大人になるってこと 4
クリスお兄様は、今年二十一歳。
最近、お父様の若い頃に似てきたと言われているみたい。
私から見ても顔は似ているなあとは思うんだけど、醸し出す雰囲気はだいぶ違う。
お父様は飄々としていて掴みどころのない雰囲気で、クリスお兄様は親しくない人間が近寄ったら瞬間冷凍しちゃうくらい冷たい雰囲気を出すから。
「まだ食事まで少し時間があるから、お茶でもいかが?」
クリスお兄様が部屋に入ってすぐの場所に立ったままなので誘ってみたが、首を横に振って動かなかった。
「スザンナの体調がよくないので、今夜は欠席すると伝えに来ただけなんだ。すぐに帰る」
「体調がよくない? それって……」
言いかけて、なんとなく大きな声で話すようなことじゃない気がして、急いでクリスお兄様の傍まで移動した。
「精神的なものじゃないでしょうね。最近、いろいろ言われているんでしょう?」
「ああ、俺もそれは気になっていた」
いつのまにカミルまでついてきたのよ。
動く時に音を立てなさいよ。
ルフタネン人は忍びの修行でもしているの?
それに扉のすぐ前に三人で集まると窮屈でしょう。
人間だけじゃなくて精霊獣まで集まってきているじゃない。
ひとりに四属性が三人分よ。
主に私の精霊獣が大きいんだけどさ。
「扉閉めて話しましょう。あ、ごめんねー。締め出す気はなかったのよ」
『ひどい』
クリスお兄様の精霊獣が廊下にまだいたのに気付かなくて、扉を閉めようとしたら慌てて部屋に入ろうとして挟まれそうになってしまった。
子猫型の精霊獣だから、かわいそうだったけど可愛い。
仲間が安心させるように、傍に集まってあげているのがほのぼのするわ。
「貴族の噂など気にしていてはキリがない」
「それはそうだけど」
「いや、全部クリスが悪い」
「は?」
クリスお兄様は片手を壁について、ひっくい声を出して眉を吊り上げた。
気の小さい人だったら、この場で凍ったみたいに固まって動けなくなっていたわよ。
でもカミルは、腕を組んでまったく表情を変えずに立っている。
「ベリサリオは全員目立つし、格好の噂の的なんだ。今回の噂を否定しても、どうせまた次の話を流される」
「だからそう言っているだろう」
「おまえは頭がいいんだからよく考えろ。たとえば、俺とディアの噂は流れないだろう?」
流れているでしょう。
そりゃあもういろいろと。
「その噂は、俺がディアを口説きたくて何かと帝国に来てはつき纏っていたとか、他の男を寄せ付けないようにいつも隣にいるとか、ベジャイアやシュタルクにまで番犬のようについて行ったとかだろう?」
「そうだけど」
「北島ではもっとひどいぞ。ずっと俺の片思いだったのが、どうにか結婚を了承してもらえたとか、拝み倒して付き合ってもらったらしいとか」
「えー、私もカミルを好きだって態度で表しているつもりなのに?」
「最近は、両想いらしいという話もある」
「でも、カミルにとっては嫌な噂ばかりじゃない」
「男はいいんだよ」
「あ」
クリスお兄様が驚いた顔をして、今度は表情を緩めてカミルを見た。
「そうか。僕のせいか」
「ええ? どういうこと?」
「俺達をたとえに出しても駄目か。じゃあ、義母上の話にしようか。義父上は非常にモテる方だし身分も財産も何もかもを持っている方だ。でも義母上を妬む悪い噂は決して流れない。なぜだ?」
「それは、そんな噂を流したらお父様も私達も許さないからよ」
「そうだ。帝国の貴族全員が、ベリサリオ辺境伯は心から夫人を愛していて、彼女が傷つけられるようなことは決して許さないって知っているからだ。じゃあ、なんでみんなそれを知っているんだ?」
「昔からお母様のことを褒めまくって、いつでもどこでもお母様が一番で……あ!」
クリスお兄様を注目したらなんとも居心地の悪そうな表情で、視線を逸らしながら頭を掻いていた。
「クリスお兄様がスザンナ大好きだって、家族や仲がいい友人は知っているけど、それ以外の人はわかっていないのね」
