王太子の後悔 召喚ごめんマジすまん
「婚約破棄からの断罪コント」の後日談です。
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□■ 断罪劇の後始末 ■□
王太子の住まう東宮に来客があった。
魔道士長の娘で、先日の卒業パーティーで公爵令嬢に婚約破棄を突きつけて断罪しようとして失敗した第三王子、その取り巻きだった令息の姉である。
「エリシナ嬢、胃に優しいカモミールでいいか?」という言葉に頷くのを見て、侍女が準備を始める。
「蜂蜜をいれてください」と言いながら眉間を揉んだ。
カモミールティーを口に含み、早速本題に入る。
「お疲れのようだな。魔道士長はどうするって?」
「カイルは廃嫡になりました。ほとぼりが冷めるまで神聖国に留学するのは決まっていたから、後継者から降ろす決断をしてくれてよかったですよ。
長兄と次男が争う構えで、揉めそうです。三男のカイルが後継者に指名された時点で二人とも魔力量で劣っていたわけですから、父も決めかねるようで。
迷っている間に、私が実績を積んで後継者に立候補できるようにしたいですね。つけいる隙はあると思います」
「時間勝負だから、根を詰めるなとも言えないな」と蜂蜜とハーブの飴をエリシナに勧めた。
「第三王子と第二王妃が無事に国境を越えたと連絡が来たぞ。数日中には大公国の公都に着くだろうが、薄情な大公が二人をどう扱うことやら・・・」
第三王子は王位継承権だけでなく王籍をも剥奪された。
王命の政略結婚を勝手に破棄し、最悪の場合公爵の離反ひいては内乱を引き起こしかねない事態。その危機を招いたことの責任を取らせる形で継承権を剥奪。
その危険性に思い至らない時点で王族の資質がないとして除籍。
公爵家への婿入りがなくなり、養子や婿として受け入れてくれる貴族家があったら貴族になれたが、申し出はなかった。
第三王子を平民にする手続きが進められると聞いた母の第二王妃が文字通り暴れた。
公爵家からの援助がなくなり、優秀な使用人が引き揚げたことで第二王妃の生活レベルは落ちた。壊した家具を片付ける人手が足りず、部屋の片隅にまとめて置いてあるので、すさんだ雰囲気が漂っている。
普通の側妃の生活レベルは保証されているのだが、第二王妃はイライラしたあげく「このままなら実家に帰らせてもらいます!」とわめいた。脅迫して交渉しようとしたのだ。
(すでに正妃がいたのにゴネたので、第二王妃という通称を特別条例で作った。王国の公式記録には側妃と記載され、大公国への外交文書にはそのあたりを曖昧に『妃』と表記している)
しかし、その言葉を待っていた!
国王と宰相に婚姻解消誓約書にサインを促され、財務大臣まで乱入してきて横領を指摘され、売り言葉に買い言葉でサインしてしまう。
そのまま居室に居座ろうとするも、一週間後には祖国の大公国に送還すべく護送車に詰め込まれた。
国王や学園長たちが第三王子の暴走を知っていて止めなかった理由。
それは、第二王妃と離婚するきっかけを得るためだったのである。
二十年ほど前、第二王妃の祖国ドラクメル大公国がアストレア王国に攻め入ってきた。王国が負け、賠償金を減額する代わりにと娶らされたのである。
ちなみに、王国が勝った場合は人質として嫁がせるつもりだったので、戦争になった時点でどう転んでも押しつけられる未来しかなかった。ある意味、戦争を未然に防げなかった時点で負けが確定していたと言える。
当時の公女は我が儘で王族の義務を理解せず、他国の外交官の前でも横暴さを隠さず、些細なことで使用人を死傷させる問題児だった。まともな政略結婚の当てはなく母方が有力貴族だったため滅多な扱いもできずに持て余されていた。
大規模災害で弱っていた王国に目を付け、戦争の後始末の中で公女を押しつけるのが目的の、ついでに侵略しちゃいましたーという心底ふざけた戦争だった。
嫁に出した後は第二王妃を放置して心配の手紙一つ送ってこない。
大公国はその後もあちこちに戦争をふっかけ国力が低下していった。
王国が十数年掛けて災害と戦後の復興に力を入れて豊かさを取り戻した頃、大公は第二王妃に連絡をとろうとし始めた。
