メインヒロインはお世辞が苦手
「……やっぱゴールデンウィークだな」
移動の為に乗り込んだ電車内で、近くにいる侑だけに聞こえる声量でぼやく。
休日ということもあってか、駅のホームも車内も老若男女問わずにごった返していた。
「……ですね。少し甘く見ていました」
侑も辟易した様子で、隣に立っている。
今はまだ余裕があるが、ピークの満員電車じゃなくてこれなら、休日時のピークは一体どうなってしまうのだろうと、晃晴は思わず背筋を震わせてしまう。
「その言い方だと、浅宮も初めてなのか」
「はい。噂には聞いていましたが、まさかこれほどとは……」
「実家、この辺なんじゃなかったっけ」
前にさらっと言われたことなのでうろ覚えだが、歩いて帰れないほどではないと口にしていた気がする。
「厳密にはもう少し遠いです。一応都内ではあるのですが。小、中学校と徒歩で通える距離だったので、あまり電車を利用したことがなくて」
「なるほど、それでか」
頷くと電車が停車し、ガタンと揺れた。
「聞いた話では、立てる足場があるだけマシらしいですよ」
「うげっ……マジでか」
人混みが苦手な晃晴にとって、想像すると地獄に他ならない光景だった。
(地元ではこれが最高みたいなところあったけど、まだ上があるのかよ……)
自然と苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
ちょうどそのタイミングで、扉が開いて、更に人が流れ込んできた。
ただでさえ人の多い車内に人が押し込まれ、どんどん立っている場所がなくなっていく。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい……どうにか……」
侑が窮屈そうに身体を縮こまらせ、苦しそうに返事をしてくる。
今の状況は、知らない人間に身体を押し付けたり、押し付けられたりしている状態。
男である晃晴はともかく、他人に身体が触れているのは女性にとって、あまり愉快とは言えないだろう。
「浅宮、こっち」
肩に触れることを逡巡したが、そうも言ってられないと、晃晴は侑の肩を軽く掴み、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げる侑を自分の背中側に押し入れた。
扉と椅子と晃晴の間にわずかに空いているだけのスペースだったが、さっきまでいたところよりは幾分かマシだろう。
「……悪いな。あと2駅、これで我慢してくれ。嫌だろうけど、知らない他人に触れられるよりはマシだと思ってくれよ」
「い、いえ……私なら大丈夫です。すみま……ありがとうございます」
こうは言っているものの、実は我慢が必要なのは晃晴も同じだったりする。
さっきまでとは体勢が変わり、今の晃晴は椅子と扉に手を付いた、いわゆる壁ドンの状態。
この人混みの中では、そこまで広いスペースを占領するわけにもいかない。
侑を人混みから庇う為だけに作った急増の空間は最低限で、ほとんど抱き締めているのと変わりがない。
そのせいで自然と侑との距離が近くなり、侑の顔が晃晴の顎付近にくる形となっている。
ほんのりと優しい香りが漂ってくるし、普段は意識することはないまつ毛の長さも、染みもくすみもない白くて綺麗な肌も、桜色に色づいた唇も。
その1つ1つが重なり合うことで、晃晴の理性を確実にくすぐりにかかってきていた。
こうして近距離で見ると、改めて目の前にいる浅宮侑という少女が、嘘偽りも誇張もなく、とんでもない美少女だということがよく分かる。
(いや、この選択自体は間違ってないと思うけどさ)
たった2駅で、かかる時間は数分程度のはずなのに、体感でその倍には感じた時間。
晃晴はそのわずか数分の間、呼吸の仕方すら意識する羽目になったのだった。
「さっきは急に悪かったな」
どうにか理性の崩壊は免れ、目的地に降り立った晃晴は、平静を装いながら侑に声をかける。
「私を気遣っての行動なのでしょうし、感謝の気持ちはあれど責める気持ちはありませんよ。……ちょっとびっくりしましたけど」
侑が微笑を湛えて、晃晴を見上げてくる。
さっきまでの余韻がまだ抜け切っていない晃晴には、その微笑すら心臓に悪い。
居心地悪く、視線をあちこち彷徨わせている晃晴に対し、さっきまでの微笑みが消えても、侑はじっとこっちを見つめ続けてくる。
なにか言いたいことでもあるのかと問おうとすると、
「日向くんってもしかして実はものすごく女の子慣れしてたりしますか」
「……は?」
晃晴が口を開く前に、侑の口から自身とは縁遠い言葉が聞こえてきて、ぽかんとしてしまう。
(女の子慣れ? 俺が?)
