立て」



 おそるおそる、その手を取ってしまいました。

 ゴツゴツとした、いくつも豆が潰れた手。



 女神。

 私はただ、この国を守りたいだけです。

 私の選択は、貴女を裏切ることになってはいないでしょうか。



 

 

 ……………………



 城門はラウド様の外套をお借りしてやり過ごすことができましたが、そこからが過酷でした。

 馬に乗ることが重労働ということをすっかり失念しておりました。

 

 過去に、乗馬はしたことがありましたが、今の身体――エシカの身体は、城の中を行き来するばかりでほとんど運動などしておりません。

 ただただフィースト様にしがみつくだけで、いつ降り落とされるか気が気じゃありませんでした。

 さすがに見かねたフィースト様が何度も休憩を挟んでくださって、気付けば陽が傾く時間となっておりました。



「もう少しいけば宿営地がある。今頃城じゃ、聖女がいないって大騒ぎしてるんじゃないか」


「ええ。マリア……侍女にも何も言わず出てきてしまいましたから」


「なんて言って出てくるんだ? 王に反乱起こしに行ってきます、って?」


「そんな……!」



 冷たい雰囲気だったフィースト様は、どこへやらか行ってしまったようで、こうやって笑いかけてくださるようになりました。

 王子陛下といたときとも、少し違う雰囲気に感じました。本来のフィースト様を見せてくださっているようで、嬉しいです。



「私が見た未来のことは、聞かれないんですか?」


 ずっと気になっておりました。ここまで着く間、いくらか話をしました。ほとんどが聖女とはどういうものか、その問いに答えるばかりでした。

 私が何度もこの国で聖女として生まれ変わっていると伝えると、しばらく呆然とする程驚かれておりましたが。


 ですが、フィースト様が一番気になっているのは反乱を起こす未来がどうなるか……ではないのでしょうか。



「聞かなくてもわかる。絶対に成功する」


 馬を撫でたまま、静かに答えられました。


「ラウド王陛下を討つ、のが目的ですよね?」


 私が見た未来も。実際に見た未来でも……王陛下は生きておりました。

 フィースト様の横顔にただ静かに夕日が差し込んでいるのを見つめることしか出来ませんでした。


 城に乗り込んだ数多くの駐屯兵は、最終的に返り討ちになる。

 伝えるべきだと口を開くも、どうしても声を出せずにいると、フィースト様の青い瞳がじっとこちらに向けられていました。

 

 晴れ渡った空を切り取ったかのような、澄んだ青い瞳です。


 

「一次作戦は上手くいかないんだろう。あそこの砦は固い」


「一次……?」


「二次作戦は見てないのか?」


 フィースト様の言う作戦というのがよくわかりませんでした。

 意図が読み切れずに黙り込んでいると、ベンチに腰掛ける私の前に座り込み目線を合わせてくださいました。


 

「こちらの軍が劣勢になったら二次作戦に切り替える。私は近衛兵側について王の信用を得る」


「それって……同士を殺めるのですか……?」


「そうしないと王の信用は得られない」


「そこまでして……」


「今の王は討たねばならない。駐屯兵が引いてから数日を掛けて信用を得て、油断した頃に私が王を討つ」


 真っすぐとそれだけ言うと、目を伏せてしまいました。

 


「王を討ったところで、私も無事では済まないだろう。命を落とす覚悟は、もうできている」



 ……………………

 


 フィースト様の言っていた通り、宿営地まではあっという間でした。


 敷地の中へ入っていくと、フィースト様に気付いた兵士が次々に近寄ってきました。

 借りた外套を羽織ったままの私に不審げに視線が向けられていましたが、ただフィースト様に連れられるがまま、宿舎の食堂へ向かいました。

 

 ちょうど夕飯時のようで、多くの兵士で賑わっておりました。

 ここは城から駐屯地までの中継地点です。どうにも、兵士の数が多いような……。


 考えている内に、答えが浮かびました。


 反乱軍はもう数日が経てば、王城に乗り込むのです。

 その準備であれば、当然のこと……。


 

 ここにいる兵士の内、一体どれだけの死傷者が出るのでしょうか。

 フィースト様も。……私も。


「そちらの方は?」


 案内された席につくと、近くに座っていた兵士が声を掛けてきました。

 周りの兵士も気にした素振りでこちらを見ています。

 素直に名乗るべきか考えあぐねて、フィースト様を見ると手を広げて制されました。

 