大公国に駐在する外交官から近いうちに帝国に戦を仕掛けるかもしれないと情報が入ってきたときは、開いた口が塞がらなかった。繁栄を誇る帝国と大公国の国力、軍事力の差が見えていないとは。
大公国で発展し肥え太っているのは軍事関係のみ。長年の戦に、国をまたぐ商人は近寄らず、商工業は衰え、農地が荒れて民は飢えている。
それを自力で解決したり、まっとうな交渉で援助を頼んだりせず、他国から奪おうとするなど、短慮すぎる。どれだけ犠牲を生むのか考えてみようともしないのか。
一時しのぎで根本的な解決になっていない。万が一勝ったとして、広がった領土を含めて治める技量がないのは明らかだ。
このままでは、婚姻による縁を理由に、資金援助と出兵を要請される。
愛情と関心に飢えている第二王妃は気前よく大公国に便宜を図りかねない。
浪費家の第二王妃が割り当てられた予算以上に使おうとしているのを防ぐだけでも、とてつもない労力だというのに。
パーティーとお茶会以外の仕事をやろうともしない、穀潰しなのに。
これ以上は無理だ!
王国の首脳陣の堪忍袋の緒が切れた。
どうにかして縁を切らねば。第二王妃の不慮の事故を偽装するかを真剣に議論するところまで追い詰められた。
そんなときに、第三王子が学園で好き放題やっているという一報が入ってきた。
関係者は喜んだ。
千載一遇のチャンス到来。
息子の不始末は母親の責任。第三王子を利用し、無血で平和に第二王妃を排除しよう! こじつけでもなんでも、この際構っていられない。
こうして、学園に在籍する間に調子に乗らせようプロジェクトが走り出した。
と言っても、すでに注意しても聞く耳を持たない状態だったので、「道理を知らない幼子に言い聞かせるように根気強く繰り返し教える」ことを止めただけ。
こちらが画策しなくても、どんどんエスカレートしていった。
第三王子が公爵を怒らせて、公爵が支援を打ち切り、第二王妃に自ら離婚を宣言させる、というのが基本の筋書き。
怒らせそうなパターンをいくつか想定し、通常業務に加えて極秘の企みを練り上げ、根回しに奔走した。
その隙を突いて、魔道士長が異世界召喚をやらかした。
本来なら国王の御前会議で慎重に議論すべき案件だが、第二王妃排除の密談に呼ばれていない彼は暇だった。
国王や公爵、財務大臣や外務大臣がこそこそしているのを察知し、自分の地位が危ぶまれるのではと邪推した。
手っ取り早く功績をあげようと、密かに異世界召喚の準備を整えたのだ。
御前会議の終了間際に臨時発議をして「この機会を逃したら次のチャンスは五十年後」とあおり、多くの貴族がそれならばと認める雰囲気を作る。(五十年というのは焦らせるための嘘)
国王も王太子も、その時点では召喚される側の心情まで想像できず、了承してしまった。
エリシナが飴をガリリと噛み
「宰相令息は内定していた官僚の席を辞退して国外退去したんですよね。どこに行ったんです?」
と訊いた。
「カイルが予定しているのと同じ神聖国だ。
騒動の事情聴取が終わった途端、第三王子の動向が決まっていないうちに出国したそうだ。宰相が『最後の晩餐くらいせんか、情緒のないやつめ』と憤慨していたぞ」
宰相の口まねをして、くくっと笑った。
「騎士団長令息は第三王子と共に旅の空の下、だな」
騎士団長令息は虚偽の報告で令嬢を陥れようとしたことが騎士道精神に反していると、騎士団の入団を取り消された。
それに抵抗したため反省の色がないと勘当され、領地の家臣団で兵士になる道すら閉ざされてしまう。
元々、乱暴者な面はあったが、うまく導けば勇敢な騎士に育つ可能性はあったのだ。
不幸なことに第三王子と同じ年齢で将来の護衛騎士候補として城に上がるうちに、第二王妃の「力が全てを解決する」という思想に染まり危険な人物に育ってしまった。
人を駒としてしか考えず、自軍の被害を少なくするための軍略を臆病者、小賢しいと馬鹿にするような人物を、騎士団の幹部にするわけにはいかない。視野が狭く、歪んだ正義感で何をしでかすか分らない。
なまじ血筋と剣の筋が良く、第二王妃の手先になりかねない男。