「いや、そんなことはないけど……どうしてそう思ったんだ?」
「だって、ああいうこと自然に出来るぐらいですし。だから慣れてるのかな、と」
言われたことに、晃晴はああ、と小さく呟いてみせる。
女慣れはしていないが、自分がそういう行動を咄嗟に取ったことに対しての心当たりはあった。
「昔から父親に言われてるんだよ。女の子には紳士に誠実さを持って接しろってさ」
晃晴自身、父親のその教えが間違っているとはいないので、常日頃から出来る限り、そういう在り方をしたいと思っている。
小さな頃から聞かされていたことなので、反射的にその考えに沿った行動を取ってしまうぐらいには、身に染みていることだった。
「そういうことでしたか」
「というか、こんな洒落っ気のない格好してるやつが女の子の扱いに慣れてると思うのか」
肩を竦めると、侑が上から下まで1度視線を通し、また顔を見てくる。
「それはそうですけど、気になったので」
「そうか。まあ、活用するほど異性と関わらなかったし、そもそも女子と2人で出かけるのはお前が初めてだよ」
女友達自体は部活の都合上、いるにはいたが、2人きりで出かけることはなかった。
そういう時は大体部活の仲間と一緒に過ごしていた。
その事自体は別に珍しいことでもないだろう。
「……そうなのですか?」
侑が驚いたように目を見張った。
「なんで意外そうな顔するんだよ。自分で言うのもなんだけど、俺は無愛想でとっつきにくいし、関わりづらいやつだぞ」
「……そうですね。日向くんは確かに愛想がなくてぱっと見近寄りがたくはあると思います」
はっきり言うやつだな、と苦笑する。
自覚はあるので文句など言いようがないのだが。
「それでも、見た目は野暮ったいだけで整っている方だと思いますので、私が初めてというのが意外で」
「……」
侑が口にした見た目が整っているという言葉に今度は晃晴が目を丸くし、フリーズしてしまう。
「日向くん? どうかしたのですか? 私、なにか変なことを言いましたか?」
「……や、浅宮もそういうお世辞とか言うんだなって」
「お世辞?」
きょとんと首を傾げられ、侑が真面目に言っているのだと悟ってしまい、晃晴は戸惑いを隠せない。
晃晴は自分の容姿を客観的に見てはいて、決してブサイクではないことは知っている。
が、自己採点であくまで普通程度。
そこに自己評価の低さをプラスしてしまい、自分が着飾ったところで、という判断を下すに至っている。
「日向くんは私がお世辞を言うタイプに見えるのですか?」
「……いや、言わなそうだけどさ」
そもそも、さっきまで明け透けなものの言い方をしていたのに、このタイミングでお世辞を挟むとは考えにくいだろう。
だからこそ、自分の容姿を悪くないと大真面目に言われている事実に、ここまで狼狽えてしまっていた。
「そうでしょう。私は私の思ったことを口にしているだけですよ。なので、素直に受け止めてください」
「……そりゃどうも」
真っ直ぐな目に射止められてしまえば、あとは晃晴に出来たのは、素っ気なく、ぶっきらぼうにそっぽを向きながら呟くことだけだった。
(……あーくそっ)
侑が本気で言っていると分かっている以上、どんな言葉を重ねても、あとはもう照れ隠しにしかならない。
頬をわずかに赤くした晃晴は、もはやなんの意味も持たない毒付きを、心の中で漏らすのだった。




