デートの終わりに波乱と出会う
それから、侑と晃晴はお土産コーナーを見て回り、水族館をあとにして、昼食を済ませる為に近くの定食屋に入ったところだった。
手の中には咲と心鳴へのお土産と晃晴の部屋の合鍵に付ける予定だというイルカのキーホルダーと侑が悩みに悩んで選んだペンギンのぬいぐるみがある。
どうやら、晃晴がプレゼントしたペンギンのぬいぐるみに仲間を作ってあげたかったらしい。
「美味しいですね」
和食定食を頼んだ侑が、蓮根の豚肉挟み揚げを口にして、頬を綻ばせる。
「ああ、そうだな」
晃晴も頼んだハンバーグ定食を食べながら、素直に頷いた。
(美味いは美味いけど、なんか物足りない気がするんだよなぁ……)
咀嚼を繰り返しながら、その理由がなんとなく思い浮かんだ晃晴は、嚥下してから口を開く。
「なあ、侑」
「はい。なんでしょうか?」
「今日の晩飯、ハンバーグがいいんだけど」
「え? ……今食べてるではないですか。好物だからってそればかり食べては身体に悪いですよ」
侑が怪訝そうにしながら呆れの色を滲ませる。
「や、そうなんだけどさ。なんて言うか……」
そこで言葉を区切ると、晃晴は少し周りを見回して、誰もいないことを確認してから、念の為に声のボリュームを落としながら、呟いた。
「……多分、侑の作ったやつの方が美味いんだろうなぁって思ったら、なんか物足りなくてさ」
晃晴の小声を受けた侑は、言葉を受け止めるように何度かぱちぱちと目を瞬かせ、
「もう。そんなことを言ってはお店の人に失礼ですよ?」
困ったようでいて、満更でもなさそうに微笑んだ。
「ダメか?」
「ダメではないですよ。そう言ってもらえて嬉しいです。それなら、ご期待に添えるかは分かりませんけど、今日は晃晴くんの要望通りハンバーグにしますね」
「マジかやった」
言ってみるもんだな、とガッツポーズをしてみせる晃晴を見て、侑が「大げさですねえ」とくすくす笑う。
このあとの楽しみを得た晃晴は、物足りないと評したハンバーグを一気に頬張り、侑から「よく噛まないとダメですよ」とお叱りの言葉を受ける羽目になるのだった。
「それで、このあとだけど……侑?」
定食屋を出て、このあとの予定を立てようと街を歩いていると、侑が立ち止まってなにかを見上げていることに気づいた。
少し空いた距離を埋め、隣に立ってから、晃晴は侑が見上げている方に視線をやる。
「……映画、観たいのか?」
視線の先にあったのは映画の広告と、映画館の看板だった。
声をかけられた侑がこっちを見ることなく、口を開く。
「……実は映画館には行ったことが無くて」
「雪さんなら引き摺ってでも連れて行ってそうなもんだけどな」
「観たい映画の好みもありますし、私も行きたいと主張することはなかったので」
行きたいと言うことすら、その頃の侑にはワガママ認定だったのだろう。
晃晴としては侑が望んでいる場所に連れて行くことはなにも問題はない。
(荷物もあるし、観たい映画が明確にあるわけでもないのがちょっとな)
もちろん、コインロッカーにでも手に持っているお土産の類を入れて、行き当たりばったりで観たいものを選ぶという選択がないわけではない。
ただ、その考え方を侑が選ぶとは思えなかった。
「……今から映画はどう考えても合理的じゃないよな」
「……そうですね。観たいものもないですし、荷物も多いですし」
「だから、次に取っておけばいいんじゃないか」
「え?」
自分の考えを言葉にすると、侑が視界の端でこっちを向いたのが分かった。
晃晴は侑の方をちらりと一瞥し、すぐにふいっとそっぽを向いて、
「別に、今日1回で全部済ませる必要なんてないだろ。これからは行こうと思えば行けるんだから」
「あ……」
晃晴のぶっきらぼうでぼそっとした呟きは喧騒の中でもしっかりと侑に届いたようで。
そっぽを向いたままの晃晴の後ろで、侑が蒼い瞳をぱちりと瞬かせ、やがて口元に小さく笑みを湛えた。
「はい。そうですね」
振り向かなくても、微笑んでいることが分かる声音が耳朶を打ち、晃晴がまたぶっきらぼうに「ん」とだけ呟く。
すると、侑がそんな晃晴の様子を見てくすくすと笑うので、晃晴は更に仏頂面でそっぽを向くこととなった。
そんなやりとりをしつつ、晃晴と侑はどこか特定の場所に入ることはなく、街中をしばらくぶらぶらと歩き回り、夕飯の買い物を終えて、手荷物を増やしてからマンションの近所に帰って来た。
「歩くだけでも結構面白かったな」
「そうですね。なんだか探検をしている気分でした」
