主人公は過去を眺める
お粥を作りに行く前に、侑が体温計を手渡してくれたので、晃晴は体温を測り出した。
ぼーっとする中、体温計が音を鳴らしたので、緩慢な動作で体温計を脇から取り出す。
「何度でしたか?」
音を聞きつけた侑が、冷蔵庫で冷やしていた冷却シートとペットボトルの水を持って戻ってきた。
「……38度ちょい」
誤魔化すかどうか少し考えて、前に侑に体温計を使った時のことを思い出して、晃晴は結局、素直に答えておいた。
隠してもこの電源を消しても直前に測った体温が表示される体温計を見せれば1発でバレるに決まっている。
「結構高いですね。……冷却シート貼るので、動かないでくださいね」
「……ん」
冷蔵庫で冷やしていたお陰か、通常より少しひんやりしている感覚に、目を細める。
「冷たい」
「熱以外に症状はありませんか?」
「……頭痛いし、身体怠いけど、多分熱のせいだから大丈夫」
自己申告をすると、侑はほんのわずかにホッとする。
(多分……風邪じゃなくてただの疲労だから、侑には移さずに済みそうだ)
晃晴もまた、心配をかけて悪いと思いつつ、そのことにホッと胸を撫で下ろす。
「ひとまず私はお粥を作りに戻りますので、横になって休んでいてください」
「……ああ」
侑が揺らす真っ白な髪を見送ってから、晃晴はベッドに倒れ込んだ。
翌朝になっても晃晴の熱は大して下がらなかった。
昨夜、侑が作ってくれたお粥を食べたあと、薬を飲んだお陰なのか高くはなっていないのだが、微々たる程度しか下がっていない。
「……ってわけで、今日は休む」
『オッケー、先生には言っとく。……ってか熱って大丈夫かよ?』
体温計を見て、昨夜から変わらず熱いままの息をついた晃晴は、すぐに咲に連絡を入れた。
「熱しか出てないから大丈夫だ。悪いな」
『や、熱が出てる時点でしかとか言える状況じゃねえよ。あとこのくらいメッセージでいいのにさ』
「……文面考えてメッセージ打つ方が労力なんだよ。だったら普通に話す方がマシだ」
『ま、確かにそんだけ口が回れば大丈夫か。あ、なんかココが代われって言うから代わるぞ?』
「……いいけど、大声出されると頭に響くから大声出すなって伝えてく——」
『もしもーし、こーせえ!? 大丈夫ー!? 生きてるー!?』
重要なことを言おうとした前に、電話を奪われたのか、耳元で炸裂した大声に、晃晴は咄嗟にスマホを耳から離す。
「……うるせえ。生きてるよ。今死にかけたけどな」
『あーなるほど。確かに声はしんどそうだけど、そんだけ憎まれ口聞けるなら大丈夫そうだね』
「……満足か? もう切るぞ」
『あいあーい』
心鳴の適当な返事を聞き終え、晃晴は通話を切る。
起こしていた身体を倒すと、リビングにいた侑が寝室に入ってきた。
学校がある日の朝や用事がある場合の休日の朝も侑には部屋に来なくてもいいと伝えてあるのだが、今日は晃晴の体調を心配して来てくれていた。
「聞いてただろ? 俺は休むから。朝からわざわざありがとな。もういいから、早く行かないと遅刻するぞ」
「はい。授業のノートは取っておくので」
「助かる、ありがとな。行ってらっしゃ——」
「それからお粥がお鍋の中に入っているので、もしお腹が空いたら食べてください」
「わ、分かった。行って——」
「あ、そうだ。スポーツドリンクもここに置いておきますね。お薬もちゃんと飲んでくださいね」
「……あのさ」
「はい。あ、なにか欲しいものでもあるのですか?」
頑なにその場から動こうとしない侑に、晃晴はつい苦笑してしまう。
「心配してくれてるの非常に伝わってくるし、それはありがたいんだけど心配し過ぎだ」
「は、はい。で、でも……」
「今だってこうしてちゃんと話せてるだろ? だから大丈夫だ。行ってらっしゃい」
「わ、分かりました。……行ってきます」
渋々と頷いた侑だったが、その様子からは後ろ髪が引かれまくっているのはありありと伝わってくる。
数歩歩いては立ち止まり、振り返りそうになるのを堪えを目の前で何度も繰り返されれば、誰だって分かるだろう。
ようやく寝室から姿を消し、玄関の扉が閉まった音がしたところで、晃晴はふっと浅く息を吐き出した。
「……ほんっと情けないな、俺は」
侑がいなくなった途端、晃晴の顔からは微笑みが抜け落ち、陰る。
零れ落ちたのは、昨日の夜から幾度となく繰り返した自責の念だった。
少し頑張っただけで熱を出してしまう自分に嫌気が差してしまう。
弱い自分が嫌でたまらない。
(……ま、急に色々やった俺が悪いのか)
どうすればいいのか分かっていないのに、焦ってがむしゃらにやったところで、主人公という漠然とした目標には近づけないだろう。
だからってなにもしないのは、それもそれで近づけやしない。
「……ままならないな。俺のことも。侑と姫川のことも」
熱があるせいでメンタルが弱ってダメな方向のことばかりを考えてしまうのだろう。
ひとまず早いところ熱を治す為に、晃晴は薬を飲むことにしたのだった。
——目の前に大勢の人間がいて、たくさんの出店が出ている。
浴衣姿だったり、私服姿の知らない人間が行き交っているこの場所は、晃晴の地元で毎年行われている夏祭りの会場だ。
いつの間にか、そんな祭囃子が鳴り響いている雑踏の中に晃晴は立っていた。
(——ああ。これは夢の中だ)
この花火大会がある時期は今から2ヶ月も先のことで、そもそも地元から離れている晃晴がここにいること自体がおかしいのだ。
(意味も無く、こんな夢を見るわけがない。……ってことは)
夢なのにやけにくっきりと映し出される景色の中、晃晴はある場所に向かって吸い寄せられるように歩き出す。
人と接触出来るのかは分からないが、なんとなく人にぶつからないように避けて歩き、土手を上がっていく。
土手を上がって、またしばらく進んでいき、晃晴は足を止めた。
(……やっぱり、いた)
晃晴が見つめる先に、土手から下の出店と雑踏の方を見下ろしている中学生くらいの少年がいた。
暗いせいで横顔までははっきり見えないが、なにかを探しているように、顔を横に動かし続けている。
少し躊躇ってから、更に近づいていくと、
——ひゅるるる。
と、どこか間抜けな音が周囲に響き、
——ぱんっ。
と、一瞬遅れて、夜空に大輪の花が咲いた。
ここの夏祭りの名物である花火が打ち上がったのだ。
誰も彼もが夜空を照らす花火を見上げ、見つめる中、晃晴だけは真っ直ぐに少年を見つめていた。
花火が咲き続ける夜空に目もくれずに、雑踏の中を無表情で見下ろす——中学生の晃晴を見つめていた。
目の前にいるまだ背丈も小さく、顔にもあどけなさが残っている自分が、彩られる夜空に照らされながら「……どうして」と呟いたのが、花火に照らされていた。




