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プレゼント

「あ」

「あ。……こんばんは」


 ゴールデンウィーク最終日、夜。


 夕食を買いに出かけ、帰ってきた晃晴はマンションの前でスポーツウェア姿の侑と遭遇した。


 いつもはおろしている真っ白なストレートヘアを動きやすいように低い位置のポニーテールでまとめている侑はどこか新鮮に映る。


 頬も蒸気し、赤くなっていて少し汗をかいていることから、ランニングから帰ってきたところなのだろう。


 そのことを見て取った晃晴はレジ袋の中からお茶を取り出し、侑に「ん」と手渡す。


 反射的に両手で受け取った侑はペットボトルを握ったままぽかんとしていたが、やがて頬を緩めて頭を下げた。


「ありがとうございます。今持ち合わせがないので、お金はあとで……」

「別にいい。それクジで当たったものだから、無料みたいなもんだし」

「クジ?」

「あれだ。何円以上買ったらクジが引けるってやつ」

「……そういうものがあるのですね」


 知らなかったらしい。


 確かにコンビニは便利な反面、割高だったりするので、基本的に買い物をスーパーで済ませている侑には縁遠いものなのだろう。


 普段から友達と寄り道もせず、コンビニをそんなに使わなければ、クジをやっているタイミングにも当たりづらいのかもしれない。


「重くて大変だから貰ってくれ」

「ふふっ。そういうことならありがたく受け取らせてもらいます」


 実際はそこまで重くないのだが、わざとげんなりとした表情を作ると、侑がくすくすと笑う。


「……それにしても、そんなにたくさんなにを買ったのですか?」

「晩飯のついでに明日の朝飯とか、気づいたら気になった新商品とかも手に取って、このありさまだ」


 袋を軽く掲げてみせる。


「つまりは無駄遣いしたのですね」

「言うな。耳が痛くなる」


 実はその後悔は店を出た瞬間には済ませていたりする。


「ところで晩御飯はなにを食べるのですか?」

「カップ麺」

「え?」

「カップ麺」

「だけ、ですか……?」

「食べ終わったスープにご飯入れるからこのぐらいでいいんだよ」

「そういう意味ではなくて……サラダとかそういうものは……ない、ですよね」


 袋の中を軽く覗き見た侑が、おもむろにため息をついた。


「……身体に悪いですよ」

「今日はたまたまだ。たまにしか食べないし、たまに食べたくなるんだよ」


 しらーっとした目で見上げてくる侑を特に悪びれることなくあしらう。


 そのまま避難めいた目でこっちを見ていたと思うと、急に「ふむ」と思案顔に切り替わった。


「それなら、これからは時間がある時は私がひ……晃晴くんの分もご飯を作ります」

「………………は?」


 名案だ、と言わんばかりのトーンで告げてくる侑に晃晴は口を開けたまま固まる。


 思わず手に持った袋を落としそうになってから、咄嗟に持ち直した。


 冗談の線は侑の性格からして端から選択肢に入っておらず、鹿爪らしい表情からも、今の言葉が本気だということがありありと伝わってきてしまう。


「……いや、分からん。突然なにがどうしてそういう思考に至ったんだ」


 片手で顔を覆い、今の発言について問う。


 すると、侑の目つきがジトっとしたものになり、


「だって晃晴くん、放っておいたら適当に済ませそうですし」

「今日のこれはたまたまだって。さすがにいつもこんなに適当じゃ——」

「私、基本的に晃晴くんのことは信用していますけど、そういう部分はまったく信用出来ません。今日だってサラダくらい買おうと思えば買えたはずですし」


 キッパリと言い切られ、晃晴は頬を引き攣らせた。


 確かにファストフード店での近くにあれば住んでるという発言など、普段から不摂生をする機会が多かったと言っているようなものなので、ぐうの音も出ない。


「だからってそこまでさせるのは、さすがにな……」

「友人兼恩人がそれで体調を崩したりしても嫌なのです」

「うぐっ……」


 ジッと見つめてくる蒼い瞳には、単純にこっちの身を心から案じているだけだという色が宿っていて。


 そんな心遣いを拒否出来るのかと言われれば、答えは間違いなくノーで。


 葛藤の末、晃晴は白旗を揚げ、侑の提案を呑むこととなったのだが、


「……あ」


 突然、侑がなにかに気がついたように声を漏らし、少し晃晴から距離を取る。


「……どうした?」

「い、いえ、あの……今、汗かいているので、その……」

「……ああ、そういう……別に汗臭さとかしなかったけどな」

「そ、それでも私は気にするのですっ」 

「分かったって。近づかない。早くシャワー浴びたいだろうし、先にエレベーター乗っていいぞ」

「す、すみません、では、お先に……」


 逃げるようにエレベーターに乗り込んだ侑を苦笑しながら見送った。

 

 そんなこともあったが、材料費は折半(作りに来てくれるという手間から晃晴が多めに払う)ということで話が進み、2人は食事を共にする仲になったのだった。






(とはいえ、さすがにそれだけじゃ申し訳ないし、なにかお礼でもしたいところなんだけどな)