「シスコンでディアに対してはアホみたいな過保護ぶりを見せていたのに、スザンナ相手には格好をつけているからこうなるんだよ」
この世界は女性の立場が弱い。
たとえ皇后でも、皇帝陛下がその女性を皇后として尊重し、彼女の立場を保証しないと公式の場にさえ出られなくなってしまう。
愛人が出来て皇帝がそっちを大事にしたら、貴族達は皇后ではなくて愛人の御機嫌取りを始めるだろう。
男は爵位を継げるし、宮廷でも責任のある役職に就けるけど、女性は父親か旦那の権力に保護されているだけなのよ。
だから同じ噂話でも、男のカミルが片思いしているとか、私を口説くために頑張って両想いになったて言われても、むしろほのぼのとした話で、愛されていていいですねって私が言われて終わりなの。
王族であり公爵であるカミルに、それで嫌味を言う馬鹿はいないから。
「そう考えるとお父様ってすごいのね。あれは計算だったの?」
「素だろ」
「素だね」
……だよね。
「じゃあ、クリスお兄様も頑張らなくちゃ。スザンナが好きなら、彼女が大事だってみんなに言えばいいのよ」
「簡単に言うな。本当に好きな相手だと言いにくいんだ」
うわー、クリスお兄様が照れてる。
視線を逸らして頬を少し赤らめて、困った顔をしているのがちょっとかわいいぞ。
「男が頬を染めても気持ち悪い」
「カミルー! 何を言ってるの? わかってないなあ」
「え」
「女の子からしたら、今のクリスお兄様は激萌えよ。きゅんきゅんしちゃう場面よ。あ、駄目だ、これ以上人気になっちゃ駄目」
難しいなあ。
冷徹な性格だと思われていたクリスお兄様が、スザンナと結婚して愛妻家になったって思わせたいのよ。
でも、女性の人気が今以上になっては困るのよ。
「わかった。いつもの冷たい感じで、スザンナに対して失礼なことを言うってことは、僕を敵に回す気なんですね」
と言いながら、髪をかきあげる。
「ベリサリオはスザンナを悲しませた相手を徹底して潰しますから。これでどう?」
「いつものディアだな」
「えええ? 私はそんなこと……言ったかもしれないけど、あれ?」
「クリスに出来ないなら周りが手伝えばいいだろう。クリスはスザンナに惚れ込んでいて、べったりなんだ。別人みたいに甘いんだって話を広めたらどうだ?」
「それならすぐ出来るわ。友達みんなに話しておく。特にエルダとブリたんとイレーネ辺りに伝えれば、広い範囲を網羅出来るわ。いちゃいちゃでべったりでいつも見せつけられているって」
「やめろ」
私とカミルで盛り上がって話していたら、クリスお兄様は額を手で押さえて俯いてしまっていた。
壁に手をついていたのが、今ではもたれ掛かってしまっている。
「でも周りの印象を変えないとまた次の噂が流れるし、社交界でスザンナが嫌な目に合わされる危険も減らないぞ」
「それは理解した。盲点だった」
クリスお兄様にも苦手分野はあったのか。
スザンナと婚約に持ち込むのも計算通りだったみたいだから、ちょっと安心したわ。
「彼女の負担を減らすように考える。だからお前たちは、特にディアはまだ動かないでくれ」
「私?」
「動かないでくれ。噂を広めるのもまだ保留で」
「それはまあ……はい」
私が何かしでかすと思ってない?
本当にいちゃいちゃしているなんて話を広めたりしないわよ?
クリスお兄様が先に惚れて口説き落としたみたいよ、くらいは話すつもりだったけど。
「じゃあ僕はこれで。いいね。まだ動くのは禁止だからね。カミル、見といてくれよ」
「はいはい」
ちょっと待ってよ。
私よりカミルを信用するっておかしくない?
私が何をしたっていうのよ。
「クリスお兄様」
「スザンナの元に早く帰してあげよう」
呼び止めようとしたけど、私が廊下に出るよりカミルが扉を閉める方が早かった。
クリスお兄様は何を心配していたんだろう。
二年後には帝国を出て行く私が、ここで動くのはまずいってことかな。
……でももう、精霊王にお願いしてパティの件で動いちゃったんだけど。
あれはやばかった?
