メインヒロインとデートの日
「う、ん……こんなもんか……?」
昨日の出来事から翌日、デート当日の日曜日の朝。
1人で朝食を適当に済ませた晃晴は鏡の前に立ち、自信なさげな顔を浮かべていた。
手元にあるのは整髪料で、昨日咲に連れられて行った美容室で教えてもらったやり方で髪をセットしているところだった。
見た目的には昨日、店でやってもらったのと同じ感じに仕上がったとは思うのだが、なにかが違うと言われればそんな感じもしてしまう。
結局、数回にわたって色々な角度で眺めてみたが、見れば見るほど不安になりそうだったので、晃晴は諦めて鏡の前から離れる。
待ち合わせは部屋の前で、時間まで20分ぐらいあるが、人を待たせるのは趣味ではないので、晃晴は服に合わせて買ったばかりのサコッシュにスマホや財布を詰め込み、部屋を出た。
「……あれ? 侑?」
すると、自分の部屋の扉に背中をもたれかけるようにして、侑が立っていた。
声をかける前に、晃晴が開けた扉の音で既にこっちを向いていた蒼い瞳と目が合った。
「おはようございます。晃晴くん」
「ああ、おはよう。……もしかして結構待たせたか?」
尋ねると、侑は手首に付けた腕時計を確認し、ふるふると首を横に振る。
「いえ、ほんの5分くらいですよ」
「……連絡してくれればよかったのに」
「それだと急かしているようではないですか」
こっちを見上げる蒼い瞳が柔らかく細められ、侑がはにかんだ。
「楽しみで私が勝手に早く出てきてしまっただけですから」
「そ、そうか……」
この他の誰かに見せたりはしない、今のところ晃晴だけに見せてくる柔らかな笑みには慣れたのだが、こうも明け透けに言われるのには、まだ慣れそうにもない。
気恥ずかしさからやや顔を背け、首筋を揉むようにして侑に近づく。
それから改めて、侑を見下ろす。
淡い水色の膝丈オフショルダーワンピースにベレー帽がちょこんと編み込んである髪の上に乗せられている。
淡い水色で統一されていると思いきや、足元は歩き回ることを考えているのか、白色のスニーカー。
晃晴はまるで今日の空のような色合いだと、漠然と思った。
「あの、どこか変でしたか?」
まじまじと見すぎたのか、侑が不安そうに眉をハの字にしてしまう。
「そうじゃなくて、よく似合ってるなって思ってたんだよ」
「……よかった」
小さく呟きながらホッと息を吐く侑に、今度は晃晴が落ち着きなく、自分の身体を見下ろした。
「というか、俺の方こそどこか変じゃないか?」
「そんなことないですよ」
「……それを聞いて一安心だ。なにせ髪のセットとか初めて自分でやったもんだから、勝手が分からなくてさ。出る直前まで鏡と睨めっこしてたんだよ」
侑のお墨付きをもらって安心した晃晴が冗談めかした口調で言うと、侑がくすりと微笑んだ。
「ちゃんとカッコいいですよ」
「……ああ、ありがとう」
きちんと賛辞を受け止めて、晃晴が軽く相好を崩す。
それを合図にしたように、晃晴と侑はどちらともなくゆっくりと歩き出した。
「私、実はあまり水族館って行ったことがなくて」
運良く2人して座れた電車で揺られていると、隣に座る侑がぽつりと零す。
「そうなのか?」
「はい。最後に行ったのは中学生の時の修学旅行で、大阪に行った時です」
「まあ、中高生が行こうと思ってすぐに行けるとこでもないしな。それが普通なんじゃないか?」
そう言う晃晴も、最後に水族館に行ったのは、少なくともまずは明確な時期を思い出すという過程を挟まないといけない程度には前のことだ。
晃晴の住んでいたところには、遊んだり買い物が出来る店がそこそこあったが、水族館は近くにはなかった。
思い返せば、晃晴も水族館に行った回数は両手で数えられる程度かもしれない。
瑞穂がかなりアクティブなタイプなので、長期休暇の度、旅行なりどこかに連れ出されていて、その中に水族館が含まれていることはあったのだが。
瑞穂に連れ回された記憶に思いを馳せていると、侑が「そうかもしれませんね」と呟く。
ひとまず今の話題での会話がここで終わったことを悟った晃晴が目線を侑から前に戻すと、視界の端で侑が小さくあくびを零したのが見えた。
(……見なかったことにした方がいいよな)
恐らくうっかり零してしまったものだろうし、見せるつもりもなかったものだろう。
そう考えた晃晴がちらりと侑を見ると、侑もまた、こっちを見上げてきていた。
目が合った侑の顔が、ほんのりと羞恥に染まる。
「……今日、本当に楽しみで少し寝られなかったのです」
なにも聞いていないのに拗ねたように唇を尖らせる侑に、晃晴は苦笑しながら口を開く。
「俺、まだなにも聞いてないぞ?」
「目が語ってますもん。まるで遠足前の小学生のようだと言いたいのでしょう」
「……一応そんなことないって言った方がいいか?」
「もう手遅れですっ」
車内で大声を出すわけにもいかないので、侑がむくれて小声で恨みがましい声をぶつけてきた。
ついでに照れ隠しによる控えめな武力行使で、晃晴の肩のあたりを軽くぺちりと叩いてくる。
それがなんともおかしくて、肩を揺らして笑えば、侑がより一層むくれてしまう。
そのタイミングでちょうど電車が駅に停車し、人が出て行ったと思えば、すぐに同じぐらいの人が流れ込んでくる。
(……ん)
車内に入ってきた人間の中に妊婦の姿を見つけた晃晴は隣の侑に「悪い」と断ってから席を立った。
「あの、よければあそこの席に」
晃晴に声をかけられた妊婦はぱちりと瞬きし、晃晴が指し示した方を見る。
侑の隣の空いた席に、妊婦は顔を綻ばせた。
それから、妊婦を連れて人の間を「すみません、通ります」と声をかけながら侑の隣へと戻る。
もしかしたら誰か座るかもしれないと思っていたのだが、侑の隣に腰を下ろす勇気は車内にいる誰も持ち合わせていなかったらしく、空いたままだった。
席に着いた妊婦が「ありがとうございます」とお礼を述べてきたので、微笑で頷き返す。
晃晴が吊革に掴まると、侑がこっちを見上げてきていた。
さっきまで拗ねていた癖に、今はいたずらっぽい輝きを蒼い瞳に宿している侑に、晃晴は少し顔を顰める。
「……なんだよ」
「いえ、なんでもないですよ。……ヒーロー」
ぽそっとくすぐるような小声で付け足された単語が晃晴の耳朶を打つ。
どうにも面映くなった晃晴は、なにも言うことなく、ふいっと侑から視線を逸らすのだった。