「第三王子が大公国へ行く際に護衛をしろと同行させた。実質、国外追放だ」
正規の護衛は別にいるので、本当はただの同行者。第二王妃の護送車とは別の馬車に第三王子と乗っている。
大公国に送り届けた後、正規の護衛は彼に声をかけずにさっさと帰国する段取りになっていた。
「明後日にはカイル宛に神聖国のバゼル研究所から手紙が届くぞ。所属する気があれば試験をしてやるって」
「ええ、大陸に名を馳せる、あの? 逆にすごい名誉じゃないですか」
エリシナの手元が狂い、冷めたカモミールティーがテーブルクロスに淡いシミを作った。
「二十四時間労働が基本の、いかれた天才たちの集まりだ。軽く十年は休暇なし、帰国できんぞ、ははは。
手紙と行き違いにならんよう、魔道士長とカイルに試験の案内が届くと伝えておけ。
そこそこの研究室でそこそこの功績を挙げて帰国なんてことになったら、後継者に返り咲きされかねんからな」
「はい。・・・でも、どうして・・・」
魔力量が普通であったため、大型の魔法陣の発動ではなく、解析の研究に進んだエリシナ。研究を軽んじて発動の腕を磨いていただけの弟が有名な研究所から声をかけられるとは。自分の存在、研究は認知されているかすら怪しいのにと動揺した。
「宰相令息が研究所に売り込みをかけて、受験資格をもぎ取ったんだ。あいつ、やる気はないのに有能なんだよな。
魔力量が多いと売り込むと言っていたから、カイルは魔力を絞りとられるぞ。騒動のペナルティなのだから、それくらいは苦労しないとな」
「・・・魔力切れは苦しいですから、そうですね。名をあげるために自分の研究をする余力はなさそう」
魔力切れを思い出したのか、自分を抱きしめるように両肘のあたりを掴んで、ふるりと震えた。
実は、エリシナと王太子は密約を交わしている。彼女が当主になったら、異世界召喚の資料と召喚魔法陣を廃棄して二度と召喚できないようにすることを。
それは、召喚された側にとっては拉致であり、人道的に許されることではないと気付いたからだ。
異世界に頼るのではなく、自分たちの力で未来をよりよくするという理想を掲げた、次世代を担う者たちの第一歩であった。
「そういえば、第二王妃が片付いたんで、第二王子が婚約者を捜す気になるかもしれないな。
狂犬がいる場所に大切な人を近付けられる神経が分らんとぶつくさ言いながら、婚約者を作らず、俺の気が回らないところで王太子妃をカバーしてくれていたんだ。
良さそうな令嬢がいたら紹介してくれてもいいぞ」
「公爵令嬢のところに婿入りしたらいいんじゃありません?」
「なるほど、丸く収まるな、はははは」
騒動の後始末の話が一区切りしたところで、異世界人二人の話題に移っていった。
□■ 公爵令嬢と男爵令嬢 ■□
その頃、公爵の執務室で公爵令嬢レイナは報告書を読んでいた。
男爵令嬢は不法侵入と窃盗の罪により、三ヶ月の労働奉仕となった。
盗んだものが高級とはいえリボンであったし、爵位が低くても貴族なので、平民に比べて軽い刑となる。
軽犯罪者と書かれた腕章を着けて依頼があった場所で雑役をするだけだが、貴族令嬢としてはありえないほどの屈辱だ。日々やつれていく様子だという。
男爵家からは毎日罵り合う声が聞こえ、使用人も減っていく。
三ヶ月の償いがすんでも、以前の生活に戻れるか怪しい。
「男爵令嬢ごときに公爵令嬢が直々に手を下す・・・そんな必要ないのよね」
公爵に監視報告書を返し、レイナはつまらないものを見た時の顔をした。
「我々はそんなに暇じゃないからな」
「お父様、領地の第三王子の受け入れ準備隊は解散しましたの?」
第三王子が婚約破棄と言わなかった場合に備え、婚姻後に領地に移住する準備もしていたのである。
「念のため、大公国でどんな扱いになるか判明してからと思って、待機させてるけど?」
まあ、今更戻ってくると言われても困るけどさ、と豪快な見かけによらず慎重派の公爵が答える。
「千佳様からうかがったのですけれど、学園に通えなくなった子どもが農作業を通じて自然の生命力に触れ、心の傷を癒やす農村留学というのがあるんですって。
わたくしたちが考えていたものと似ていません?
