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練習と真実

 しばらくシュートを打つことを続けていたのだが、さすがに集中力が切れてきて、晃晴は一旦手を止めた。


(ひとまず入るようにはなってきたな)


 打ち続けた甲斐あって、後半からはそこそこリングに掠らずにボールがネットを潜った数も増えたように思える。


 汗を拭いつつ、ベンチに置いていた荷物から財布を取り出し、ボロさが目立つが動いている自販機に向かう。


 適当にスポーツドリンクを購入し、口を付けると、思っていた以上に喉が渇いていたらしく、一息で半分近く飲み干した。


 ふうっ、と息を吐き出すと、同時にリングにボールが当たる音が聞こえてきたので、そっちに視線を向ける。


 視界の先で、転がっていくボールを小走りで追いかけていくひまりの後ろ姿が見えた。


 柔らかく揺れるミディアムの白髪を眺めながら、晃晴は財布から小銭を取り出し、スポーツドリンクをもう1本購入した。


「姫川」


 近づきつつ、呼びかけると、ひまりは肩をぴくっと揺らす。


 相手が振り向いたことを確認し、「ん」と持っていたペットボトルをひまりへと差し出した。


「え、あ、ありがと……あ、お金」

「このくらい別にいい」


 飲み物を渡し終え、ベンチに戻る為に踵を返すと「……ありがと」とぽそっとした響きが追いかけてきたので、片手を軽く挙げて応えておく。


 ベンチに腰を下ろしてすぐ、ひまりも練習を切り上げて、晃晴から人1人分ほど距離を空けたところに座った。


(さっきは感覚取り戻す為にミドルシュートを重点的にやったし、次はスリーポイントだな)


 空にぼうっと視線を投げながら、次の練習の方向性について考えていると、


「あのさ、日向。実はさっきから聞きたかったことがあるんだけど」


 手の中にあるペットボトルを弄びつつ視線を落としたまま、ひまりが声をかけてきた。


「なんだ?」

「……お姉ちゃんと付き合ってるの?」

「いや、付き合ってない。ただの友達だ」

 

 そう答えると、ひまりは少し納得がいっていない様子だった。


「ふうん。家まで送るくらいなんだから付き合ってるのかと思ってた」

「……俺、別に侑を送ってたわけじゃないぞ? というか雪さんから聞いてないんだな」

「聞いてって、なにが?」

「俺と侑、部屋が隣なんだよ」

「……え!?」


 眠たげだった蒼い瞳が見開きながら、「なにその偶然!?」と声を上げるひまりに苦笑を返す。


「マジでどんな確率だよ、って自分でも思ってる」

「お姉ちゃんが彼氏を作るなんてって思ってたんだけど、これで納得がいった。……でも、あのお姉ちゃんが友達、しかも男子と仲良くなってるなんて未だに信じられないんだけど……」


 ひまりが言葉通り信じられないものを見る目で、こっちを見てくる。


「しかもかなり信頼されてるっぽいよね」

「ま、まあ……そう、だな」


 自惚れになるかもしれないが、恐らく侑が1番信頼しているのは自分だと言っていいだろう。


 それを自分で認めるのはどうにも恥ずかしかったので、歯切れの悪い返事になってしまった。


「どうやってお姉ちゃんと仲良くなったの? 聞かせてよ」

「それは——」

 

 晃晴は、まだわずか1ヶ月程度でしかない、偶然に偶然が重なって始まった侑との出来事について、かいつまんで話していく。


 そんな創作染みた話を、ひまりは興味深そうに頷いたり、時折予想していなかったと言わんばかりに驚いたり、ただ相槌を打ったりしてくれた。


「まあ、それで、今も友達付き合いさせてもらってる感じだ」

「そ、そうなんだ。え、お姉ちゃんほんとにグーで顔いったの……?」

「そりゃもう横っ面を思いっきり」


 難しい顔をして考え込んでいるあたり、侑のことをよく知ってる身内からすれば、まったく想像がつかないのだろう。

 

