シンシア・ラーナーだって結婚したい 4
ひととおり挨拶を終えて兄が友人たちと話し始めたので、私は化粧直しのために一度控室に引っ込むことにしました。
ディアドラ様が親しげにお声をかけてくださったおかげか、ベリサリオの絡む再開発やツアーの話を聞きたいからか、私に声をかけてくる人がびっくりするほど増えたので、逃げ出したかったのもあります。
挨拶が済んでしまえば、客人たちはそれぞれにこの場を楽しみ、友人と語らうものです。
何のための集いだったのかは、もうあまり関係ないのです。
ラーナー侯爵家から招待された人たちに自分もここにいるんだぞと示せれば、社交の第一段階は終了したようなものですから。
招待する側からするとここから重要なのは、屋敷内の飾りつけのセンスと料理の質と量、そして接客する使用人がきちんと仕事をするかどうかです。
屋敷内のことに関しては、日頃から母が細かいところにまで気を配っていますので、まず間違いがありません。
母は父と違ってセンスがありますし、しっかりと流行を押さえています。
うちの男性陣が常日頃センスのなさを指摘されず、素敵だと褒められるような服装でいられるのは、母というアドバイザーがいるおかげです。
父も兄も用意された物を着るだけなんです。
「お嬢さま、そろそろ戻りましょう」
「そうですわね。お友達も来ているし、顔を見せるだけでもしないといけませんね」
髪をアップしても大人っぽいドレスを着ても、小さくて童顔の私は、精一杯背伸びをしている子供にしか見えません。
それがかわいいと言ってくださる人もいますけど、私だけが子供扱いされるのは悲しいものです。
だから着飾っても、あまり意味がないとは思うのですけど、侯爵令嬢として恥ずかしくないくらいには華やかにしないといけないそうです。
侯爵家以上の身分の御令嬢は華やかでお美しい方ばかりなので、私ばかり貧素だと家族みんなが笑われてしまいます。
「あら? あそこにいらっしゃるのはカミル様じゃありませんか?」
「え?」
廊下を進んだ先にはお客様の休憩用のお部屋が並んでいますので、カミル様がいること自体はなにも問題ありません。
でも、ひとりで壁に寄りかかり、腕を組んで暇そうにしていらっしゃいます。
部屋の中にディアドラ様がいらっしゃるのでしょうか?
どちらにしても、もうご挨拶も済ませているホスト側の私が、ここで無視して前を通り過ぎるわけにはいきません。
「カ……」
近づきながら声をかけようとして、こちらに気付いて振り向いたカミル様の表情を見て息をのみました。
侍女が思わず私の前に出て、庇おうとするくらいに冷ややかできついまなざしだったんです。
長い前髪から覗く黒い瞳には、照明を映して白く強い光が灯っています。
寄せられた眉ときつく引き結んだ口元に不機嫌さを隠しもせず、これ以上近づいたら暴力を受ける危険もあるのではないかと思うほどの雰囲気を醸し出していました。
「あ、あの……」
近づくな。
関わるな。
そうおっしゃりたいだけなのかもしれません。
でももしかして、こちらが素の顔で、いつもの優しそうなカミル様は人前で装っているだけの演技だったとしたら?
ディアドラ様とふたりだけの時は、こんな顔で接していたら?
そんな、ひどすぎます。
この方は精霊王の加護を受けていらっしゃるので、とても強い方のはずです。
その彼に怒りをぶつけられたらどうなるんでしょう。
ひと睨みされただけでも、足がすくんでしまうほど怖いんですよ。
カミル様が好きだから、ディアドラ様が我慢していらしたらどうしましょう。
そんなことは絶対に許せませんわ。
ベリサリオの方々は気付いていらっしゃらないのでしょうか。
「な、何か問題がありましたか?」
ありったけの勇気を込めて尋ねたら、カミル様は瞳を見開きまじまじと私を見つめたのち、さっと顔を背けてしまわれました。
どうすればいいのでしょう。
このまま立ち去るべきなのでしょうか。
その時、カミル様の頭上にいた精霊たちがピカピカと瞬きました。
お客様が多いので、今夜は精霊獣も精霊形にしていただいています。
「なに?」
精霊に何か言われたのでしょうか。
カミル様の声に焦りが感じられ、きつい目元がかすかに和らぎました。
すぐに風の精霊が扉を通り抜けて部屋の中に入っていき、気付けば私や侍女の精霊たちもざわざわと頭上で動き回っています。
「もしかしてきみは……ラーナー侯爵家の」
「……はい。シンシアです」
え? もしかして私が誰だかわからなかったんですか?
何度も会っていますのに?