「ああ、聖女エシカ殿だ。疲れてるだろうから、今夜は静かに休ませてやってくれ」


「聖女?!」


 途端にひりつくような空気が部屋いっぱいに広がっていきます。

 聖女は王族と同じ、批判の対象なのでしょう。

 

「なぜ聖女をお連れに……?」


「こっちにつくと言っている。向こうに作戦は漏れていない。少なくとも、私は彼女の言っていることを信用している」


 フィースト様がよく通る声でそう言うと、ひりついた空気が一瞬で解けていくようでした。

 副師団長がそう言うのなら。不思議とそんな声が聞こえてくるようです。


 それを見て、ふうと息を吐き出していました。

 自分でも気づかぬうちに、息が詰まっていたようです。

 

「まあ、聖女様がつくなら心強いでしょうね」


 最初に話しかけてきた兵士が微笑んでくれました。



「私の出来ることは多くはありませんが……よろしくお願いいたします」


 

 自分が選んだこの道が正しいのか、迷いはまだありました。

 けれど、きっと未来は変えられる。


 身体中に広がる疲れからか、余り食欲はありませんでしたが、このときの食事は今までにないくらい美味しいものでした。



 食事を終えた後は、二階にある個室へ案内してくださいました。

 すぐにでも床に就きたい気持ちもありましたが、どうにも目は冴えきっておりました。



 この反乱では皆、命を投げ出す覚悟がある。

 王を討つ。ただ、それだけのために。


 きっと、既に死んでいった者たちに報いるためにその覚悟をしているのでしょう。


 けれど、王を討ったその後は?


 私を慕ってくださる小さな王子陛下の、綻ぶ笑顔が思い出されます。彼はどうなるのでしょうか。


 アストルディア国を一体、誰が率いていくというのでしょうか。



 火炙りで死んだあの日から巻き戻った時間。

 女神は、アストルディア国のことを案じて私に時間を与えてくださったのでは……。


 ――それならば、こんなにも命を投げ捨てないといけない未来は変えられる?

 


 廊下へ出るとフィースト様と数人の兵士が一階のホールで話をしておりました。

 その中に一際大きな方がおりました。一見、熊のようにも見える大柄な姿は王城で執り行われていた式典で何度か目にした覚えがあります。

 

「聖女殿、話はクレインから聞きました。師団長のノーフィルと申します」


「エシカです。よろしくお願いします」


「休まなくていいのか? 疲れているだろう」


 割れんばかりのノーフィル様の大きなお声に驚いていますと、フィースト様が割り入ってお声を掛けてくださいました。

 あれだけ日中、馬上でへたり込んだ姿を見せてしまっていたので心配してくださっているようです。

 


「寝付けないので、少し外の空気を吸ってきます」


「裏の森には行かない方がいいですよ。魔女に食われちまいます」


「魔女、ですか?」


 兵士の子供騙しな言葉につい、笑ってしまいました。

 昔から「危ない場所には魔女が出る」と言うのは子供に言い聞かせる常套句なのです。

 小柄な方かもしれませんが、私の身体はれっきとした成年です。



「いや、おとぎ話とかじゃないんですよ。実際、狼とか毒蛇も多いみたいですが」

 

「ここら辺に住んでる人はみんなよく言ってるんですよ、夜中に老婆が森を歩いてたとかって」

 

「老婆? 俺は若い女だって聞いたけど」

 

「ああ、あれだろ。聖女の血を吸って若返る、なんて噂もあるよな」

 


 その言葉を聞いた途端、胸騒ぎがしました。

 

 聖女の血?

