メインヒロインと合鍵
「……んぁ」
自分が漏らした声で意識が浮上してきたのが分かる。
身体を起こさずに、瞼だけをゆっくり開けると、ようやく見慣れてきた自分の部屋の天井がぼやけた視界に映り込んだ。
そのままぼんやりと天井を見つめていると、徐々に意識も覚醒していって、自分の状況を理解した。
(……ソファでそのまま寝落ちしたのか)
ここ最近の自己研鑽で疲労が溜まっていたのだろう。
微妙に疲れが取れていない身体を起こすと、かかっていたタオルケットがずり落ちる。
それからあくびをした晃晴は後頭部を掻きながらふーっと長い息を吐き出す。
動作ごとに軋む身体にわずかに顔をしかめたが、とりあえず喉でも潤そうと立ち上がった。
「……ん? そう言えば、なんでタオルケットが……」
寝落ちしたのだからそんなものがかかってるはずがない。
不思議に思いながら、キッチンの方に向かって1歩踏み出すと、
「……っ!?」
ソファの側面に寄りかかり、タオルケットに包まれて眠っている侑がいた。
理性が働いたのか、咄嗟に声を上げずに肩だけビクリとさせるだけに止めた自分を褒めてやりたい。
(いやなんで侑が俺の部屋で寝てるんだよ!?)
しかし、内心は当然のごとく大混乱だった。
起こして理由を聞きたいところだが、穏やかに眠っている侑を起こすのは罪悪感がある。
それに、無防備に眠っているせいなのかいつにも増して、触れたらあっけなく壊れてしまいそうな儚さや、庇護欲を掻き立てる愛らしさがあって、晃晴は見惚れてしまっていた。
(……こうして目を閉じてると、可愛いって言うかマジで綺麗な作りものみたいだよな)
つい、下まつ毛長いなとか思いながら、まじまじと見つめてしまっていたことに気がつき、慌てて頭を振って邪念を払う。
抵抗はあったが起こさないわけにもいかないので、躊躇いつつも、侑の肩にそっと触れた。
「侑、ゆーう。起きろー」
優しく肩を揺らしながら声をかけると、侑がぐずるように「んぅ……」と声を漏らす。
あまりにも心臓に悪過ぎるのであまりそういう声を出さないでほしい。
一瞬、起こさずにこのまま寝かせておいてあげようかと思ってしまったものの、心を鬼にして再び起こしにかかる。
何度か軽く声をかけながら揺さぶっていると、閉じられていた侑の瞼がゆっくりと開いていく。
それから、寝ぼけ眼の蒼色の瞳がこっちを見上げてきて、ふにゃりと微笑んだ。
「おはようございます、こぉせぇくん」
まだ意識がぼんやりとしているのだろうが、とろんとした瞳と安心しきった顔で見られ、更には舌足らずに名前を呼ばれてしまい、固まってしまう。
(こいつ寝起きだとこんな無防備なのかよ……)
普段はきっちりしていて、隙が無いように見える分、今の侑は直視するのが憚れるほどのギャップがあった。
早くなった鼓動を落ち着かせる為に、侑を視界からそっと外す。
以前も寝起きの侑を見たことはあったが、その時は熱を出していたし、そのせいだと思っていた。
しっかりとした生活を送っているせいで分かりづらいだけで、もしかすると朝が弱いのかもしれない。
そんな葛藤を知る由のない侑が、視界の隅で軽く伸びをして、「んっ」と軽く声を漏らすのが聞こえて、耳も塞いでしまいたくなった。
「……とりあえず、顔洗ってこい」
横目で確認すると、侑は目を閉じてこくりこくりと船を漕いで、今にもまた寝てしまいそうだった。
ふらふらと揺れる頭が洗面所の方に消えていくのを尻目に、冷蔵庫の中から麦茶を取り出し、自分と侑の分をコップに注ぐ。
一息に自分の分の麦茶を飲み干し、2杯目を注ごうとしていると、洗面所の方から慌てたようなとたたっという足音が聞こえてきた。
洗面所から出てきた侑が、晃晴の姿を探してか1度ソファの方に視線を向けてからキッチンの方を見てくる。
