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四話


 夜中にヒカリの部屋を訪れた翌日、ヒカリはあれだけ泣いていたのが嘘のような笑顔でリリシアを出迎えてくれた。

 弱音を吐き出してスッキリしただけにしては、ずいぶんと前向きすぎる気もする。

 おはようございます、リリシアさん! と、初めて見る明るい顔に戸惑いつつもリリシアも挨拶を返した。


「おや。もう揃ってたね」

「お兄様」


 颯爽と現れたラスティスは、部屋の中の顔ぶれを見渡すと満足そうに笑って背後の人物へ道を開けた。


「今日はこの世界のことを詳しく知ってもらいたくてね。ヒカリ。きみの先生を連れてきたよ」

「お初にお目にかかります、ステラナ様。恐縮ながら私ゴルスタン・ヴィルセンが説明をさせていただきます」


 ゴルスタンはひょろりと細い老体とは裏腹に、腰を折る動作はきびきびとしたものだ。


「それと今日は専属の護衛も紹介しておこうと思ってね。――レトラン」

「はっ。レトラン・ヴィルセンです。本日から私がステラナ様の護衛を務めます」


 次に前に出たのは体格の良い茶髪を短く整えた好青年だ。寸分の乱れもない動作で頭を下げた青年に、反射で頭を下げ返したヒカリが「護衛ですか?」と戸惑う。


「ステラナはこの世界にとっての救世主だと説明したね。だからほとんどの人間はきみの身に傷をつけようとは思わないはずだが、きみを自国で独占したくて連れ攫うような暴挙に出る人間がいないとも限らない」


 そのための護衛だと告げられれば、ヒカリは少し顔色を悪くしてこくこくと頷いた。


「レトランさんよろしくお願いします」

「はい。全身全霊でお守りいたします」

「ヴィルセン伯爵家は代々数多くの近衛騎士を輩出してきた騎士家系でね。剣の腕はもちろんだし、人として随分信頼の置ける人物なんだ」


 口は堅いから好きなだけ愚痴をこぼしても大丈夫だよ、とラスティスが冗談を言えば、ヒカリはクスクスと笑って返す。その顔があんまり邪気がないものだから、ラスティスは意外そうに瞬いた。


「あれ? でも、ヴィルセンってゴルスタンさんもそうですよね……?」


 ヒカリがふと気づいたように首を捻る。と、当のゴルスタンが少しばかりつり上がった目でレトランを捉えながら答えた。


「さきも王太子殿下がおっしゃったように我がヴィルセン家は代々――」

「いてっ。ゴルスタン叔父上叩かないでください」

「このように図体のでかさにばかり恵まれた騎士家系です。そのなかでも私は小柄なひ弱者で……ヴィルセン家には珍しく学者の道を進みました。今は王都の学園で教師をしているのです」


 ニコリと微笑むゴルスタンの隣ではレトランが「ひ弱者?」と訝しげだ。けれど、ヒカリは表情の柔らかくなったゴルスタンへの安堵が勝ったらしく気づいていない。


「私、この世界のことなにも分からないのでたくさん勉強させてください!」

「ほっほっ! 元気な子じゃ。別の世界から突然いらしたと聞き、もっと落ち込んでいるかと思いました。勉強どころではないのではと思いましたが、無用な心配だったようです」

「いえ……私も悲しかったり怖かったり色々あったんですが――」


 チラリとヒカリの目がリリシアは見た。そしてむずがゆそうに口の端が大きく上がった。


「今は自分に出来ることを一生懸命やろうと思います!」


 両手をグッと握りこんで鼻息荒く飛び出た宣言。それにラスティスだけでなくゴルスタンやレトランも悲嘆した様子になさに目をしばたたいていた。

 かくいうリリシアもヒカリの変容に驚いていた一人だ。昨夜のめそめそと泣く姿が嘘のように思える。

 チクリと、また羨望が刺激された気がした。

 ああして彼女のようにいつも前向きに自分の出来ることを探していれば、今と違って自分はもう少し家族に認められていただろうかと思ってしまう。

 考えたって仕方ないことなのに。


「それじゃあヒカリ、私はここで失礼するよ。分からないことがあればゴルスタンやレトランになんでも訊いてくれ」


 ああ、もちろん私でもいいよ。

 甘く微笑んだラスティスは、そのままヒカリの手に口づけを落とすと微笑んで去って行った。ヒカリはヒカリで驚いた猫のように飛びすさるので、ゴルスタンとレトランがまた目を瞠っていた。


 ◇


 ゴルスタンの講義が始まったのを見届けたリリシアは、イリナに一言添えてからそろりと部屋を退室する。

 出る直前、扉の音で気づいたのか振り返ったヒカリに微笑んでからラスティスを追いかけた。


(今の時間ならきっと執務室よね)


 他国からの書信や使者が多くやって来ている今、国王と王妃はおもに外交に時間を取られ内政に関してはラスティスが主軸となって回している。

 読みは正しかったようだ。早足で追いかけたおかげか、ちょうどラスティスが執務室の扉に手をかけたところだった。


「お兄様っ!」

「リリシア。どうしたんだい」


 息を整えつつ言葉に迷う。すると、察したようでラスティスが中へと促した。


「ヒカリのそばを離れて良かったのかい?」

「え? ええ、部屋にはイリナもいますし……」


 それに今はゴルスタンの講義中だ。リリシアがいたところで出来ることはないのだから問題はないだろう。

 部屋の手前にある応接スペースの革張りのソファにかけたラスティスは、意味深に片眉をあげつつリリシアのことも向かいへ勧めた。


「そう。それでずいぶんと急いだ様子だけれどどうしたんだい?」

「……ヒカリと結婚を考えているおつもりなのですか? それは国王陛下の、国のご意志だと?」


 考えた末に、直球で投げかけた。

 ラスティスは一縷の動揺もなく優雅に足を組んで微笑んでいる。


「父上から言われてるわけじゃないよ。でも、これだけ他国からの書信や使者を来ているのを見れば、どれだけステラナの存在が大きいか分かるだろ? ()たち王族はどうにかしてステラナにこの国に留まってもらわなきゃいけない。他国へ行くにしても、あくまで遠征。帰る場所はセンフィール(ここ)じゃないと困るんだ」

