6,旅立つ四人
アノンは、窓辺に立っていた。
白く高くそびえる、王城が月明かりに照らされる。その向こうには人々が暮らす街の灯が明滅する。凹凸豊かな小さな屋根が、波のように連なり、そここから伸びた煙が一方に流れている。
ひんやりとした夜風に薄紫の髪がゆれる。
ベッド、机、本棚など必要十分な物を詰め込んだ塔最上階に、アノンはもっぱら引きこもっていた。食事もできる限り、侍女に運んでもらい部屋で済ませている。水を引くことは難しいものの、魔力で生成できる。下水があればいいのにと思うものの、塔のうえまでは建築上配管できなかったと言われたら諦めるしかなかった。
公爵家の一人息子であるアノンは、幼少期から外に出ず育った。それなりの年齢になれば子供同士の小さな茶会もあるらしいが出たこともない。その辺は、フェルノと変わりなかった。
極端に魔力量が多いだけでなく、成長するごとに必要とする魔力量が増えていく。協会から医術に長けた魔法使いが主治医となり、薬が処方されても、過不足のバランスをよく崩していた。
アノンもまた生まれつきの体質に悩まされていた。
幼少期はだるさや、眠気、熱を出すなど、さまざまな不具合があった。成長していくごとに魔力に対する飢餓感も増していった。その度に、処方される薬の量は少しずつ増えていく。
初期は暴れる魔力をコントロールし、飢餓感を抑える魔術具を、魔術師の家系として名高い伯爵家に納めてもらってもいた。エクリプスとの付き合いはその頃からである。
アノンが当時愛用した術具を作成したのは彼の姉【四重円舞 ソリタリーチルドレン】こと、リタだった。世話焼きの明るい彼女に、たくさん可愛がってもらったし、優しくしてもらった。彼女は魔力の過不足により持て余すアノンの心身をよくよく支えてくれた。
魔術具で調整しならがも、アノンの体質に寄り添っていた主治医の魔法使い【 贖罪無為 ゴシックペナルティ】が魔物の核を食べるといいと突き止めた。
そこそこ体が出来上がったくると、魔物の核の取り込みもうまくなった。体質への理解と対処法も分かってくる。
二年前からフェルノの傍で、出現する魔物を屠る合間に巨大な魔物の核を得ることができるようになり、心身共に楽になった。
夜風に吹かれながら、アノンは口元を曲げる。
(星と月が美しい夜だ。明日の旅立ちも晴れるだろうか……)
嬉しい旅立ちではない。魔法術協会から、もたらされた書面にて、改めて思い知らされる。魔王を打ち取れ、と書かれているだけなら、それだけのことかと鼻をならして単純に受け止められただろう。
魔王討伐は建前だ。そんなことはすでにアノンも分かっている。二年前、ここで暮らすようになった当初より、真の目的は護衛ではないと、伝えられていた。
月を見上げならがため息を吐く。
(魔法使い並みに魔力を保有し……)
同時刻、ライオットもまた自室から月を見上げていた。
彼もまた、将軍から手渡された書面内容に思いをはせ、ため息を吐く。
(手練れの騎士よりも強い……)
リオンも同じく、自室にて空を見上げていた。月があまりにくっきりと浮かんでいるものだから目を奪われた。
将軍から手渡されサインした書面内容が頭からずっと離れなかった。
(あの一筋縄でいかない曲者の第一王子を……)
三人は共に月を見ながら、同じことを想起した。
彼らに共通した密命が書面には記されていたのだ。
ーー第一王子 【鬼神残響 グレネイドインフェルノ】 を暗殺せよーー
アノンは眉をしかめる。
ライオットは頭を抱える。
リオンは頭を振る。
内心、同じ内容をぼやく。
(((……どうやって、旅すがら暗殺しろというのだ!!)))
ライオットは第一王子より劣ると自覚していた。
(俺はなんの役にも立たない)
魔法使いアノンの無尽蔵な魔力に裏打ちされた魔法。
すべての武器を使いこなし、適度な魔力を保有する、実力者であるリオン。
彼らに比べ、自身の能力が劣るとライオットは重々承知していた。
ライオットは地方男爵家の出だ。父には、妻と妾が一人ずつおり、二人の母は仲が良かった。それぞれに四人づつ子どもがいた。妾の子であるライオットは二人の母が産んだ八人兄弟の四男であり、全兄弟では上から六番目。下二人は妹、すぐ上二人も姉である。兄三人とは年が離れすぎたライオットは男兄弟に混ざることができず、女姉妹に紛れて育った。
男兄弟が多く、あぶれることは目に見えており、王都に出て実力で立身出世を狙える騎士になった。普通に十五で入隊し、二年の訓練期間中はそれなりの成績は収めた。収めたが……、一年後に第一王子の護衛を任ぜられた時は、硬直した。更に秘密裏に提示された命題にも唸ることになった。
提示された密命は二つあった。
今回の改めて将軍から提示された書類上にも しっかりと同じ密命を確認し、嫌気がした。
ーー公爵家の一人息子である魔法使い 【忌避力学 アンノウンクーデター】 を守護せよーー
アノンは、四人のなかで最弱であるライオットが守るような存在ではない。
彼だって、あれほど嫌がっているではないか。ライオットは頭を抱えたまま悩む。
(最強の魔法使いを、なぜ俺が守らなくてはならないのか……)
リオンもまた、将軍から見せられた書類の文面が頭から離れず、苦悩していた。それをどう解釈すればいいのか分からなかった。二年前に配属された時から、提示されていたが、未だに理解できない。
王族や貴族の考えることは意味不明だ。平民出身のリオンは、ただ職を求めて騎士になったに過ぎない。たまたま適性があって伸びただけだ。
第一王子の護衛前も、第二王子の指南役であったので、平民出身の実力者は利用しやすいからだろうと斜に構えて見ている。
ーー第一王子 【鬼神残響 グレネイドインフェルノ】 を守護せよーー
殺せと守れを両立するとはいかなることか……。アノンとライオットもまた暗殺を乞われているならと、リオンなりに出した結論はこうだ。
(アノンとライオットから守りフェルノを殺せと。つまりは、暗殺者の本命は俺ということか)
翌朝、旅支度を整えた四人は屋敷前に広がる芝生に並び立った。
勇者と言うには、普段通り爽やかな軽装で立つフェルノ。
動きやすい服装に、適度な武器を抱えたリオンとライオット。
黒いローブ姿で、魔法の絨毯を抱えたアノン。
「魔王討伐と言えば、やっぱり、魔王城に行くのが筋だよね」
フェルノが面白そうに笑う。
「そうですね、フェルノ様。まずは山の頂まで行きましょう。そこから、魔王城が見えるはずです」
「ねえ、リオン。リオンだけじゃないね、ライオットもだ。せっかくの旅に、敬称はやめてほしい。アノンのように、フェルノと呼んで欲しいよ。
やはり旅の仲間とは、親しくないと楽しくないだろう」
ライオットとリオンは顔を見合わせる。しかし、と二人の表情は語る。
「いいんじゃない。その方が、かたっ苦しくなくて。王族とか、公爵家とか、今さらだろ」
アノンが先に同意した。
「ありがとう、アノン。さあ、四人で旅立とうか」
さわやかな笑顔で、フェルノは告げた。
見送る者は誰もいない。魔を寄せるため街中も歩けない。第一王子でありながら、旅立ちはひっそりとしていた。