 思わず左腕を掴んでいました。


「どうした?」


 近くにいたフィースト様が、顔を覗き込んできます。


 どこかから響くように、あの足音が聞こえた気がしました。

 いつも変わらない司祭様の表情。銀色のナイフと、赤い血……。儀式の様子が、次々とすぐ目の前に浮かんできました。

 

 ゆっくりと袖をめくると、ナイフの傷跡が幾つも並んでいます。

 

「その傷は……」


「私は毎月、血を女神に献上しております」


 しんと静まったホールの中、皆、私の傷だらけの腕を見ておりました。


 

「聖女の血の噂について、他にご存知の方はいらっしゃいますか?」


「……少し違う話かもしれないが」


 腕を組んで静かに話を聞いていたノーフィル様が、ひそめるように低い声で話し始めました。


「うちの祖母は王家から降嫁してきたんだが、昔話してたことを思い出してな。ガキの頃、何かやらかすとよく言ってたんだ。聖女が死ぬと死体を魔女のいる森に運ぶんだ、お前も良い子にしてないと同じように森に運ばれるぞ……なんて、当時はただの脅し文句だと思っていたんだが」



 私の死体を森へ運ぶ?


 考える内に不快感が胃から上ってくるような気がして、口を押さえずにはいられませんでした。

 魔女なんて、伝承でしかないはずなのに。

 なぜ、私の話まで出てくるのでしょうか。なぜ……。



「私が見た未来では……反乱の後に、反乱軍を幇助した罪で私は王陛下によって処刑されます。火炙りの刑でした。刑の執行される横で、陛下に詰め寄る黒いドレスの女がいました」



 気付けば、また今朝見えた未来が脳裏によぎってきました。

 あの女が、魔女?



「火炙りじゃ食える死体が残らない、からか」


 どこか苛立つようにフィースト様が呟きました。


 

 魔女が聖女を食らう?


 私の血も、死体も、ずっと王家の手で魔女に受け渡されていた?



「そんなこと……」


 

 震えが止まりませんでした。何度も生まれ変わっては、祈りを捧げ、血を捧げ、見えた未来を王へ告げてきました。何度も。何度も。


 数百年と続く、長い時間。

 


 すべてアストルディア国のため。そして、女神のためでした。



 あの女が、女神だとでもいうのですか?



「大丈夫か」


 フィースト様が背中を温かい手で優しく撫でてくださいました。何かに似ている気がしました。


 そう……思い出しました。マリアの手にどこか似ているのです。


 

 しばらくすると、吐き気が落ち着いてきました。



 心配するような目で兵士たちもこちらを見ておりました。落ち着いてみると、どうして取り乱してしまったのかが不思議な気分になってきました。


 魔女が実在するとしたら、これほど良い話はないというのに。


 それならば、多くの命を無為に投げ出さなくても良い未来が選べます。

 


「皆さん、反乱起こすのは一度やめにされませんか? 魔女が本当にいるのなら、私に提案があります」



 …………………………




 

 深くて、暗い夜の森。


 鬱蒼と重なる葉陰は、昼であっても陽を通さないのではと思うほど、隙間なくこの地を閉じ込めているかのようです。



 野犬が遠吠えをする声がどこかから聞こえてきました。


 私は先日のようにフィースト様の馬に乗せてもらい、樹海の中を駆け抜けております。

 しっかり休んできましたが、激しい筋肉痛にまた鞭を打つ状態はどうにも顔が歪んでしまいます。


 フィースト様は最後まで私がついて行くことに反対しておりました。

 万が一にも聖女だと気付かれたらどうなるかわからないだろう、と。

 ですが、私はどうしても魔女をこの目で見てみたかったのです。


 数百年と私をこの国に縛り付けてきたのかもしれない、その存在を。

 

 折衷案として、兵装を一式借りることになりました。それに、顔を隠すための仮面をかけています。

 女だと気付かれないために、私は声を出してはならないと厳重に約束させられました。

 出来るだけ後ろで目立たないように行動しろとのことです。ですが、フィースト様も顔を見られてはどうなるかわかりませんので、同じように仮面はつけてもらうようにお願いしました。

 


 この広い森に暮らす魔女の住処。

 どうやって見つけるか、駐屯軍の皆さんと協議した結果、夜に探すことになりました。


 夜ならば明かりが漏れているだろう、ただそれだけの理由です。



 案内地図があれば困らないのですが、そんなものあるわけがありません。それに、本当に魔女が実在するのか、少なからず、疑う気持ちもいまだにありました。



 

