日向家の台風
「なんでって、そんなの可愛い息子の様子を見に来たに決まってるでしょ」
ソファに座ったまま、あっけらかんと答える母親——瑞穂に晃晴は盛大にため息を吐き出した。
「それならそうとちゃんと連絡入れてくれ……マジで泥棒が入り込んだのかと思っただろ」
「サプラーイズ」
確かにエントランスと部屋の合鍵を持っている両親ならセキュリティに阻まれることなくここまで来られるのはおかしくはないのだが。
茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせる母親に晃晴は早くも頭痛を覚えてしまう。
早々に助けを求めてリビングに立っている父親——晴翔の方を見る。
「……僕は一応説得はしたぞ」
助けを求められた晴翔はその知的に見える端整な顔立ちをほんの少しだけ顰めた。
(ってことはいつもの母さんの暴走か)
瑞穂はこうと決めたら一直線に突っ走るタイプで、その行動力で振り回されるのは日向家の日常だ。
冷静な晴翔はそんな瑞穂のブレーキ役でもあるのだが、懐に入れた人間に対しては基本的に割と甘い。
ダメなことはダメとちゃんと言うし、時には厳しい意見も述べるのだが、今回は他人に迷惑をかけるような行為ではなかったので、最終的にはため息を吐きながら了承したのだろう。
そんな父親の姿を想像しながら、晃晴もまたため息を零した。
「というか2人とも仕事は? さすがに土日休みだけでこっちには来られないだろ?」
「私はゴールデンウィーク休み貰えなかった分の振り替えで」
「僕は休みを取らなさすぎだからって部下に無理矢理取らされたんだよ」
瑞穂も晴翔もまだ30代後半ながらに、仕事の中枢を担っているのでたとえ大型連休であろうとも仕事に駆り出されることが昔から多かった。
お互いに仕事が好きなタイプの仕事人間なので、そのことに文句はないらしい。
自分が休むぐらいなら他の人を休ませてやれというスタンスで仕事が出来る2人は職場での人望も厚く、今回のように周りから逆に休みを取って欲しいと頼まれることもざらだった。
(ヒーローになりたいって思ったのって、この2人の影響も結構あるんだよなぁ……)
幼いながらに、周りから慕われている両親が眩しく映って、将来は両親みたいになりたいと晃晴は思っていたのだ。
少し前までは、ヒーローになるのを諦めたことで思い返すだけで胸が痛んだのだが、いつの間にか平気になってしまっていることに晃晴は気がついた。
晃晴が感慨を覚えていると、瑞穂がソファから「よっ」と立ち上がる。
「というかそっちこそ、どうしたのその格好」
「……まあ、ちょっとした心境の変化があって」
頬を搔いてから肩を軽く竦めると「ふーん」とこっちを観察しながら近づいてきて、なにやらふむふむと頷いた。
「いいじゃんいいじゃん! うんうん、さすが私たちの子、カッコいいカッコいい!」
「……そりゃどうも」
「晃晴はどちらかと言えば晴くん似だから顔立ちは当然悪くなかったけど、ちゃんとすればここまでになるのねー」
両手で両肩をバシバシと叩いてくる瑞穂から逃げるように距離を置き、「どっちにもそんなに似てないだろ」とぼやく。
晴翔や瑞穂のように分かりやすく顔立ちが整っていればもう少し自信の有無も違ったのだろう。
瑞穂からは昔からずっとちゃんとすればもっとカッコいいと言われていたのだが、晃晴からしたら親バカの身内贔屓かと思っていたのだ。
「それにしてもほんと、どういう風の吹き回し? あっちにいた時はあんなに着飾ることを嫌がってたのに」
「そ、それは……」
理由を問われても困るというよりは、晃晴は正直瑞穂には話したくなかった。
侑のことを話せば、まず間違いなく男女の仲だと疑われる、いや、決めつけられるからだ。
確かに、実家にいた頃には自信もなく、着飾ることをことに抵抗を覚えていた息子が家を出てから、女の子の隣に胸を張って立っていたいから頑張り始めた、などと言ったら勘違いされるのは分かる。
晃晴だって、周りに同じような人間がいたらそう考えるだろう。
しかし、本人からすれば関係を邪推されるのは鬱陶しいだけ。
特に瑞穂の性格をよく分かっている晃晴からしてみれば、母親と侑の邂逅は最も避けたい展開だった。
晃晴がどう誤魔化そうかと考えていると瑞穂が「あら?」と声を上げた。
わずかに泳いで明後日の方向を向いていた視線を瑞穂に向けると、今度は瑞穂が晃晴とは別の方を見て、首を傾げていた。
「どうしたんだよ……そっちになにか……ある……のか……」
瑞穂の視線を追った晃晴の声がどんどん尻すぼみになっていく。
晃晴が今立っているのはリビングと玄関への廊下を繋ぐ扉の前で、瑞穂も晃晴のすぐ横に立っている。
リビングの扉は晃晴が開け放ったのだから開いたままで、瑞穂が立っている位置からは玄関の方が丸見えだ。
つまりは、玄関でこっちを呆然と見つめたまま立ち尽くしている侑の姿を瑞穂が見つけてしまったわけで。
両親が部屋にいることが衝撃的過ぎて、すぐ近くにいた知られたくない存在についてすっかり失念してしまっていたのだった。
(やっべ……)
冷や汗をかきつつ、恐る恐る瑞穂に視線を戻せば、
「あら、あら、あら、あら……!」
あらという度に晃晴と侑の間で視線を行き来させ、晃晴が手に持っている紙袋に視線を落とし、最後にもう1度こっちの顔を見てにんまりと笑みを浮かべた。
勘違いされた。
完全に彼女と服を買いに行ってきた帰りだと勘違いされた。
瑞穂の胸中を悟った晃晴が「ち、違……!」と声を上げた時には、制止する間もなく、瑞穂は既に侑の方へ向かい始めていた。
日向家の台風が、侑を巻き込むのが確定してしまった瞬間だった。




