第二章:厨房の秘密
リナがカレノフの宮殿に到着した時、彼女は圧倒された。宮殿は豪奢さと荘厳さを兼ね備え、まるで別世界に迷い込んだようだった。大理石の床に、絢爛豪華なシャンデリア、そして豪華絢爛な調度品の数々。リナは一瞬、自分がここにふさわしいのかと不安になった。
しかし、宮殿の厨房に足を踏み入れた瞬間、リナの不安は吹き飛んだ。そこには、最新鋭の設備が整い、豊富な食材が並んでいた。まるで、リナの夢が叶ったかのようだった。
「ようこそ、リナ」
振り返ると、エドゥアルドが微笑んでいた。
「ここがあなたの新しい職場です。あなたの料理の腕を存分に発揮してください」
リナは深く頷いた。
「ありがとうございます。精一杯努めさせていただきます」
エドゥアルドはリナを厨房の奥へと案内した。そこには、すでに数名の料理人たちが働いていた。彼らはみな、リナを見るなり手を止め、挨拶をした。
「みなさん、こちらがリナ・マロヴィッチです。今日から、我々の厨房で働くことになりました。彼女を温かく迎えてあげてください」
エドゥアルドの紹介に、料理人たちは頷き、リナに歓迎の意を示した。リナはほっとしつつ、新しい環境に早く馴染もうと心に誓った。
エドゥアルドはリナに、カレノフの食の好みや、宮殿での食事の流れについて説明し始めた。カレノフは健康に気を遣っており、新鮮な食材を使った料理を好むということ。また、州庁での公式行事では、ベレニアの伝統料理が求められるということ。
リナは熱心にメモを取りながら、頭の中で早くもメニュープランを練り始めていた。彼女は、カレノフの好みに合わせつつ、自分らしさも料理に出したいと考えていた。
「質問は以上ですか?」エドゥアルドが尋ねた。
「はい、今のところは大丈夫です」リナは答えた。「できるだけ早く、仕事に慣れるよう努めます」
「期待していますよ」エドゥアルドは満足そうに言った。「では、早速ですが、今夜のカレノフ閣下の夕食のメニューを考えてもらえますか?」
「かしこまりました」リナは答え、さっそくメニュー作りに取り掛かった。
これが、リナの宮殿での料理人生活の始まりだった。彼女はまだ知らなかった。この厨房が、単なる料理を作る場所ではなく、政治の駆け引きが渦巻く場所でもあるということを。
リナは、カレノフの夕食メニューを考えながら、厨房内を見渡した。他の料理人たちは黙々と作業に励んでいたが、どことなく緊張感が漂っていた。まるで、何か言えないことを抱えているかのように。
リナは不思議に思いつつも、メニューに集中することにした。彼女は、カレノフの健康志向を考慮し、新鮮な野菜を使ったスープと、ハーブを効かせた魚料理を中心に構成した。デザートには、ベレニア産の果物を使ったソルベを添えることにした。
メニューが決まると、リナは他の料理人たちに指示を出し始めた。最初は戸惑いもあったが、リナの的確な指示と、料理への情熱が伝わったのか、徐々にチームワークが生まれていった。
夕食の時間が近づくと、リナは自ら料理を盛り付け、カレノフのダイニングルームへと運んだ。カレノフはすでに席に着いており、リナを見るなり微笑んだ。
「リナ、今日の夕食は何かな?」
「はい、閣下。新鮮な野菜のスープに、ハーブを効かせたお魚料理を用意しました。デザートには、ベレニア産の果物のソルベを添えております」
リナが料理を説明すると、カレノフは興味深そうに頷いた。そして、スープから味見を始めた。一口、また一口と口に運ぶたび、カレノフの表情は柔らかくなっていった。
「リナ、これは素晴らしい。素材の味を生かしつつ、新しい味わいを作り出している。君の腕は確かだ」
カレノフの言葉に、リナは感激した。
「ありがとうございます、閣下。お口に合って良かったです」
食事が終わると、カレノフはリナを呼び止めた。
「リナ、明日は重要な賓客が来る。君の腕にかかっているよ」
「はい、閣下。精一杯務めさせていただきます」
リナは深く頭を下げた。重要な賓客とは、どんな人物なのだろう。そして、自分の料理が、その賓客にどのような影響を与えるのだろう。
厨房に戻ったリナは、翌日の準備に取り掛かった。彼女は、ベレニアの伝統料理の中から、最も印象的なメニューを選ぼうと考えていた。
その時、ふと視線を感じたリナが顔を上げると、一人の料理人が慌てて目を逸らした。その料理人の表情は、まるで何かを隠しているかのようだった。
リナは不審に思ったが、追及するよりも、目の前のタスクに集中することにした。しかし、彼女の脳裏には、厨房内の不穏な空気が焼き付いていた。まるで、厨房の秘密が、徐々に明らかになろうとしているかのように。
翌日、リナは早朝から厨房に入り、賓客のための料理の準備を始めた。彼女が選んだメニューは、ベレニアの伝統的な meat pie「カン」、そして色とりどりの野菜を使った「ラタトゥイユ」だった。どちらも、ベレニアの豊かな食文化を象徴する料理だった。
