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五話


 ヒカリは部屋に用意された机にかけてゴルスタンの話に耳を傾ける。

 教師をしているという彼の説明はたしかに分かりやすかった。


「では、ここまででなにか分からないことはありますかな?」

「えっと、確認なんですけど、この世界にはルプっていう見えないエネルギーが漂っていて、それを正常な流れに戻すのが星降人の役目ってことですよね?」

「そうです。ルプを川に見立てるとわかりやすいでしょう。常に流れていればいいですが、その流れの鈍い場所では水が淀み、水質が悪化します」

「だから市街地よりも、人の手の入らない森や山奥だと余計淀みが生まれやすい?」

「そうです。ルプの流れが単調になりますからな」


 素晴らしい、ゴルスタンは拍手をする。厳格な顔立ちに似合わず、彼はこうして何度もヒカリのことを褒めてくれた。照れくさいが嫌じゃない。

 そのおかげか、特別勉強が得意でもなかったヒカリがこうしてついていけているわけである。


「淀みが出来ると、この前見た花みたいに枯れちゃうんですよね」

「はい。まず影響が出やすいのが植物です。植物が枯れればそこで暮らす動物。そして少しずつ淀みは広がっていきゆっくりと私たちを人間まで枯らしてしまうでしょう……」


 淀みを放置すればゆっくりと確実に命が蝕まれていく、ということらしい。

 想像してゾクリと背筋が粟立った。それを振り切るようにヒカリは話題を変えた。


「人や動植物にもルプが宿ってるって言いますけど、先生たちにもルプがあるんですか?」

「そうです。たまに保有量の多い方はそのルプを特別な力として使用できる者もいます。そう言った方々をルプ使い――ルプシャールと言います」


 ゴルスタンはヒカリの背後で控えていたレトランを指さした。


「それもルプシャールです。ほら、お見せしなさい」

「ええ? 叔父上だって出来るでしょうに」

「老体には酷だと言ってるんだ。ほれ、早く」

「分かりましたよ。――ヒカリ様、見ていてください」


 そう言ってレトランが手のひらを差し出す。なにが起こるのかとまじまじ見ていると、ぽっと手のひらの上に炎が灯った。


「火がついた……!」

「私はこうして炎を生み出すことが出来ます。叔父上は風を操ることが出来ます」

「なあに。そよ風をだすぐらいです」

「でもすごいです!」


 はしゃぐヒカリを二人はほっこりと見守る。


「私のなかにもルプはありますか?」


 もしかして自分も魔法みたいなことが出来るかも。そんなワクワクした気持ちで訊くと、ゴルスタンは首を振った。


「いいえ。ステラナはルプを知らないからこそステラナと呼ばれるのです」


 どういうことだろう。ヒカリが首を捻れば、ゴルスタンはすぐに説明に移ってくれた。


「私たちは生まれたときからルプの満たされた世界で生きているからこそ、ルプがある状態が正常なのです。そのためいくら頑張っても淀みを治すことも、ある程度悪化しなくてはその淀み自体に気づくことは出来ません」

「でも、私はその淀みっていうのが見えました」

「それはヒカリ様がルプのない世界から来たからです。最初のうちは知らないエネルギーに身体が追いつかず辛い思いをされたでしょう?」


 ヒカリはこれまでの一週間を思い出して苦い顔で頷いた。

 ずっと車に酔ったように気持ちが悪くてたまらなかった。何度吐いたかも覚えていない。

 けれど、いつも優しい声と手で慰められたことは覚えていた。


(そういえばリリシアさんどこに行ったんだろう)


 チラリと見ても部屋の隅にイリナが立っているだけでリリシアの姿はない。こうしてゴルスタンの講義が始まってそうそうに出て行ったしまったリリシアは、まだ戻っていないようだ。


「ステラナはルプを感知するためにまずルプのない世界で生まれるのだと聞きます。酔いは治まったかもしれませんが、あなたの目にはきっと淀みが見慣れないものとしてハッキリ感知されるはずです」


