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三話



 少女がハッキリと意識を覚醒したのは降臨してから七日目のことだ。

 それまでの不調が嘘だったように、彼女はケロリとした顔で起き上がると見知らぬ場所やリリシアをようやく認識したのか怯えた様子だった。


「つまり、ここはセンフィール王国って場所で、私はこの世界を救うためにやって来た救世主さまってことですか?」

「ええそうよ」


 朝食がてらリリシアが簡単に状況を説明する。空になった食器をすかさずイリナが片付けると、ステラナ――『テンジョウ・ヒカリ』と名乗った少女は青い顔で身を乗り出した。


「なにかの間違いですよ! 私、なんの力もないし、本当に普通の女子高生で……!」

「けれど、あなたはたしかに空から光を纏って降ってきたのよ」

「でも、そんな救世主なんて……」


 せっかく食事も出来て血色が戻ったのに、みるみる顔色が悪くなっていく。ヒカリの震えた肩を撫でながらリリシアは困惑していた。


(ステラナは自分の力を理解していないものなの……? これじゃあ淀みの浄化なんて気の毒だわ)


 身を竦めて震えるヒカリは彼女の言うように特別な力を有した人間には見えない。『ジョシコウセイ』というのは分からないが、確かにどこにでもいそうな普通の少女の成りをしている。

 泣き出しそうなヒカリに困り果てていると、報告を受けたのだろうラスティスがやって来た。


「初めましてステラナ。私はこの国の王太子ラスティスです」

「は、初めまして。天条光です」

「ヒカリ様。起きたばかりで混乱されていると伺っています。あなたの力も含め、私のほうから説明させていただいても?」


 仰々しく膝をついたラスティスがヒカリの手をとって軽く唇を寄せた。国内の貴族令嬢が一度は恋をしたと言われる甘いマスクは健全で、ヒカリはぽっと顔を赤くしながら素早く手を引っ込めてしきりに頷いてみせた。

 そのときチラリと腰かけたリリシアを見る。


「あの、リリシアさんも一緒ですか?」


 不安な顔にラスティスはにっこりと微笑んだ。


「ええ、もちろんです」

「そうですか。よかった……あ、王子様なんですよね! あの、私なんかにそんな丁寧にしないでください! 逆に落ち着かなくて……リリシアさんにもヒカリって呼んでもらってるんです」

「……きみがそう言うならお言葉に甘えよう」


 立ち上がったラスティスは仕切り直すように「ヒカリ」と今度は敬称をなくして呼びかけた。


「きみに見てほしいものがあるんだ」


 と、ラスティスは背後に控えていた部下からガラス瓶を受け取った。ガラス瓶の中には土が敷き詰められ、そこには細い茎を伸ばした成長途中と見られる植物がしおれている。

 へにょりと元気なく垂れ下がったその姿に、ヒカリは困惑を現した。


「これはなんですか?」

「きみにはなにが見える?」

「えっと、元気のないなにかの植物……ですか」

「ほかにはなにか見えるかい?」


 よく見るように促すためかラスティスが腕を伸ばしてヒカリのほうにガラス瓶を寄せた。眉間に皺を寄せるほどじっと見つめたヒカリは、ふとなにかに気づいたように顔を上げた。


「なにかもやのようなものが見える……というか感じる? くっきり見えるわけじゃないんですけど、違和感というか……」


 自身でもハッキリとは分からないのだろう。言葉に迷うヒカリに、しかしラスティスは満足そうに頷いて見せた。


「やっぱりきみはステラナだ。私たちにはこの植物を枯らしている原因の『淀み』は見えない。これが見えるのは別の世界から落ちてきたステラナ(きみ)だけだよ」

「でも、見えるだけで救世主なんて」

「きみがステラナである以上、この淀みを治すことだって出来るはずなんだ。きみたちステラナはそうやってこの世界を守ってきてくれたのだから」


 言い切るラスティスを前に、ヒカリは言葉もない様子だった。俯いてしまって、見守っていたリリシアには彼女がひたすら戸惑っているように見えた。


「目が覚めたばかりだし長々と話をするものではないね。今日はこれで失礼するよ。ゆっくり休んでくれ」

「……はい。ありがとうございます」


 ラスティスは肩身を狭くしたヒカリなど見えていないように退室していった。いや、あれが彼なりの気遣いなのかもしれない。兄はなんでも一人で出来る人間だ。だから、こういうときには他人が手を貸すよりも、一人にしてあげたほうがよいと考えるのだろう。