 うーんと唸り声を出してから、結局納得するしかないと思ったのか、短く息を吐き出した。


「……でも、主人公を目指すって凄いね」

「自分で言っておいてなんだけど、主人公ってなんだよって感じだよな。正直どうやったらなれるのかも、どうすればいいのかもまだ全然分かってないんだよ」


 なんとなく右手を握ったり開いたりして、その手を見つめながら、続きを紡ぐ。


「だけど、こんな俺を信じてくれてる侑の為に、なにより自分が胸を張って侑の隣に立ちたいから、とりあえず、惰性で続けてた自己研鑽を前向きにしてみてるんだ」

「……辛くならないの?」


 聞き逃してしまいそうなほどの弱々しい声に、ひまりの方を見る。


 映した視界の先では、蒼色の瞳がゆらゆらと、戸惑いを宿して揺れていた。


「……お姉ちゃんは凄い人だって、わたし、よく知ってる。だから、その隣に立つってことの難しさもよく分かる。どうすればいいのかよく分かってないことを目標にして、努力し続けるのって怖くないの?」


 言い終えて、ひまりがきゅっと唇を結び、握られたペットボトルからくしゃりと音がした。


(そんな表情までよく似てるんだな)


 侑に似てると思ったからこそ、晃晴は侑に向けるように、柔らかく微笑みを浮かべる。


「それもよく分からない。まだやり始めたばっかだし、少なくとも、辛いとか怖いとかは思わない。……けど、今1つだけ、分かることがあるなら」


 晃晴は言葉を区切り、今までの弱くて逃げていた自分を思い返しながら、


「ここで逃げて、また前の自分に戻ることが、俺は怖い」


 自分の想いを口にすると、ひまりの瞳が分かりやすくはっきりと揺れる。


 それから、弱々しく笑った。


「うん、やっぱり凄いよ。日向は」

「……俺からも1つ聞いていいか」

「いいよ。なに?」


 晃晴はここまでの会話に、思うことがあった。


「この間マンションの前で会ったあと、侑が言ってたんだよ。私はあの子から嫌われているって」

「……っ」


 ひまりが息を呑み、肩を揺らす。


(俺の考えが間違いじゃないのなら)


 晃晴は、さっきまでの侑のことを聞いているひまりの表情を思い浮かべていき、


「姫川は、本当に侑のことが嫌いなのか?」

 

 確信を持った晃晴の問いに、ひまりはこれまででもっとも弱々しい微笑みを零した。


「——嫌いなわけ、ないよ」


 その呟きは、晃晴が考えていた通りの返答だった。


(やっぱり、そうだったのか)


 そもそも、嫌いな人間のことを聞いてくるのがおかしな話だ。


 もし本当に侑のことが嫌いだったなら、話題にすら挙げることはしないだろう。


「お姉ちゃんは昔からわたしの憧れだったんだよ。どれだけ努力をしてるかも知ってる。嫌いになれるわけないじゃん」

「それなら、どうして侑は自分が嫌われてるなんて思ってるんだよ」


 ひまりのことをあまり知らない晃晴でも、さっきのひまりの様子を見ていれば、嫌いだということが勘違いだということが分かる。


 それくらい、侑のことを聞いているひまりは楽しそうだった。


「……留学が逃げる為だって言ったの、聞こえてたよね」

「ああ」

「……わたし、お姉ちゃんのことが嫌いになりたくないから、自分から距離を取ったんだ」

「嫌いにって……どういうことだ?」


 たった今ひまりが言っていたこととは真逆の理由に、晃晴は眉根を寄せる。


「わたしって昔は引っ込み思案でとにかく自分に自信がなくて、目立つのが嫌な子だったんだよ。今も根っこはそうだけど」

「……そうは見えなかったけど」


 駅で会った時や、マンションの前で会った時の雰囲気は、少なくとも容姿のことで誰に見られても気にしない、という堂々とした雰囲気だったように思えた。


「まあ、そのあたりは中学生で親元を離れたから、多少は自立しないといけないし、見られることは昔からそうだったし、いい加減慣れたって感じで」

「あー、そういうことか」


 相槌を打つと、ひまりが「うん」と頷く。


「で、そんな引っ込み思案だったわたしの憧れがお姉ちゃんだったの」

「憧れって、さっきも言ってたよな」

「お姉ちゃんはわたしみたいにおどおどしてなかったし、元々要領とかもよかったんだけど昔から凄い努力家で、運動でも勉強でも、どんなことでもちゃんと結果を出してたんだよね」