 「あそこっ、光ってませんか?」



 樹海の先に薄ぼんやりとした明かりが見えて、思わず叫ぶと馬の跳ね返りの振動で舌を噛みそうになりました。

 慌ててフィースト様の大きな背中にしっかりとしがみつき直します。


「行こう」



 その明かりだけを頼りに、しばらく進むと小さなあばら小屋が佇んでおりました。

 そして。


 中から黒いローブを身にまとった女が蝋燭を片手に出てきました。



「何奴か」


「魔女殿ですね。話をさせて頂けませんか」



 女は老婆のように、低い声をしておりました。

 

 ローブでほとんど顔は伺えませんが、背格好は先詠みで見えたあの黒いドレスの女と同じように見えました。

 蝋燭の炎が揺れると、少しだけ見えていた口元には真っ赤な唇が蒼白い肌に浮き上がって見え、一際目を引かれます。


 まるで血のような赤だと、そう感じて背筋が一瞬、冷たくなりました。



「手短に」


「王が火炙りで聖女を処刑しようとしていたので保護しました。これでは盟約に反する、と思いまして」


 

 『盟約』。

 

 きっと、王家は魔女と何かしらの契約を結んでいる。様々な話を聞いている内に行きついた考えでした。

 魔女の利は言うに及びませんが、王家の利。それはおそらく聖女――私の先詠みの献身が得られること。



「今代の王は目先の事しか見えてないんだ」


「王を殺めては頂けませんか」


「なぜ。わらわが干渉する必要がある」


「我が国の城は非常に硬い砦があります。私どもでは王の暴挙にこれ以上、太刀打ちできません」


「聖女はどうした。……あれに間違っても盟約の話などしていないだろうな」


 魔女がローブを軽く上げると、鋭い目で睨みつけてきました。フィースト様の影で息をひそめていた私にまでその目が向けられて、気付けば手が震えておりました。

 私はただ、拳を握り締めてやり過ごすことしか出来ませんでした。

 

「聖女には何も伝えてません。こちらで保護しただけです」


「はっ、人間の言うことなどどこまで信用できるものか。あの娘は私の最高傑作なんだ、何かあればお前のことも末代まで呪ってやる」


「今の王さえ討って頂ければ良いのです。そうすれば、次の王子に継承されるだけで、盟約は今まで通り果たせます」





 …………………………







 人間ごときが、余計なことをしやがって――。


 奥歯をぎりと噛みしめると鉄の味が口内に広がり、女は更に苛立った。

 もう何年生きたかわからない。身体のどこかしこもボロが出ているのは明らかであった。


 けれど、死にたくない。女は生への執着が誰よりも強かった。




 初めに死にかけていた時。


 女神の肉を食べた。



 それは、その後の長い――長い人生の中でも格別に甘美な味がした。


 一口、また一口と頬張る内に、みるみると若返っていく身体。



 女は気付いた。これは使える、と。


 滴る女神の血を器に集めて、夜半の村に忍び込んだ。泣きわめく小さな赤子を連れ出すと、その血を使ってある魔術を施した。



 それは、何度もこの地で生まれ変わる魔術。


 女は笑った。


 これで繰り返し、女神の肉が食える。

 


 その魔術は、女神の血によって更なる利をもたらした。


 女神が持っていた先詠みの力。


 その赤子は、次第に言葉を話すようになると未来が見えると言った。



 女は笑いが止まらなかった。

 すぐに当時の王へ、子供を献上した。


 『この子供は、私の力によって女神の加護を受けた。何度も生まれ変わり、アストルディア国へ先詠みの加護を与える聖女だ』


 王は喜んだ。

 

 毎月の血の献上と聖女の死体だけは、女神への供物に必要であると言えば、そのくらいの見返りは二つ返事で了承された。


 そして、契約は結ばれた。



 女はいつも、村へ近寄ると不気味な魔女だと石を投げられていた。

 

 王の取り計らいで、それ以降、彼らは畏怖の目で女を見るようになった。やっと、世界は自分を認めてくれたのだ。


 

 灯し火のような暖かさが胸に広がっていた。そんなことは生まれて初めてだった。


 

 