第二王妃陛下から離れて違う世界に触れたら、変わるかもしれないと。一方的に命令するだけじゃない、お互い様の関係を学ぶ機会を与えてみようという計画」
「だからって、下働きの怪力ばあさまと薪割り対決させるのは過激だと思うけどね」
二ヒヒと、移住が実現していたらやらせる気満々だったことがうかがえる顔で笑う。
「過激だとは思いませんわ。
年寄りとか女子どもとか言って、下に見ようとする偏見を木っ端みじんにし、薪がなければお料理もお風呂も用意できないと思い知る。
更に野営料理に挑戦したり、自分で火をおこしての野天風呂を経験したりしたら、愉快な好青年に変身したかもしれませんわよ」
「どれも領主の仕事でも公爵の仕事でもないじゃん」
「あら、遊びまわって勉強もサボってばかりの人が即戦力になるわけないでしょう。
第二王妃陛下を排除するために彼に更生の機会を与えなかったのですから、その責任を取って、子どもを育て直す気であたる覚悟をしなくては」
きれい事を口にしながら、そうならなくてよかったというのが本音である。
できることなら『大きな子ども』の世話をするのではなく、対等に並び立てる男性と人生を共にしたいものだ。
「話を戻しますけど、学園長にそういう生徒がいたら公爵領で休養する方法もあると提案したらどうかと思ったのです」
「いいんじゃない。それで社会復帰できたら、親子で恩を感じるだろうから、うちの味方が増えることになったりしてね。先行投資的にいい案だと思うよ」
「もう、お父様はすぐに損得を勘定する」
凜々しい令嬢としてではなく、娘の顔で眉尻を下げた。
「ところでお前、あれだ、第二王子殿下からの求婚。あれ、どうすんの?
他にも後継者じゃない令息たちから釣書が届いてるけど」
レイナはしれっと「どうしましょうかねぇ」と受け流し、ソファから立ち上がった。
□■ 潰された未来と切り開く未来 ■□
異世界人しずくは緊張しながら、千佳は慣れた様子で、侍従に先導されて東宮の庭を歩いていた。
東屋には王太子と初めて見る女性が座っていた。魔道士長の娘だという。
王太子の子どもである王太孫が離れたところから、ちらちらとこちらを見ていた。乳母はお客様ですからねぇと言いながら、がっちり手を繋いで駆けだしてこないようにしている。
もう少ししたら昼寝の時間だから大人の会話の邪魔はしないよ、と父親の顔で笑った。
子どもだって教えられて、言い聞かせられれば、許されることと許されないことが理解できるようになっていくのだ。
そう育てられなかったであろう第三王子が哀れではある。
珈琲か紅茶を選び、お茶会が始まった。侍女や護衛は声が届かないところまで下がっていく。
「我が宮にお運びいただき、感謝する。ゆっくり花を愛でていただきたい気持ちはあるが、本題に入れせてもらおう。
今日来てもらった目的は二つある。
まず、先日の婚約破棄および断罪劇の経緯と事後処理を説明し、今、この国がどういう状況か知ってもらうこと。君たちがどう生きていくかを考える時に必要な情報があるかもしれない。
次に、異世界召喚に関して我々が考えていることと協力してもらいたいことを説明する」
そこまで言うと真面目な顔をふっと緩め、王太子妃が用意したというお菓子を勧められた。
「さて、あの断罪劇だが。やらかすことを事前に把握していたけれど、敢えて決行させた。
第二王妃、ひいてはドラクメル大公国と縁を切るため、第三王子から王籍を剥奪する理由にできるほどの失態を待っていたからだ」
