格好のつかないヒーロー
「おーい、晃晴ー。着替えたかー?」
更衣室の外から聞こえてきた咲の呼びかけで、晃晴ははっとし、回想の世界から帰還した。
「悪い、ぼうっとしてた。というかなんでこうなったのかって頭を整理してた」
「なにやってんだよ」
「ほぼお前らのせいだろ。2人でこんなこと仕組みやがって」
長々と回想に浸ったが、つまるところ、幼馴染のコンビネーションに嵌められただけだった。
「そう言う割には素直についてきたよな」
「……仕方ないだろ。状況に頭が追いつかなかったし」
あと断ってたらどんな命令に変えられるか分かったもんじゃない、と付け加えておく。
「お前に似合う服選んだから大丈夫だって。それに、急に女の子と出かける時になって、服がないってなったら困るだろ」
「……」
「お、心当たりあり?」
「そんな機会ないっていう無言のアピールだ」
実際は侑と出かけたことを思い出して黙ってしまったのだが、顔を見られていないのならどうとでも誤魔化せる。
平静を装った声で返すと、「ふーん」と気のない返事が戻ってきた。
それきり咲からの言葉が途切れたので、手早く着替えを進めていくと、
「ごめんな、晃晴。騙すような真似して、無理矢理連れてきちまって」
いつも明るくてへらっとした咲には似つかわしくない、真摯な声が響いてきた。
晃晴は思わず動きを止め、僅かに目を見開く。
「あたしも、ごめん」
「オレもココもさ、お前には助けられたから。だから、少しでも晃晴が自信をつける為の手伝いが出来たらって思ってるんだよ」
続く声に、晃晴は頭を掻きそうになり、整髪料がついてることを思い出して、ため息に切り替えた。
「別に本気で怒ってるわけじゃない。まあ、自分を着飾る術は知っておいてもいいだろうしな」
とんでもない友人が出来てしまったわけだしな、と心の中でつけ加えた。
曲がりなりとも侑と友人関係になってしまい、これから一緒に行動する可能性だって十分にある。
その時に晃晴の服装がダサければ、一緒にいる侑がバカにされたりするかもしれない。
(俺はともかく、浅宮がバカにされるのだけは避けないとな)
それが、分不相応にも友人になってしまった自分に出来るせめてもの立ち回りというものだろうと、晃晴は自身に言い聞かせる。
「よーし、お許しも出たことだし、ガンガン服選んでくぞ!」
「がってん!」
「……お前ら反省してないだろ」
晃晴は呆れながら更衣室を出た。
「おー! いいじゃんいいじゃん!」
「だな。似合ってるぞ、晃晴」
「そ、そうか……?」
自分ではよく分からない晃晴は2人からの賛辞に首を傾げ、自分の身体を見回す。
「やー、化けるとは思ってたけど……まさかここまでとはね」
「ま、今回は髪整えただけだから、ちゃんとカットもした上でセットしたらもっと違うと思うぞ」
「……やっぱよく分からん」
自分のことを特別カッコいいと思ったことのない晃晴には、2人からの言葉が無性にむず痒い。
未だに半信半疑な上に、慣れない格好、慣れない称賛の嵐を受け、晃晴にしては落ち着きなく、そわそわと視線を店内のあちこちに向けてしまう。
(……ん?)
泳ぎ続けていた視線がある一点でピタリと止まった。
晃晴の目が止まったのは店内ではなく、更に奥。
様々なアパレルブランドが立ち並び、人々が行き交う通路。
その中のとある一点。
視線を固定したのはわずか一瞬だったが、脳がその状況を正しく理解するのと同時、晃晴は弾かれたように走り出した。
「ちょっ、晃晴!?」
「おい、どうしたんだよ!?」
背後から聞こえる心鳴と咲の声を置き去りにするように、真っ直ぐ視線の先へと駆けていく。
晃晴が目指す先、そこには……——浅宮侑が2人組の男に絡まれている姿があった。
残っていた理性を働かせ、そのまま走っていくのではなく、途中からは早歩きに切り替えて近づいていき、
「——すみません。彼女、俺のツレですので」
男たちと侑の間に割り込んだ。
背中の方から、侑の「え……?」という驚いた声が聞こえてくるが、振り向かずに2人組の男と向き合う。
突然の乱入者に男たちも驚き、声を失っているようだった。
(ヤバい、勢いで動いたせいでなにも考えてなかった……!)
一方の晃晴はこの場でただ1人、澄まし顔だったが、必死に頭を働かせていた。
——もし、相手が手を出してくるタイプなら?
——逃げる場合の逃走経路は?
——誰かが警備員を呼んでくれないか?
