宿泊勉強会とお裾分けと
「は? 今日うちに泊まりたい?」
週末、帰りのホームルームが終わるなり、すぐさまこっちへやってきた心鳴がおもむろに放った言葉に晃晴は耳を疑った。
「だって明日もどうせ勉強会なのに今日数時間だけやって帰ってまた明日、なんて効率悪いじゃん」
「……そもそも明日もやるっていうのが初耳なんだけどな」
さも当然とばかりに言ってのける心鳴をジトリと睨め付ける。
「……けどまあ確かに有沢の家、うちから結構遠いしな」
直接的な家の場所は知らないが、どの辺りに住んでいるかは聞いたことがある。
晃晴の部屋と心鳴の家を自転車で行き来すると、大体15分ぐらいの距離だ。
次の日も勉強会をするならば心鳴の言っていることにも頷ける。
(分かるけど、でも女子を部屋に泊めるのはな……)
相手が承諾していることでも、どうしたってその部分の抵抗が薄れることはない。
眉根を寄せて考え込んでいると、心鳴が「ははーん?」と言いながらにやりと笑った。
「さては晃晴、この心鳴ちゃんの色気に負けて手を出しちゃわないか心配なんでしょー? あたしは晃晴がそんなことしないって思ってるけどねー? まあ? そういう心配しちゃうのも分かるけどね? 男子だもんね。うんうん、分かる分かる」
「……色気……?」
「おいこら本気で首傾げんな」
さっきの泊まりたい発言よりも理解不能という顔をした晃晴に真顔のツッコミが入った。
しかし色気云々の話はどうでもよかったのでツッコミをスルーし、再び女子を部屋に泊めていいのか問題について考え始める。
「なあ、若槻。有沢のテストってそんなヤバい感じなのか?」
ここまで黙って晃晴と心鳴のやりとりを見守っていた咲に声を投げかける。
心鳴の現在の学業レベルを聞いて、宿泊の是非を決める参考にしようという算段だった。
「あー……なんというか……」
「……言葉を選ぶレベルでヤバいってことか」
苦笑を浮かべて頬を掻く咲に、言われずとも事態の深刻さを悟ってしまった晃晴は深々としたため息を吐き出した。
当の本人である心鳴はたははと笑い「いやー面目ない」とショートポニーを揺らしている。
「笑いごとじゃねえよ。……まあ、仕方ない、か。その代わりちゃんと勉強しろよ」
「分かってるってば。さすがに人の時間取らせといて真面目にやらないのはなしっしょ」
「ココはやるって言ったらちゃんとやるからその辺は心配しなくてもいいぞ」
本当かよ、と呟いていると心鳴がこっちをじっと見つめてきていた。
晃晴と目が合った心鳴はニッと歯を見せて笑う。
「文句を言いながらもなんだかんだ手を貸してくれる晃晴のそういうとこ、あたし好きだよ」
「……はいはい。俺はどうせ都合のいいやつですよっと」
真正面から言われてしまい、思わずふいっとそっぽを向いてしまった。
そんな晃晴の背中を心鳴が「照れない照れない」と笑いながら叩いてくる。
「……話が終わったなら早く行こうぜ。あまり時間もねえし」
「……? あ、ああ」
いつもは口角を上げ、言っては悪いがへらへらとしているように見える笑みを浮かべている咲がどこか面白くなさそうに口をわずかにへの字にしていた。
怪訝に思ったが、心鳴と話し始めるとすぐにいつもの表情に戻っていたので、気のせいだったのかもしれない。
そう結論づけた晃晴は、鞄を持って立ち上がったのだった。
「おっじゃましまーす」
泊まりのために1度自分の家に帰っていた咲と心鳴が部屋に上がってくる。
「……本当に泊まるんだな」
私服姿に背負われた鞄を見て、ようやく実感が湧いた。
偶発的ではなく、自分の意思で女子を泊めるのは初めてなので、宿泊の許可は出したもののやはり抵抗感は拭えない。
「今更ダメだなんて言うつもり?」
「言わないけどさ。女子が泊まるってのはやっぱ落ち着かん」
「普段ぞんざいに扱ってくるくせに女扱いしてくれるんだ?」
「そりゃそうだろ」
「ふーん? そうなんだー? へぇー?」