「そもそも今回の噂はベリサリオの忠誠心がどうって話だったよな」
「くわしいわね」
私よりカミルの方が帝国内の噂に詳しいってどうなの? って文句を言おうとして振り返ったら、カミルは意外にも真剣な顔で考え込んでいた。
「カーライルが派閥を作り始めているんだよな。あの男はどうしているんだ?」
「誰?」
「ダグラスだよ」
「さあ? 学園でしか会わないから知らないわ」
「あ、そうなのか」
カミルの表情が急に明るくなった。
「まだ気にしているの? 何年前の話よ」
「でもあいつは婚約者がまだ決まっていないだろう?」
「そんなのデリルだってヘンリーだって決まっていないでしょ?」
「ヘンリーって誰だ」
「エセルの弟よ。マイラー侯爵家の嫡男よ」
「知らないな」
あそこの家は中央の政治に全く興味がないからなあ。
海賊退治のために集めていた海の男達で軍隊を作って、貿易航路は安全になったけど、見た目だけだとどっちが海賊かわからないって聞いたことあるわ。
「デリルは婚約したぞ」
「えええ?! 誰と」
「パウエル公爵のお孫さん。つまりサーマン伯爵の長女だ」
サーマン伯爵はパウエル公爵の息子ね。
政治に全く興味がなくて、エーフェニア様が政治をしていた頃に地方に追いやられたパウエル公爵が王都近郊の領地を取り戻しても、地方の領地に残ってしまった人。
でもぼんくら息子じゃないのよ。
そこを帝国一のシルクの生産地にして、徹底した品質管理でランク付けもして、ブランドを確立したんだから。
私の結婚式の時のドレスも、そこの最高ランクのシルクで作り始めているの。
パウエル公爵って、陛下が子供の頃から傍にいた一番の功労者じゃない?
ベリサリオに功績に見合った褒美が渡せないって陛下は悩んでいたけど、実はパウエル公爵家にもどうやって褒美を渡せばいいかが悩みの種だったのよ。
領地はもう広大な土地が二カ所にあるし、公爵家より上の爵位はないし。
それで息子さんを伯爵にしちゃったんだよね。
「パウエル公爵のお孫さんの縁談の話が出てくるなんて、私も年を取ったわね」
「まだ十六だろうが。早く十八になってくれ」
「無茶言わないで」
「お、そういえば、ハミルトンと次女の縁談の話も出ているようだぞ」
「次女?」
「だからパウエル公爵のお孫さんの」
「まじか!!」
公爵家と子爵家の縁組がここにも?!
なんでまた……ああ、サーマン伯爵の領地とハミルトンの領地はお隣さんだ。
「もしかしてハミルトンの土地にも事業を広げようとしているの? 大丈夫? ハミルトンって外交官志望でしょ? 領地にあまりいないでしょ? 乗っ取られない?」
「むしろ娘婿として事業を手伝わせて、いずれは彼らの孫に跡を継がせようと思っているんじゃないか? 有名になったあの姉弟の領地を乗っ取るのはまずいって誰でもわかるだろう」
「ベリサリオが後ろ盾になってるしね。そうかー。そんな話まで出ているのかー。でも、やっぱり政略結婚ばかりなのね」
学園があっても、恋愛結婚なんてなかなか出来ないんだなあ。
条件をまずクリアしないと、恋愛しても駆け落ちしか道がないなんてことになっちゃうのよね。
「それはしかたないな。ディアの周りでも純粋な恋愛結婚はアランだけだろ」
「そんなことないわよ。イレーネもブリたんも恋愛結婚よ。でも、私達だって最初はカミルが妖精姫をルフタネンに連れて行きたくて、それで口説き出したんだものね」
「そうだったか? 俺はほら、最初からディアが気に入ってさ」
「怖がっていたくせに」
肘でぐいぐいわき腹を押していたら、がっしりと抱きしめられてしまった。
「きっかけなんてなんでもいいんだよ。今はディア以外考えられないんだから」
「そういう言葉を言えちゃうのがすごいわ。普通は本当に好きな相手だと言えないものなのよ」
「女の子だと頬を染めて照れても可愛い」
「いちいち、そういうことは言わなくていいの!」
うちは私が照れちゃってもカミルが行動で示してくれるから、周りもあそこはほっとこうって感じになるのかもね。
アランお兄様もぐいぐいいくしなあ。
クリスお兄様とスザンナは、どっちも落ち着いたタイプで実は照れ屋なのよね。
クリスお兄様が動く気みたいだから大丈夫だと思いたい。
スザンナの体調がよくなってくれるといいな。