多種多様の案が頭の中で、目まぐるしく浮かんでは消えていく。
それでも、全ての案に共通しているのは、どう動けば侑への危害を避けられるのか、だった。
実際には10秒も経っていない程度、体感では永遠にも感じる時間の中。
晃晴は相手から視線を逸らすことなく、相手の出方をうかがっていると、
「あーっ、やっぱり彼氏連れだったかー! しかもイケメンの!」
「だから言っただろ!? こんな可愛い子に彼氏がいないわけがないってさー!」
「お前だって声かけるの結構乗り気だったじゃねえかよ!」
いきなり目の前で言い合いを始めた2人組を前に、晃晴は固まった。
想定していたどのリアクションとも違いすぎて、今も回し続けていた思考が止まってしまう。
(というか、イケメン? 俺が……?)
晃晴が思考を止めたのは、自身に対して聞き慣れない評価が聞こえたからでもあった。
「ごめんねー、彼氏クン! デートの邪魔して!」
「あっ、いえ……」
「彼女さんも、急に声かけて驚かせてごめんね? 俺らもう行くから!」
「は、はい……」
ナンパを失敗したという割には、それを感じさせないほど爽やかに去っていく2人組の男に、晃晴も侑もぽかんと口を開け、見送ることしか出来ない。
離れた距離から響いてくる「あー、俺もあんな可愛い彼女がほしー!」という声を合図に、ようやく晃晴は金縛りが解けたように動き出した。
「あー、その……大丈夫か? 浅宮」
振り返りながら、侑の様子を確認する。
「あ……は、はい、お、おかげさまで助かりましたっ」
侑はまだ固まっていたが、声をかけられてようやく我に返ったのか慌ててぺこりとお辞儀をしてくる。
そして、なぜかおずおずとこっちを見上げてきた。
「あ、あの……日向くん、ですよね……?」
「……そうだけど、他の誰に見えるっていうんだよ」
「すみません。けど、いつもとかなり雰囲気が違うので……」
正直、声をかけられるまで日向くんだという確証が持てませんでした、と苦笑気味に言われてしまう。
「そこまでなのか」
「はい。なので最初はナンパから助けて恩を売ってきてナンパのパターンかと」
「そんなややこしいことするか。……というか、もしかしてそれも経験済みか」
侑が無言で頷いた。
つくづく、モテることや目立つ容姿だと苦労が多いのだろう。
(そりゃ、周りも信用出来なくなるわけだよな)
助けられたのに恩を売る目的だったということを繰り返されれば、侑がこうなってしまったのも頷ける。
侑が経験してきたこれまでの過程を改めて想像してしまい、晃晴は内心でそっと嘆息した。
そんな晃晴の心の内など知る由もない侑に、身体を上から下までまじまじと観察される。
やがて顔に視線を戻してきた侑と目が合った。
「あ、すみません。じろじろと見てしまって」
「別にいいけど。……やっぱ似合わないだろ?」
「逆ですよ。似合ってるな、と思って見てたんです。……ちゃんとカッコいいですよ」
自嘲めいた笑みを嘘を疑う余地のない純粋な微笑で打ち返されて、晃晴は言葉を失い黙ってしまう。
そもそも侑がお世辞を言う性格ではないことは前日の件で証明されているので、本心からカッコいいと言われていることは疑いようもない。
そのことがとにかく面映ゆく、顔が赤くなってしまっていることを自覚している晃晴は、せめて表情だけは取り繕おうと、いつも以上の仏頂面を意識して作る。
「……それで、浅宮も服を買いに来てたんだよな?」
「はい。夏ものを見にきたのですが……」
言葉を切った先は晃晴が見た通りだろう。
「日向くんもお買いものの途中ですよね? 値札が付いたままですし」
「………………ん?」
晃晴は今の侑のセリフの中に謎の引っかかりを覚え、眉を顰めた。
「もしかしてお会計の途中で抜け出させてしまったのでしょうか? ……そうだとしたら、私の為にすみません。……日向くん? どうされたのですか?」
晃晴の様子がおかしいことに気がついた侑が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
しかし、今の晃晴は目の前にいる侑にすら意識が向かなくなっていた。
(なんだ……? なにが引っかかる? なにか致命的なミスをしているような……)
そもそも、晃晴はどうしてここにいるのか。
当然、ナンパされている侑を助ける為だ。
それならば、その前はなにをしていたのか。
更衣室から出て、試着した服を見せて感想を言われ、今は値札の付いた服を着ている。
更衣室、試着、ナンパを目撃、助ける為に走る、という単語が頭の中をぐるぐると回り、引っかかりの正体に思考が行きついた結果、
「……っ!」
「えっ!? 日向くん!? どうされたのですか!?」
「悪い浅宮! 話はまた今度!」
晃晴はまた弾かれたように走り出していた。
その速度たるや、侑を助ける為に走った時よりも速い。
向かう先はさっきまでいたアパレルショップ。
(俺のこの状況って万引きだよな!?)
そう。晃晴は試着した服を着たまま、会計をしていない服を着たまま、店の外に出てしまっていた。
いくら人を助ける為だったとはいえ、とんでもないミスを冒してしまっていたのだった。
その後、鬼気迫る表情をして、冷や汗を流しまくった晃晴が、アパレルショップの店員に土下座も辞さない勢いで頭を下げたことは、言うまでもない。




