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約束と少しだけ変わる関係性

「……かなり買ったな」

「……そうですね」


 雪が運転する車でスーパーに3人で出向き、買い物が終わって駐車場に戻ってきたはいいが、晃晴の手には3袋、侑の手には1袋と明らかに数日分の食糧。


 今日の夕食分だけ買うつもりだったのだが、雪がタイムセールなのをいいことにあれもこれもと買った結果だった。


「こんなにいっぱい買って、無駄になったらもったいないではないですか」


 侑が雪に厳しい目を向けるが、原因となった本人はどこ吹く風で、呑気にペットボトルを口に付けていた。


「備えあればって言うでしょ?」

「いくらなんでも多すぎですよ。生活費だって多すぎるぐらい貰ってるのに」

「細かいことは気にしなーい。私がしてあげたくてしてるんだから」


 今日目にした中でも1番柔らかな笑みは嘘も偽りも感じない。


 蒼い瞳を揺らした侑がどこか硬く、申し訳なさそうな面持ちで唇をきゅっと引き結び、ぺこりと頭を下げた。


 その表情と行動にどのような意味が込められているのか、推し量ることは出来ない。


 だが、少なくともなにかを堪え、泣き笑いのように見えた気がしたのがどうにも気にかかった。


 声をかけるか迷っていると、雪が「晃晴クン」と呟いた。


 声に釣られるように雪の方を向くと、なにやら手招きをして、近くに来るように促していた。


「なんですか?」

「ちょっと2人で話したいことがあるんだよ。そんなに時間は取らせないから」


 柔らかい笑みの中にどこか真面目な雰囲気を感じ、晃晴は首肯した。


 それから、地面に袋を下ろし、ポケットの中から部屋の鍵を取り出し、


「あさみ……侑。先に部屋に戻っててくれ」


 まだ舌に馴染みのない名前を呼びながら、部屋の鍵を侑に手渡す。


「分かりました。……叔母さん、分かっているとは思いますが、あまり変なことは言わないでくださいね」


 しっかりと雪に釘を刺してから、数歩ほど歩いた侑が、身を翻しこっちを向いた。


「あ、あのっ……ひ、ひまりちゃんはお元気ですか……?」


 声を受けた雪がわずかに目を見張り、微笑んだ。


「うん。元気だよ」


 返答を受けた侑は、なにも言わずにぺこりとお辞儀をし、マンションへと戻っていく。


 その後ろ姿を少し眺めてから、雪へと向き直る。


「ああ、ひまりっていうのは私の娘なんだ。侑ちゃんと同い年の」

「……え!? ということは雪さんって……さんじゅ……」

「おーっとその先は禁句だよ、晃晴クン」


 驚いて勢いのままに言葉を発そうとした晃晴を雪がにこやかに制止した。


(……マジかよ。全然そうは見えない)


 だが、よくよく考えてみれば、侑は小さい頃に叔父と叔母に引き取られたと言っていたので、30代は超えていないとおかしいことになる。


 だが、それを感じさせないぐらい若々しい見た目と言動をしているので、高く見積もっても雪は20代前半ぐらいにしか見えなかった。


 驚愕に固まる晃晴だったが、頭を振って、口を開く。


「それで、話って……」

「あーそれなんだけどね……ごめんっ!」


 言いながら顔の前でパンっと両手を合わせいきなり謝罪の言葉を口にした雪に晃晴はぽかんとしてしまう。


「ちょーっと2人の仲を引っ掻き回しすぎたかなって。名前呼びの強制とか、さ」


 決まりが悪そうな雪に、面食らっていた晃晴は苦笑を漏らした。


「もういいですよ。そもそもどうしてあそこまで強引に名前呼びをさせようと?」

「侑ちゃんの為、かな」

「……侑の?」


 言っている意味を理解しかね、晃晴は首を傾げた。


「うん。晃晴クンは侑ちゃんのこと、どれくらい聞いてる?」

「えっと、小さい頃に両親に捨てられた、という話は聞きました」

「あの子がそんなことまで話したんだ」


 雪は嬉しそうに噛み締め、ふと空を仰ぎ見た。


「あの子がうちに来て10年以上経つけど、私たちにも心を開いてくれてないんだよ」

「……そんなことは」

「あるんだよ。実際、あの子は私たちに頼ってくれないもん。迷惑はかけられないって」


 雪が空に向けていた目を悲しげに伏せる。


「そんな侑ちゃんが初めて心を開いて、頼れる人が出来た。こんなに嬉しいことはないよ」

「……それと名前呼びさせることにどんな関係があるんですか?」

「初めて心を開いた相手といい関係が築けるようにサポートのつもりだったんだよ」

「……そういうことですか」


 雪の行動の理由に得心がいった晃晴は、もはや隠すつもりもないため息を吐いた。


「本当ごめんねー。ほら、侑ちゃんってあんな感じだから、誰かが背中を押さないと1歩を踏み出すのにきっと何年もかかるだろうし」

「本人が聞いたら怒りますよ」

「あはは、だねっ。だから、この話はお姉さんと晃晴クン、2人だけの秘密。……約束っ」


 雪が小指を立ててこっちに突き出してくる。


 突然のことだったので、立てられた小指をまじまじと見つめてしまってから、晃晴もゆっくりと小指を近づけていく。


 触れ合うか触れ合わないかぐらいまでいくと、雪が勢いよく晃晴の小指を絡めとるように結ばせた。


「……ね、もう1つ。約束してくれる?」

 