 心鳴に色々とゲームセンター内を連れ回され、休憩の為にベンチに座った晃晴は、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 お金を多めに払うのは作りに来てもらっている側として当たり前のこと。


 なにかプレゼントでも渡せたら、それでようやく侑がしてくれていることへの対価に釣り合いが取れるはずだ。


 ゲームセンターに来る道中、そう思い至ってからプレゼントはなにがいいのかと考えを巡らせているが、女子にプレゼントをした経験がない晃晴にとって、それはテスト勉強よりも頭を抱える悩みとなっていた。


「……ダメだ、なにも思いつかん」


 咲と心鳴がUFOキャッチャーにチャレンジしている後ろで背もたれに深く背中を預け、独りごちた。


「あーおっしい!」


 騒がしいゲームセンターの音なんてものともしていない明るい声が耳朶を打ち、否が応でも意識がそっちに吸い寄せられた。


 このまま考え続けていても答えなんて出ないのは目に見えているので、立ち上がってプライズのゲットに失敗したらしい咲と心鳴の元へ歩き始める。


(……ん)


 その途中、2人が遊んでいる横の筐体に目が留まる。


 中にいるのは愛らしい瞳でこっちを見つめるペンギンのぬいぐるみだった。


(そういえば侑のやつ、動物が好きだって言ってたっけ)


 付き合いの浅い侑のことで、晃晴が知っている数少ないもの。


 気がつくと、足は自然とその筐体の前に向いていた。


「晃晴、それ取るの?」

「お前らの見てたらやりたくなっただけだ。取れるまでやるつもりはない」


 あくまでもきっかり500円。


 あまり意固地になって挑んで、咲と心鳴に勘繰られても困るし、取れなかったらまた別のものを考えればいい。


 少なくとも、さっきまでとは違いノーヒントではなくなったのだから。


 そう考え、晃晴は500円をゲーム機に投入したのだった。






「……まさか取れるとは」


 部屋に戻ってきた晃晴は、袋の中に入ったペンギンを見て、改めて呟いた。


 ダメ元でやってみたらなんと200円で取れてしまった。


「……さすがにこの袋のまま渡すのはまずいか……? ちゃんとラッピングでもして……いや、それはゲーセンで取ったぬいぐるみを渡すだけにしてはやりすぎ……? というか感謝の気持ちが200円程度のぬいぐるみっていうのがそもそも間違いなんじゃ……」


 取れたはいいが、女子にプレゼントを渡したことのない晃晴にとって、渡すものを考えるだけじゃなく、ただ渡すのもハードルが高い。


 落ち着きなく部屋をうろうろと歩き回りながら、あえて声に出して呟くことで、気持ちを落ち着かせ、考えをまとめていく。


 数分ほど無駄にその行動を繰り返したところで、


 ——ピンポーン。


 来客を知らせるインターホンが鳴り響き、足を止めた。


(エントランスの方じゃなくて部屋の……? もしかして……)


 1人の顔を頭に浮かべながらモニターを覗くと、そこには予想と違わず、もはや見慣れた真っ白な髪と蒼い瞳の持ち主の姿。


 怪訝に思いながら玄関に行き、扉を開けると、澄まし顔の侑と目が合った。


「こんばんは」

「……俺、しばらく作りに来なくていいから自分のこと優先してくれって言ったよな?」

「言われました。でも、私は行かないとは言っていないですよね」


 なぜか侑は不満気に見上げてくる。


 来てしまったものは仕方ないし、追い返すわけにもいかないので、ひとまず侑を部屋へと上げた。


「いや、マジで無理しなくていいんだぞ? 今日の感じを見てる限り、かなり忙しそうだったし。それに加えて飯作りにまで来てたら、息抜く暇さえないだろ」

「別に無理なんてしてませんよ。私にとってはこの時間が息抜きみたいなものなのですから」


 微笑み方からして、嘘ではなさそうだった。


「学校では素を見せられませんからね。私が自然体でいられるのは、晃晴くんの前か1人でいる時だけですよ」


 そこまで素直に信用されるのは悪い気はしないが、単純にリアクションに困る。


 言葉に詰まった晃晴は、結局「……さいで」と呟くことしか出来なかった。


「そうですよ。まあ、確かに勉強を教えたり、話したことのない男の子から勉強会に誘われて気疲れはしていますけど」

「……だから来なくていいって言ったのに」

「その答えはさっきほど言った通りですよ」


 柔らかい笑みで言われてしまい、晃晴は諦めてため息を吐いた。


 せめて労おうと飲み物を取り出すために冷蔵庫を開けたところで、


「だけど、いきなり来てごめんなさい」


 さっきまで浮かべていた柔らかい笑みとは結びつかないしゅんとした声が聞こえてきた。


 思わず冷蔵庫を開けたまま振り返る。


「相手の都合も考えずにこんな強行に出るなんて、自分らしくないって自覚はしているのです。ご飯を作るという話だって、私が一方的に押し付けたようなものですし……」


 堰を切ったように続く侑の言葉を晃晴は無言で受け止めていく。


「ご迷惑になるかもしれないのに、やってあげたいなんて初めてで……私も自分の気持ちがよく分からないんです」

「侑……」

「来なくてもいいって言われた時、正直ムキになりました。私がこの時間を楽しみにしているだけで、もしかしたら晃晴くんは我慢してくれているだけなのではないかと不安にもなりました。本当、めんどくさい女ですよね」


