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誓い

 結局、晃晴が何度電話しても、メッセージを送っても、侑の方から返信がくることはなかった。


 部屋に戻ってきてからもしばらく返信を待ってみたが、一向にスマホが侑の名前を映し出すことはない。


(もう1回……)


 晃晴はスマホに手を伸ばし、


「……いや、やめとくか」


 恐らく、どれだけ連絡したとしても侑から返事が返ってくることはない。


 それに、さきほど心鳴から侑と一緒にいるらしいということと、とりあえず任せてほしいと連絡があった。


 なので、急いで連絡を取ろうとしなくてもいいのだろう。


(あいつなら悪いようにはしないだろうしな)


 晃晴は音を立ててソファに沈み込み、片手の甲側を額に付近に当て、天井を見上げた。


(……どうすれば)


 だらり、と力を抜いた体勢で目下の悩みに対する解決策を思案するが、これ、という案は浮かんでこない。


 晃晴がしばらくそのままの体勢でいると、ローテーブルの上に放っておいたスマホが着信を告げた。


 突然の物音に思わず肩を跳ねさせながら、慌てて画面を確認し、


「……なんだよ、咲か」


 落胆のため息をついた。


(まあ、さっきの今で侑から返信がくるわけないって分かってるんだけどな)


 それでも、やはり期待せずにはいられない。


 と言っても、咲も侑が距離を置こうとするメッセージをその場で見ていたので、タイミング的にこっちのことを気にしての電話であろうから、文句も言いづらかった。


 ふう、と嘆息し、通話を始める。


『……出るの遅かったけどトイレでも行ってたのか?』


 第一声から怪訝そうな、それでいていつもより潜められたような声音が耳元で響く。


 晃晴は少し考え、口を開いた。


「いいや。侑かと思ったらお前からで落胆してただけだ」

『めちゃくちゃはっきり言うじゃん。そういうの、普通隠さねえ?』

「ただでさえ気を遣ってそうだったからな」

『……バレてたか』

「そりゃタイミングとかトーンとかで察するっての」


 軽く鼻を鳴らすと、『そりゃそうか』と得心のいった呟きが返ってくる。


「で、本当に俺の様子を確認する為だけに連絡してきたのか?」

『まあ、それもあるけど……浅宮さん来ねえなら急に晩飯の当てが無くなって困ってるんじゃないかと思ってな』

「あー、考えごとしててすっかり忘れてた。食いに行こうって誘いか?」


 問うと、電話口からかさり、と紙袋のような音が聞こえてきた。


『残念。もう買って来てお前のマンションの前にいるから開けてくれってこと』

「……なるほど。すぐ開ける」


 エントランスのオートロックを開錠すると、咲が『お、開いた』と言って電話を切った。


 部屋の鍵を開け、LAINで鍵開いてるから勝手に入ってこいというメッセージを送っておく。


 程なくして、玄関の方からガチャリと音が聞こえてきて、紙袋を片手に持ち、デイパックを背負ったラフな私服姿の咲がリビングに入ってきた。


「なんか荷物多くないか?」

「ココの母さんから渡されたココの着替えとかだ。今日は浅宮さんの部屋に泊まるってさ」

「……そうか」


 安堵感から思わず口元がわずかに綻んだ。


「わざわざ悪いな」

「気にすんな。ちょうどこっちに来る用が出来たついでだ」

「ちなみに俺が飯食ってたらどうするつもりだったんだよ」

「漏れなくココの胃袋行きになります」

「それお前の分も食われてないか?」

「ポテト1摘みくらいは死守してみせる」

「弱えよ。彼氏としてのプライドを死守しろよ」


 ツッコミを入れると、ハンバーガーチェーン店の紙袋から中身を取り出していた咲が「さて」とこっちに視線を向けてくる。


「冗談はここまでだ」

「冗談?」


 向けられた視線の中に真剣な色を感じた晃晴は、胡乱な目で見つめ返し、咲の眼差しと言葉に応じた。


「お前浅宮さんのことどうするんだよ」


 投げかけられた問いに、リビングがしん、と静まり返る。


「……それなら、今考えてるところだ」

「考えてるって……お前な。まさか浅宮さんがこのままお前から距離を置こうとするのを黙って見ておくかどうかじゃねえだろうな」


 咲が目を細めて剣呑な目つきでこっちを睨む。


 対し、晃晴はなぜ睨まれているのかが理解出来ないという風に目をぱちりと瞬かせた。


「は? そんなわけないだろ」

「じゃあなにを考えることがあるんだよ」


 イラついたようなやや強めの問い詰める口調に、晃晴は眉を顰める。


(なんでこいつこんなにイラついて……あ)


