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カミングアウトを受けた2人は

 その後、咲と別れた晃晴は部屋の前に戻ってきた。


 娯楽施設を出た時は夕日が滲んでいた空には、もうすっかり夜の色が混ざり始めている。


 鍵を開けて部屋に入れば、食欲をそそる匂いが漂ってきていた。


 匂いに誘われるように、晃晴がリビングへの扉を開けると、侑がエプロン姿でキッチンに立っていた。


 フライパンに視線を落としていた侑が顔を上げ、ふわりと微笑む。


「お帰りなさい、晃晴くん」

「ただいま。それ、なに作ってるんだ?」

「麻婆豆腐ですよ。他に付け合わせで中華スープとサラダを作ろうかと」


 夕食の献立を聞いた途端、身体が空腹を思い出して、晃晴の腹が大きな音を立てる。


 そんな腹の虫の音を聞いた侑は、一瞬だけ目を丸くしたのち、くしゃりと笑う。


「今日1日ずっと動いてたようなもんだからな。そりゃ腹も減る」

「ふふふ、すぐに出来ますので待っていてください」

「いや、ゆっくり作ってくれ。それで怪我でもさせたら悪いし。俺はシャワーでも浴びてくるから」


 言いつつ、寝室に荷物を置き、部屋着を持って浴室へ足を運ぶ。


 シャワーで汗を流してから、リビングに戻ると、もう既に料理が完成間近だった。


「急がなくていいって言ったのに」

「晃晴くんが帰ってきた時にはもうほとんど出来ていたのですよ」

「そうだったのか。そりゃタイミングがよかったな」

「それに、あまり待たせて、またお腹の虫が抗議してきたら困りますから」


 からかうように、いたずらっぽく笑い、冗談を言ってくる侑に、晃晴は「……悪かったな」とぶっきらぼうに呟く。


 もちろん、それが冗談だと分かっているので本気で怒っているわけではない。


 むしろ、侑がそんな冗談を言うようになってきていることに感慨を覚えているくらいだ。


(最初に比べると、本当に色々と柔らかくなったもんだよな)


 まだ3ヶ月程度しか経っていないのに、態度や雰囲気、口調や表情などはもう別人と言ってもいい。


 まあ、出会ってばかりの頃は侑も晃晴を信用しておらず、警戒していたので、それは当たり前なのだが。


 晃晴は最初の頃を思い出し、しみじみとしながらローテーブルの前に座って、並べられた料理を食べ始める。


「そう言えば、心鳴ちゃんが晃晴くんたちが遊んでいるのを見て、今度自分も行きたいって言ってましたよ」

「別にいいけど、さすがにもう色々と片付けてからになるだろうな」

「そうですね。特に晃晴くんや若槻くんは勉強に練習と大忙しですから」

「まあ、頼ってもらえたんだから手は抜かない。もちろん、勉強もな」

「……頑張っている晃晴くんはカッコいいですけど、あまり無理し過ぎないでくださいね」


 会話の途中で侑がふと、食事の手を止めて心配そうに見つめてきた。


 恐らくだが、晃晴が熱を出した時のことを思い出しているのだろう。


「ん、大丈夫だ。同じ失敗はしない。ちゃんと自分の力量の範囲内で出来ることをやってくから」

「……はい。応援しています」

「ああ、ありがとな」


 侑の安心したような笑みに、晃晴も微笑みを返す。


 心配をかけたのは申し訳なく思っているが、晃晴は実は、あの失敗で肩の力が抜けたような気がしていた。


 今だって、きちんと自分の力量を把握した上で研鑽を続けつつ、前にはなかった余裕すら感じている。


 だから、侑の心配にも、自信を持って大丈夫だと言い切れるのだった。


 お互いに止まっていた食事の手を再開し、ローテーブルの上の皿がほとんど空になった頃。


「あの、晃晴くん」

「ん?」

「晃晴くんも、その……心鳴ちゃんたちのお話を聞いたのですよね」

「……ああ、聞いた」


 真剣な面持ちで、おずおずと切り出してきた侑に頷き返す。


「まさかあの2人が付き合っていないなんて、驚きでした」

「……普通は予想出来ないだろ。こんなの」

「そうですよね。2人とも凄く仲がいいから、付き合っていないと言われても……正直まだ、信じがたいです」

「……心鳴はなんて言ってたんだ?」

 

 問いかけると、侑は少し迷った素振りを見せ、きゅっと唇を引き結んだ。


 勝手に話してもいいのか、躊躇いがあるのだろう。


 しかし、結局話すことを選んだようで、罪悪感からか少々バツの悪そうな顔をして、口を開く。


「……恋を知りたいと、言っていました」

「恋を……?」


 思わず眉根を寄せ、怪訝に侑を見る。

 