にやにやしながら小突いてくるのが鬱陶しいので、顔を顰めながら距離を取る。
「やー、この心鳴ちゃんの魅力にメロメロならハッキリそう言ってくれればいいのにー」
「……」
「真顔で無言はやめろ」
一瞬で表情が無になった晃晴に、心鳴もまたふざけるのをやめた。
「……で、お前はさっきからなにしてんだよ」
心鳴と話している間、ずっとなにかを探すようにきょろきょろとしている咲に声をかけた。
「晃晴、前に取ったぬいぐるみはどうした? まさかベッドの上か?」
「高1の男がんな趣味してるか。……お隣さんにあげたんだよ。いつもお裾分けしてもらってるし」
俺が持ってても仕方ないしな、と肩を竦めると咲がわずかに目を見開く。
「もしかして、お前最初からお隣さんにプレゼントするつもりで取ったのか?」
「……だったらなんだよ。悪いかよ」
「や、悪くないけどさ。へー、人付き合い苦手な晃晴がなー」
「お前らが言えるほど俺と付き合い長くないだろ」
「見てれば分かるっての。オレとココ以外と関わろうともしてないし」
まさしくその通りなので、なにも言えずに黙り込む。
黙った晃晴を見て、咲がにやりと口角を上げた。
「しっかしお隣さんといい関係を築けてるようで、オレは嬉しいぜ。こりゃダブルデートの日は近いかな」
「遂に晃晴にも春が……!?」
「近くねえし来てねえよ。……いいから準備しろ。時間ないんだろ」
これ以上追求されるのは面倒なので、もう話す気はないという意思表示の元、晃晴はローテーブルの上にノートを広げた。
「……もうダメ限界」
今まで動き続けていたシャーペンがピタリと止まり、ローテーブルに広げられたノートの上に覆い被さるように心鳴の身体が崩れ落ちた。
「まあ結構やったしな。休憩にするか」
「ココは集中すると一気にやるんだよなぁ。その分反動はあるけど」
あれから2時間程度、ぶっ通しで勉強を続けていたのだが、意外なことに誰よりも真面目だったのは心鳴だった。
分からないことがあれば分かるようになるまで聞いてくるし、菓子や飲み物にもほとんど手をつけていない。
(やるって言ったらやるっていうのは本当だったんだな)
恐らくはスポーツ絡みで鍛えられた集中力。
普段からこうであればここまで苦労する必要はないのだが、心鳴は好きなものややると決めたものにだけこういった力を発揮するタイプなのだろう。
一度スイッチが入れば直向きに突っ走る。
その分反動が凄まじいので授業などで毎回集中するわけにもいかないのかもしれない。
「おーいココー。糖分だぞー」
ぐったりと突っ伏したまま動かない心鳴の前に咲がチョコとジュースを差し出す。
すると、心鳴は顔を少しだけ持ち上げ、目の前のチョコをつまんで口に放り込み、ジュースを一息で飲み干した。
と、思ったらまたぐでりと突っ伏してしまう。
「こりゃ重症だな」
「頑張ってたしな。よしよし」
「気分転換がてらに銭湯に行ってきたらどうだ。歩いてさっぱりしてくれば多少は回復するだろ」
「んー、ちょっと早いけどそうするか」
心鳴が泊まる条件として、入浴はさすがに銭湯ということになっている。
咲と心鳴もその意見には異を唱えてくることはなかった。
咲は心鳴の付き添いで一緒に行くのでそのまま銭湯で入浴を済ませるらしい。
曰く、女子だけで夜道を歩かせるのは彼氏として心配だから、だそうだ。
(ったく、バカップルめ)
心の中で毒づくものの、もし仮に自分に彼女なんてものが出来たら、迷わず咲と同じような行動を取ることは容易に想像が出来てしまう。
従って、あまり強くは言えないが、頭を撫でている咲と突っ伏している心鳴を見て、心の中で呟かずにはいられなかった。
「帰りにアイスでも買ってきてくれ、金は3人分出すから」
「アイス!」
財布の中から500円を取り出して咲に手渡すと、力なくぐでっとしていた心鳴がガバッと身体を起こした。
「元気じゃねえか」