 思考の途中で、咲と行き違いをしていることに気がつき、晃晴は頭の中で最後に浮かんでいた「あ」という文字をそのまま声に出した。


「もしかして、お前……俺が侑が距離を置こうとしてることを認めるか否かで悩んでると思ってるのか?」

「は? だからさっきからそう聞いてんだろ」

「……そういうことか」

「なんだよ。1人で納得してないで教えろよ」


 ぶすっと不機嫌そうに頬杖をつく咲に、晃晴は呆れたようなため息をついて返した。


「あのな、そんなもん俺が許すわけないだろ。そもそもの話、認める認めないなんて考えなかったっての」

「……どういうことだ?」


 咲がきょとんとした顔になり、問い返してくる。


「最初から助ける1択だったから、そもそも助ける助けないの選択肢すら思い浮かんでなかったんだよ、俺は」

「……なんだよそういうことかよ!」


 なにを言っているのか理解が追いついたのだろう、咲が声を上げた。


「心配しなくても俺が放っておくわけないだろ。というか、あいつも俺がこんなんで、はい分かりましたって素直に引き下がると思ってるのかね」


 再度、呆れたことを隠さないため息を盛大につく。


(自分が一緒にいたら迷惑がかかる、とでも思ってるんだろうな。……ったく、ずっと迷惑をかけっぱなしなのは俺の方だってのに)


「紛らわしい言い方してんじゃねえよ……通りであんま落ち込んでるように見えねえと思ったわ」


 少々疲れたようにジトリ、と咲が睨んでくる。


「いや、落ち込んでるのは落ち込んでる。俺のせいで侑があんなこと言い出したんだからな」


 自責の念に駆られてそう零すと、咲がなにを言うか迷ったように眉間にしわを寄せ、「悪い」と呟いた。


 下手なフォローをしても中途半端な慰めにしかならないと思ったのかもしれない。


「……それで、なにを考えてるって?」


 ドリンクに口をつけ、ふう、と息を吐いた咲が仕切り直しとばかりに聞いてきた。


「どうやったら侑を1人にしないって証明出来るか」

「証明?」

「ああ。口で言うだけなら誰でも出来るし、どうせあいつは言葉で言っても信じないだろ」


 だから、こうなってる。と続けると、咲が頷く。


「だから、言葉で言って信じないのなら、行動で信じてもらうしかないって思ってさ」

「なるほど。それでその方法を模索中ってわけか」


 合点がいったらしい咲に、今度は晃晴が頷き返し、ドリンクに口をつけて一息ついた。


「……それが出来なきゃ、俺は侑を1人にすることになる」


 ローテーブルの上に置いた拳をぎゅっと握り締める。


「そうなったら、侑は、また……誰にも気を許せない。信じられない。そんな状態で周りと壁を作って、この先も過ごすことになる」


 誰にも心を開くことが無くなった侑が作り笑いを浮かべ、誰もそのことに気がつかない。


 そんな姿が容易に想像出来てしまい、心が痛くなる。


「……俺が今、こうしていられるのは侑が手を伸ばしてくれたからだ」


 あの時、侑が友達になろうと言ってくれたから。


「また頑張ってもいい、前を向いてもいいって思わせてくれたからだ」


 主人公になりたいと思わせてくれたから。


「だから今度は俺が侑に手を伸ばすんだ」


 胸に覚えた痛みも、自分になんか出来るわけがないという自信のなさも、全部まとめて叩き伏せるように、


「——もう2度と、俺が侑を1人ぼっちになんてさせない」


 誓いを口にした。


「……そっか」


 静かに晃晴の言葉を受け止めた咲がふっと笑う。


「とまあ、カッコつけてみたところで、まだなにも思いついてないから、結果口だけなんだけどな」

「ま、飯でも食いながらその辺は一緒に考えようぜ」

「ああ。サンキュ」

「その前にちょっとトイレ借りていいか?」

「いいけど、ポテト完全に冷え切るぞ」

「持ってくる時点でそれはもう諦めてたんで」


 そう言い残して、咲はトイレに入って行った。






『——これで十分だろ?』

「うん。完璧完璧。ありがとね」

『気にすんな。オレも晃晴がどう思ってるか聞きたかったし。じゃ、切るぞ』


 通話を切った心鳴は肩越しに振り返る。


「で、ゆうゆは()()()()()()()まだ距離を取ろうって思える?」


 視線の先で、膝に顔を埋めて座っている侑が、そのまま首を横に振った。

 

 顔を隠していても、耳が真っ赤になっているのまでは隠し切れない。


(……ダメ、なのに……離れないと、晃晴くんに迷惑がかかるのに……)


 ——顔が熱い。


 ——鼓動がうるさい。


 ——嬉しい。嬉しい。嬉しい。


 溢れてくる感情が、涙となって零れ落ちる。


(……こんなの、おかしいですよ。ずるいですよ)


 胸が苦しい。

 

 けれど、離れようと決心していた時とは違う苦しさ。


 晃晴のことを想うと、どうしようもなく、幸せが満ちるような気分になる。


「晃晴だけじゃなくてさ。あたしも咲もゆうゆのこと友達だって思ってるから」


 侑がゆっくり頷く。


「だから、離れるなんて寂しいこと、もう言う必要無いからね」


 再び、侑がゆっくりと頷いた。

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