愛は憎しみに変わるのよ。貴方を辺境騎士団へ送ります。浮気相手も地獄へ送るわ。
ああ、とても幸せだったのに。
あの娼婦のせいで、アルディス様の心がわたくしから離れてしまった。
マリーディアは、18歳の時にアルディス皇太子の元へ嫁入りした。
アルディス皇太子は歳は24歳。黒髪碧眼のとても美男子な皇太子で、マリーディアは彼の元へ嫁げた事を幸せに感じた。
アルディス皇太子は、王国の英雄で、その剣は魔物を切り伏せ、山に現れたドラゴンを一撃で倒したという逸話の持ち主である。
若くして鍛え抜かれたその身体。
女性達の憧れの的で、アルディス皇太子の銅像が王都の広場で建てられている程の人気ぶり。
政略でマリーディアが選ばれたけれども、とても幸せで。
アルディス皇太子はマリーディアの手を取って、結婚式の時に、
「可愛らしいマリーディア。私と共にファデル帝国の未来を築こう」
そう言ってくれて、唇にキスを落とされた時は天にも舞い上がる心地だった。
幸せの絶頂だった。
マリーディアはフワフワの金の髪に青い瞳で、ブルド公爵家の娘で兄や両親はとてもマリーディアを可愛がってくれて。今回の結婚を誰よりも祝福してくれた。
「マリーディア。幸せになるんだよ」
「わたくし達はマリーディアの幸せを願っているわ」
「何かあったらいつでも言うんだぞ」
政略の面もあるだろう。王家は名門公爵家の血を引き込む狙いもあるだろう。
それでも、両親や兄はマリーディアの幸せを願ってくれた。
そのような甘い場所ではない、皇妃になるという事はそういう事なのに。
結婚当初は良かった。
アルディス皇太子は、優しくて、マリーディアを膝にのせて甘やかしてくれた。
「私は政治の事は勉強中でね。剣技の腕に覚えはあるんだが、これからは帝国の為に、後に皇帝になる為に頑張らねばならない」
「わたくしも、アルディス様のお役に立てるよう頑張りますわ」
「マリーディアは本当に可愛いな」
抱き締められて額にキスを落とされる。
「わたくしって可愛い部類ですの?お父様もお母様もお兄様も可愛いって」
「ああ、可愛らしい私のお姫様だ。君と紡ぐ帝国の未来が楽しみだ」
本当に幸せだった。幸せだったのに。
時が経つにつれて、アルディスは多忙になった。
マリーディアも同じく多忙になる。
皇太子妃として、社交が増えていった。
アルディスは皇太子として、やる事があり、それ以上に、帝国に出没する魔物に苦しむ民を見捨てられなかった。
自ら騎士団を率いて討伐に出かける。
マリーディアは止めた。
「危ないですから。アルディス様っ。何も自ら行かなくても」
「私が行かないでどうする?民が一人でも死んだら後悔する。だから私が行くっ」
剣を持って、騎士団を率いて出かけて行ってしまう。
何度も止めたのに、貴方自ら行くことはないって。
しまいには煩いと言われてしまった。
二人の間には子がなかなか出来ない。
あの人の子が欲しい。欲しいのよっ。
マリーディアは焦り始めた。
アルディスはある日、一人の女性を連れてきた。
「彼女の傍にいると癒されるんだ」
アルディスの背後に隠れるまだ若い女。
市井の女なのだろう。
「セーラ。挨拶を」
「セーラですっ‥‥‥アルディス様とは娼館に来た時に知り合って」
マリーディアは驚く。
「娼館ですって?」
アルディスはセーラの腰を抱き寄せて、
「私はセーラの傍にいる時だけ、ただのアルディスに戻る事が出来る。疲れるんだ。皇太子の仕事は本当に疲れる。セーラの傍は癒される。セーラを後宮に迎える」
マリーディアはイライラした。
娼婦を後宮に?わたくしは栄えあるブルド公爵家の娘なのよ。娼婦と同列ですって?