そこに晃晴の姿を見つけた侑が不自然なぐらいの澄まし顔をして、やや早歩きで近づいてきた。
「……改めておはようございます。……すみません、お見苦しいところをお見せしました」
別になんてことないですよ、みたいな雰囲気を醸し出して、澄まし顔をしているが、赤くなった頬までは隠しようがない。
思わず吹き出すと、頬の赤みが増して睨まれたので、素直に「悪い」と謝りつつ、侑の分のコップを差し出した。
「……ありがとうございます」
「見苦しいって言うか、意外な一面を見たって感じだな」
朝、弱いんだなと続ければ、微妙に不服そうに麦茶をちびりと口を含んだ侑が、こくりと頷いた。
「起きられるのは起きられるし、寝坊とかもしませんけど、起きてから数分くらいぼんやりしないと意識がはっきりしなくて……」
「まあ、朝は誰でもそんなもんだろ。……それよりどうして俺の部屋で寝てたんだ?」
麦茶を飲んで多少は落ち着いたのか、頬から赤みが抜けた侑に問いかける。
「晃晴くん、寝てしまってましたし、お部屋の鍵も開いたままでしたから。私が帰ったら鍵が開いたままになってしまうと思ったので」
「……それなら起こしてくれればよかったのに」
「一応声はかけましたけど、疲れてるみたいだったし、なんだか起こすのも悪くてすぐにやめちゃったんです」
「そうだったのか。……悪い、気を遣わせた。タオルケット、ありがとな」
落ちていたタオルケットを片付けようとソファに近づいた晃晴は、はたととあることに気がついた。
「というか寝室に入ったならベッドサイドに鍵置いてあっただろ? 借りるって連絡入れてくれてたら済んだんじゃないか?」
「……それはなんとなくしづらくて」
「……まあ、分かるけどな」
本人に直接許可を取っていないのに鍵を持ち出せるかと言われれば、晃晴も躊躇してしまう部分がある。
侑の性格上、ますますそうなのだろう。
そもそも自分が寝落ちしたせいで侑が部屋に泊まることになったのだから、起こせばだの鍵を借りたと連絡すればだのを指摘するのがおかしな話だと今更ながらに気がついた。
(とはいえ、またこんなことになっても困るしな)
力を入れ始めた自己研鑽に身体が慣れない内はこうしてうっかり寝落ちすることも少なくないだろう。
手のひらで口のあたりを掴むようにして、思案顔になった晃晴は自分と侑の分のタオルケットを拾い上げ、寝室に向かう。
それから、ベッドサイドの引き出しを開け、あるものを掴んでリビングに戻った。
「侑」
朝食でも作ってくれるつもりだったのか、冷蔵庫の中身を確認していた後ろ姿に声をかける。
「なんですか?」
「ちょっとこっち向いて手を出してくれ」
「え? どうしてですか?」
「いいから」
肩越しに振り返っていた侑がきっちり冷蔵庫の扉を閉めて、身体ごとこっちに向き直る。
きょとんとしながら差し出してきた手のひらに、晃晴は握っていたものをすとんと落とした。
「これは……鍵、ですか……?」
「それ、この部屋の合鍵だから。持っておいてくれ」
晃晴がそう言うと、侑は「え?」と更にきょとんとした表情になった。
何度か手元の鍵と晃晴の顔に視線を行き来させたあと、おずおずと口を開く。
「あの……よろしいのですか?」
「ああ。普段から頻繁に出入りしてるし、今日みたいなことがあっても困るしな」
「でも……」
「また寝顔とかさっきの無防備な姿を晒しそうな機会はなるべく排除しておくべきだろ?」
「そ、それは……」
侑はきょときょとと目を軽く泳がせて、「忘れて下さい」と恥ずかしそうに呟いてから、こくりと頷いた。
「分かりました」
「今後は好きな時に部屋に入ってきてもいいから」
「いえ、きちんと連絡は入れますよ」
晃晴が相変わらず生真面目な性分に少し笑っていると、侑はただの鍵をまるで宝物のように、そっとポケットの中に忍ばせたのだった。