 けれど、目の前で小さくなった少女を見るリリシアには、その態度は冷たく感じられた。

 しかし、結局リリシアも大した慰めなど出来ず、背中を撫でてゆっくり休むように声をかけるしか出来なかった。



 ◇



 その晩のことだ。

 久しぶりに自室で眠りにつこうとしていたリリシアのもとに、控えめなノックとともにイリナが訪れた。

 言葉をためらうように薄い唇が動き、そしてひっそりと声が落ちる。


「ヒカリ様が寝付けないようなのですが」

「ヒカリが?」

「はい。護衛のものは入ってよいものかと迷っているようで……」


 話を聞いたリリシアはすぐに薄いガウンを羽織ってヒカリの部屋へと向かった。

 また体調を崩したという訳ではなさそうだ。そうであれば護衛がためらいなく入室するだろうし、イリナだって報告をためらわない。

 早足で向かうと、たしかに部屋の前で二人の護衛の男が顔を見合わせるように戸惑っている。リリシアに気づけばさっと扉を挟んで敬礼した。


「わたくしが様子を見てきますのであなた方は引き続きここで護衛を」

「はっ」

「イリナ。あなたは温かいミルクを淹れてきてくれる?」

「かしこまりました」


 駆けていく赤毛の後ろ姿を見送り、リリシアは薄く開けた扉から中に滑り込んだ。

 暗い室内には、薄絹のカーテン越しに月光が差し込んでいる。

 淡く白い光によってうっすらと見えるベッドの上には布団で大きな山が出来ていた。ヒカリも音で他者の入室を察知したようだ。布団の山の中にいるだろう彼女が尖らせた神経で入ってきた誰かを警戒しているのがよく分かった。

 後ろ手に扉を閉めたリリシアは、出来るだけ落ち着いたトーンでハッキリと声をかける。


「ヒカリ」

「リリシアさん……?」


 張り詰めた空気が緩んで、山がむくりと起き上がった。おずおずと伸びた手が布団を持ち上げれば、中から涙でぐっしょりと顔を濡らしたヒカリが現れた。


「……眠れないのですか?」


 ベッドに座ったリリシアはあえて涙には触れずに問いかける。すると、右往左往した瞳が俯いてからこくりと頷く。


「ごめんなさい……私、急に知らないところに来て、王子様とかと喋ったり、なんか落ち着かなくて……」

「ええ」

「し、しかもっ! 私なんかが世界の救世主って、言われ、言われても――」


 ひくと喉が引き攣れた音を出す。ぐっと耐えるように引き結ばれた唇も、リリシアが促すように穏やかな目を向けているうちに涙とともに決壊した。


「救世主とか言われても分かんないよお! 私ただの女子高生だし、なんの力もないもん!」


 うわあん! とシーツに突っ伏すように泣き出したヒカリの背中をそろそろと撫でる。

 そのまま静かに宥め続け、鼻をすする音が小さくなった頃にちょうどよくイリナがホットミルクを携えてやって来た。

 ビクリと強張ったヒカリは、丸くなったままそろそろとリリシアの影に隠れるようにすり寄ってくる。

 イリナはわざわざ二つ用意してくれたらしい。ヒカリの分は受け取って、自分の分はサイドデスクに置いてもらう。


「ヒカリ。イリナよ。彼女がホットミルクを持ってきてくれたの。温まるわよ」


 軽く手を添えて背中を叩く。けれどヒカリは戸惑っているのか顔を上げない。


「イリナ、ありがとうね。あなたはもう休んで大丈夫よ」


 きっとヒカリが心配なのだろう。躊躇うようにヒカリとリリシアを行き交った瞳は、最後には頷くように伏せられて綺麗な姿勢で頭を下げて退室していく。


「ヒカリ。イリナは帰ったわ」

「……ホットミルク、ですか」


 ゆっくり起き上がった彼女に頷いて返す。やはり他人の気配に警戒していたらしい。

 リリシアに気を許してくれているのは、この一週間の看病があってのことだと思っていた。だから、同じように傍にいたイリナのことも大丈夫だろうと思ったのだが、どうやら違ったらしい。

 ふと不思議に思い、けれどすぐに納得した。

 よく考えるとイリナは桶や水差しなど必要なものを準備してくれたが、直接的にヒカリと関わっていたのは自分であった。

 コクコクと温かいミルクを少しずつ飲むヒカリは幾分か落ち着いて見える。

 目が慣れてきたからか、暗闇でも分かるほど真っ赤になった目許に憐れみが浮かんだ。


「冷やさないと明日腫れてしまうかもしれないわね」


 イリナは下げてしまったから外の護衛に頼もうか。そう思って立ち上がりかけた。しかし、不意にガウンを掴んできたヒカリによってベッドに逆戻りだ。


「どこに行くんですか」

「冷やした布を持ってきてもらおうと思ったの。こんなに赤くなっていては辛いでしょう?」


 訊けば、ぶんぶんと勢いよく頭を振って返される。そんなはずはないと渋っていれば、「行かないでください」と幼子に強請るようにぽつりと言われてしまっては立ち上がることは出来ない。