「それはもちろん理解しています。けれど、だからといって安易に思慕の念を操るというのは、少し酷ではないかと……」


 ラスティスは意図的にヒカリとは近しい距離で接している。別れ際に手の甲へキスをするのも、甘い視線を投げかけるのもそうだ。

 社交界では安易に期待を持たせないためと、令嬢たちと適度な距離を作るのが上手い人だ。その逆が出来たっておかしくはない。


「でも、相手を国に縛るのに一番都合がいいのは結婚だ。それに王族の立場でいうなら利害を求めて婚姻を結ぶのは珍しいことじゃないだろ?」

「けれど、ヒカリはまだ知らない場所に来て戸惑いを抱えています」


 もう十六歳で、幼い子どもじゃないこともちゃんと知っている。だが、昨晩の泣き濡れた姿が頭に焼き付いていて、どうにもラスティスが無垢な少女を騙しているように感じてしまうのだ。


「ヒカリの戸惑いももちろん理解してるよ。まあ、今日の様子を見るに僕の心配しすぎだったかなとも思っている。それとも、あの子の中でなにか変わるきっかけでもあったのかな?」


 自分と同じ碧眼がリリシアを真っ直ぐに見据えてきた。見透かすような視線にドキリと緊張に包まれる。

 昨晩、ヒカリへ向けた言葉を知られたら、自分は失望されるだろう。

 背中に冷や汗を感じつつ、リリシアは首を傾げて「分かりません」と答えた。嘘ではない。実際に、なぜあんなに泣いていたヒカリが前向きなのか分からないのだから。


「ヒカリへの態度は理解しました。あの子を振り回しすぎないのであればわたくしは傍観します」

「随分と過保護だね。妹が出来たみたいで嬉しいのかい?」

「お兄様はそれよりも前にしなくてはならないことがあるのではないですか?」


 からかいを流して少し語気を強めて訊けば、ラスティスはようやく悠然とした笑みを消してきょとりと瞬いた。


「僕がしなきゃいけないこと? ほかになにかあったかなあ」


 僕――と呼んでいることから、今がプライベートな時間だと分かる。リリシアも気が緩んで普段とは違って強気な態度で言い返した。


「イリナとの婚約はどうするおつもりなんですか? ヒカリとの婚約が決定ではない今、せめてイリナに事情くらいは説明していらっしゃるのですよね?」


 リリシアの侍女をしているイリナは公爵家の末娘であり、なによりラスティスの婚約相手でもあった。

 ヒカリの付き添いをリリシアがしている今、必然的にイリナも一緒にいることが多くなる。そんなときにラスティスがヒカリに色目を使っているところを見てしまったら、イリナはどれだけショックを受けるだろうか。

 幼少の頃からの付き合いであるイリナはリリシアにとっては姉妹のようなものだ。そんな相手を傷つけることは例えラスティスであっても許さない。


「それで、イリナには説明していらっしゃるのですか? まさかなんの説明もなくヒカリを口説いているなどとは言いませんよね? お兄様がそんな不誠実なことをなさるわけがありませんから」


 公爵家に対する婚約破棄の謝罪は、ステラナを理由にすればすぐに受け入れられるだろう。だが、問題なのはイリナの気持ちだ。

 眼光鋭く言葉を重ねれば、幾分か兄の表情にぎこちなさが生まれた。自分のしていることに、ちゃんと罰の悪さは覚えているらしい。


「イリナには一応伝えてあるよ。もしヒカリが僕との関係を望むようなら、すぐにでもイリナとの婚約は破棄すると」

「……イリナは、なんて?」


 息を詰めて訊ねる。そんな妹の心配を解そうとしたのか、ラスティスは相好を崩した。


「彼女もすぐに受け入れてくれた。僕たちの婚約に愛情がないのは知ってるだろう?」

「そうですが、仮にも婚約者がほかの女性と近づくことを良しという方もいないかと……」

「イリナは王太子妃の座に未練も執着もないからね。……昔からあの子の大事なものは一つだけだよ」


 ラスティスの真剣な瞳でじっと見つめられると、意図が分からないだけに居心地の悪さを覚えた。

 それとなく視線を逸らし、ハッとリリシアは我に返った。


「すみません。ずいぶんと長居をしてしまって。もう部屋に戻ります」

「ああ。リリシア、ヒカリのことをくれぐれも頼むよ。お前が支えてあげなさい」

「はい」


 見送られ、リリシアは来たときのように少し早足でヒカリの部屋と戻った。


(そういえば、イリナの大事なものってなんだったのかしら……)


 昔からあまり表情の変わらない子だった。感情を表すのは亡くなった母親に関することぐらいで――。


(もしかしてお母様の形見の髪飾りのこと?)


 どうにも釈然としない気がするが、リリシアにはそれぐらいしか思い浮かばなかった。





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