二話
貴賓用にあしらわれた部屋の寝室で、リリシアはベッド脇で腰かけて懇々と眠る少女を見ていた。
「リリシア様。よければこちらを」
付き添ってくれている侍女のイリナが果実水を差し出してくれた。
「ありがとう。いい香りね」
すっきりした香りに頬を緩ませながら礼を言うと、普段はあまり大きくは変わらないイリナの表情も嬉しそうに緩む。
と、不意に部屋に誰かが訪れた。
来訪を知らせたノック音にイリナが向かえば、ラスティスが顔を出す。
「ステラナはまだ目が覚めないのか?」
「ときどき意識が戻りますが、体調が悪いようで食事もあまり食べられません」
二人の心配そうな眼差しを受けるベッドの少女は、すでに三日も懇々と眠り続けていた。
年が近いからとリリシアが付き添いを任されたが、ステラナは顔色悪く寝込むばかり。たまに吐き気で飛び起きはするが、リリシアには桶を持ってやって吐き気に苦しむのを撫でてあやすしか出来ない。
まともに話をしたこともないし、彼女がリリシアをちゃんと認識しているのかも怪しいところだ。
だが、今日は少し血色がいい。朝も寝ぼけまじりだがスープを口に出来たので、少しずつ回復はしてきているだろう。
リリシアの報告に、ラスティスも多少ほっとしたようだ。
「それならよかった。一応文献を当たってみたが、多分初めてこの地に降りたときのルプ酔いではないかと思われる。ほとんどのステラナは三日ほどで回復して普段通りの生活が送れるようになるみたいだが……」
チラリと深い碧い目が少女を見て、そしてリリシアへ戻ってきた。
「どうやら今回のステラナは力が強い反動なのか、ルプを過剰に感知しているみたいだ……出来るだけ早く治ってくれるといいんだがな」
「そうですね……」
いつまでも少女が苦しむ姿を見るのはこちらの心も痛む。ラスティスもそうなのだろう。
この三日で残っている限りの文献を当たったであろう彼の目許にはうっすらと隈が出来ていた。
「お兄様も少しはお休みください。この子の意識が回復したらまたお呼びしますから」
「ああ。ありがとうリリシア。……全く我が国に降臨したと分かるやいなや他の国から使者がわんさかと……今は近隣国だけだが、もうしばらくすればもっと多くの国から書状が届くだろう」
うんざりした口調から一転、ラスティスは眉を垂れ下げて妹を見た。
「父上も母上も他国への表明で忙しい。お前にばかり負担をかけてすまないな」
「そんなことはありません」
申し訳ないとこちらを憂う兄の顔に、息が詰まった。
わたくしだって王族なのだから――そう言いたくて、けれどリリシアは控えめに笑うだけだ。
昨晩様子を見にきた父ティグラも口ではしっかり励めとばかりだったが、その眼差しはラスティスと似たようなものだった。
(そんなにわたくしは頼りないかしら……)
軋むような胸の痛みをいつものように耐え忍ぶ。
(お兄様も国王陛下もわたくしのことを心配しているだけよ)
だからこんなことでいちいち痛みを覚えなくたっていいのだ。むしろ、それほど気にかけてくれていることに感謝しなくては。
「お兄様、さあもうお休みになってください」
「そうするよ。リリシアもイリナもあまり無理はしないようにな」
「はい」
奥で見守っていたイリナもぺこりと頭を下げるだけで答えた。
扉の向こうにラスティスが消えてから、リリシアはこの数日で定位置となったベッド脇の椅子に腰かける。
息をついたとき、ふと目についた自分の長い金髪をおもむろに手に取った。
脳裏に浮かぶのは兄や国王たち家族の姿だ。
ラスティスもリリシアも国王によく似た金髪と碧眼を宿して生まれてきた。王妃も同じ碧眼だが、髪は三人よりも濃い黄金色の美しい色をしている。
きっと姿形だけ見れば四人は血のつながりを強く感じさせるだろう。
誰もリリシアの半分に平民の血が流れているとは思わない。
――お前はなにもしなくていいわ。
遠い昔に聞いた王妃の冷たい声を思い出す。指先が震えた気がして膝の上で両手を組んだ。
いくら見かけだけが似ていようとダメだ。
自惚れそうになる自分を、リリシアは今まで何度もしてきたように内心で叱咤する。
今回のでしゃばった行動だって、もしかしたら王妃は快く思っていないかもしれない。そう考えると震え上がりそうなほどに恐ろしい。
あの方が理不尽に人に罰を与えるような人ではないと知っている。けれど、平民の側妃を母に持つリリシアを快く思っているはずがない。
弱気になりかけたリリシアの耳に少女の呻きが届いた。
慌てて立ち上がり、起き上がろうとする彼女の身体を支えてあげる。
うっとえずいた彼女のためにすぐそばの新しい桶を引き寄せれば、薄く開いた目がそれを見て安心したように顔を突っ伏した。
「うっ……おええ……」
「ゆっくりでいいわ……落ち着いて」
「ごめんなさっ、うえ、ごめんなさい」
「大丈夫。大丈夫よ。ほら、我慢しないでいいの」
泣きながら謝罪を繰り返す少女の姿はあまりに痛ましい。憐れみの眼差しを向けながら、リリシアは少女の背中を撫で続けた。
こんなことしか出来ない自分に、少し嫌気がさす。
ひとしきり落ち着いた少女に口をすすがせ、リリシアはその口許を拭ってやる。
イリナが用意してくれた果実水を飲ませると、ほっと心地よさそうに顔を緩んだ。
「おいしい」
呟きのあと、少女は再び寝具に横になってすやすやと眠りについた。その寝顔を見下ろしていたリリシアはそうっと彼女の髪を撫でて整え、そして頬に触れた。
「ゆっくりお休みください」
少しでも早くその苦しみがなくなりますように、とそんな気持ちを込めながら。