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部屋に戻ってから

 またシュートを打ち続け、夜と言える時間帯になってから、晃晴はようやく練習を打ち切った。


 あれから、ひまりとはほとんど会話をしていない。


 精々、リングに弾かれたボールが相手の方に飛んで行ったら、ボールを取ってくれたことへの礼とその返事をする程度だ。


 それから、その場を解散した晃晴は駅に向かうことはせず、走ってマンションを目指していた。


 なんとなく、湧き上がる無力感に抵抗し、少しでも気を紛らわせ、すっきりしたかったのだ。


(今のまま帰ったら、絶対に侑に心配される)


 その悩んでいる原因が自分のことだと分かったら、きっと侑は自分が迷惑をかけてしまっていると思ってしまう。


 それだけは避けようと、わざわざ遠回りしたりしながら、ひたすらに走り続ける。


 やがて、疲れが溜まってきた頃、晃晴はマンションへと戻ってきた。


(これなら、様子が変でも疲れてるからって誤魔化せる)


 切らしていた息を整えつつ、部屋の前に立って、インターホンを鳴らす。


「——お帰りなさい、晃晴くん」


 すぐに、ほわりとした笑みの侑が玄関を開けてくれて、こっちの姿を捉えた瞬間、その蒼い瞳が大きく丸くなる。


「……ただいま」

「凄い汗ですね……」

「電車使わずに走って帰って来たからな。ついでにランニング済ませようと思って」

「そうなのですか。お疲れ様です」


 運動をする為にキツく結んでいた靴紐をしゃがんで解き、顔を上げる。


 すると、目の前には侑の小さな手のひらが差し出されていた。


 晃晴は差し出された手の意図が分からず、首を傾げながら、侑の手に自分の手を乗せる。


 走ってきたばかりなので、身体が火照っているせいか、指先からは自分の体温より低い、ひんやりとした感触が伝わってきた。


 なんとなく、そのまま侑の手の感触を確かめていると、侑がくすぐったそうに身じろぎ、顔をわずかに赤く染める。


「あ、あの……に、荷物を受け取りますという意味だったのですけど……」


 勘違いであることを告げられ、晃晴は数秒程度フリーズしてから、バツが悪い顔をした。

 

「……わ、悪い。忘れてくれ」

「ふふっ、晃晴くん……! ふふふ……!」


 晃晴が思わず視線を逸らしながら、手をそっと離すと、堪えきれなくなった侑がころころと声を上げて笑う。


 笑い声を受けた晃晴は、顔に熱が集まるのを感じながら、仏頂面を作り、大股でリビングへ。


 くすくすと笑う声と、ととと、という軽い足音も、すぐ後ろからついて来た。


「ごめんなさい、つい……! そんなに拗ねないでください」

「拗ねてない。汗かいてるから早く風呂入りたいだけだ」

「はい、そうですね。……ふふっ」


 またもや聞こえてきた笑い声に、晃晴は渋面を作り、手早く寝室から着替えを取ってきて、脱衣所へと逃げ込んだ。


(これはしばらく笑われるだろうな)


 侑は普段あまり声を上げて笑ったりしないのだが、今みたいに声を出して笑うと、中々収まらないのだ。


 侑はなにも悪くなく、完全に自分の失敗なので、恨むならさっきのミスをした自分を恨む他ない。


 火照った顔のせいか、出てくるため息も熱く感じる。


「ひとまず、笑いが収まりそうな時間を見越して上がるか」


 そう呟き、晃晴は汗で重くなった服をカゴに放り、浴室に足を踏み入れた。


 練習をするというのは伝えてあったので、侑が風呂を沸かしてくれていたようだ。

 

 その心遣いがとてもありがたい。

 

 湯船に浸かる前に髪と身体をサッと洗い、浴槽に身体を滑らせると、心地のよい温かさが身体中を包み込む。


 ほう、と息を吐き、完全に身体から力を抜くと、疲れも抜けていくようだった。


 晃晴は浴槽の縁に頭を乗せ、天井を見上げるような形を取って、目を閉じる。


(……やっぱどう考えても俺じゃどうしようも出来ないよな)


 リラックスした頭に思い浮かぶのは侑とひまりのことだった。

 

 どうにも出来ないと分かっていても、力になりたいと願ってしまう。


「そもそも、侑の方は姫川のことをどう思ってるんだ……?」


 ぼんやりとしながら、ふとそんなことを思った。


 ひまりの方の気持ちは聞いたが、肝心の侑の方はどう思っているのを聞いていない。


 あの感じを見る限り、侑もひまりと仲良くしたいと思っていることは間違い無さそうだが、勝手な思い込みで決めつけるわけにはいかないだろう。


 聞いたところで、晃晴にはどうしようもないことには代わりはないが、もし動ける時が、侑から助けを求めて来るような時が来たのなら、動く為に準備をしておくに越したことはない。

