ベランダにて
「あー食べた食べたー」
頼んだピザとお裾分けの大量のからあげもローテーブルの上から姿を消した。
「お前俺より食べてなかったか……?」
満足そうにお腹をさすっている心鳴に軽く頬を引き攣らせる。
記憶が間違っていないなら、ここにいる誰よりも料理を胃に入れたのは、この場で誰よりも小さく、うらわかき乙女なはずの心鳴だ。
小柄と言っても、平均より2、3センチほど低いだけだが、それでもその小さな身体のどこにそんなに食べ物が入るのかが不思議なところだった。
学校では普段から咲と一緒に昼を食べることが多く、心鳴も交えて3人で昼を過ごすことも多い。
その為、心鳴が女子で小柄な割には食べる方だということはもちろん知っていたが、今日はいつも以上に食べていたように思える。
「肉は別腹ってね」
「そこは甘いものじゃねえのかよ」
「え? 肉汁って甘いし、実質甘いものみたいなもんっしょ」
「発想が斬新すぎる」
フードファイター染みた考え方にげんなりしていると、心鳴がふと真面目な顔つきになった。
「晃晴。女子に夢は見過ぎない方がいいよ? 肉とか前にしてこんなにいっぱい食べられなーい、とか言ってる癖に甘いものを前にしたらはしゃいで甘いものは別腹だよねー、とか言う女子は大体カマトトぶってるだけだから」
「偏見が過ぎるし、男の夢を壊すようなこと言うんじゃねえよ。というかさすがに太るだろ」
「太りませんー。このスポーツ少女たる心鳴ちゃんの代謝を舐めないことだね」
自称ではなく、心鳴はスポーツテストで学年1位を勝ち取るほどの運動神経を誇っている。
ため息を吐いて、ソファに浅く腰をかけて晃晴と心鳴のやりとりを眺めていた咲に目をやった。
「お前も彼女に言ってやれよ。太るぞって」
「そーいうデリカシーのない発言は彼氏には許可されてませんので」
「事実を突きつけてやるのも優しさだと思うけどな」
肩を竦めながら投げ返されたボールに晃晴もまた軽く肩を竦めて返す。
「というかどうせ明日も練習あるし。このぐらいのカロリーなんてすぐ消費するっての」
「明日って昼からだよな」
練習、という単語に反応した咲に、心鳴が頷く。
「晃晴もたまには来るか? バスケ」
咲と心鳴は部活には入っていない。
練習やらバスケというのは、咲の父親が運営しているバスケサークルのことだ。
市規模で大会なども行われている本格的なサークルらしい。
中学でバスケをやっていたことは2人には話しているので、誘われたことにそれ以上の他意は含まれていないだろう。
2人の厚意を感じ取りながら、晃晴は口を開いた。
「気が向いたらな」
運動は好きだし、興味がないわけではない。
しかし、出来上がったコミュニティに入っていくのはどうにも億劫だった。
晃晴の心情を察してかどうかは分からないが、咲は肩を揺らしながらくくっと笑い、
「来ねえやつの常套句じゃねえか、それ」
立ち上がり、晃晴を軽く小突いてからローテーブルの上のピザの空箱だったりタッパーだったりを片し始める。
それに倣い、心鳴と一緒に片付けに加わるが、そこまで片付けるものも多くなかった上に3人だったのですぐに終わってしまった。
最後のコップを洗い終えると同時、後ろから咲の「さて」という声が響く。
「んじゃ、オレは腹ごなしついでにココを家まで送ってくるから」
「えー、まだ遊んでたーい。いっそあたしも泊まりたーい」
「部屋主権限でNGで」
「彼氏的には別にいいけど部屋主の許可が下りないのでNGで」
別に泊めたからといって心鳴になにかをするつもりなど微塵もない。
だが、侑は緊急事態で例外だったので仕方ないにしても、異性を部屋に泊めるのはなんとなく抵抗があった。
唇を突き出し「けちー」と不満を露わにする心鳴を咲が笑いながら背中を押して外へと連れ出していくのを見送る。
玄関の方からドアが閉まる音がするのを確認してから、晃晴はサイフとスマホを持ってベランダに出た。