学園での傍若無人な振る舞いや浮気は、小さな火種の段階で鎮火することもできたし、放置して大きく燃え上がらせることもできた。
親の目が届きにくい、王家が創立した箱庭。
王族が学園長を歴任する意味。
若気の至りで終わらせることもできたが、第三王子は踊らされたのだ。
おそらく、婚約破棄で失う物を教えたら、慌てて行動を変えただろう。快適な生活を捨てる覚悟はなかっただろうから。
生活はそのままに、コンプレックスを刺激する優秀な婚約者を、自分を脅かすことのない娘にすげ替えようとしただけ。どこまでも自分の快適さを求める自分勝手な子どもだった。
学生時代は周囲を蔑ろにする性格を矯正のチャンスでもあったが、彼はその機会を失った。
学生時代にすでに高位の者としての自覚があった二人の人物に見限られていたからだ。
婚約者の公爵令嬢と異母兄の第二王子、両名に。(第二王子は王太子とは同腹)
学園生活一年目の間は、学園長も公爵令嬢も折に触れ第三王子に注意をしていた。他の教師や侯爵家以下の生徒の言うことには全く耳を貸さないのだ。
二年生にあがる頃に大公国が帝国に戦争を仕掛けようとしているという情報が入り、第二王妃を排除するはかりごとに第三王子を利用するか否かの極秘会議が開催された。
(第三王子と一緒に行動している令息の親、魔道士長と騎士団長は呼ばれていない。宰相令息はこの時点では、それほど親しくない幼なじみという距離感だった)
その会議で、公爵令嬢と卒業したばかりの第二王子は意見を求められた。
長年、婚約者であった公爵令嬢が、彼は人を羨み妬んでいじけるだけで、人に教えを請うことはせず、サポートを頼んでやりとげようとすることもない。命令して丸投げするだけ。
脅迫して無理矢理やらせた場合と喜んで自発的にやってくれる場合の差が理解できない。結果は同じだと言い、人の心を慮ろうという気持ちすらない。一緒にいるのが苦痛だ。
この国に留め置く価値はないと切り捨てた。
少々恨み節も入っていたが、今までの関係性からして無理もないと誰もが思った。
(この当時は腹を立てていたが、二年の間に可哀想な子どもだと慈悲の目で見るように変化した)
第二王子は年が近い分、同じ家庭教師に習っていた時期があり、最終学年の一年間は新入生の第三王子を見ていた。
善悪や本音と建て前が分っていないので、成人して公務を任せたら極秘情報をどこで漏らすかしれたものではない。
男爵令嬢以外にもだらしなく、ハニートラップに自ら引っかかりに行くので、大公国に出すべきだ。逆にあちらで王族になったら、こちらからハニトラかけたらいいんじゃないと鼻で笑う。
普段は品行方正で感情の起伏が穏やかな第二王子が悪し様に罵る姿に、何があったのか恐くて聞けなかった。
最後の一押しは学園長からだった。
「人は自分で変わろうと思わなければ変わらない。劇的に変わるのは一年生が多く、その後は年齢と共に少なくなる。
彼は寮に入って物理的に母親から離れて一年経ったが、変化の兆しもない。
親の価値観が絶対である子ども時代から抜け出すには、まず親の言うことを疑う必要がある。今までの自分を疑うことでもあるから、とてつもなく苦しいものだ。
その痛みを超えて、何が自分にとって正しいかを考える力が、果たして彼にあるだろうか」
かくして、残りの学生生活は失態を重ねるのを観察されるだけの時間となった。単なる執行猶予期間である。
大公国の動き次第でいつでも大騒ぎを起こせるように、宰相令息が密命を受けて側に侍った。幸い、戦争の準備だけで開戦に至らなかったので、無事に卒業式まで辿り着く。
