十七話
今回の遠征は前回とは違い、大々的に国内外問わず流布させたうえで行われた。
それはひとえに、センフィール国の国民はもちろん他国へのアピールである。前回のお忍びとは違い、今回は情報が知れ渡っているだけにその分警備などもより厳重に組まれている。
場所は王都を出て丸一日は馬車に乗る人里離れた森である。王都を抜けるときは民へのお披露目としてヒカリが馬車から顔を出すことになっていた。
ラスティスからその話を持ちかけられたヒカリはステラナの仕事だと躊躇いもなく頷いていて、リリシアのほうが心配で不安な顔をしていたことだろう。
もちろん遠征にはリリシアもイリナも付き添う。
王族とステラナが懇意にしている印象づけのためもあるし、前回よりも多くの見知らぬ騎士たちに囲まれる中で、少しでも見知った顔ぶれでヒカリの精神的負担を軽減したいと志願したまでだ。
一日目のキャンプ予定地に到着すると、騎士が素早くテントを立てて中に案内してくれた。要人は護衛をしやすいようにと、ヒカリとリリシアは同じテントである。本当はイリナも一緒にと思ったのだが、彼女には丁寧に辞退されてしまった。今回も女性騎士たちと一緒に寝起きするらしい。
前回は人も少なかったためリリシアもあまり人目を気にせず手伝いに入ったが、こうも規模が大きくては人手は足りているし、キャンプ地の広さもそれなりになるのでむやみに出歩くことがかえって迷惑にもなる。
そのためヒカリとテント内で話をしたり、たまに外に出て護衛のそばで外の空気を吸ったりと好きに過ごした。
レトランが持ってきてくれた食事をとり、二人は寝るまでのわずかな時間で星を眺めていた。
地面の上に布を広げ、その上に二人揃って腰を下ろす。
冬の夜空は厚手のケープを羽織っていても肌寒い。あまり長い時間はいられないだろうが、ずっと馬車の中だったので外の空気は美味しかった。
肩を竦めると柔らかな素材が頬に触れてより温かく感じた。思わずほっと息をつくと、白く濁って瞬く間に冬空に溶けていった。
「星が綺麗ですねえ」
隣でヒカリが感嘆していた。リリシアも同じように見上げると、たしかに美しい星空が広がっている。
ふとヒカリが降臨したときのことを思い出す。今は遠く小さく瞬いている星が、あの日だけは触れられるような距離まで迫って通り過ぎていった感動。
目を焼くような眩しさを思いだし、目の奥が痛むようにさえ思えた。
あの日からもう数ヶ月経っただなんて思えない。いや、まだ数ヶ月というべきか。
それぐらいヒカリの存在はリリシアのなかに強烈に刻み込まれていた。彼女が来る前の日常をどう過ごしていたのか思い出せないが、ひどく単調なものだったことは確かだ。
(結局グラヴァスからの文献にも帰還方法は書かれていなかった……)
そんなものがあったらわざわざ貸し出してくれるはずもないのだから当たり前かもしれないが、ヒントぐらいはあっても良かっただろうにと残念な気持ちになる。
あれだけヒカリに豪語して見せたのに、リリシアはなんの成果もあげられていなくて申し訳なかった。ヒカリはリリシアがそうやって行動してくれているだけで嬉しいと言っていたが、本当は彼女だって落胆しているだろう。
ちらりと横顔を覗いてみる。
ヒカリは白い息を吐きながら真っ直ぐ頭上を見上げていた。寒いだろうにケープが肩から落ちそうだ。
そっとかけ直してやると、気づいたヒカリが失敗を恥じるように笑った。
「ありがとうございます、リリシアさん」
「ずいぶん熱心に見てるのね。あなたの元の世界とこちらの空はそんなに違う?」
「いいえ。私のほうもこんな感じて真っ暗な空に小さな光がぽつぽつと広がってました。夜空はどこも同じなんですねえ」
その横顔はどことなく嬉しそうに見えた。
ふいにリリシアは昔本で読んだおとぎ話を思い出した。この世界の人間なら誰でも聞いたことはある話だ。
「空の向こうにはね、神さまの住む世界があるんですって。星は空に空いた穴で、神さまの住む天界の光が漏れてちかちか光っているんだってずっと昔からそう信じられているの」
「へえ~。そう言われるとなんか覗き見してるみたいでドキドキしちゃいますね」
「人は死ぬと魂となってあの天界に迎え入れられるそうよ。だからかしら……わたくしたちの世界では星に祈ることが多いのよ。神さまに縋るときや、そこにいるだろう愛した人の魂に語りかけたりね」
お母様もこの光のどこかにいるのだろうか。