『いまベランダに出てこられるか?』
スマホからヒュポッと音がして、LAINが相手に飛んでいく。
連絡した相手は侑だ。
材料費は明日渡すとは言ったが、侑の方になにか予定が入っているかもしれない。
それでわざわざ時間を作ってもらうのは気が引けた。
サッと渡して解散なら、部屋にいるということが分かっている今、この場で渡してしまった方がいいだろうと判断した。
(まあ寝てたら意味がないけど。ちょっと待って返事こなかったら部屋に戻って……お)
晃晴の心配は、侑との個人LAINに既読が付いたことで杞憂に終わる。
『分かりました』
ポンっと短く6文字だけ返ってきて数秒後、隣の部屋の窓がからからと静かに開いた。
なんとなしに景色の方に投げていた視線を音がした方向に向けると、侑がひょっこりと控えめに顔を覗かせていた。
風呂から上がったばかりなのか、やや湿っている白い髪が顔の角度に合わせてさらりと流れている。
「風呂上がりだったか? 悪い」
「いえ、大丈夫ですよ。それで、どうしたのですか?」
晃晴はサイフから数枚ほど紙幣を取り出して、侑へ差し出す。
それだけで、用事を察したのだろう、侑は「ああ」と呟きながら、紙幣を受け取った。
「ありがとうございます」
「それはこっちのセリフだ。美味かった。あいつらもそう言ってたぞ」
実際、ピザよりもからあげの方が減るスピードが早かったぐらいだ。
そう告げると、見上げてきていた蒼い瞳の目尻が垂れ下がり、頬が僅かに緩む。
「そう言ってもらえるのなら作った甲斐がありますね。よかった」
「っ……じゃあ、風邪引くといけないから」
何度見ても見慣れる気がしないその柔らかい笑みに晃晴はぶっきらぼうに背中を向けた。
「あ、ま、待ってくださいっ」
部屋に向かって足を踏み出した瞬間、後ろから呼び止められてしまう。
そうなると無視をするわけにもいかないので、再び侑の方に身体を向けた。
「その……明日も若槻くんたちと遊んだりするのでしょうか」
あちこちに自信なさげに蒼い瞳を彷徨わせているが、時折こっちをうかがうようにちらっと見上げてくる。
「いや、若槻も明日の昼には帰るみたいだぞ。あいつらは昼からバスケの練習があるらしいから」
「バスケ……? 部活ですか?」
「そういうのじゃなくて個人的なやつだ」
今の話だけだと侑が結局どうして呼び止めてきたのかが分からなかったので、「それで?」と続きを促す。
「あ、あの……その……」
いつもははっきりとものを言うのに、どこか煮え切らない。
侑は胸元で指を落ち着きなく組み替え、顔を赤くしたままぎゅっと目を瞑り、
「あ、明日、日向くんのお部屋に遊びに行ってもよろしいでしょうかっ」
なにか重要なことを切り出すんじゃないか、と身構えていた晃晴は告げられた文言に拍子抜けして固まってしまう。
晃晴の沈黙をどう受け取ったのか、侑は胸の前で両手をわたわたと振り、
「あっ……ご、ご迷惑にならないのなら、でいいので……」
その声がどんどん尻すぼみになっていくのを聞いたところで、盛大にため息を吐き出した。
ため息にビクリと肩を揺らした侑に、晃晴は苦笑を漏らす。
「そんなに緊張してなにを言うつもりなのかと思えばそんなことかよ」
「だ、だって……友達に遊ぼうって自分から誘うの始めてで……」
断られたらどうしようって思ったんですもん、と自信なさげにぽしょりと呟かれる。
呟きを受けた晃晴はやれやれ仕方ないといった風に後頭部を片手で掻いた。
「分かった分かった。明日の昼からでいいな?」
晃晴がそう言った途端、さっきまで自信なさげでしょんぼりしていた侑の顔がぱっと華やいだ。
「若槻が帰ったら連絡する。じゃ、ちゃんと髪乾かせよ」
「はいっ。おやすみなさいっ」
本日2度目となったおやすみなさいを受け、今度は晃晴も「おやすみ」と返し、部屋に戻るのだった。