 了承すれば、途端に安心したのかヒカリの顔がかすかに綻ぶ。ガウンを離すと両手でマグカップを持って少し冷めたミルクを飲み干した。

 空になったマグカップを受け取って自分の物と並べてデスクに置く。

 ホットミルクのおかげか泣き疲れたからか、ヒカリはとろりと目をとろけさせて眠気を纏い始めた。


「ほら、ベッドに横になって」


 布団を両手で持ち上げて促す。緩慢な動きで横たわった身体にかけ、そのままぽんぽんと腹のあたりを優しく叩いて眠りを誘った。

 重たそうな瞼が何度も落ちかけては持ち上がる。ふと隣に腰かけているリリシアを認めると、小動物のようにするりと寄り添ってきた。その仕草が可愛らしくて頭を撫でて髪を梳いてやる。

 そういえば小さい頃に寝込んだとき、自分もこうしてもらった気がした。

 ずいぶんと記憶が古いのと熱で浮かされていたのでぼんやりとしか思い出せないが、あのころリリシアと関わっていたのは母ばかりなので、きっと母がこうやってあやしてくれていたのだろうと思う。


 ――大丈夫。大丈夫よ、リリシア。


 何度も大丈夫だと繰り返し、リリシアの名を呼ぶ声がおぼろげに耳に蘇る。

 目許を赤くした少女を前に、不意に自分がしてもらったように優しい言葉をかけたくなった。

 半分眠りかけたヒカリの前髪を撫でながら、リリシアは気づけば言葉を紡いでいた。


「……あなたは、あなたのままで大丈夫。例えステラナであったとしても、あなたがわたくしたちの世界のために変わろうとしなくてもいいわ。あなたの心身を削ってまで、救おうなどとは考えないで」

「でも、そうしたら……この世界は?」


 返ってくるわけないと思っていたが、寝ぼけ眼でも意外としっかり聞いていたようだ。必死に瞼を持ち上げる姿に微苦笑し、リリシアは今度は涙の跡の残る頬を撫でてあげた。

「たしかにステラナが力を使わなければ世界の淀みは大きくなるけれど、世界は元々そうなるように出来ているのだからある意味それが正常な世界の行く末なのかもしれないわ……」

 それが正常な世界の姿であるのなら、異なる世界から来たという少女が状況を改善出来ると言っても押しつけるのは違うだろう。


 だから気に病むことはない。――リリシアはそう力強く言っていた。


 ラスティスやティグラが聞いたら卒倒するかもしれないことを、リリシアは自然と口にしていた。これはきっと王女として間違った発言だろう。


(だからわたくしはダメなのよね)


 ラスティスなら自分の同情心を度外視して国のため世界のためにと、彼女のやる気を引き出す言葉を与えられるだろうに。

 自己嫌悪が胸でもやつく。だが、言わずにはいられなかった。

 細い肩を揺らし、身体中の水分を全て吐き出すように泣き喚く少女を前に、救世主だと焚き付けることはリリシアには出来なかった。


 ――私ただの女子高生だし、なんの力もないもん!


 蘇った叫びが再びリリシアの胸を衝いた。

「ジョシコウセイ」というのはなにか分からないが、多分「何の変哲もない」というニュアンスを含むものだろう。

 その通りだと、内心で頷いた。

 横になる少女を見下ろして思う。その姿は下町を探せば同じような子はいくらでも見つかるだろう。彼女が街に行ったところで年頃の少女として馴染んでしまうはずだ。それだけ、平々凡々なただの可愛らしい少女にしか見えない。

 ステラナだなんて、きっと実際に降ってきた姿を見なければ誰も信じないだろう。

 考え込んでいるうちにヒカリの目は閉じられていた。

 最後に髪を整えてあげてから手を離す。ベッドに座ったまま、リリシアは暗い室内をぼんやりと眺めた。


「……あなたにはひどい言葉かもしれないけれど、わたくしは少しあなたが羨ましい」


 独りごちる。けれど、むずがるように「どうして、ですか」と細い声が届いて振り返る。

 ヒカリはいまにも眠り落ちそうな瞳を懸命に開いてリリシアを見上げていた。


「あなたが力を持っているから、かしら。国のために――お父様や王妃様たちのために、出来ることがあるから」


 だから羨ましいと告げると、ヒカリは首を捻った。王女なのに自分にはなにもないと告げる言葉が、彼女には不可解に思えたのだろう。


「わたくしにはなにもないのよ……王女として出来ることも」


 この身に流れる高貴な血も半分だけ。兄のように優秀でもない。

 そんな自分でも役に立ちたいとは思うのだ。だから努力した。

 けれど、完璧な礼儀作法を身につけたって、勉学に励んだって、そもそも父も王妃もリリシアに期待していないのだから意味がないのだ。

 だからリリシアは、望まれるこの子のことが羨ましいと思ってしまうのかもしれない。


「……もうおやすみなさい。明日は先生を呼んであげるから詳しくこの世界のことを聞いてみるといいわ」

「はあい。おやすみ、な、さい……」


 ヒカリは今度こそ寝息を立てて眠りについた。




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