見上げながらふとリリシアは思った。久しぶりに思い出された悲しみが、寒さと相まってリリシアの胸を震わせた。母の死に顔を蘇って勝手にひくりと喉が鳴る。息を飲んでそれを耐えた。
「ヒカリは空から降ってきたから、もしかしたら空の向こうは天界じゃなくてあなたの住んでいた世界があるのかもしれないわね」
感傷を振り払うように夜空から目を背ける。
あなたの世界ではどうだった――そう問いかけようとした。けれど、リリシアが隣を向いたときにはすでにヒカリがじっとこちらを見ていて、その眼差しがリリシアの全てを焼き付けるように真摯で言葉を忘れてしまった。
一挙手一投足なにもかも取りこぼさないようにしているような真剣さだ。じりじりとこちらの肌を焼くように視線が熱い。
どうしてそんな目をしているんだろう。分からない。
当惑していると、ふとヒカリが微笑んだ。いつもの無邪気で愛らしいものじゃない。こちらを安心させるような不敵な笑みだ。
「それじゃあ、もしかしたら私知らないところでリリシアさんのお母さんに会ってたこともあるかもですね」
「あ――」
どうして分かったの。わたくしが母のことを思い出していると。
視線の意味が理解できた。彼女は見守ってくれていたのだ。リリシアが感傷に浸る姿を、まるでいつ涙してもすぐ手を差し伸べられるように、ずっと。
「そうね。そうだったら、素敵ね」
泣きそうなぐらい温かい気持ちのまま、少し震えた声で答える。嬉しそうなリリシアに、ヒカリは今度こそ子どもみたいに笑って見せた。
「そういえば、前にレトランさんに聞いたことがあります。こっちの世界の人にとって星はすごく神聖なもので、大事な人や恋人を星に例えるって」
「さっき言った背景もあって、星はわたくしたちにとっては祈りの対象だから。きっとそこから派生してるんでしょうね」
敬虔な信徒が一途な心情を捧げるように、人々は愛する人を星に例えて愛情を示す。若者の間では、「私の星」「僕の星」と甘く囁いて恋人に跪き、手にキスを送るプロポーズや愛の告白が流行っているとも聞いた。
それこそステラナであるヒカリに「私の星」なんて言って愛を告げれば、それこそ絵になるような感慨深い出来事だろう。
(でもラスティスお兄様は最近じゃめっきり色目を使うこともなくなったし、諦めたのかしら)
これから先どうしても他国の要人たちとの接触が増えれば、各国でヒカリを取り込もうと様々な動きが見られるだろう。彼女を利用しようとする人の毒牙にかかるぐらいなら、信頼できる兄と結ばれて欲しい。だが、そうなると大事な友人であるイリナが婚約を破棄されることになってしまう。
悩ましい。なにより、そんな想像をしただけでちくちくと胸が痛む自分に困る。
(わたくしは、この子が笑っていてくれればそれだけでいいわ……)
数ヶ月前、突如目の前に現れた異世界の少女。星というよりはまるで太陽のような苛烈な輝きでリリシアの世界を照らした子。
――それがリリシアさんなんです。そのままのあの人なんです、きっと。
舞踏会のあの日の言葉で、きっとリリシアはもう自分がくじけることはないと思った。
だって本当の自分を見つけてくれた人がいる。たった一人でもそうやってリリシアを見つけ出してくれた人がいるということは、きっととてつもなく幸運なことだから。
だからきっとリリシアはその思い出だけで、ヒカリの言葉だけで立っていける気がしたのだ。
「冷えてきたからそろそろ寝ましょうか」
手を引いたとき、ヒカリの指先が思っていたよりも冷えていて驚いた。
寝る前に温かい飲み物でも頼もうか――そう思って騎士たちに声をかけようとしたとき、テントの陰でなにかが光った。
「あら? この髪飾りは……」
落ちていたのは見覚えのある髪飾りだった。これが月光を照り返して光っていたのだ。
装飾は多くはないが、シンプルながら素材の良さが分かる。たしかにこれはイリナがいつも髪をまとめているものだ。
「いつ落としたのかしら」
気づかなかったら大変だ。これは彼女にとってとても大事なものなのだから。
「リリシアさんどうしたんですか?」
「あ、ごめんなさい。イリナの髪飾りが落ちていて……わたくし届けてくるわね」
ヒカリは先にテントに入っていてと告げてイリナがいるだろうテントへ向かう。入り口に立っていた女性騎士に訊くと、イリナは少し前に戻ってきて今日はもう休むと言っていたようだ。声はかけないでほしいと頼まれたそうで、さすがにわざわざ起こすのも気が引けて、リリシアは一度持ち帰って明日の朝に返すことにした。