 ゴルスタンの声に講義中だったと我に返った。そしてヒカリは今まで胸で燻っていた疑問を投げかける。


「先生、でも私淀みの治し方なんて分からないんですけど」

「申し訳ありませんヒカリ様。なにぶんステラナが我が国に降臨するのはこれが二度目。前回はずいぶんと前のことで、残っている文献も少なく、ステラナの能力の使用方法に関しては分からないのです」

「そうですか……それじゃあ――」


 今しかないと、意を決して訊ねてみる。


「私、元の世界に帰ることって出来るんですか?」


 必死な様子が伝わったのだろう。ゴルスタンは痛ましそうに目を閉じてゆるく首を振り返した。


 ◇


 基本的なことは以上だと、ゴルスタンは帰って行った。

 あまり一日で詰め込んでもよくないと言っていたが、ヒカリが落ち込んでいたのに気づいたから日を改めてくれたのだ。

 椅子にかけたままヒカリは机の上を見下ろす。

 そこには慣れない羽ペンで書き記した講義のメモが散らばっていた。

 星降人、ルプ、淀み。聞き慣れない単語が書かれたそれが、自分は異世界に来てしまったのだと見せつけてくる。


(もう帰れないんだ、私)


 せっかく受験頑張って入学したのに半年も行けなかった。勉強を見てくれた兄には恩返ししろよとお菓子をせびられていたけど、結局買ってあげたことはなかった。

 両親は共働きで忙しかったけれど、みんな同じぐらいのタイミングで家を出る朝の瞬間が意外とヒカリは好きだったのだ。

 会えないと知ると、あれもこれもと日常が浮かんでくる。

 泣きたい気分になって、でもダメだと自分を叱咤した。昨日だって散々泣いたばっかりなのだ。そうして決めたはずだ。とりあえず自分に出来る範囲で頑張ろうって。


(受験勉強のときだって分からなすぎて泣いてたら、お兄ちゃんにとりあえず進めろって言われたし)


 ふんと息をつく。そうしてふと心細さを隠すように部屋を見渡すと、つい「リリシアさんはまだかな」と呟いてしまった。

 すると、微笑んだレトランが言った。


「ヒカリ様は王女殿下のことがお好きなんですね」

「え、どうしてですか?」

「ずっとリリシア様を視線で追っていらっしゃいますから。今も落ち着かないご様子ですし」


 見透かされたことが恥ずかしい。子どもみたいだと思われただろうか。


「こっちに来てからリリシアさんがずっと一緒にいてくれたので、なんだかソワソワしちゃって」

「たしかずっとリリシア様が付き添いをされていたとか」

「そうなんです! リリシアさん、王女様なのにずっと私のそばで看病してくれて……すっごく優しくて……最初、きらきら光った髪が綺麗で、お星様みたいだなあって思ったんです」


 ぐるぐると頭のかき混ぜられているような酩酊感の中でも、彼女の美しさには見とれてしまったものだ。いつも夜空でチカチカと輝いてる星が、自分の手元に落ちてきたみたいだった。

 初めて会ったときのことを思い返してうっとり呟く。と、それまで微笑ましそうに聞いていたレトタンが困った顔になった。


「ヒカリ様、ヒカリ様の世界では違ったかもしれませんが、あまりこちらの世界では誰かを星に例えるのは控えたほうがよろしいかと」

「そうなんですか? あ、もしかしてめちゃくちゃ失礼な表現になりますか!?」

「いえ。むしろ逆ですね。ステラナの伝承のように星はとても神聖なものとして扱われます。だから誰かを星に例えるとしたら、自分にとっての神のような方というか、信仰や祈りの対象という表現になるんです」