「今元気になったの! すぐ準備するから待ってて!」
言うや否や、心鳴が着替えだのタオルだのを勢いよく鞄から引っ張り出し、ナップサックにまとめていく。
後ろで心鳴の背中を眺めながら、晃晴はジュースで喉を鳴らした。
「元気が過ぎる」
「そこがいいところだろ? アイス代、サンキューな」
ああ、と返事をすると、咲も鞄から色々と取り出して準備を始める。
手持ち無沙汰になった晃晴がスマホに目を落としていると、2人の準備が終わったらしい。
「んじゃ、行ってくるな」
「アイス、なんでもいい?」
「任せる。……けど、あまり変なのは買ってくるな。あとおつりは好きにしてくれ」
「おっけー」
ナップサックを肩からぶら下げた咲と心鳴がリビングから出ていくのを見送り、一息ついた。
(暇だし、俺も今の内に風呂済ませとくか)
早速風呂を沸かそうと、足を浴室に向ける。
さすがにスマホはテーブルに置こうとしたタイミングで、ピロンと音が鳴った。
「……侑から?」
画面に表示された名前に、なにか連絡をされることがあっただろうかと首を傾げる。
『すみません。今お時間よろしいでしょうか?』
『いいけど、どうした?』
『実は、晩御飯を作りすぎてしまって……。よければもらってくれませんか?』
(作りすぎた?)
送られてきたメッセージが引っかかったが、くれるというなら貰っておくべきだろう。
ひとまず今から出ると返信して、スマホを見ずに玄関から出ようとドアノブに手を伸ばす。
「……ベランダでよかったか」
そう気付いたものの、既にドアノブに手がかかっている状態。
数秒の逡巡をし、結局今からベランダに移動するのは面倒だという考えに落ち着き、そのまま外に出た。
晃晴の逡巡でタイミングが調整されたのか、ちょうど隣の部屋の扉も開くところだった。
両手に容器を抱えた侑がこっちを認めるなり、ぺこりと会釈をしてくる。
「すみません。勉強中でしたよね」
「いや、あいつら銭湯に行ったから、ちょうど休憩中だった。……それで、作りすぎたって?」
侑にはぬいぐるみを渡した日にあらかじめ今日の勉強会のことと先程急に決まった泊まりのことも伝えてあった。
その為、食事は作り来なくていいと言っていたのだが、侑の手の中には作りすぎたと言うには明らかに多すぎる量。
まるで2人分プラス、作り置きが出来るようにと作られているように見えた。
晃晴が問うと、侑は恥ずかしそうに目を伏せる。
「実は、その……晃晴くんと一緒にいる時の感覚で作ってしまって」
「ああ、なるほど。どうりで」
得心のいった晃晴は侑の手元にある料理に目を落とした。
出来立てのミートソースの芳しい香りが鼻をくすぐり、胃袋を刺激される。
「なんだっけ、これ」
「ラザニアです。作り置き用のものも持ってきましたので、よければ若槻くんたちと食べてください」
「悪い。正直助かった。飯なににしようか決めてなかったから」
これならば、あとは適当に惣菜でも買ってくれば、3人いても腹は満たせるだろう。
晃晴が手渡された料理を前にそう考えていると、エレベーターがこの階に到着して、中から人が降りてくる。
「えっ……?」
エレベーターから降りてきた人物の声、聞き覚えのある女性の声がこっちの方まで響いてきた。
「なんで浅宮さんがここに……!?」
続いて聞こえてきた男性の声も、晃晴の知っているもので。
聞こえてくるわけがないその声の方を見て、晃晴は目を見開き、驚愕を顔に貼り付けた。
「お前ら、なんで……!?」
向けた視線の先、そこには銭湯に向かっていたはずの咲と心鳴の姿があった。
侑も晃晴と同じように驚いたまま固まっている。
「や、ココが部屋に財布忘れたって言うもんだから取りに帰ってきたんだけど……」
咄嗟に誤魔化すために言葉を探したが、見られた場面が決定的すぎてもはやしらを切るには無理がある。
こっちに近づいてくる2人を見て、晃晴は早々に誤魔化すのを諦めることとなった。




