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きっと今が

 今日からまた、いつも通り侑が部屋に来ると言うので、頼まれた食材を買ってから晃晴が部屋に戻ってくると、まだ侑は来ていなかった。


 エコバッグと鞄を置き、ネクタイを緩めると、不思議と息苦しさが抜けていき、自分がどれだけ肩肘を張っていたのかを再認識し、苦笑を零す。


 と言っても、誰かが話しかけにくる頻度は午後にいくにつれて減ってきていたので、この分ならなにもなければ週明けには落ち着くだろう。


「……まさかいつものスウェットに必要以上に安心感を覚えることになるとは」


 ひとりごちながら、鞄を寝室に置いたり、着ていたシャツを洗濯カゴに放り込んだり、ブレザーとスラックスがしわにならないようにハンガーにかけたりしながら侑を待っていると、


 ——ピン、ポォン。


 と、心なしか控えめに聞こえるインターフォンの音が鼓膜を揺らした。


 いつもなら侑が入ってくるのを待つところだが、なんとなく迎え入れる為に玄関へ赴く。


 リビングと玄関の中間くらいに着いたところで、玄関がゆっくり開けられていき、


「……あ」


 扉の影から顔を覗かせた侑と目が合った。


 ——ぱたん。


 そして侑は部屋の内側に入ることなく、なぜか扉を閉めた。


 想定外の反応に晃晴が思わず固まったまま、立ち尽くしていると、再びゆっくりと扉が開いていく。


 まるで小動物が警戒するかのように、侑が扉の影から顔をひょこっと覗かせ、こっちをじっと見つめてくる。


「……な、なんでいるのですか。そこでなにをしているのですか」

「ここ俺の部屋だろ。出迎えようと思ったんだよ」

「……いつもは迎えになんて来ないのに、どうして?」

「え? なんとなくだけど。……気になるなら先リビングに引っ込もうか?」

「い、いえ。すみません。大丈夫ですので。少し驚いただけですので」


 今更なにを驚くことがあるのだろうかと首を傾げていると、侑が硬い声音で「お邪魔します」と呟き、靴を揃え、廊下に上がろうとして、


「——きゃっ!?」


 そんなに高さがないはずの段差に躓いた。


 咄嗟に近寄った晃晴の胸の中に、侑の身体がぽすんと収まる。


「大丈夫か?」

「だ、だ大丈夫ですっ、ああ、ありがとうございますっ」


 胸の中から見上げてきていた侑が顔を赤く染め、慌てて晃晴から距離を取った。


 そして、なぜか酷く緊張した様子でリビングに向かって歩き出す。


(手と同じ方の足が同時に出てるって、言わない方がいい、よな?)


 侑の後ろ姿を眺めていた晃晴はその様子を見なかったことにすることに決め、侑のあとを追った。


 2人してリビングに入ったはいいが、侑はなんだかぎこちないし、声をかけるかどうか迷う。


(だんまりで沈黙してる方が却って不安になるか)


 沈黙の方が居心地が悪いと判断し声をかけようとすると、侑が先に口を開いた。


「さ、さーて! 張り切って料理しちゃいますよぉー!」


 侑なりにいつも通りを演じようとしたのかもしれないが、不自然な棒読みは明らかに空回っている。


「今の侑、指とか切りそうだし、なんかデリバリーでも頼むか?」

「も、問題ありません! 大丈夫です! 身体が覚えていますので!」

「セリフはカッコいいけども」


 あまりに不安だ。

 

 本腰を入れて引き止めようかとも思ったが、むん、と食材を片手に気合を入れる侑を見てしまえば、そんな気概も消えて無くなってしまう。


 しかし、一抹の不安は拭えないまま、侑が調理に入ると、心配は杞憂だったと思い知らされた。


 作業を始めることで余計なことを考えずに済んだのか、普段通りの淀みのない手つきで、調理を進めていく。


 気づけば、ローテーブルの上には里芋の煮っ転がしやブリの照り焼き、具材が多めの豚汁などが並び始める。


 その頃には侑も時間が経ったお陰か、作業に集中したお陰かは分からないが、緊張も解け、部屋に来た時のぎこちなさが嘘のようにいつも通りに見えた。


「やっと落ち着いたな」


 あえてそこに触れると、侑はからかわれたと思ったのか少しむっとする。


 それを宥めるように晃晴は片手を挙げた。


 侑は依然としてむっとしていたが、こっちの表情の中に真剣なニュアンスを感じ取ったのか、怪訝なそうな顔へと切り替わる。


 決して蒸し返してからかおうとして、自分からその話題に触れたわけではない。


(……話すなら今か)