宰相令息は最後の仕事として、卒業パーティーでやらかすように焚きつける。スパイだとバレないように一緒に寮に監禁され、追放を装って外国に避難した。
「作戦の目的は第二王妃の排除だから、第三王子には王籍から除籍された後にどちらの国で生きていくか、選択肢は二つあった。
この王国では平民になるが、大公国の場合は平民、貴族、王族のどれも可能性がある状態。本人に確認したら大公国に行くと言うので、好きにさせたよ。
第二王妃を直接攻撃するより息子に足を引っ張らせた方が穏便にすむと、あの子を利用した後ろめたさはあるからね。
彼がこの国に残るなら、人柄が良い商人か過ごしやすい地方の農家に面倒をみてもらえるよう先方に打診はしていたんだけどね」
王太子は少し顔をしかめて珈琲を飲んだ。
あちらの貴族よりこちらの国の平民の方がまともな食事をしているんだが、と肩をすくめる。
「君たちの世界のように結婚は『両者の合意によってのみ成立』するものじゃないと頭の片隅に置いておいてくれ。
政略結婚の申込もあるかもしれないぞ。
結婚を申し込まれたときや結ばれたい相手が現れたときは相談してくれていい。こっちの世界に合うようなアドバイスをするから」と、からかうように言う。
そんなことを言われたら、二人で顔を見合わせて、照れ笑いをしてしまうではないか。
「へへへ。千佳ちゃん、どうよ」
「えー、今は全然・・・。まあ、いつかは、ねぇ」
全く、面倒見のいい上司でありがたいよっ。(恥ずかしくて謎の逆ギレ)
「次は異世界召喚に関わる話だ。
魔道士長の令息は異世界召喚を引き続きやっていくという考えだから、この機会に実質上、国外に追放するよ。
本人は追放だと知らず、ほとぼりが冷めるまでの一時退避だと思っているけれど、宰相令息が同じ国に滞在しているんだ。
異国で偶然再会し、友人同士励まし合いながら、魔道士長令息がうっかり帰国しないように見張ってくれる手はずになっている」
ちょ、また、宰相令息?
「王太子殿下、宰相令息をこき使いすぎじゃない? 彼にだって人生の選択肢をあげないと可哀想じゃん」と思わず噛みついてしまう。
優しいなぁと私の頭をなでた。
「宰相令息はあの国に興味津々だから、大丈夫。狸と狐の化かし合いは学生時代に充分味わったから、もう、うんざりなんだとさ。
密命に見合う、充分な仕送りをしろと俺と宰相に念書を書かせて行ったぜ」
お高い魔道具を買うぞとスキップするように出て行ったと聞き、お小遣いを握りしめて駄菓子屋に向かう少年の絵面が浮かんだ。
あの卒業パーティーの日、壇上で青ざめていたのが演技だったなんて、すごすぎる。
「で、魔道士長の長女のエリシナさんについて話すぞ。
この人は召喚される側が喜んで来るわけじゃないと知り、もう召喚してはいけないと考えるようになった。当主になれたら、召喚する術を廃棄すると約束してくれたんだ。
君たちの人生を狂わせた罪は消えないが、酷いことをしたことを、今は自覚している。こちらの都合しか考えずに行ってしまい、本当にすまなかった」
王太子が頭を下げた。王族って謝っちゃいけないんじゃなかったっけ? あれ、いいのかな。どうしたらいいか分らん。
おろおろして助けを求めるようにしずくを見たら、うつむき加減で唇をぎゅっと閉じている。
ああ!
聖女として役割を押しつけられ、一身に期待を背負わされたしずくと、身軽に異文化体験をしている私では、見てる世界が違う。
これ、私が「謝らなくていいです」なんて、言っちゃいけないヤツ!
