看病と言えなかったワガママと
「ほら、薬と水」
先に寝室に入って、ベッドにちょこんと腰掛けていた侑に解熱剤とマグカップを差し出す。
「ありがとうございます」
侑は差し出されたマグカップと薬を控えめに受け取る。
しかし、薬も水もすぐには口にはせず、ジッとなにかを言いたげにこっちを見上げてきた。
顔が赤く、目の焦点も定まっていない。
いつもの無表情と相まって、感情が読みづらいが、瞳の奥で揺らいでいる不安の色が見えたような気がした。
「……体調を崩して迷惑をかけてしまって申し訳ないとか考えてるか?」
侑がわずかに目を見開いた。
「どうして分かったのですか……?」
「浅宮が今までになにを気にしてるのかってことを考えれば、誰にでも予想はつく」
きゅっと口を引き結び、侑は目を伏せてしまう。
晃晴は、そんな侑の様子に軽く頭を掻きながら、言うべき言葉を探し、ゆっくりと口を開く。
「浅宮が悪いことをしたわけじゃないだろ。運が悪かったんだよ」
「……で、でも」
「まあ、俺がいくら気にするなって言っても、浅宮は気にするんだろうけどさ」
ため息を吐きながら、身を屈めて、伏し目がちになった侑と目を合わせる。
「それでも、俺に言えるのは気にするなってことだけだから」
「……日向くん」
目を合わせたのはこっちだが、頬は赤く染まり、目がとろんとしている侑と見つめ合っていると、熱のせいと分かっていても、妙な気分になりそうでどうにも居心地が悪かった。
「あ、あとはあれだ、ほら、ちゃんと予報通りに来なかった熱帯低気圧のせいとかさ。ニュースキャスターのせいとかにしとけ、うん」
気恥ずかしくなって、早口で捲し立てながら、立ち上がる。
侑は急に立ち上がった晃晴を見て、きょとんとしていたが、堪え切れなくなったみたいにくすくすと笑みを零した。
「ふふっ。なんですか、それ」
「と、とにかく! 今、気にしないといけないのは俺のことじゃなくてそっちの体調のことだろっ。病は気からって言うんだし、そんなんじゃ治らないぞ。ほら、薬飲んでとっとと寝とけ」
向けられた笑みがこそばゆすぎて、また早口で話題を無理矢理逸らす。
そんな晃晴の様子を見て、ツボに入ってしまったのか、さっきまで不安そうにしていたのが嘘だったように楽しげに肩を揺らしながら、ぷくくと笑い始めた。
(あーくそっ、こっちまで熱が出そうだ……!)
侑の熱が伝播したかのように、晃晴の顔も赤く染まる。
晃晴の顔から熱が引く頃に、ちょうど侑の笑い声も収まった。
笑いすぎて目元に浮かんだ涙を指で拭った侑が、ようやく薬を口に含んだのを眺めながら、
(……ま、落ち込んでるよりはいいか)
本人ですらも気づかない内に、晃晴の口の端はほんのわずかだけ上がっていた。
自分が恥をかいたとしても、相手が笑ってくれるのなら、それでいい。
ヒーローになることを諦めた今でも、その考えだけは変わることがなかった。
変わったことがあるとするのなら、相手を選ぶようになったということ。
誰かれ構わず世話を焼くのではなく、自分がそうしたいと思える相手にのみ、尽くす。
今はまだ無意識的なものだが、つまりは、晃晴は侑がそうするに足る人物であると思い始めてるということだった。
今の晃晴が意識しているのは、まだ、危なかっしくて放っておけないぐらいのものなのだが。
「あと、これ貼るから。おでこを出してくれ」
懐に入れていた冷却シートの箱を取り出す。
「そのくらいは自分で……」
「鏡もない。自分でやるよりは、人にやってもらった方が確実だろ」
箱からシートを1枚取り出し、侑に近づく。
侑は小さく逡巡したが、晃晴の意見に従うことにしたらしく、躊躇いがちに髪を上げ、おでこを晒し出す。
赤く染まっているが、本来なら染み1つなく、透き通るように白く、つるりとした綺麗なおでこであろうことは容易に想像出来た。
「これで、よし」
「ありがとうございます。……冷たくて気持ちいいです」