 

 晃晴は侑に話をするタイミングをうかがっていた。


 ただ、色々とごたごたが片付いたばかりで、今は落ち着いているとはいえ、侑も気持ちの整理がついていないように見える。


 その状況で更に動揺するようなことを話してもいいのかと悩むが、時間が経てば経つほど、話をしづらくなるだろう。


 わずかに逡巡し、意を決した晃晴は口を開く。


「実は話があるんだ」

「話……?」


 首を傾げた侑に、晃晴はゆっくりと大きな深呼吸をしてから、切り出した。


「俺が熱を出した日。バスケの練習してた時にさ、姫川に——ひまりと会って、話したんだ」

「……え?」


 晃晴の口からその名前が出てくるとは思わなかったのだろう。


 数瞬ほどを間を置いてから、侑が遅れて反応を示す。


「それでさ……侑のこと、どう思ってるかも聞いたんだ」

「……っ!」


 侑は声こそ出さなかったが、息を呑み、肩は大げさにビクリと跳ねさせた。


 訪れた沈黙の中、侑が視線を落とし俯きがちになり、唇を浅く噛み締める。


 落とした視線の先では、ゆったりとしたロングスカートがぎゅっと握られ、しわが寄っていた。


 何度も、何度も、恐る恐るなにかを言おうとしては口を閉じて、繰り返した侑は、


「……ひまりちゃんは、なんと言っていたのですか?」


 やがて、怯えと勇気がない交ぜになった瞳を向けてきた。


 晃晴は真正面から逸らすことなく、その視線を受け止め、数秒ほど見つめ合う。


「その前にさ。聞いていいか」

「なにを、でしょうか」


 踏み込むのも、踏み込まれるのも怖い。


 ずっとそう思っていたし、これからもきっと、そう思うことは根本的には変わらないという確信が心のどこかにある。


(だから勇気が必要だった。でも、その勇気は既に侑から貰ったんだ)


 友達で、向き合いたいと、隣に並び立ちたいと願う相手だからこそ、ラインを越えないといけない場面がある。


 きっと今が、その時だ。


「侑の方は、ひまりのことをどう思ってるんだ。……仲良くしたいのか」

 

 再び、沈黙がこの場に顔を覗かせる。


 しかし、静寂はすぐに破られた。


「——仲良くしたいです。大切な家族です。血は繋がっていないけど、大切な妹なのです。だから、聞かせてください。ひまりちゃんの気持ちを」


 一言一言を区切り、はっきりと強調するように意志を示した侑に、晃晴は、


「……そっか。なら、この先は本人の口から聞かないか?」

「え……? で、でも、それは……」

「確かに、直接顔を合わせることになるのは避けられないし、俺は手を貸せない」

「……」

「俺に出来るのは、精々きっかけを作ることだけだ。……こればかりは、このことを解決出来るのは、侑とひまりだけなんだよ」


 無言で晃晴の言葉に耳を傾けている侑の瞳が揺らいでいる。


「焚き付けておいて、手は貸さないなんて身勝手にもほどがあるのは分かってる。だけど……俺を信じてくれ」


 身勝手に身勝手な言葉を重ねた晃晴は、ただ真摯に侑を見据えた。


「……ふふ。本当に、あなたは酷い人です」


 返ってきたのは、柔らかな微笑みだ。


「肝心な部分は丸投げ宣言しておいて、信じてくれなんて……おかしな話ですよ、本当に」


 浮かべられた微笑みからは熱と信頼が、確かに伝わってくるような気さえする。


「はい。私は晃晴くんを信じます。信じています。あなたが言葉で、行動で示してくれたから。1人にならなくても、怯えなくてもいいと伝えてくれたから」


 伝わってきた熱を受け取った晃晴は、微笑みを返した。


「……ありがとな」


 そうして、侑が作ってくれた料理を1日振りに堪能してから、晃晴は、舞台の準備を整える為に、とある相手に電話をかけた。

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