アルディスは、セーラを愛しそうに見つめ、
「セーラは、妊娠していないことは確認済みだ。愛しいセーラ。可愛いセーラ」
マリーディアは思わずセーラと言う女を扇で殴りつけようとした。
アルディスが腕を掴んで止めに入る。
「わ、わたくしが皇太子妃だというのに、わたくしが子を産んでいないというのに、この女を愛して子を産むつもりなのっ」
「私はセーラの事を愛しているんだ。セーラに子が出来たら、これほど嬉しい事はない」
震えるセーラをかばうアルディス。
あまりにも悲しかった。
結婚当初の甘い日々。
アルディスは魔物討伐の話をマリーディアを膝にのせて、話してくれた。
帝国の事を二人で沢山話し合った。
アルディスの腕に抱かれて眠る夜は、誰よりも幸せで。
アルディスはとても美しくて、とても優しくて。とてもとてもとても‥‥‥
それが目の前のセーラと言う娼婦に現を抜かして、彼女を愛しそうに見つめるアルディス。
わたくしが貴方の妻なのよ。
わたくし以外、見つめないでっ。
叫びたかった。
アルディスはマリーディアに、
「私がセーラを守る。セーラを害するようなら許しはしない」
二人は背を向けて行ってしまった。
マリーディアは泣き崩れるのであった。
最近、具合が悪い。
一月前にアルディスと褥を共にした覚えがある。
医者に確認したら子が出来ているとの事だった。
アルディスの気持ちが戻るかもしれない。
アルディスに子が出来た事を報告した。
「わたくし、子が出来ましたの」
「そうか。それはめでたい事だ」
「だから、その、わたくしと‥‥‥嫉妬をしてごめんなさい。これからは貴方とこの子と、帝国の為に」
「ああ、子が出来た事はとても嬉しく思っている。だが、私はセーラと過ごしたいのだ。皇太子の責務は重すぎる。そんな時、セーラの傍にいると癒されるのだ。ただのアルディスに戻れるのだ」
「わ、わたくしだって、貴方の事を癒せますわ」
「君は皇太子としての私を求めているのだろう?本当に疲れる。私は皇太子であることを誇りに思う反面、疲れる事もあるのだ。だからセーラと共に多くの時を過ごしたい」
子が出来たのよ。
貴方とわたくしの愛しい子が。
それなのに、セーラ、セーラ、セーラ。たかが娼婦の女が癒される?
許せない。
そう思えた。
月満ちて生まれたのは皇子だった。
望んでいた皇子。
ベルドと名付けられた。
その頃、セーラの妊娠が発表された。
アルディスはとても喜んで、
「愛するセーラとの子はとても可愛いのだろうな」
と、セーラのお腹を撫でて。
マリーディアは可愛い我が子、ベルドを見つめながら、子守唄を歌う。
父ブルド公爵は、アルディスのマリーディアに対する仕打ちを、面白く思っていない。
マリーディアは父に、
「皇太子殿下は皇太子の責務が重いといつもこぼしていますわ。だったら、その責務から解放して差し上げましょう」
ブルド公爵は、頷いて、
「暗殺しても構わないか?お前がよければの話だが」
アルディス様を暗殺?
いえ、殺しただけでは飽き足らないわ。
生きて地獄を味わってほしいの。
セーラだって許しはしない。
わたくしのアルディス様を奪ったのだから。
「生き地獄を味わってもらいましょう」
女の嫉妬は、恐ろしいのよ。
魔狼の大軍が現れたと帝城に報告があった。
アルディスは剣を持ち、
「騎士団、討伐だ。共に討伐に向かう」
騎士団長は頷いて、
「帝国に栄光あれ。出撃するぞ」
100名の人員を率いて、アルディスは騎士団と出撃していった。
セーラが手を振って、見送っている姿を見て、イライラする。
でも、もうじき会えなくなるのだから、せいぜい、別れを惜しんでおく事ね。
と、思う反面。彼の馬に乗った後ろ姿を見て、寂しく思う。
貴方と一緒に、子を育てたかった。
貴方と一緒に、帝国の未来を作りたかった。
さようなら、アルディス様。わたくしは貴方を愛しておりました。
しばらくして、魔狼討伐の最中に、アルディスが行方不明になったと連絡が入った。
変…辺境騎士団。美男の屑をさらって、教育をする変態騎士団だ。
ブルド公爵が彼らにアルディスをさらうように、依頼をしたのだ。
皇帝陛下は、マリーディアと子を傍に招いて宣言する。
「アルディスが行方不明になった。捜索しているが、魔狼の大軍に殺された線が濃厚だろう。従って、ベルドが皇太子になる」
ベルドを皇帝自ら、抱き上げて掲げれば、臣下一同、拍手をする。
マリーディアはガイド皇帝に、
「わたくし、ベルドの母として頑張りますわ」
「ああ、期待している」
ガイド皇帝陛下。皇妃を溺愛していたが、10年前に病で失ってから、頑固として独り身を貫いている皇帝だ。子はアルディスしかいなくて。
ガイド皇帝は、マリーディアを部屋に呼びよせ、
「アルディスは死亡の線が濃厚だ。どうだ?私の妻にならぬか?私は独り身を長く貫いてきた。だが、まだまだ頑張らねばならん。ベルドの為にも。そなたの力が必要だ」