「分かる。なんか行ったことない場所とか行くとワクワクするし」
「こんな所にこんなお店あったんだってなりますよね」
まだこの街に住み慣れておらず、普段は1人でぶらぶらと出歩くことのない晃晴には全てが新鮮に映る。
侑も今までは寄り道などすることもなかったので、余計にそう思えるのだろう。
穴場っぽい喫茶店を見つけたり、雰囲気のある古本屋や古着屋を見つけて無駄に感動してみせたり。
そんな、割と世界のどこにでもありふれている出来事について晃晴と侑がマンションの正面がある道への角を曲がると同時。
——晃晴と侑の足は、同時にピタリと止まった。
隣から「……どうして」というか細い呟きが聞こえてきて、侑の方を向きかけたが、恐らく無意識に零れたもので、聞かせるつもりはなかった声だ。
侑の方を見るのを押し留めたが、自分と同じか、それ以上に驚愕に満ちた表情をしているであろうことは、間違いないだろう。
晃晴と侑が見つめる視線の先。
そこでは、侑と同じ真っ白な髪を持った少女が、マンションの入り口の横にあるベンチに腰かけて、足をぶらぶらと揺らし、どこか退屈そうに蒼い瞳を空に向けていた。
(偶然なわけ、ないよな)
たまたまここを通りかかって、休んでいたという理由を使うにはあまりにも出来過ぎている。
晃晴たちが固まって動けずにいると、空に向けられていた蒼色の瞳が不意にこっちに向けられた。
少女があまりにも澄まし顔過ぎて、表情からは感情がまるで読めない。
すると、少女はいつまでも動こうとしない晃晴たちを怪訝に思ったのか、澄まし顔を崩し、少し怪訝そうに眉根を寄せた。
そのままおもむろに立ち上がり、傍にあった紙袋を持ってこっちに近寄って来る。
「……久しぶり。お姉ちゃん」
「……は、はい。久しぶり、ですね。……ひまりちゃん」
ひまり、と呼ばれた少女は「ん」と呟き、小さく頷いた。
「……こっちに、帰って来てたんですね」
「一時的にだよ。そろそろ留学終わらせてこっちに帰って来ようと思うから、編入先の高校を探さないといけなくて」
「そう、なのですか。でも、ゴールデンウィーク中に帰って来る予定だったのなら、今ここにいるのはおかしいような……?」
「台風来てたみたいだったし、日にち、ずらしたの」
「……そう、だったのですか。それで、今日はどうしてここに?」
「……お土産、渡しに来た。お母さんに言われて。そしたら、インターフォン鳴らしてもお姉ちゃん出て来なくて、お母さんから鍵預かってるけど、勝手に部屋に入るわけにはいかないし、帰って来るの待ってた」
「それなら、連絡してくれれば……」
「……わたし、お姉ちゃんの連絡先知らないから。それじゃ、渡したから帰るね」
「あ……」
ひまりがくるりと踵を返す直前、こっちを一瞥してきたが、軽く会釈しただけで、特にリアクションはなかった。
(ま、道教えるのに一瞬顔合わせただけだしな)
侑やひまりのように外見に分かりやすい特徴があるならまだしも、晃晴は外見的に大きな特徴がないので覚えられてなくて当然だろう。
「……さすがに、もう誤魔化されてはくれませんよね」
遠ざかっていくひまりの背中を見ていると、隣から弱々しい声音が耳朶を打った。
「まあ、さすがにな。……仲、悪いのか?」
先ほどまでの一連の会話を聞く限り、どう考えても仲が順調とは言い難いだろう。
「仲が悪いと言うか……」
寂寥感を伴った声に、晃晴が侑の方を向く。
「——私、あの子に嫌われちゃっているみたいで」
続きを紡いだ侑の表情は、なんでもないというような明るい笑みだった。
明らかに痛みを堪え、強がっている時の笑みだった。
そんな顔を見てしまえば、晃晴にはこれ以上踏み込むなんてことは選べるわけもない。
しかし、なんと言えばいいのか分からず、言葉を選んでいると、
「さあ、あまりのんびりしてると夕食が遅くなってしまいますね。お部屋に戻りましょう」
「……そうだな。ハンバーグって作るの時間かかりそうだしな」
「ソースも腕によりをかけて作りますからね」
「マジで楽しみだな。俺も手伝うよ」
晃晴に心配をかけまいとする、侑のあからさまな空虚な笑みと逸らされた話題に乗っかって、晃晴は出来る限り優しく微笑むことしか出来なかった。
侑から見えない位置で、晃晴は拳を握り締める。
(なんとかしたいに決まってる)
これは侑の家族の問題で、部外者の晃晴は、介入する術を待ち合わせていない。
助けになりたいのに、どうすることも出来ない。
そのことが、どうしようもなく、悔しかった。