「王よ、盟約をお忘れか」


 制する近衛兵を振り切り、王の間へ向かうとその姿は玉座にあった。


「……約束は果たしておりますが」


 瞬きを忘れたかのように目を見開いている。国の主君というのに、情けない表情だ。

 今代の王とは、顔を合わせた数は片手にも満たない。

 何代も変わる内に王家と関わることは少なくなっていた。

 盟約さえ果たせてもらえれば、どうなろうが関係がない。


 それでも今代の王の話は伝え聞く限り、過去でも比類を見ないものであった。

 この男は、自身の名誉と富。そして、新しい領土。それらにしか関心がないようだ。


「本当に来るとは……」

 

 肘置きを握り締める手は、所在なさげにカタカタと震えていた。


 なのに、その言葉には違和感があった。ここに来るまでに、なんの触れも出していない。

 


 ――謀られた。


 気付いた時には遅かった。

 あの森を訪ねてきた仮面の兵士。あやつらが、告げ口――いや、騙したのだ。



 

「かかれ!」


 震えていた王が立ち上がって、手をあげると一斉に辺り一面から金属音が響き渡った。

 王の間の中央に立つ女を取り囲うように、隠れていた兵士が弓矢を向けていた。


 

 一瞬のことだった。

 気付いた時には身体中に痛みが走っていた。


 こんなことで、この私が……。




 人間ごときに。


 


「死に……た……」

 


 掠れるような声は弓矢の音でかき消されていった。


 



 …………………………




「まだ未来が見えるって本当なのか」



 書類仕事に追われている中、久方ぶりにフィースト様もとい、クレイン様が訪ねて来られました。

 正直な所、彼にお会いできるのがこの所、一番の楽しみでした。新しく増えた仕事をこなすのにいっぱいいっぱいの毎日ですが、なんとかやれているのはこの楽しみがあるからかもしれません。



「ええ。魔女がいなくなれば、私の……転生の呪いにまつわるものはどれも消えるものかと思っていたのですが」


 あれから南方駐屯軍は、王族と魔女の盟約について広く市民に喧伝しました。

 その中には、ラウド王陛下が聖女の先詠みの加護を無視していたことや、干ばつの予兆にも一切の対策を取らなかった事実も含まれていたようです。


 これらの告発は、もともと囁かれていた王の悪政の噂と重なり、やがて市民の強い反発へと繋がりました。

 民意のうねりの中、ラウド王陛下がその地位を追われるまでには、さして時間を要しなかったのです。



 カフカ王子陛下が跡を継がれることとなりましたが、まだ幼い陛下にアストルディア国王としての責務はあまりにも重すぎます。

 そこで、南方駐屯軍のノーフィル師団長をはじめとする各軍の長が、宰相として政務を支えることになりました。


 私もまた、長らくアストルディアに仕えてきた者として――今はただの聖女としてではなく、王政の実務に携わっております。


 

「実は今朝も見たんです」


「へえ、何を見たんだ」


「クレイン様が今日こちらにいらっしゃるって」


「そんなもん見たところでな……」



 深い息を吐いて呆れた表情を浮かべてましたが、私はクレイン様が笑っていたのを見逃しませんでした。


 私に与えられた加護はどれも魔女の呪いだったのではと疑っておりましたが、結局私は女神への祈りは毎日変わらず続けておりました。


 あの日から巻き戻った時間。あれはやはり、本物の女神から与えられた加護だったのではないでしょうか。

 しばらく見えなくなっておりましたが、未来もまた少しずつ見える様になりました。


 ただ、以前のように、国に関わるような大きな未来はほとんど見えなくなってしまいました。

 時たま見える未来は、自分の身の周りで起こるようなほんの些細な小さな未来ばかりです。


 

 本当のことなど私にはわかりません。

 どんなに祈っても、女神のお声は聞こえませんから。

 

 けれど、きっと今この時もこの国を見守ってくださっています。



 「もう少し落ち着いたら、国内を見て回りたいと思ってるんです」


 そう零すとクレイン様は頷いてくださいました。


 何度も生まれ変わって、城の中から思いを馳せていた国内を見てみたい。

 今世が最後になるなら尚のこと。


 

 「良いんじゃないか。師団長に掛け合っておこう。また俺の馬に乗ると良い」


 何日も続いた筋肉痛が思い出されて、つい顔が引きつってしまいました。


 でも、そんな旅も良いかもしれません。



 クレイン様の優しい笑み。

 透き通るような空色の瞳に陽の光が反射するのを見ていると、不思議とそんな風に思えました。



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