侑がほうっと息を吐きながら、目を細める。
「冷蔵庫の中に入れてたからな。……食欲とか、あるか?」
聞くと、侑は思い出したかのように腹に両手を当てた。
「そういえば、なにも食べていませんでした」
「それじゃ、ヨーグルトと適当に果物でも持ってくる」
侑が買ったものの中には、バナナとりんごもあった。
どれも重くなく、あっさりしているもので、病人に食べさせるには適したものと言える。
食べさせるものを準備する為に晃晴は寝室を出て、冷蔵庫を開けた。
バナナは食べやすいサイズに切り、皿に入れ、上からヨーグルトをかけていく。
りんごは、包丁で皮を剥く技術を持ち合わせていないので、ピーラーで剥いていき、すりおろしたものを別の皿に盛り付けた。
ついでに、マグカップに冷たいお茶を注ぎ、寝室に戻る。
「ここに置いとくぞ」
ベッドサイドのものが置けるスペースに皿とマグカップを乗せたトレイを置く。
「なにからなにまで、すみません」
気を遣わせないように上手く隠しているだけかもしれないが、さっきまでとは違い、自分をそこまで責めている顔はしていない。
それでも十分に申し訳なさそうにしてはいるが。
晃晴はそんな侑の顔を見て、言葉を探し、
「……俺はさ、すみませんって謝罪の言葉よりも、ありがとうって感謝される方がいい」
「え……?」
「まあ、月並みな言い方なんだけどさ。やっぱりそっちの方が、いいと思うんだよ」
晃晴は今まで、助けた相手に自分から感謝を求めたことはない。
もちろん、人を助けて感謝をされるのは気持ちのいいことに違いない。
だが、それを自分から求めるのは、なにかが決定的に違っている。
それをやってしまえば、たちまち、晃晴の信念から遠くかけ離れたものになってしまう。
実際、今も胸の中に潜む自分は、違和感を口にしてきていて、晃晴は見ない、聞こえない振りをしている。
それでも、晃晴がこうして口に出したのは、侑が抱える罪悪感を減らす為。
自分のことで時間を取らせて、迷惑をかけてしまいすみません、という謝罪の言葉で更に自分を傷つけてしまうことを防ぐ為だった。
(自分が傷つくのも痛いんだけど、やっぱり人が傷ついている顔を見る方がもっと痛い)
晃晴の言葉をゆっくりと時間をかけて飲み込んだのか、侑はふっと表情を緩め、
「そうですね。すぐには難しいかもしれませんが、そう言えるようになれればいいなと思います」
「……ああ」
「日向くん。色々とありがとうございます」
下げられた頭に、もう1度「ああ」と呟いた。
「それじゃあ、ちょっと買い物に行ってくるから。なにかいるものあるか?」
「いえ。特にはありません」
「そうか。じゃあ、ゆっくり休めよ」
くるり、と晃晴が背中を向けて歩き出そうとした瞬間、袖になにかが引っ掛かるような感触があったような気がした。
立ち止まって視線を袖に落としてみるが、そこにはなにもない。
「どうされました?」
「……いや、なんでもない」
急に立ち止まったことで侑が声をかけてくるが、軽く首を横に振りながら、返事をした。
(気のせいか)
晃晴はそう思いながら、寝室をあとにした。
「……危ないところでした」
晃晴が出ていったあと、侑はベッドに腰をかけながら独りごちた。
(まさか、無意識に袖を掴んでしまうなんて……)
掴んだ瞬間に咄嗟に気付き、指を離したが、もう少しでバレてしまうところだった。
「……これ以上、日向くんに迷惑をかけてしまうわけにはいきませんから」
もし、袖を掴んだことに気付かれていたら。
きっと、侑の言いたいことにも気が付いて、文句を言うこともなく、侑の望んだ通りにしてくれていただろう。
ここ数日で始まった短い付き合いでも、晃晴の人となりは侑にも伝わっている。
だからこそ、侑は言えるはずがなかった。
迷惑がかかってしまうと分かっていたから。
「……簡単に言えるわけありませんよ。——行かないで、なんて」