気付かないでごめんね、ごめんね。
二人して黙り込んだ私たちに、エリシナさんが話しだした。
「一方的なことをして誠に申し訳ございませんでした。
更に、これから勝手なことを言うの、ごめんなさい。後継者にしか閲覧できない資料があって、当主しか触れない起動装置があるの。
私が後継者に指名されるよう、協力してほしいと思っています。
あまり期待させるのもあれなんだけど、異世界返還の記録がないか探しています。それと召喚魔法陣を壊す方法を模索するつもり」
うう・・・と涙目で唸りだしたしずくの手を取って
「どちらも難しくてできなかった場合でも、召喚方法が書かれた魔道書は廃棄できる。それだけは絶対に!」
と誓ってくれた。
召喚反対派はまだ少ないからこっそり活動しているんだって。
「私たちも協力しよう。いいよね、しーたん?」
しずくの肩に手を置くと、こくりと頷いた。
王太子がふうと息を吹き、エリシナさんがははと力なく笑った。
肩の荷が下りたっていう顔をしている。協力しなかったら進められないほど、厳しい状況なのかな。
「魔道士は魔力が多いと召喚魔法陣のような、大昔に作られた魔力をたくさん使うものを起動できる。才能の証でもあるから、使いたがるの。父やカイルはこのタイプね。
私は魔力量が普通だから、魔法陣を解析して研究する方に進んだの。
魔法は女神の領域を侵す物だと主張する人たちが魔道士狩りをして、焚書しまくった時代があるのね。魔力の多い有名な魔道士ほど狙われたし、大型の施設や魔道具が優先的に壊された。
生き残った魔力の少ない魔道士を貴族にして、結婚させて魔力が多い血統を作ろうとしているのがうちみたいな魔道貴族。代々持っている資料も、魔力に見合う中規模以下のものばかり。
どこかに大規模魔法の資料が残っていて、返還のやり方がわかるのが理想だけど・・・」
淡々と説明するエリシナさん。
大型の魔道具を使える人が後継者に指名されやすく、地道な研究をしていて魔力が多くないエリシナさんが選ばれるには目立った功績が必要ってことらしい。
魔力が多い人たちは研究を重視しないから、あまり魔法陣も読めないんだって。読めないけど、魔道書に沿って使うことはできるそうだ。
「ああ、ゲームが強い人とゲームのプログラムを書くエンジニアは別ってやつ」
しずくが鼻をすすりながらしゃべった。よかった、落ち着いてきたみたい。
「しーたん流石!分りやすい。そういうことね」
「なんかなぁ、大公国が自国を豊かにする努力をしないで他国から奪うって考えを嫌悪しているくせに、聖女を異世界から召喚して浄化してもらおうって、同じことやってんじゃないかと反省したんだよ」
ごめんなぁと雰囲気で語ってくる。
「あのね、聖女の浄化魔法って治癒師の癒やしに似ているんだけど、こっちの世界で生まれた人は浄化魔法が使えないの。過去の記録を捜しても見あたらなくて。当主と後継者しか入れない資料庫があるから、そっちまで調べたら見つかるかもしれないけど。
ああ、もしかしたらそっちに異世界返還の資料を隠しているってこともあるかもしれない」
研究者スイッチが入ったのか、すごく早口。
「はぁ、しーたんは特別なんだね。あ、誘拐とか気をつけなきゃじゃん? 護衛騎士とうまくやってる?」
「無理ぃ。顔面よすぎて、顔合わせられないぃ」
しずく可愛い! なんだ、それ。
突然、恋バナが始まった? 恋の予感? 後で詳しく!
反省会?が終わったようなので、冷めた紅茶を取り替えてもらって、お菓子をつまんだ。
バターのいい香りが鼻をくすぐり、ほおっと長く息を吐く。お菓子の甘さに、緊張した脳みそがほどけていくようだ。
ある日突然誘拐されたんだから、いつか魔道士長に文句を言って反省するまでしばき倒してやろう!と、密かに決意した。
こんな綺麗なお庭で、王子様と魔法使いさんと優雅にお茶できるのは召喚されたからだけど、それはそれ、これはこれ。
とりあえず今はお城の庭とメイドさん?侍女さん?が淹れてくれた紅茶を味わうことに集中・・・あ、これ、本物のメイドさんが入れてくれた紅茶だ!
「しーたん! リアル メイドカフェ! 今!」
「おお! 萌え萌えキュンキュンをやってもらおうか! まずは見本を見せて、それから特訓だね」
「え、どっちがやって見せるの? 私、本物を見たことないよ」
「私もテレビとかアニメとか・・・」
ダメじゃんと大爆笑だよ。
日本にいた頃と同じような会話に安心する。
うん、笑っていれば、自分を取り戻せる。私の基盤、ゼロ地点。
笑えていたら、まだ、大丈夫。
と、私は心の中で唱えた。
「そういえば、卒業パーティーでコントを見ていた在校生たちが同好会を作りたいと言っているそうだ。どうする?」
王太子がニヤリと私たちを見た。これ、協力しないわけないと思ってるな。
まあ、やりますけど。
「まず、見本を見せよう。千佳ちゃんは何がいいと思う?」
「うーん、初心者にはどの先輩のがいいかなぁ」
「え、私たちの作品の中から選ばなきゃ。 著作権! 無断使用はダメだって」
慌てるしずく。
「ないない! こっちの世界の誰に使用料を払うつもり?
