59,授業中止
影の魔物が現れて、学園が騒然となる。メアとエレンに押されて、フェルノは建物へ逃げ込んだ。
建物内に避難した学園生たちは、一階の広間で気心の知れた者と集団をつくっている。いつもと違う雰囲気に、恐れる者、不安がる者、楽しむ者、色々な表情がうかがい見えた。
フェルノは二人の女の子に挟まれて、長椅子に腰をかける。両腕はメアとエレンにがっちりと、逃がさないとばかりに捕まれていた。
(私も女の子だからいいのか……)
女の子になった役得ととらえて、フェルノは彼女たちのするに任せる。目の前には、アストラルとトラッシュが立っている。
「肉眼で、魔物を見るなんてほとんどないんだがな」
トラッシュが難しい表情でつぶやく。
アストラルが腕を組んだ。
「年に何回かは目撃されるとはいえ……」
「あの数はないな」
二人は頷き合う。
(全部、私のせいか)
魔寄せの体質の影響である。普段寄ってこない魔物たちというならば、フェルノの体質に呼び寄せられたとしか考えられない。
「ねえ、フェルノ」
隣のメアが覗き込むように話しかけてくる。
「なあに、メア」
「あれを見て、驚きもしなかったわね」
「魔物ですか」
「そうよ」
問い詰めるような眼光がにじり寄ってくる。
フェルノは軽く身を引けば、背後にいるエレンが、そっと肩に手を添えてきた。
「まるで慈しむような瞳でしたわね」
エレンが下から覗き込んできた。
「驚きのあまり、立ちすくんでいたわけではないのですか」
「てっきり動けなくて、メアとエレンが腕を引いて連れてきたのかと思ったんだが……、違うのか」
「アストラル、トラッシュ、違うのよ。フェルノは、あの魔物は大人しいから怖くないと言って、ただ眺めていただけなの」
エレンの言葉にアストラルとトラッシュが仰天する。
「フェルノ様、魔物ですよ。そうそうに人を襲わないとされていても、私たち人間にあの巨大な魔物に対抗する手段はないのです。けっして、安易に眺めていい状況ではありませんよ」
(困ったな……)
柳眉を曲げてフェルノは問うた。
「ここでは魔物は珍しいのですか」
「珍しいわけではないわ。砂漠にはどこにでも漂っているわよ。森にももちろんいる。でもね、国の上空に肉眼で確認されたのが、珍しいのよ。環の国は魔物が近づかないように、毎朝教会で祈りがささげられているもの。あんなに魔物がよってくるなんてありえないのよ」
「メア、祈ると魔物が寄ってこないのですか?」
「そうよ、フェルノ。ねえ、エレン」
エレンは司祭の娘だったとフェルノは思い出す。身をひねり、エレンの顔を見つめた。
「環の国には、ところどころに教会があります。そこで、毎朝、それぞれの教会で祈りをささげているのです」
「魔物がこないように祈っているのですか」
「そうです。あの数の魔物がこれほどに近づくことは通常ありえません」
魔物に囲まれていたフェルノからしてみたら、驚くような数ではない。さすがに現状では襲われて退けるのは難しいが、大人しい魔物なら恐れる理由はなかった。
「私たち人間は魔物には勝てないわ。彼らは大きく、狂暴なのもいるんですから。森の民だって、四人一組で武器を駆使して魔物を狩るのよ」
「人間は魔物に勝てないのですか」
不可思議だ。リオンもフェルノも一人で魔物を易々と屠ることができる。ライオットも一人で一体は可能だし、アノンに至っては一人で何体でも軽いだろう。
(魔力や魔法、魔術具がないから、魔物を狩るのが難しいのだろうか)
森の民は、魔物の核を採取するために魔物を狩る、という。採取した魔物の核は、鋼と混ざり自動車になり燃料にもなるという。
フェルノは、色々引っかかる点があるものの、思考はうまくまとまらなかった。
(この状況は、考えにくい……)
メアとエレンがぴったりと寄り添っている。ぬくもりが近すぎた。
彼女たちは依然として、フェルノが変な行動をしないようにと、抑え込んでいた。
「メア……。エレン……。私、逃げませんから、そろそろ放してもらえませんでしょうか」
動きにくい上に、落ち着いて思考を回すことも、これではさすがにできない。
お願いすると、エレンとメアはすこしだけ距離を取ってくれた。腕にまきついていた彼女たちの手も離れる。
フェルノは体をふって態勢を整える。深呼吸をし、姿勢を正す。手を膝に乗せ、トラッシュを見上げた。
「武官の方も、魔物を屠ることが難しいのですか」
「魔物は大きくて、専用の武器でなければどうしようもありません。彼らは肉体からすべての核を取り払わねば命尽きることはなく、その体から魔物の核を取りだすのも専用の刃物を必要とします」
アノンは魔力を込めた手を突っ込み魔物の核を直に取り出す。フェルノも魔物を裂いて、魔物の核を燃やしきる。ライオットもリオンも、武器で裂き、その武器を通して炎なり氷なりで核を破壊する術を持つ。
フェルノは、魔物を屠ることに困るという経験をしたことがなかった。四人は常に、魔物より強者の位置に立ってきた。
「フェルノ様は、魔物は恐ろしくないのですか」
「アストラル様ほど、恐怖は感じません」
「さすが、聖女様ね」
メアの言葉に、エレンも頷く。
とある建物のホールにある長椅子に座り話し込んでいた五人の近くを、紙束を脇に抱えた職員らしき人が急ぎ足で過ぎ去り、壁に紙を張り出した。
またどこぞへと彼は急ぎ歩き去る。
「見てきます」
トラッシュが壁に向かう。わらわらとその一枚の紙に人が群がっていく。
戻ってきたトラッシュは、「魔物は消えたんですけど、講義は再開しないみたいです。本日は休講と書かれていました」と教えてくれた。
(自業自得とはいえ、残念だな)
授業が中止されて、フェルノは気落ちする。
落ち着かない雰囲気が漂っていた周囲も、もう魔物はこなそうだとなると、次第に落ち着いていく。学園に残る者、帰宅する者などそれぞれ動き始めた。
「アストラル様、私たちもこれで戻ることになりますか」
「とくに予定はありませんので、もしよろしければ学園内を案内することもできますがいかがしますか」
「案内していただくのもうれしいですが……、できましたら、魔物の核の研究か、この国の歴史について知りたいのです」
アストラルは頭に手を乗せる。
「さすがに今日のような状況では、なかなか講師も手が空かないでしょう」
「いつもと違いますからね」
トラッシュも同意する。
なんだかんだと言っても、魔物を寄せているのはフェルノ自身である。これ以上、無理は言えなかった。
「普通の教科書程度の話なら、私たちでもできますわよ」
エレンがそっと耳打ちする。フェルノは驚き彼女を見つめた。
(エレンは、どこまでも勘が良い子のようだね)
なんとなく、フェルノの気持ちを察して声をかけてくれたきがした。フェルノがふっと笑んだ。
「それで十分です。私はなにも知りませんもの」
なんでもいいから手掛かりが欲しかった。魔物の核の利用、三百年前に滅んだという歴史、宗教について、聖女召喚の儀式。分からないことが、山ほどある。
橋の上で魔王城で作られた魔道具により飛ばされてしまった背景と何か重なることはないか。偶然なのか、意図されたものなのか。紐解ける糸の端でいいから、つかみたい心境だった。
四人に目配せし、アストラルを見つめた。
「教科書でかまいません。どこかで、見せてもらえませんか」
アストラルは苦笑する。
「そうですね。では、みんなでカフェテリアにでも行きますか」




