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小さな傘の下で

「……私、怒られても仕方ないと思っていました」


 降りしきる雨の中、小さな傘の下で、お互いの腕が当たり、体温がしっかり伝わってくるほど近くにいる侑がぽつりと零す。


 一瞬なんのことかと思ったが、すぐになにが言いたいのかということに辿り着く。


「咲のことか?」

「はい。それくらいのことをしてしまったわけですし……」

「……侑は心鳴が大切な友達だから自分に出来るアドバイスをしただけだろ?」


 こくん、と侑が小さく頷く。


「咲だって心鳴のことが好きで、大切なんだよ。あいつはその大切な人のことを想ってくれてる奴のこと、怒ったりするような奴じゃない」

「……そうですね」


 侑が口元に笑みを湛え、見上げてくる。


「晃晴くんの友達ですものね」

「……そんな奴だから、怒らないって分かってながら、勝手に喋った俺が言えることじゃないけどな」


 くすぐったい視線と言葉にはあえて触れず、話を逸らすように口にする。


「晃晴くんは若槻くんのことをとても信頼しているのですね」

「……まあ、さすがに信頼してないなんて言えないだろ」


 期間は短いながら、それだけのものを積んできたのだから。


「なんだか羨ましいです」

「なにがだ?」

「晃晴くんから信頼してるとハッキリ言ってもらえるのとか、そういう関係性が、です」

「なんだそんなことか」


 平坦な返事をすると、そんざいに扱われたと思ったのか、侑がむっとする。


 晃晴はちらりと侑を一瞥しつつ、軽く鼻を鳴らして視線を前に戻す。


「1番信頼してるのはお前に決まってるだろ」

「……っ!」


 隣から息を吞む音が聞こえてきたと思ったら、横目で侑が立ち止まったのが見えた。


 怪訝に思いながら振り返ると、そこには顔を赤くして、俯き気味になりながら、唇をきゅっと引き結ぶ侑の姿があった。


「おい、濡れるぞ」


 一向にこっちに来ようとしないので、仕方なく晃晴の方から侑の方へ近づき、傘の下に入れる。


「……やっぱり晃晴くんってそういうところがズルいと思います」

「度々それを言われるけど、俺にはさっぱり分からないんだけど……っと」


 話している途中で後方から傘を差した自転車が近づいて来ていることに気がついたので、晃晴は侑の肩を掴んで胸元に引き寄せた。


 侑は突然のことに目を白黒とさせながら、胸の中でぎしりと身体を強張らせる。


 自転車が通り過ぎたところで、侑の身体を解放すると、ようやく晃晴の行動の意味を察した侑が、「あ、ありがとうございます」とまた頬を赤く染めながらぺこりと会釈してきた。


「……やっぱり晃晴くんはズルいです」

「だからなにがだよ」

「なにがって、その……色々ですっ! ……って、あれ?」


 不満をありありと宿した蒼い瞳でこっちを見上げていた侑が、なにかに気がついたように声を上げる。


 侑の視線から逃れるように咄嗟に右肩を捻り、死角へと隠したが、どうやら遅かったらしい。


「もしかして、ずっと私を濡らさないように傘を少しだけこっちに寄せてくれていたのですか……?」


 侑の視線は、びしょ濡れになった晃晴の右肩に注がれている。


 学校からここに至るまで、こうして相合傘で歩いてきたわけだが、やはり折り畳み傘では小さ過ぎて、少々無理があった。


 かと言って、あまり密着し過ぎるのも悪いと思った晃晴は、侑がこっちを向かないタイミングを狙って、こっそりと傘を侑の方に寄せていたのだった。


「そりゃ、普通はこうするだろ」

「……ありがとうございます。けど、それで晃晴くんに風邪を引かせてしまうことになったら申し訳ないですよ」

「肩が濡れただけで風邪なんて引くわけないだろ」


 大げさなもの言いをしながら、申し訳なさそうにしている侑に思わず苦笑を漏らす。


「そうかもしれませんけど、気づいてしまった以上は続けさせるわけにはいきません」

「仕方ないだろ。傘は小さいんだし。俺が傘を貸したから、今こうして侑のを使わせてもらってる立場なんだから」


 自業自得だ、と肩を竦めると、侑は少しだけ迷ったような素振りを見せてから、


「これなら問題ありませんよね?」


 ピタリ、と晃晴の身体に身を寄せてきて、澄まし顔でこっちを見上げてきた。


 突然の侑の行動に、今度は晃晴が身体を強張らせてしまう。


「い、や……お前、これはさすがに、さ……」

「こうでもしないと、身体が収まり切りませんから」

「けど……」

「これは私のわがままみたいなものなので、晃晴くんが本当に嫌ならやめます」


 わがまま、と言われた瞬間、晃晴の中から断るという選択肢が萎んで消える。


 侑がそれを苦手にしていることはよく分かっているし、この場合はどう考えても侑の意見が正しいと思ってしまったのだ。


 それに、いかにも澄まし顔で平静を装っているように見えるが、侑の蒼い瞳が羞恥からか、少し揺らいでいるのを見てしまえば、男の晃晴が狼狽え続けるなんてみっともないだろう。


「……帰るか」


 諦めたように、晃晴も少しだけ侑の方に身体を寄せれば、自分のものより少しだけ低い体温とふわりと甘い匂いがより確かに伝わってくる。


「はい」


 さっきまで晃晴の言動にドギマギさせられていた侑は、ようやく仕返しが出来たと言わんばかりに、満足そうに微笑んだ。


「……けど、心鳴ちゃんが若槻くんに気持ちを聞くという問題はなにも自体は解決していませんよね」


 再び歩き出してしばらく経った頃、雨音に混じって、そんな呟きが聞こえてきた。


「……まあな」


 自分たちが咲に怒られなかったからと言っても、結局、テストが終われば心鳴が咲にどう思っているのかを聞くというのは、心鳴の性格上、ほぼ確定事項なのだから。


 肯定してみせてから、侑が不安気に眉を落としているのを見て、晃晴は口を開く。


「あいつなら逃げずに向かっていく。少しずつでも前に進むって言ってたからな」


 自分のことを臆病者みたいに言ってはいるが、自分で言ったことを曲げるような人間ではないと、晃晴は思っている。


「だから、咲のことを信じよう」

「……はい」

 

 安心させるように口角を上げてみせれば、侑もまた、ほんのりと小さく笑ったのだった。

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