失敗のあと
「はぁぁぁぁぁぁぁ………………」
服を買い終わったあと、街中を適当にぶらぶらと歩き回り、部屋に戻ってきた。
部屋に戻ってきてからもしばらく経ったが、晃晴は時折、幸せを全て投げ捨てるような盛大なため息をつくようになってしまっていた。
原因は言わずもがな、先ほどの万引き未遂のこと。
わざとではないにしろ、危うく犯罪を冒しそうになってしまったことに、晃晴の良心は呵責に苛まれ続けているのだった。
「まだ落ち込んでるのかよ。気にすんなって何度も言ってるだろ?」
そんな晃晴を見かねた咲が笑いながら励ましの言葉を投げてくる。
「そーそー気にしすぎ。店長だって笑ってたし、晃晴のことすごく気に入ってたじゃんか。服も割引にしてくれたくらいだし」
「だから余計に申し訳ないんだよ……」
晃晴たちを接客していた女性は実は店員ではなく、店長だった。
事実を知った晃晴はなおのこと慌て、謝罪の勢いを強めたのだが、なぜか店長に笑顔で許されてしまった。
晃晴が侑を助けに行ったあと、1歩遅れてナンパのことに気がついた咲と心鳴がアパレルショップの店長に事情を説明してくれていたらしい。
お陰でお咎めがないどころか、晃晴の行いを気に入った店長が服を割引してくれることになったのだった。
侑を助けたことを後悔はしていないが、手放しで褒められていいことでもないと思っている晃晴は、そのことも手伝って、今も申し訳なさでいっぱいだった。
「大丈夫だってば。あの人中学生の時から知り合いだから分かるけど、晃晴のこと本気で気に入ってたから」
「じゃなきゃそもそも値引きなんてしてくれないよな、あの人」
「でもさ……」
「あーはいはい、でもは無し! この話も終わり!」
鬱々とした気分のまま吐き出し続けようとする晃晴を心鳴が手拍子で遮る。
「浅宮さんもお前に感謝してたんだろ?」
「……まあ、そうだけど」
「んで、店長もお前を気に入ったなら誰も不幸になってない。だからこれでいいんだよ」
「……分かった。そう思うことにしとく」
納得したわけではないが、これ以上なにかを言っても咲と心鳴の考えは変わらないだろう。
2人の性格からして晃晴に気を遣っているなんてことはないだろうが、空気を重くし続けるのも悪い。
晃晴は胸につっかえたもやを無理矢理飲み下すことにした。
「おーし、話も落ち着いたところでメシだメシ。ピザでも取ろうぜ」
「さんせー! あたし肉がいっぱい乗ってる大きいやつがいい!」
「……大きいの1枚取るんじゃなくて、小さいの3枚ぐらい種類変えて頼んだ方いいだろ。その方が揉めなくて済む」
女子力をかなぐり捨てた心鳴のセレクトに苦笑しながら、晃晴も咲のスマホを覗き込んだのだった。
「なあ、晃晴って本当に浅宮さんとなにもないのか?」
ピザを注文し、各々が好きなように過ごしながら待っていると、咲からそんな話題が飛んできた。
「……なんだよ急に」
構えていなかったせいで一瞬戸惑ったが、晃晴はどうにか動揺を押し殺しながら、咲を見る。
「や、さっき浅宮さんを助けに行った時の晃晴がさ、すげー鬼気迫ってる感じだったから」
「あ、分かる。いくら晃晴でも、顔見知りでも関わりのない人をあんな風に助けに行くのかなってあたしも思ってた」
ゲームをしていた咲の隣でスマホを触っていた心鳴も顔を上げ、こっちを見てくる。
「状況が状況だったんだから仕方ないだろ。浅宮とは本当になにもない」
言ってから、咲と心鳴には隠す必要がないのでは、と思った。
侑と友達になったという感覚がまだ自分の中で馴染んでいない為、無意識の内に関係を隠す方に流れてしまったのだった。
(……まあ、いずれまた折を見て話せばいいか)
1度否定した手前、友人だと切り出すタイミングは逃しているわけで、改めて言うのも気恥ずかしい。
侑の性格上、自分のことをちゃんと友達だと思ってくれているだろうが、釣り合っていない自分が友人だと明言するのは烏滸がましいという気持ちもあった。
それに、友達になった経緯を説明すると侑が隣に住んでいることやこの部屋に泊まったことがバレて面倒なことになりそうだったので、晃晴はこの場は口を噤むことに決める。
「というかいくら俺でもなんだよ。お前ら俺をなんだと思ってるんだ」
話を逸らす為に、頭の片隅に引っかかった言葉について言及すると、咲と心鳴は2人して顔を見合わせ、頷き合う。
「超がつくほどのお人好し」
「だよな。なんかすごい悪人でも助けそうで心配になる」
「……過大評価しすぎだ。俺はそんな立派な人間じゃ——」
「そんでもって、超いいやつ」
咲の屈託のない笑顔に晃晴は思わず言葉を引っ込めてしまう。
「お前が自分をどう思っていようが、俺たちがそう思ってるってことは変わらないからな」
「……なんだよそれ」