 自嘲気味な笑みを浮かべられ、晃晴は少し間を置いて、頭を掻いた。


「美味い飯作りに来てもらっておいて、迷惑だとか思うわけないだろ。めちゃくちゃ助かってるよ」


 侑から言葉が返ってくる前に、冷蔵庫を後ろ手で閉めた晃晴は侑の横をすり抜ける。


 そのままソファに向かい、置いてあったぬいぐるみの入った袋を回収し、こっちの行動を見守っていた侑の眼前に「ん」と突き出した。

 

 突然袋を突き出されたせいで侑はきょとんとして、その袋を受け取らずに眺め続けるだけだった。


「……受け取ってくれないと腕が疲れるんだけど」

「あ、す、すみません。でも、これは……?」

「あー……これは、だな……その……」


 不思議そうに蒼い瞳を向けられ、晃晴は目をあちこちに泳がせる。


 異性に贈り物をしている、というのも改まって感謝を口にするのもどうにも照れ臭い。


 言葉を探すように視線を動かしていたが、晃晴は観念したように、侑から目を逸らしたまま、


「プ、プレゼント。さすがに、作ってもらってばっかだと悪いから」


 もつれそうな舌を動かして、ぶっきらぼうに呟いた。


「プレゼント……? 私に、ですか……?」

「お、お前に渡してるのに、お前以外へのプレゼントなわけがないだろ」


 照れ隠しでついついつっけんどんな言い方で返してしまう。


 対して侑は「そうですよね」と袋をかさりと鳴らした。


「中を見てもいいですか?」

「あ、ああ」


 袋を広げ、中身を取り出す侑の様子を落ち着かない気分になりながら横目でうかがう。


 やがて、姿を現したぬいぐるみを見て、侑の瞳がわずかに丸くなった。


「ペンギン……?」

「侑、動物好きだって言ってただろ。ゲーセンでそいつをたまたま見かけてさ」


 緊張のあまり、聞かれてもいないことをやや早口気味で言い訳のように口走った。


 両手で抱えながら、まじまじと愛らしいフォルムを見つめる侑に、晃晴はそわそわと判決が下されるの待つ。


(この反応、どっちだ……? もしかして外したのか?)


 ぬいぐるみに目を落としたままなにも言わない侑に、不安がどんどん募っていく。


 プレゼントだから衝動で選ぶのではなく、もっと日を重ねてしっかりと考えるべきだったのでは?


 そんな自責にも似た感情が膨れ上がり、我慢出来ずに口を開く。


「……悪い。やっぱゲーセンで取ったぬいぐるみなんてダメだったよな。また改めて考えるから、それは返してくれ」

「——そんなことありませんよ」


 自嘲の笑みを零しながら、侑が持つぬいぐるみに手を伸ばしかけたところで、その行為は侑の声によって遮られた。


「可愛いと思ってついつい返事もせずに夢中で見てしまっただけです」

「……本当か?」

「はい。だから、いくら晃晴くんがこの子を返せと言っても返しません。私はこの子が気に入りました」


 侑は両手でぎゅっと胸にペンギンを抱えながら、渡す気はないと半身になり、晃晴から隠す。


 そんな侑の様子を見た晃晴は、ぷはっと大きく息を吐き出した。


「……よかった。異性に贈り物なんて初めてだったからさ、喜んでもらえて心の底からホッとした」

「ありがとうございます。とても素敵なプレゼントですよ」


 大切にします、と笑みを浮かべた侑にホッと胸を撫で下ろした。


 冗談抜きに、高校に受かった時よりも安心しているかもしれない。


 侑は再び胸元のぬいぐるみに目をやり、瞳を細めている。


 その横でふと、さっきのことが頭をよぎった。


(自分でも自分の気持ちがよく分からない……か)


 それは、晃晴も感じていたことで、釣り合わないと思っている反面、こうして一緒にいることが居心地がいいとも思ってしまっている。


 この相反している2つの気持ちとどう向き合えばいいのか、自分の中でまったく折り合いがついていない。


 かと言って、もしも晃晴が自分が釣り合っていないから離れてくれと言ったり、自分から距離を置こうものなら、間違いなく侑が悲しむのが目に見えている。


 決して悲しませたいわけではないが、このまま自分が曖昧な気持ちを抱いたまま、侑と付き合っていくわけにもいかない。


 侑のことは信用したいと思う反面、臆病な自分が心の奥底で理性を持って完璧に信用をすることを制してきている状態だった。


 きっと、侑に心の底から気を許すためには、もう1つぐらいなにかきっかけが必要なのだろう。


 漠然とそう考えつつ、晃晴は自分の気持ちとは裏腹に、ぬいぐるみを嬉しそうに抱く侑に目を細めたのだった。

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