先ほども兄と一緒にご挨拶したばかりじゃないですか。
「なに? カミルが何かやらかしたの?」
突然扉が開いて、カミル様の精霊と一緒にディアドラ様が出てきました。
そして私とカミル様の顔を何度か交互に見て、腰に手を当てた妖精姫お決まりのポーズで、
「カミル! 私の友達を脅さないでよ。ラーナー侯爵家のお嬢さんに失礼な態度を取るって何なの?」
カミル様のすぐそばまで近づいて睨みつけました。
「いや……それは……」
たじたじになってしまっているカミル様の姿を眺めながら、ようやく冷静になれました。
私ったら、気が動転して馬鹿なことを考えていたようです。
安心したと同時に気が抜けてしまいましたわ。
ああ、そうでした。
妖精姫が、カミル様がこわいからと我慢するわけがありませんでした。
そもそも、人間を怖がる必要はないのでした。
それがカミル様だとしても。
だって妖精姫は、世界最強なんですもの。
妖精姫を悲しませたり、万が一にも暴力をふるったりしていたら、今頃カミル様は海の底に石になって沈んでいるか、砂になって風に飛ばされています。
ここにこうして五体満足で生きていらっしゃるということは、妖精姫を大事にしているということの証明になるじゃないですか。
「いったい何を騒いでいるんだ?」
続いて部屋の中から出てきたのはアラン様でした。
まあ、アラン様にもお目にかかれるなんて、今日はなんて幸運な日なんでしょう。
「カミルがまた女の子を怖がらせちゃったみたいなんです」
「……またか。王族がその目つきなのはまずいって、何度も言っているのに」
「しかたないだろう。知らない女が近づいてきたのかと思ったんだよ。ひとりだったから、面倒なことになったらいやだろう」
婚約者がいても、あわよくばと近づいてくる人は男女共にいますからね。
気持ちはわからないではないんですけど、やはり私のことは覚えていなかったということです。
「はあ? さっき挨拶したばかりでしょう? シンシアはラーナー侯爵家の御令嬢でデリルの妹なのよ?」
「そう……なんだよな。今度はちゃんと覚えた」
「ごめんなさいね。カミルは親しい友人以外には、目つきが悪くなってしまうの。人見知りなのよ」
いえ、人見知りなのではなく、ディアドラ様に疑われたくないので、女性に近づいてほしくないのではないでしょうか。
変な噂がたったら、妖精姫を溺愛するベリサリオの御家族も精霊王様も許さないでしょう。
カミル様にとっては、パートナーと離れてひとりで近づいてくる女性は、災いの元に見えるんでしょう。
「気にしていませんので謝らないでください。私は地味ですから、あまり記憶に残らないんですよ。こういうこと、初めてではないですから」
「「「……」」」
違いますよ。事実を言っただけで自分を卑下しているわけでも、そんなことないよという言葉を待っているわけでもないんですよ。
ディアドラ様、カミル様を睨まないであげてください。
こわかったですけど、ディアドラ様がつらい思いをしているのでなければいいんです。
あ、兄が向こうからやってくるのが見えました。
侍女をふたり、呼んできたようです。
よかった。兄からも問題ないと言ってもらいましょう。
「ん? シンシアまでどうしたんだ?」
「カミルがシンシアを脅してしまったの」
「脅してはない」
「先程、挨拶したばかりなのに憶えていなかったらしくて……」
「ディア……悪かったって言っているだろう」
眉尻を下げて困った顔をしているカミル様は、さっきのきついまなざしの彼とは別人のようです。
普段はあの冷淡な感じで仕事も商売もなさっているのに、ディアドラ様が相手になると弱いのがかわいくて、これが以前ディアドラ様が教えてくださったギャップ萌えというやつなのですね。
「シンシアは目立たない子だから、記憶に残らなくても仕方ない。気にするな」
「……デリル」
アラン様が眉を顰め、不機嫌な声で兄の名を呼びました。
「自分の妹を捕まえてその言い草はなんだ? おまえが人前で彼女を軽く扱ったら、友人たちもそういう目で彼女を見るのがわからないのか?」
「そんな……大袈裟な」
「シンシアは可愛らしい女性だ。性格だって優しくて気遣いも出来る。兄ならそういう部分を褒めて周囲に伝えるべきだ。ありえないけど、もしディアのことを気づかずに馬鹿にする男がいたら、僕なら帝国に住めなくさせてやるところだ」
「だから反省している。悪かった」
カミル様が謝っている横で、兄は納得できないような、意外な言葉を聞いたような、驚いた顔をしていました。
うちでは兄の態度は普通で、父もそれについて何も言いませんから、こんなふうに正面から指摘されるとは思ってもみなかったんでしょう。
それに立場が逆だとして、私は兄を庇うような発言をするでしょうか。
うちの兄なら仕方ないと言うかもしれません。
「ありがとうございます、アラン様。でも私はディアドラ様みたいに綺麗でも華やかでもないので、憶えていないのもしかたありませんわ。今回のことで覚えていただけたのならいいんです。それより、何かあったのでしょうか。兄が侍女を呼んできたようですが」
「……」
アラン様はまじまじと私を見てから、ため息をつきました。
なにか変なことを言ってしまったのでしょうか。
「これは……」
カミル様も横目で兄を睨んでますし、ディアドラ様は腕を組んでずかずかと兄のほうへ歩き出し、ぶつかりそうになって慌てて兄が後ろに下がってもまだ足を止めないので、カミル様に抱きかかえるようにして止められていました。
「パティのドレスのレースが、よその御令嬢の宝石に引っかかって破れてしまったんだ。それで侍女が念のために持ってきていたレースと付け替えるのに、人手を借りようとしていたんだよ」
「そうだったんですか。それでカミル様だけ廊下で待っていらしたんですね」
アラン様が説明をしてくださったのですっきりしました。
裾のレースを直すのでしたら、ドレスを着たままでも出来るでしょうけど、めくれて足が見えてしまいます。
婚約者のアラン様はいいですけど、カミル様が部屋にいるわけにはいきませんから、ディアドラ様に追い出されたのでしょう。
「では、私は失礼します。ホールに兄も私もいないというのはまずいでしょう」
「本当にすまなかった」
「とんでもありませんわ。下手に優しく応対して勘違いされたり、妙な噂を立てられては困りますもの。カミル様の対応は理解できます」
まだ申し訳なさそうにしてくださるカミル様の表情が、私の言葉を聞いてぱっと明るくなりました。
こんなに表情豊かな人だとは意外です。
「そうなんだよ」
「そういう方たちのお気持ちもわからないではないんですけどね。ディアドラ様もカミル様も人気ですもの。では」
会釈して立ち去る私を、ディアドラ様は観察するように見つめていました。
どうなさったのでしょう。
「デリル、ちょっと顔を貸しなさい」
そして背後から、ディアドラ様の威勢のいい声が聞こえてきました。