「その話、お受け致します。皇帝陛下。わたくしを皇妃にして下さいませ」
ベルドの事はとても愛しい。
このベルドの為にも、自分の立場をしっかりしたものにしたい。
それにはガイド皇帝陛下の申し出は有難かった。
セーラの子は毒を使って流産させた。
そして彼女を皇宮から追い出した。
身、一つで。
「アルディス様はもういないのです。出てお行きなさい」
セーラは泣きながら、雨の中、出て行った。
出て行った先で、信頼できる筋の者に後をつけさせた。
そして、セーラの口を塞ぎ、彼女をさらって、場末の娼館に売り払った。
かなり女の扱いが酷い娼館である。
前に娼館で働いていたと言っていた。
それでも、今度の娼館は地獄のような娼館で。
苦しめばいい。アルディス様を奪った女、苦しんで苦しんで。
わたくしは悲しかった。
わたくしは、アルディス様の愛を失って悲しかった。
だからその分、苦しめばいいわ。
ガイド皇帝陛下と褥を共にした。
ガイドは、ベッドでマリーディアの髪を撫でながら、
「そなたが、ブルド公爵に頼んでアルディスにした事は調べがついた。辺境騎士団へ送ったのか?」
「ええ、送りましたわ。今頃、屑の美男教育で、性の餌食になっているでしょう」
「我が大切な息子をっ」
「わたくしを殺しますか」
ガイドを睨みつける。
アルディスの事になったら怒りが燃え上がる。
可愛いベルドの為に、我慢しなくてはならないのに。
ベルドの成長を見たい。
ベルドが立派に成人する姿を見たい。
見たいのに、アルディスが憎い。憎くて憎くて。
ガイドはマリーディアの髪を優しく撫でて、抱き締めてくれた。
「我が息子は、お前を裏切った。お前がいかにアルディスを愛していたか。結婚当初は見ていて微笑ましかった。それを裏切ったのはアルディスだ。平民の娼婦なんぞに入れ上げて。辺境騎士団では2年経ったら、性の奉仕から卒業して、教会で奉仕活動をすることになっている。もう、これ以上、アルディスを苦しめないでやってくれるか?これが親としての願いだ」
「皇帝陛下。解りましたわ。わたくしの復讐は、もうこれ以上、アルディス様を苦しめないと約束致します」
ガイド皇帝陛下に愛しさを感じた。
アルディスの事は憎いのに、ガイドのアルディスを思う親としての優しい気持ち‥‥‥
アルディスを憎んだ心が溶けていく。
逞しいガイドの身体に身を寄せて、
「これからのわたくし達は、可愛いベルドの為に、帝国の為に共に頑張って参りましょう」
「そうだな。まだまだ頑張らないと。可愛い妻と、孫に恵まれたのだから」
ガイド皇帝は額にキスを落としてくれた。
マリーディアは心から幸せを感じた。
それからすぐにマリーディアは妊娠し、可愛い女の子を産んだ。ガイド皇帝の子である。
幸せな日々。
そんなとある日、ある教会へ慰問にガイド皇帝と出かければ、ばったり会った。
アルディスにである。
2年の月日が経過していた。
アルディスはやつれた顔で、それでも、老人の手を取って、教会の中へ案内をしている。
ガイド皇帝とマリーディアに気が付いて、
「父上、それからマリーディア。お久しぶりです」
「お元気そうね」
「ハハハ。まぁね。マリーディア。君の仕業だろう?辺境騎士団へ送ったのは。君と父上はすでに出来ていたのか?」
マリーディアはつかつかとアルディスの前まで行き。
「ガイド皇帝陛下と結婚が決まったのは貴方が辺境騎士団へ行ってからですわ。それまではわたくしは貴方一筋でした。先に裏切ったのはどなた?わたくしをないがしろにし、娼婦に入れ上げて。わたくしは貴方を許していないわ。貴方を見るとあの時の恨みが、胸を焦がすの。でも、今は‥‥‥」
背後から来たガイド皇帝の手が肩に置かれて、
「わたくしは、皇帝陛下との間に、女の子も産まれて、とても幸せよ。ベルドも可愛い盛りで。ガイド様はとても可愛がってくれるわ」
ガイド皇帝も、
「そういう訳だ。アルディス。お前は一生、平民として、ここで奉仕活動をしているがいい。ベルドが次の継承者だ。お前を戻すつもりもない」
がくっと膝をつくアルディス。
俯いて。
「私はただセーラと、癒されたセーラと共に過ごしたかった。セーラはどうした?どうなった?」
「知りませんわ。それではどうぞお元気で」
セーラの事を言う必要はない。生きているか死んでいるか、そこまで調べてはいないが、あの娼館なら生きている事は難しいだろう。
愛しいガイドと共に、その場を後にするマリーディアであった。
マリーディアはその後、ガイド皇帝との間に2人の皇子を産んで、ベルドが皇帝になるまで長生きをした。
ガイド皇帝との仲は良好で、二人は熱々の夫婦として帝国で有名になった。
マリーディアは、二度と、アルディスの事を思い出さなかったという。