ヘアスタイルの話
部屋の中にノートの上を走るシャーペンの音と、外から聞こえてくる雨の音が響く。
テスト週間ということもあり、夕食を済ませたあと、今は侑に教わりながら勉強をしている最中だった。
ふと顔を上げて、スマホを確認すれば、それなりに時間が経っていたことに気づく。
(……さすがに少し休憩するか)
1度集中力が切れてしまえば、脳が疲労していることを身体が自覚したのか、視界がぼんやりとしてきた。
糖分補給用にとローテーブルの上に置かれたチョコレートを口に含み、視線を対面に向ける。
「……」
そこには、完全に集中してしまっているのか、手を止めている晃晴の様子に気がつかず、ノートと教科書に視線を落としている侑の姿。
(声、かけない方がいいよな)
と言うよりは、ただ勉強しているだけなのに、その光景がどこか神聖なものに見えて、声をかけづらいのだ。
背筋はピンと真っ直ぐに伸びて姿勢がよく、真剣味を帯びた蒼い瞳、整った鼻梁や、桜色に色づいた形のいい唇や、時折挟まれる瞬きで分かるまつ毛の長さ。
それら全てが合わさって、目の前のなんでもない日常の一端が、まるで奇跡のように感じてしまう。
どれくらいそうして眺めていたのか定かではないが、さすがに集中力が切れたらしい侑が「ん」と小さく声を漏らし、顔を上げる。
目が合った侑が、ぱちりと瞬きをした。
「どうしたのですか?」
「あー……いや……」
まさかずっと見ていたとは言えず、晃晴はバツの悪い顔をして、言い訳を探す。
「……か、髪、今日はずっとまとめてるよなって思ってさ」
行き着いた先は、侑の髪型についてだった。
実は、侑は今日ずっと、いつもはおろしている髪をざっくりとした三つ編みにし、勉強の時は肩から前に流していた。
朝から気になりはしていたのだが、なんとなく聞く機会が見つからずに、咄嗟に聞いてしまったのだが、侑は特に疑問に思わなかったらしく、「ああ」と肩から垂れている髪に触れる。
「湿気とか雨で少し憂鬱な気分だったので、気分転換です」
「そうだったのか」
いつも通りおろした髪と運動時の時の低い位置での1つ結びしか見たことがなかったので、今の三つ編みは新鮮でついつい見つめてしまう。
それを不安に思ったのか、侑が眉を下げた。
「……もしかしてどこか変でしたか?」
「あ、いや。違う。ちょっと新鮮だなって思って見てただけだ。ちゃんと似合ってる」
「よかったです。2度とこの髪型出来ないところでした」
「んな大げさな……」
なんだかやたらと安心した様子で微笑む侑についつい苦笑してしまう。
すると、侑は自分の髪を摘み、三つ編みに視線を落としたと思ったら、ちらり、とこっちをうかがってくる。
「……その、晃晴くんはどんな髪型が好みなのですか?」
急に問われて、晃晴は思わずぱちりと瞬く。
「俺? ……考えたこともなかったな」
「そ、そうなのですか……」
なぜかちょっとガッカリしたように見えなくもない侑に、ふむ、と考えてみる。
(……でも髪型って言われてもな)
そもそも男のヘアスタイルにすら明るくないのに、異性のヘアスタイルの名前なんてパッとは出てこない。
あれこれ考えた結果、
「結局本人に似合ってるかどうかだと思うから、どれが好きとかは分からないな。侑ならなんでも似合うと思うし」
「あ、ありがとうございます」
思ったことを口にすると、侑が照れたように視線を泳がせた。
「あ、髪と言えば、もう1つ前から聞きたいことがあったんだけど」
「……なんですか?」
「侑ってその髪が目立つから、色々と厄介ごともあったと思うんだけど、髪、染めようとは思わなかったのか?」
「思わなかったことはないのですが……」
侑が三つ編みの先端を弄ぶ。
「蒼い目に黒髪だと逆に目立ちそうだったので」
「……あー」
言われてから、その通りだと気がついた。
それが茶髪だろうと、蒼い瞳はきっと浮いてしまうだろう。
(さすがにカラコンを常に付けておくわけにもいかないだろうしな)
そんなことを考えていると、侑が「それに」と微妙な顔をして呟く。
「……少しでも染めるのをサボると、地毛が白いので白髪みたいになりそうで嫌だったので」
「……ふぐっ!」
予想外の理由につい吹きそうになってしまい、咄嗟に堪えた。
しかし、我慢しようとすればするほど、笑いが込み上げてきて、晃晴は腹を抑えて痙攣したように笑いを抑え続けることになってしまう。
「そ、そこまで笑わなくてもいいではないですかっ!」
「わ、悪いとは思ってるけど、変なツボに入ってさ……!」
「もうっ」
眉を吊り上げる侑を前に、しばらくそのまま笑いが収まるまで引き攣り笑いを繰り返していると、ようやく落ち着いてきた。
「悪い悪い。不意打ちだったからさ」
「……でもそんなに笑うことではないと思います」
さすがに笑い過ぎたのか、侑はすっかりむくれてしまっていた。
「まあ、せっかくの綺麗な髪なんだし、理由はともかく染めなくてよかったと思うぞ」
「……晃晴くんは私の髪を綺麗だと思ってくれているのですか?」
「ああ。そりゃ、まあな」
「……やった」
「え? なんて言った?」
「なんでもないですよ」
さっきまでふてくされていたのに、すぐに機嫌を直し、嬉しそうになった侑に、晃晴が首を傾げていると、着信音が鳴り響いた。
反射的にスマホの画面を見て、「げ……!」と頬を引き攣らせてしまう。
そこに表示されていた名前は自分の母親である瑞穂。
無視をしたいところだが、そうはさせまいと着信音はいつまでも鳴り続ける。
恐らくこっちが電話に出るまで切れることはないだろうと、なんとなく悟った晃晴は、ため息をついてから、潔く通話を繋いだ。