 

(……ただそれを聞くのは侑を傷つけることになる)


 晃晴はしばらくうんうんと唸り続ける。


「……ダメだ。このまま考えてても埒が明かない」


 長風呂のせいなのか、考えごとを続けていたせいなのか、頭が痛くなっていて、どのみちこれ以上この場で考えるのは無理そうだ。


 気がつけば、入浴してからそこそこの時間が経っていた。


 そろそろ出ないと、侑が心配して様子を見に来るかもしれない。


 そのことに気がついた晃晴はふーっと長いため息を吐き出し、浴槽から立ち上がる。


「っとと……」


 その際、立ちくらみなのか少しぐらついてしまい、壁に手をついた。


「長く浸かり過ぎたか……?」


 やたらとぼんやりする視界の中、脱衣所に出て、億劫気味に身体を拭いて、服を着る。


 その簡単な行為でさえも、そこそこに時間がかかってしまった。


(なんか、風呂に入る前より身体重いような……?)


 首を傾げながら、リビングに出ると、侑がローテーブルに料理を並べている最中だった。


「随分と長風呂でした……ね……?」


 振り向いた侑が晃晴の顔を見て、怪訝そうに眉根を寄せる。


 と、思ったら近寄ってきて、おもむろに額に向かって手を伸ばしてきた。


「お、おい……なにを……」


 必然的に近くなる距離に、晃晴は距離を取ろうと後ろに下がろうとして、足をもつれさせて尻餅をついてしまう。


 一時的に侑と距離を取ることには成功したが、侑は真剣な表情で、晃晴の傍にしゃがみ込み、額に手を当ててくる。


「……やっぱり、熱がある」


 額に触れたまま呟く侑に「ぅぇ……?」と声にならない声を漏らす。


「多分、帰ってきた時からあったのだと思います。手を触られた時、凄く熱くて、走ってきたばかりだからかな、と思っていたのですけど」

「……そっか。通りでさっきから、頭痛かったりなんかぼんやりするわけだ」

「……とりあえず、ベッドへ行きましょう。肩、貸しますから」


 侑が支える為に寄り添ってきてくれるのに対し、晃晴は「……悪い」と零し、素直に寄りかかる。


 熱があると意識したせいか、余計に重く感じる身体を引きずって、どうにかベッドの縁に腰を下ろした。

 

「ドライヤー、お借りしますよ。ちゃんと髪を乾かさないと」


 晃晴に断りを入れた侑は1度寝室から出て行ったが、すぐに手にドライヤーを持って戻ってくる。


「そのくらい自分で……」

「いいから任せてください」


 やんわりとした口調だったが、瞳からは絶対に譲らないという意思がひしひしと伝わってきて、晃晴は仕方なく抵抗を諦めて、ため息をつきながら身体の力を抜いた。


 そのまましばらくされるがままになっていると、ドライヤーの音が止んだ。


「食欲はありますか?」

「……ある」

「そうですか。それなら、さっきのご飯をそのまま食べてもらうわけにはいかないので、お粥作ってきますね」

「……悪い。せっかく作ってくれたのに」

「気にしないでください。タッパーに詰めておけばいいことですし」

「また作らせる手間もかけさせてごめん」

「私は気にしません。晃晴くん、最近頑張っていましたし、疲れてたんですよ。……私はそっちの方が気になります」

「そっちの方がって……?」

「晃晴くんが頑張っているのは、私のせいですから」


 自虐を込めたような呟きに、晃晴はどうしようもなく自分を責めたい気分になって、グッと奥歯を噛み締めた。


 それから、すっと力を抜いて、微笑んでみせる。


「違う。せいなんて言わないでくれ。侑のお陰だ。侑がいてくれたから、俺はまた前に向かって進み始めることが出来たんだから。そこに感謝はあれど、迷惑だとか思ったことなんて無い」

「……はい」

「それに侑の為ってわけでもないんだ。そんな押し付けるようなこと言うつもりは無くて、俺が自分の為に、自分で自分に胸を張れるようになりたくて、勝手に頑張ってるだけだから。今回のことは、俺が自分の力量を見誤ってたんだよ」


 安心させるように微笑んだまま、重い身体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がって、侑の頭に手を乗せた。


「だから、そんな顔しないでくれ。……悪いんだけど、美味しいお粥、頼めるか?」

「……はい。もちろんです」


 静かに頭を撫でていると、俯きがちになっていた侑が顔を上げ、淡く微笑んだ。

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