第2話 魔法少女失格
喉が焼ける……息ができない。
魔法少女は酸素がなくても活動できるが、それでも生理反応はある。
息ができなければ苦しいのだ。大粒の涙があふれる。
女がそばに立っていた。
ひょろりと痩せて背の高い。色白い顔をした黒い長髪の女だった。
女はエリカの頭を足で蹴り、体を仰向けて視線を自分のほうへと向けた。
「こんばんは。百舌鳥門エリカさん。それとも魔法少女フリントロックちゃんとお呼びしましょうか。私はシキと申します。よろしゅう」
シキは全身を黒い外套に包んでいたが、わずかに見えるその中身、太ももが露わになったミニスカート。彼女もまた魔法少女だ。
「な……」
声がでない。
「うーん。『何者だ』でしょうか。それとも『何がどうなっているんだ』でしょうか」
シキは外套の中から、装飾の施された美しいライフルを取り出した。
「とりあえず、これでアナタの喉を打ち抜きました。肉と骨と血管を砕いて。これが本当の首の皮一枚の状態ですよ、ふふふ」
シキがクスリと笑う。
「な……」
二人の視線はしっかりと結ばれている。
シキは睨むでもなく、ただエリカがキチンと自分を見ているのかを確認しているようだった。そこには怒りも、愉悦も、興奮もなく、ああ、そうだ部活にいた後輩の指導を任された面倒見のいい、それでいて本心はそこまで他人に興味のない先輩。そんな落ち着いたトーンで話しかけていた。
「『な』は『なぜ』でしょうか。アナタは魔法少女同士の殺し合いを見たことがありますか?それはそれは本当に酷いものですよ。なんといっても私たちは丈夫にできている。なかなか死なないんですよ。腕をもがれて、脚を砕かれ、肋骨は砕かれ内臓もボロボロ。でも死なない。肉と骨がミンチになるくらいぐちゃぐちゃになるまで、やり合うのって悲惨ですよね。そんなのは見たくありません。だから、プロならば首を落とします。魔法少女といえども首が胴体から離れれば、体は動きません。あとは噛まれることにさえ警戒すれば、頭部なんてサッカーボールの代わりですよ、ふふふ」
シキはまたクスリと笑う。
「な……」
「やっぱり、『なぜ』でしょうか。少しは自分で考えて欲しいものですが、さすがに首を撃ち抜かれてすぐ冷静になれっていうのは酷ですかね。まーそれでもプロの基準で行けば失格ですが。首を撃ち抜かれた時点でアナタは死んだようなものです。私とアナタの格付けは済んだんです。分かりやすい形で教えてあげたのは、もちろん私の優しさです」
「あ……」
「まぁ、黙って聞いてください。先ほどプロといいましたよね。プロって何のプロだって思いませんでしたか。是非ここは疑問に思って欲しいところですね。それとも、もう答えが分かりましたか。なら、なおよしです。首切り役人といえば分かりますか、清掃係、お掃除当番。そんな呼び方もありますね。問題のある魔法少女を始末する部署があるって噂聞いたことありませんか?まー、ぶっちゃけると私たちがソレです。『なぜ、自分が』なんていいませんよね、現行犯ですから」
こんなところですべてがすべて終わってしまうなんて随分とつまらない。でも、それは自分らしいとエリカは思っていた。だから、生まれ変わりたいと思ったんだ。ああ、上手くいかなかったな。でも、そんなことが無理だってことも最初から分かっていた気もした。私の人生に正解ルートはあったのかな。
このシキという女は、本当に死神のような恰好をしているな。
死神ってのは、たしかその人が一番美しい時に、それ以上醜くなる前に殺しにくるのだっけ?
だったら嘘じゃん、全然嘘じゃん。私はどん底だし、死に様も最低だ。
どうせ殺すならもっと昔に……。
それはそうと私の生きている間には完結しなかったじゃん……アニメ二期も見たかったよ……。フォルテッシモが出てきてからが面白いのに……。ある死神が主人公の小説を想い浮かべる。
エリカは瞳にためた涙を頬に伝えた。
その涙に死神は何を感じているのだろうか。
「アナタの素行不良は以前から報告されてたんですよ。同地区の他の魔法少女さんとも全然連携を取ってないみたいですね。班長さんも困っていましたよ。そして小さな違反がいくつか。こういう兆候を分析して『悪さ』をする魔法少女を察知するのが、プロの技なんですよ。本当にこんなことは言いたくないですが、殺人はダメですよ、殺人は。たとえ相手が悪人だったとしてもです」
首の傷が少しづつ治癒しているのを感じる。
エリカは意識を集中し、神経の接続を試みる。
肉も骨も血管も後回しでいい。神経さえ繋げば、体が動く。
体が動けば、死神にだって一撃をぶち込むことができる。
こんなところで終わってたまるか……
反撃の機会を伺いながらも、エリカは一方で考えていた。
因果応報って奴? それにしたって早すぎだろ。
手に入れたお金だってまだ一円も使っていない。超高速の因果応報。
罪を犯す前から、罰が決まっていたような理不尽さ。
(いや、そうじゃない。)
私は、ラスコーリニコフが嫌いだ。
あの男は権利を求めた。正義を求めた。誰かの同意を求めた。
自分一人では老婆一人殺せない。特権がなければ法律も破れない。
神と呼ぼうか、世界の真理と呼ぼうか、社会システムと呼ぼうか、何だって良いさ。
彼は常に誰かの許しを求めていた。
本当にくだらない男だ。徹頭徹尾気に食わない。
エリカは無性に腹が立った。
自分だけは決してそうはならない。
私は、誰かの肯定を必要としない。何かを成し遂げるために他人の同意を求めない。
だから、本当は……この世界に『罪』なんてものは存在しない。故に『罰』もまた存在しない。
(殺られる前に殺る。必要なのはチャンスだけ……)
「はじめて人を殺すというのに、全く呼吸が冷静でしたよ。あなたほどの逸材は初めてかもしれませんね。最悪も最悪、魔法少女失格です」
ここでシキは何かを思い出す。
「ああ、そうだ。もう本当に終わっていますね、本当に」
シキはここで初めてエリカから視線を外した。
彼女が意識したのはもう一つのケース。
「ダメじゃないですか。アレを放置して帰るつもりだったんですか? たーとーえーばーですよ? もし子供がアレを見つけたら大変なことになるとか想像できませんか。野犬があれを咥えてどこかに持って行ってしまったら?」
シキはカバンに向かってゆっくりと歩み寄る。その様子は隙だらけで、エリカに背を向けて死角に入れることも厭わない。
(ははは、こんなに簡単にチャンスがやってくるなんて!)
喉からはごぼごぼと赤い血が流れ続けている。
嗤いはいらない。たった数ミリ指さえ動けば。
エリカの心に感謝すべき神様はいない。