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29,魔法使いの密命

 フェルノの頭がきぃんと冷えた。

 槍の柄を用いて、フェルノの剣を止めたライオットは歯を食いしばる。

 ライオットの向こうにいるアノンが怯えた表情を一瞬みせた。


 その生々しい表情にフェルノの意識が宥められる。


 抜いた剣を鞘に納める。ライオットも槍を降ろした。

(冗談だよ。と、言うには、やりすぎたね)

 後悔先にたたずと身をもって痛感する。



 

 

 総毛だっていたフェルノの気配が落ち着き、いつもの人をくうような、安穏とした空気を感じ取ったライオットは、背後に視線を流した。

 アノンが、じっとライオットを見ていた。いつもなら、余計なことを、と嫌悪を示す瞳に、珍しく感情がなかった。




 ライオットの背を見ながら、アノンは助かったと、柄にもなく思っていた。

 背後に視線を投げてきた彼を見て、謝辞述べるか迷う。結局は似合わないことは言うべきではないと、何も言わなかった。


 アノンは彫像の上に立つエムを見上げた。魔力量の順位を想像するに、この四人姉妹の中でこの子が一番少ないと見て取れた。補助的に自身の魔力を少しその彫像に流しておいた。

 出口側の彫像の一つに魔力を込めておいてほしい。渡された絨毯には、エクリプスからそう指示が込められていたのだ。 

 

 これからここで何をしようとしているのか、アノンは知っていた。


 魔法術協会から受け取った書面には二つの命が記されていた。


 ーー 第一王子のフェルノを暗殺せよ ーー


 重要なのは二つ目の密命。


 ーー 勇者一行を異世界へ飛ばせ ーー


 勇者一行という言葉から、そこに自分も含むことは理解できていた。

 暗殺できなかったら、代わりに異世界に飛ばしてしまえという意味かと考えたが、それにしてはまどろっこしい。意図を見いだせないままアノンは旅に出た。


 魔法術協会と魔王城の関係は建国以前にさかのぼる。国の表立った関係より歴史は古く、今でも国の中枢は黙殺している。


 魔王城にいる魔道具師自身は、大きな魔力を持たないものの、その技術をもって魔法使いが使う道具を作りあげる。人間の国の魔術師の原型は、魔王城の奥で道具作りに励む魔道具師であるのは、協会中枢にいる者は皆理解していた。


 エクリプスがここにいるのも、彼が伯爵家だからだ。魔法使いにもなれる魔力を保有しても、伯爵家は代々魔術師になる。伯爵家は実質、国の魔術師のトップだ。現魔術長も彼の父である。


 魔道具師が異世界に渡る魔道具を作っているらしいとアノンに噂話程度に軽く最初に耳打ちしたのは、検診にきた魔法使いの【贖罪無為 ゴシックペナルティ】ことゴシックだった。魔道具師が道楽で作っているらしいと、笑っていた。

 その時は、さすがのアノンも苦笑した。


 いったい異世界なんて発想どこから生まれたんだと笑ったのだ。異世界があるなら、アノンはこの現状から逃げたいぐらいだった。現状だけでなく、自分自身からもどこか逃げたかった。



「アノン、君は何をかくしているんだ?」

「隠しているって?」

「隠しているだろ」

「まあね」


「二人とも、やめてくれよ。いきなり怖ろしいことをするのは!」


「ライオット。ありがとう、頭に血が上った私を止めてくれて」

「もういいですよ、フェルノ。俺だって、訳が分からないんです。アノン、知っていることがあるなら、俺も知りたい。さっきの絨毯はなんなんだ。ドリームを助けたのか、それともリオンの邪魔をしたのか」


「じゃあさ。リオンも呼び、橋の真ん中に行こう。僕が知っていることを話すから」


 アノンが橋の中央に向かって歩き出す。フェルノとライオットも続いた。



 


 リオンの目の前に広がった絨毯が、幕が引くようにはぎとられた。その絨毯を脇にむぞうさに抱えたのは、見知った魔術師エクリプスであった。


(エクリプスがなぜここにいる)

 解せないことばかりだが、人間の国が勇者一行を排除するために、魔族の国と共謀していたとさすがにリオンも理解できた。


「リオン殿。お久しぶりです」

 穏やかに挨拶され、リオンもいつもの調子で襟を正した。武器に触れる手をおろし、直立し礼をする。

「エクリプス殿も、いつぞやすれ違った以来ですね」


 彫像の上にいたドリームがしゃがみ、小首を傾げた。

「……リオンとエクリプスは知り合い?」


 二人は苦笑する。

「ええ……」

「……まあ」

 会うと思わぬ場所だけに、少々歯切れは悪い。


 その時、背後で武器がぶつかり合う金属音が鳴り響いた。

 エクリプスが彼方に目をやり、リオンも振り向く。

 二人は目を見張った。

 フェルノが、人に武器を向ける様をはじめて見た。


(フェルノが怒ったのか?)

 それは普段の彼から予想できない感情だった。穏やかで、常に笑みを浮かべる、人をくう王子様。それがフェルノだ。


 フェルノが薙ぐ剣を止めているライオットが、誰を守ろうとしているのかも二人はすぐに理解した。


 武器は程なく降ろされた。何事もなかったかのように、フェルノとライオットの間をアノンがすり抜け、歩いてくる。フェルノとライオットも続く。


 リオンも気持ちが急き、「行ってくる」と踏み出した。


 リオンが橋の中央へ向かう後姿を確認し、エクリプスはドリームが立つ彫像へと手をかけた。そして、テンペストに目配せをすると、彼女は肩程度の高さに、手のひらを掲げた。







 リオンが駆け寄ると、三人はいつもの顔をしていた。

「どうしたんだ。何があった」


「なんと説明したらいいのかな」

「どういうことだろうね」

 フェルノとライオットは視線をアノンに流す。


 三人の視線が集中したアノンは静かに答えた。


「これから、僕たちは異世界に飛ばされるんだ」


 リオンとライオットが、目を丸くする。

 フェルノがくすりと笑った。

「異世界か、それはまた、すごいな」

「ほんとだよね」

 フェルノの茶化す声と、アノンの呆れた声を二人の騎士はどこか遠くに聞いていた。


「まてよ、異世界ってなんだよ」

「こことは違う世界だよね」

「いや、待てよ。そんなこと、聞いてないぞ」

 これを機に、フェルノの護衛からなにがなんでもおりたいと思っていたライオットの望みは崩れ去る。


「俺たち、全員なのか」

「僕は、勇者一行と聞いている」

「自分も含むのに、それで納得しているのか……」

 暗殺の命を最初に授けられた時以上の衝撃をリオンも受ける。


 フェルノとアノンだけ、のほほんと当たり前に受け止めている姿が、騎士二人には信じがたい。


((どこまで、俺は巻き込まれるんだ))

 騎士二人、頭を抱えたとしても、もう遅い。


 術具に囲まれた四人に逃げ道はない。


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