リナが食材の準備をしていると、昨日の料理人が彼女に近づいてきた。
「シェフ、ちょっといいですか?」
その料理人は、ミコという名前だった。彼は落ち着かない様子で、周りを見渡した。
「なんでしょう、ミコ?」リナは尋ねた。
「シェフ、ここで働いていて、何か不思議なことに気づいたことはありませんか?」
ミコの質問に、リナは眉をひそめた。
「不思議なこと?具体的には?」
「それが...」ミコは言いよどんだ。「料理に関して、特別な指示が出ることがあるんです。でも、その指示が、どこから来ているのか分からないんです」
リナは驚いた。特別な指示?それは、一体どういうことなのだろう。
「その指示とは、どんなものなの?」リナは問い質した。
「例えば、ある料理に特定のハーブを入れるように、とか。でも、そのハーブは、料理には必ずしも必要ないんです。むしろ、味を損ねる可能性すらあります」
ミコの話を聞いて、リナは混乱した。料理に必要のない材料を入れる?それは、一体何のためだろう。
「他に、どんな指示があったの?」
「時々、料理の盛り付けについて、細かい指示が来ます。料理の形を特定の形にするように、とか」
ミコはさらに続けた。
「でも、一番不思議なのは、その指示に従わないと、料理人が突然いなくなること...」
「いなくなる?」リナは息を呑んだ。
「はい。ある日、一緒に働いていた料理人が、翌日から来なくなったんです。上からの指示に疑問を呈していた料理人でした...」
ミコの話を聞いて、リナは背筋が凍る思いがした。厨房内で、何か不穏な事が起こっているのは明らかだった。
「ミコ、情報ありがとう」リナは真剣な面持ちで言った。「私も調べてみるわ」
ミコは小さく頷くと、慌てて自分の仕事場に戻って行った。リナは、深い考えに沈んだ。料理に隠された秘密。それは、一体何を意味しているのだろうか。
リナは、賓客のための料理を作りながら、厨房の秘密について考え続けた。彼女は、この謎を解明しなければならない。そして、もしかしたら、その秘密は、ベレニアの政治とも関係しているのかもしれない。
賓客のための晩餐会が始まった。リナは、自らの手で仕上げた料理を、エレガントに盛り付けられた皿に乗せ、ダイニングルームへと運んだ。テーブルには、ベレニアの要人たちに加え、外国からの使節団の姿もあった。
リナは、料理を配膳しながら、賓客たちの反応を窺った。彼らは、リナの料理を口にするなり、驚きと喜びの表情を浮かべた。特に、カレノフは大いに満足した様子で、リナを称賛した。
「リナ、今夜の料理は素晴らしい。ベレニアの伝統を大切にしつつ、新しい味わいを加えている。まさに、ベレニアの豊かさを表現した料理だ」
カレノフの言葉に、外国からの使節団も同意した。彼らは、ベレニアの食文化の素晴らしさを讃えた。リナは、自分の料理が国の魅力を伝える役割を果たしていることを実感し、喜びに満たされた。
晩餐会が終わり、賓客たちが去った後、カレノフはリナを呼び出した。
「リナ、今夜の晩餐会は大成功だった。外国からの使節団も、ベレニアに良い印象を持ったようだ。これも、君の料理のおかげだ」
カレノフの言葉に、リナは恐縮しつつも、誇らしさを感じた。
「ありがとうございます、閣下。私は、料理を通じてベレニアの魅力を伝えたいと思っています」
「そうだな」カレノフは頷いた。「料理は、時に言葉よりも雄弁に物事を語る。国と国との関係も、料理を通じて深まることがある」
カレノフの言葉は、まるで料理が外交の道具であるかのように響いた。リナは、料理の持つ力の大きさを改めて認識した。
厨房に戻ったリナは、ミコに声をかけた。
「ミコ、今日の晩餐会、どうだった?」
「シェフ、素晴らしかったです!」ミコは興奮気味に答えた。「でも...」
「でも?」リナは尋ねた。
「晩餐会の前に、例の特別な指示があったんです。カンにある種のハーブを加えるように、と」
リナは驚いた。カンに、聞いたことのないハーブを加える?それは一体、何のためだろう。
「そのハーブは、料理になじむものだった?」リナは尋ねた。
「いいえ、むしろ味を損ねるようなものでした。でも、指示には逆らえません...」
ミコの言葉に、リナは深い憂慮の念を抱いた。料理に隠された秘密。それは、一体何を意味しているのだろうか。
リナは、真実を解明するために、厨房の秘密を探ることを心に誓った。彼女は、料理人としての使命感と、真実を追究する決意を胸に、次の一手を考え始めた。
厨房には、まだ明かされていない秘密が隠されている。リナは、その秘密に迫るために、自らの料理の腕と、鋭い観察眼を駆使することになるだろう。そして、その秘密が明らかになった時、リナの運命も、大きく動き出すことになる。