 情熱的な人だと恋人や伴侶に使ったりもします。

 レトランはそう諭すように教えてくれた。


「そ、そうだったんですね! 気をつけます!」


 知らず知らずのうちに随分と詩的な表現をしてしまったようだ。ぽっと熱くなった頬を、ヒカリはパタパタと手で扇いで冷ます。


「そういえば、リリシアさんてずっと私についててくれますけど、お忙しくはないんでしょうか? 王女様ですよね?」

「リリシア様は公式的な行事には参加されますが、ラスティス殿下のように内政などには参加されませんのでお時間にゆとりはあるかと」

「そうなんですか? やっぱり女性だからですか?」


 ヒカリしたら王子様は跡継ぎで大変なんだなあぐらいの質問だったが、ガラリと顔色を変えたレトランは焦ったように首を振った。


「いえ、そんな。センフィール王国はある程度は男女の区別なく実力によって仕事を任せていただけます!」

「それじゃあ、なんでリリシアさんだけ……?」

「それは……リリシア様の血筋によるものかと。あの方の母君は――」

「レトラン卿」


 低く、そして冷たい女性の声に、ヒカリもレトランもビクリと肩を揺らした。そして隅で控えていたイリナを振り返る。

 彼女は壁際で姿勢よく立ったまま、視線だけを鋭くこちらに向けていた。


「王女殿下のいらっしゃらないところでそのように話して聞かせるのは無礼ではありませんか?」

「ハッ! 申し訳ありません!」

「ヒカリ様もお知りになりたいのなら、リリシア様ご本人にお伺いください。リリシア様がいらっしゃらないところでそのように根掘り葉掘り訊ねられるのは品がないかと」

「ご、ごめんなさい!」


 ビシッと背筋を伸ばして謝罪する。イリナは元々表情が薄く怖い印象だったが、今はもっと冷たい恐怖を覚えた。


「リリシア様もそろそろ戻られるかと思いますので、私はお茶の支度をして参ります」

「は、はい。いってらっしゃ~い……」


 パタリと扉が閉まった途端、合わせたようにヒカリとレトランは詰めていた息を吐き出した。


「こ、怖かった……」


 たしかに王女様のことをあれこれ聞いたのは悪かったかもしれないが、なんだか宿敵でも見たような眼光は心臓に悪い。


「さすが公爵家のご令嬢……迫力が違いますねえ」


 うんうん、と頷きかけたところで「え」と声が出た。


「こ、公爵家ってなんか偉いおうちの人ってことですよね? イリナさんてメイドさんじゃないんですか?」

「違いますよ。王女殿下の侍女や王太子殿下の話し相手などは年の近い高位貴族から選ばれるんです」


 レトランはあまり社交界の事情には詳しくないそうだが、できる限りのことを教えてくれた。

 リリシアとイリナは幼少期からずっと一緒だったらしい。しかも驚くことにイリナはラスティスの婚約者だというのだ。


(私目の前で手にキスとかされてたけど罰とか受けないかな……)


 怖くなってリリシアが用意してくれたハンカチでそっと拭った。まさか普段から冷えた眼差しを向けられているのはラスティスがステラナであるヒカリを特別待遇しているからだろうか。


(ラスティスさんも婚約者がいるなら他の女の人にむやみに愛想を振り向かないでよ!)


 責任転嫁して内心で泣き言を言っていると、ふとレトランが首を傾げた。


「そういえばイリナ公女ももう十七歳ですし、そろそろリリシア様の侍女を引き継いで王太子妃としてのお役目についてもおかしくはないと思うんですけどね」


 貴族の令嬢は侍女として出仕すことは数多くあれど、みんな二十になる前に家や領地に戻るらしい。

 貴族事情には全くの無知であるヒカリは興味深く頷いていたのだが、ハッと我に返った。


「こんなに訊いてたらまた怒られちゃいますね……イリナさんのことは今度はご本人に訊きます!」

「あ、そうですね。私としたことがすみません」


 やってしまったと顔色を悪くしたレトランに、ヒカリも微苦笑で返した。




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