ダメ出し食らいまくったオリジナルをやるより、先輩方の傑作を見せた方が良いって。
下手くそに習うと下手くそが移るっていうじゃん」
しずくはしゅんとして、そうだったねと納得してくれた。
私も自分で言っておいて、胸がぎゅっと締め付けられるようだ。
ここはお笑い協会がない世界なんだもん。
今も続々と生まれている新ネタを知る術がない。
戻れたとして、私たちは時代遅れの・・・やめやめ! 今は考えても仕方ない、と千佳は頭を振った。
しずくが疑問を投げかけた。
「いきなり今の流行のネタを理解してもらえるかな?
過去にタイムスリップする映画で、現代の流行の音楽が斬新すぎてウケない話があったよね。
時代を遡って、昭和のお笑いからほのぼの系を選ぼうか?」
「もっと遡って、落語とか狂言はどうかな?
『時そば』ならディテールまで再現できなくても、数を数えるシチュエーションで台本を起こせるでしょ。
太郎冠者次郎冠者の『附子』も高校の古典の教科書を音読させられたから覚えてるよ」
「千佳ちゃんの得意な比較文化の研究だね。じゃあ、片っ端から試してみようか」
「うん、うん! とりあえず、私がすごく好きな芸人さんの、やっていいでしょうか? 久しぶりに大声で歌いたい!」
「え、あれ? 刺激が強すぎないかなぁ? まあ、いいけど」
「ありがと! しーたん大好き!」
大人二人はきゃっきゃとはしゃぐ私たちを眺めていたらしい。
「彼女たちは本当にゆとりのある成熟した文化の中で生きていたのだな。
異世界人のもたらした事柄だけを伝える歴史書には、こちらの人間に都合のいいことしか書かれていなかった。隠された裏を読み落とし、相手が心を持つ人間で、あちらでの人生があることを失念していたよ」
「そうですね。魔道士にとっては実力を見せつけるのに最適なモノだと私も思っていました。
『タイムスリップ』なる魔法は後でじっくり根掘り葉掘り教えてもらうとして、まずは異世界召喚のことを調べていきましょう。
謝罪だけでなく、今からでもできることを探さなくては」
「彼女たちに価値がないと見なされて迫害されては困るが、価値が高まりすぎてまた異世界召喚しようと期待を集めてもいけない。
彼女たちの望むものを聞きとりながら、出すものと秘匿するものをコントロールしなければいけないな。
価値観が違いすぎて、良かれと思ったものを迷惑がられることも多くて困るよ、まったく」
大人たちの静かな決意は、盛り上がった私たちの耳には届かなかった。
王太子とエリシナさんに下ネタエロ満載の歌ネタを披露したら、エリシナさんが赤くなって青くなって、ぷるぷる震えて椅子から転げ落ちた。
王太子は彼女を左手で支えながら「最高だな! すまし顔の護衛騎士にも聞かせてやろうぜ」と涙を浮かべ、右手で目元を覆って、しばし肩を揺らし続けた。
しずくの「ぎゃー、やめてぇぇ、バカなの?アホなの?最低! 鬼ぃぃー!!!」という叫びをBGMに。
王太孫殿下がお昼寝に行っていたからよかったものの・・・と、エリシナさんに説教されました。
護衛たちは会話は聞こえない距離にいましたが、大声で歌ったため歌は聞こえていました。反応しないよう顔に力を入れて腹筋をぷるぷるさせ、新たな拷問かと思ったそうです。
※「お笑い協会」は架空の団体です
※王太子が生存している場合はその子どもを王太孫と呼ばないのではないかとご指摘を受けましたが、この王国では「王太子の子どもの中で王太子予定の子どもを王太孫と呼ぶ」という設定ということでご容赦ください。
(追記)誤字報告ありがとうございました。