「お、さては照れてる?」
「うるせえ、照れてねえ」
からかいの笑みを浮かべた心鳴を仏頂面で睨む。
だが、それすらも照れ隠しの一端であると見抜かれているらしく、咲も心鳴も肩を揺らして笑うだけだった。
ただの照れ隠しではなく、いいやつと言われることにも抵抗がある故の反応なのだが、咲と心鳴からすればまとめて照れ隠しだということにされてしまうだろう。
というかどうあっても数の有利で押し切られてしまう。
自分の体裁の悪さを悟り、せめて無言で抵抗してやろうと試みていると、晃晴のスマホが振動した。
「んん……?」
画面に目を落とした晃晴は声を漏らし、眉根を寄せる。
「どうした?」
「あーいや、なんかお隣さんから連絡がな」
嘘は言っていない。
実際、LAINでなぜか連絡をしてきたのは隣に住んでいる侑なのだから。
「お隣さんと連絡先交換してるのかよ」
「お互いに1人暮らしだからな。体調崩した時とかなんかあった時の為だ」
驚いて目を丸くしている咲をよそに、晃晴はLAINのアプリを開く。
『いま、お時間よろしいですか?』
『いいけど、なんだ?』
『からあげを作ったのですが、よければいかがですか?』
『……ありがたいけど、いいのか?』
『はい、今日のお礼なので』
『分かった。今から出る』
返信し、晃晴は画面を触る指を止め、顔を上げた。
「お隣さん、なんて?」
「からあげをお裾分けしてくれるらしいからちょっと受け取ってくるわ」
それっぽく侑とのチャットの内容を口にしながら立ち上がる。
すると、なぜか咲も一緒になって立ち上がった。
「お前なにやってんの」
「や、お隣さんに挨拶をと思ってな」
「いらん。座ってろ」
どうせ顔が見たいだけだろ、と小突いて座らせ、玄関まで行き、サンダルをつっかけてドアを開ける。
晃晴の部屋の左側に侑は既にタッパーを持って立っていた。
目が合うなり、ぺこりと律儀に会釈してみせる侑の生真面目さに、思わず苦笑を零しつつ、胸元に抱えられた数個のタッパーに目をやった。
「多くないか?」
「若槻くんたちの分も、と思って。お泊まりだって聞いていたので」
予想だにしていない言葉に、晃晴はぱちりと目を瞬かせた。
「悪い、なんか気遣わせたみたいだな。大変だったんじゃないか?」
「いえ、そんなことはないですよ。お料理は好きですし、楽しいですから」
誰かの為に作っているならなおさらです、と侑が差し出してくるタッパーを受け取る。
片手で抱えられるものの、ずしりと重たいそれらを手に、侑を見た。
「ありがたく受け取るけど、あいつらの分のは材料費払わせてくれ。さすがに申し訳なさすぎる」
「お気になさらず。私が勝手にやったことですから」
「そんなわけにいくか。この量の材料費はバカにならないだろ」
1人暮らしを始めたての頃。
新しい環境、初めての1人暮らしという状況にテンションが上がり、手始めに自炊でもしてみますか、という1人暮らしあるあるになったことがあった。
凝ったものは作れないのでとりあえずパスタを選んだのだが、これ、と料理を決め打ちして材料を買うと意外と材料費がバカにならないことに気がついてしまった。
以来、晃晴はご飯を炊いて冷凍しておいたら楽という親からのありがたい言伝に従い、炒飯など比較的簡単で安価で済む料理以外には手を出すのを躊躇っているのだった。
それに、対人関係で金銭面が絡む話なら、なおさらちゃんとしておかないといけないだろう。
目に真剣な色を宿して、侑を見つめていると、やがて侑がふっと微笑んだ。
「分かりました。若槻くんと有沢さんの分は受け取ります」
「……意外とすんなり聞いてくれるんだな」
「私を堅物とでも思っているのですか」
その通りなのだが、言葉にしてしまうと拗ねられるような気がして、晃晴は首を軽く横に振りながら、
「そうじゃなくてさ。いつもならこの場面ですんなり引き下がらないだろ」
「……遠回しに堅物だって言っているではないですか」
完全に言葉選びを間違え、口を滑らせると侑がつんとそっぽを向いてしまう。
拗ねた侑を前にどう対応したものかと頭を悩ませていると、
「……もし、私が今の日向くんと同じ立場なら、きっと同じことをしますから」
ぽつり、と静かな声が晃晴の耳朶を打った。
態度こそつんとしたままではあったが、声音は柔らかい。
そんな侑を見て、晃晴はふっと軽い笑みを漏らし、口角を上げた。
「からあげ、ありがとな。あいつら待たせてるし、そろそろ戻るわ。お金は明日渡すから」
意識的に優しい声音で感謝を伝え、侑に背を向けると、
「……こちらこそ、今日はありがとうございました。おやすみなさい」
背後からさっきよりも柔らかい侑の声が聞こえてきた。
その声に、晃晴は「ん」と片手を上げながら、部屋の中に戻るのだった。