「それは、恋をしてみたいとは別の意味なんだよな、多分」

「はい。……多分」


 なんとなく心鳴の性格上、恋をしてみたいなんて言わなそうであるし、言うにしても遠まわしな言い方はせずにストレートにものを言うだろう。


(ってことは、言葉通りの意味なんだろうけど)


 それにしたってまるで言葉の真意が読めないが、晃晴目線では、それは当たり前のことだった。


 実は侑は、心鳴が自分が人を好きになって、変わっていく姿を見て、そこまで人を急激に変えてみせるものを知りたくなったから、という理由を聞いている。


 侑が恋愛のアドバイスを求めても、侑がどれだけ真剣に想っているのかを知っているからこそ、本当に上手くいってほしいからこそ、適当なアドバイスなんか出来ないから、偽カップルのことを打ち明けたと本当の理由も聞いている。


 聞いたことを全て話してしまえば、侑の気持ちが晃晴に伝わってしまうので、侑は心鳴が言っていた恋を知りたいということだけを伝えることにしたわけだった。


 従って、嘘をつくことと勝手に話すことに罪悪感を覚えていた。


 しかし、勝手に話すことを選んだのは、侑が心鳴と咲のことを友人だと思っているので、力になりたいと思ってのことだ。


「……心鳴は咲のことをどう思ってるんだ? それは聞いたのか?」

「嫌いではないけど、恋をしたことがないから、これが恋愛感情なのかよく分からないと」

「咲の言ってた通りか……」


 本人としては不本意だろうが、予想は当たっていたらしい。


「……逆に、若槻くんは心鳴ちゃんのことをどう思っているのでしょうか。晃晴くんはなにか聞いていたりしませんか?」


 聞いている。


 確かに聞いているのだが、心鳴と違って、咲は自分の気持ちを誤魔化しようがないほどに伝えてきているので、それを勝手に伝えるのはさすがに憚られてしまう。


 だが、侑からは心鳴の気持ちを聞き出しておいて、自分の方はなにも言わないなんてどうにも卑怯な気がしてならない。


 どっちを選んでも罪悪感が残ること間違いないが、


(……咲、悪い)


「……好きだって言ってたよ」


 晃晴は黙っておく罪悪感よりも、勝手に話すことの罪悪感を選んだ。


 言い訳に過ぎないかもしれないが、晃晴だって侑と同じように咲と心鳴のことを案じているのだから。


 伝えると、侑は蒼い瞳を少しだけ見開いた。


「小さい頃からずっと好きで、その相手と偽とはいえ付き合えるんだから、この関係が都合がよかったって」

「そう、だったのですか。……なにか、私たちで力になれることがあればいいのですけど」

「……そうだな」


 (けど、いくら友人だからって、部外者の俺が横からとやかく言うのはな……)


 それは晃晴がやられたら嫌なことで、それが分かっているからこそ、咲も心鳴も侑とのことを必要以上に言ってこないのは分かっている。


 ならば、自分もそれを人に対してやるのは違うはずだ。


 ただ、力になりたいと思う気持ちも強い。


 咲と心鳴が自分たちを助力してくれている恩だってある。


 侑だってきっと同じ気持ちだろう。だからこそ、力になりたいと口にしているのだろうから。


(でも、やっぱり頼まれてもいないことを俺たちが勝手に色々とやるのは、ただの自己満足だ)


 人が望んでいないことを、せっかく、なんて枕詞をつけて、こちら側の考えをさも正しいと言わんばかりに押し付けるようなことはするべきではない。


「今の俺たちに出来るのは、勝手に動くことじゃなくて、あいつらが頼ってきたら力を貸してやることだけだと思う。今は見守ろう」

「……そう、ですよね」


 優しく諭すように微笑むと、侑がしゅんとした感じが残ったままの微笑みを浮かべ、突然「あ……!?」と声を上げた。


「な、なんだ急に」

「私、心鳴ちゃんに若槻くんの気持ちを聞いてみたらと言ってしまったのですけど……どうしましょう……」


 今度は晃晴が目を見開く番だった。


「それ、今すぐやるって言ってたか?」

「い、いえ……今は勉強で手一杯だと言っていましたけど……」

「……なら、明日にでも俺から咲に話しとく。悪気はなかったんだしさ、気にするなよ」

「で、でも……」

「じゃあ、明日一緒に謝りに行くか? 俺も勝手に侑に話したこと、謝ろうと思ってたから」

「……はい」


 侑は顔を曇らせたまま、こくりと小さく頷いた。

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