 そのままの状態で、雪のぽつりとした呟きが耳朶を打った。


 今までとは違った静かな声音に、晃晴はやや怪訝な顔で雪を見つめる。

 

「侑ちゃんのこと、お願いだよ?」

「……っ」


 告げられた言葉に、息を呑んだ。


 さっき小指を結んだ時よりも、力のこもり方も、想いのこもり方もまったく違う。


(……俺は)


 彼女と対等でない自分に、一体なにが出来るのか。


 小指から伝わってくる想いに向き合い、汲み取り、慎重に口を開く。


「俺には……大したことは出来ません。出来ないと思います」

「……」

「俺と侑は人として釣り合っていない。それはどうしたって覆しようのない事実ですから」


 自嘲気味な笑みと共に溢れ出た声に、雪の顔が悲しげに歪む。


「それらを踏まえた上で、任せてくださいなんて……とても自信を持って言えません」

「……そっか」


 小指から力が抜けていき、離れていこうとしていくのが分かった。


「――けど」


 その離れそうな指を離さないように力を込め直し、


「分不相応でも放っておこうとか思えないです。これが今の俺に出来る精一杯の答えです。……今は、それだけじゃダメですか」


 晃晴の答えに雪は蒼い瞳を数回瞬かせた後、ふっと満足そうに微笑んだ。


「十分だよ。ありがとう」


 それから、するりと結んでいた指を離したあと、ひらひらと手を振って車で去っていく雪を、姿が見えなくなるまで見送ったのだった。

 


 



「お帰りなさい」


 部屋に帰るなり、晃晴が手に持っていた袋を2つ回収していく侑。


 変な感じがするが、「ただいま」と返し、揺れる白い髪を追ってリビングに入る。


「叔母さんとなにを話していたのですか?」


 キッチン周りに袋を置き、袋の中を整理し始めた侑が作業の手を止めないまま聞いてきた。


「……可愛い姪っ子をよろしくってさ」


 少し逡巡し、雪と話した内容を約束した部分以外をかいつまんで語る。


「そうですか。すみません、叔母さんが重ね重ねご迷惑をおかけして」

「まあ外見と中身が大分違うから戸惑ったけど、なんか母さんを思い出した」

「お母さん、ですか……?」


 侑がことりと不思議そうに小首を傾げる。


「ああ。口調はさすがに違うけど、おせっかいすぎて鬱陶しい感じがそっくりだ」


 軽く鼻を鳴らし、地元で父親と仲睦まじくやっているであろう母親の姿を思い浮かべた。


 その傍ら、スーパーの袋の中身を整理していた侑が、動きを止める。


「……いいですね、そういうの」


 憧憬の滲む声音が聞こえてきて、晃晴もまた動きを止め、侑の方を向いた。


 そして見てしまった。


 目を細め、声と同じく憧憬に満ちたその儚い表情を。


 自らの失策を悟るより先に晃晴は今の侑の表情に既視感を覚えた。


(この顔は……ああ、さっきの……)


 既視感の正体に気づいた晃晴は口内を浅く噛み締めた。


「……なあ、さっきさ。なにを考えてたんだ」

「……さっき?」


 問われていることが分からないという風に、侑がこっちを向いた。


 ——これから自分は、この少女の内側に踏み込もうとしている。


 踏み込み、踏み込ませる。それは、晃晴が1番恐れていたことだ。


 そのせいでただ見られているだけなのに、どうしようもなく逃げ出したい気分に駆られてしまう。


 それでも、震えそうになる声をどうにか抑え、侑の蒼い瞳を見つめ返した。


「雪さんに、してあげたいからしてるって言われた時」

「……っ」


 表情こそほとんど変化がなかったが、蒼い瞳がぴくりと揺れた。


 そのまま2人が見つめ合い、あまり長くない沈黙の後、


「叔母さんがああいう風に言ってくれたり、してくれたりする度に思っちゃうんですよね」


 侑がこっちをちらっと一瞥したあと、泣き笑いのような笑みを浮かべた。


「ああ、この人が私の本当の母親だったのなら、どんなによかったのだろうって」


 望んでも仕方のないことなのですけどね、と自嘲気味に続けられた言葉を前に、晃晴は。


(ああ、ほら。なにが心を開いてくれてない、だ)


 雪が言っていたことを思い出しながら、侑を見つめる。


 侑は身内に対してすら、甘え方も頼り方も分からない不器用なだけだ。


 そんな侑を前に、大したことが出来ない自分が出来ること。


 目の前の泣き出しそうな少女に、してあげられること。


 晃晴は雪との約束を思い浮かべ、どうすればいいのかを探る。


 そして、晃晴はおそるおそる、躊躇いがちに1度は引っ込めかけたものの、侑の頭に手を置いた。


「……っ」


 頭に置かれた感触に、侑がびくりと身を竦ませたが、特に振り払うこともされなかった。


 晃晴はひとまず安堵しながら、ぎこちなく手を動かして頭を撫でていく。


「呼び方さ」


 頭を撫で続けながら、侑に優しく語りかけた。


「……?」

「2人の時だけな」


 こっちを見上げてきた蒼い瞳に微笑みかけながら、晃晴は続けた。


 多くを語らずともそれだけで晃晴の意図が分かったらしい侑がこくんと無言で頷いたのだった。

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