 晃晴は黙ってひまりの話に耳を傾ける。


「だから、憧れたの。わたしもお姉ちゃんみたいになりたいって、お姉ちゃんの真似をして、色々と頑張ってみたりした」

「……」

「けど、なに1つ勝てないどころか、どんどん差が開いていって……」


 痛みを堪えるように、ひまりが胸元を片手で握った。


「わたしが努力して75点くらいを取ったら、お姉ちゃんは努力して90点を取るようなことが続いて、わたしは周りからお姉ちゃんと比べられるようなことが増えてきて……段々と苦しくなってきて」


 自分からそうなるようにしたのにおかしいよね、とひまりが続けて零す。


(それは、辛いだろうな)


 容姿が似ていて、家族で、憧れて努力を始めたのに、その努力を周りから比較される。


 近くにいたからこそ、余計にその差をはっきりと分かってしまったのだろう。


「褒められたかったわけじゃないけど、少しはお姉ちゃんの下位互換じゃなくて、姫川ひまりとして見られたかった」


 ひまりの痛切な表情に、晃晴はなにも返すことが出来ない。


 ただ、ひまりが言葉を紡ぐのを待つことしか出来なかった。


「そんな想いを抱えたまま、中学生になって、わたしはバスケ部に入部したの。身体動かすの、嫌いじゃなかったし」

「そうか」

「そのまま1年が経とうとした時くらいに、気になる人が出来たんだ」


 ひまりが言うには、その相手は男子バスケ部の同級生だったらしい。


「なんとなく仲良くなって、少しずつ気になってきて、もしかしたらこの人なら自分を見てくれるんじゃないかって、淡い期待をしてさ……」

「……どう、なったんだ」

「その人、お姉ちゃんのことが好きで、お姉ちゃんと話すきっかけの為に、わたしに近づいてたってことが、分かったんだ」


 たまたまその相手が部活仲間か、誰か友達と話しているのを聞いてしまったから。


 そう告げられ、晃晴は言葉を失ってしまう。


「頭の中が真っ白になって、わたし、お姉ちゃんのことを嫌いになりそうだった。だから、嫌いにならない為に、自分から距離を置くことにしたの」

「それで、留学を……?」

「そういうこと」


 その距離を置いたことで、侑は、自分が嫌われていると思い、侑もひまりから距離を取ることになった。


(なんだ、それ)


 勘違い、すれ違い。


 侑とひまりを隔てているものは、つまるところ、それらが積み重なったものだ。


 しかも、時間が経って、更に強固な壁となり、2人の間に立ち塞がっているものだった。


「つまり、さ。日向が目指しているものって、形は違うけど、わたしも目指そうとしてたものなんだよ」

「え?」

「浅宮侑に追いつくこと」

「……っ!」


 言われて、晃晴はハッとした。


 確かに、晃晴が今やっていることは、かつてのひまりがやっていたことの繰り返しなのかもしれない。


「だから、折れることの方が怖いって言い切れる日向は凄いと思う」

「……姫川は、侑と昔みたいに仲良くしたいと思わないのか」

「……思うよ」

「だったら……」

「けど、わたしから距離を取ったのに、今更どんな顔をして話せばいいの? そんな都合のいいこと出来っこないよ」


 話せばいい、と無責任に言おうとして、その前にひまりに遮られてしまう。


「……悪い。無神経だった」

「ううん。……そろそろ練習再開しよっか」


 ひまりがボールを拾い、ゴールに向かって歩いていく。

 

 晃晴はぼんやりとその後ろ姿を眺めながら、


(俺がこのことを勝手に侑に言うのは、ダメだよな)


 それをしたところで、根本的な解決にはならないし、余計に拗れる可能性だってある。


 そもそも侑が助けを求めてきていないのに、プライベートなことに首を突っ込み、助けようとするのはただの押し付けがましい、独善的で身勝手な行為だろう。

 

 すれ違いだということが分かったのに、動けないのがひたすらに歯痒かった。


 ひまりの想いを知ったところで、結局この件で自分に出来ることはない。


 そんな無力感に苛まれつつ打ったシュートは、ロクにリングを潜ることはなかった。

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