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205,黒騎士の限界

 フェルノとリオンを様子見し、距離をとる魔神が、尾をゆらりとたなびかせ、横にゆっくり二歩進み、前足で地をかいた。背に見えていた黒い裂け目は閉じており、血を流していた傷もふさがっている。


 ここまできたら、互いに引くことはできない。


 ジャッジと向き合ったフェルノも魔神の姿を目視すれば、現実へと引き戻された。魔神が過去どんな姿であっても、目の前で動く実体を直視する。


 ジャッジという存在がそもそも魔神の核なのか心象風景なのかフェルノに判別はつかない。外気に触れれば石である魔物の核が、魔神内部の異空間でどのような姿でいるのか、見た者はいない。魔物の核は魔力の源であり、異世界では大きな物体を動かす力になっている。それだけの力を内包する物質がどのような作用を引き起こすか、簡単に断じることは難しい。

 

(少なくとも、この世にジャッジはいない。あれが魔神の過去であっても、過去は過去でしかない)


 寂しい子どもはいないのだ。


(ここにいるのは、ほっておけば異世界を滅ぼしたという魔神だけだ)


 背の傷もすっかり癒えている。フェルノは知らないが、リオンに切り落とされた尾も完全に再生していた。異世界から飛んできた大きさには戻っていないものの、各種能力は健在ぶりを見せている。


「見事な再生力である」


 フェルノは賛辞を贈る。

 これから屠るものへの、畏敬を込めて。


「最大の敬拝をもって、私自ら応えよう」

 

 第一王子であるフェルノは、守られる側だ。一通り習得しても、護衛の仕事を邪魔する真似はしない。守られるなら、気持ちよく守らせよう。傅く者がいれば、気持ちよく傅かせよう。フェルノは生まれた時から高位に立つ。

 そんなフェルノが自ら手を下すことを低く宣誓した。


(アストラルが私を切り捨て、環の国を選んだように、私も選ぶ)


 フェルノは、始祖の血に濡れた魔道具師の遺作を抜く。吸血した気配なく、白刃は日を照り返し、青みを帯びて煌めいた。始祖の血と魔力にフェルノの魔力が注がれた。


(私がアストラルの選択を許すからといって、ジャッジが私を許す必要はない)


 朝焼けを映す曇りのない湖面のような心境で、フェルノは剣を払う。キラキラと魔力の残光が舞う。


「魔神を斬首する」 


 構えた剣に風が舞う。土埃が渦巻いた。

 一歩前に踏み込み、地面すれすれ、下方から剣を空へと振り上げた。縦に切り裂く風が、あいさつ代わりに放たれる。


 魔神は風刃を避けて飛ぶ。

 走り込んできたフェルノが、上空に魔神の姿を捕らえる。ぎらぎらと双眸は怒りに燃えて、フェルノを見下す。

 硬化させた尾の先端がフェルノに向き、駆けだした。


 フェルノは魔神の尾を無視する。空を飛ぶ魔神本体、特にその首を凝視する。


 上空へ飛んだリオンが、魔神の尾に剣を向ける。火炎が渦巻き、火の粉が散る。空中で、数度剣を振れば、すべて尾の切っ先とぶつかった。魔神の背に着地し、再び飛ぶ。


 リオンの魔力で着火した尾は地を叩く。地表を擦って、火を消した。


 飛んだ魔神が落ちてくる。フェルノは魔神の首下に回り込む。返した刃を魔神の喉元へと振り上げた。落ちる魔神の首元へ、剣が迫ると同時に、魔神の手がフェルノを薙ぎ払いに行く。


 魔法使いの素養を持つフェルノは、片足を踏み鳴らした。

 土が盛り上がり、壁を作る。止めきれなかった魔神の前足がぶつかった。衝撃で、土壁に亀裂が走る。


 フェルノの剣より風刃が放たれた。魔神は首を反り返し間際で交わす。

 背をのけ反らせ、首元をかばった魔神の四足が地面につく。一呼吸も置かず、フェルノは地を蹴って、魔神へと走りこむ。





 ジャッジは、ぼんやりと空を見上げた。

 木々を揺らす突風が過ぎ去り、空を裂いた闇も消えた。

「あれはなんだったんだろう」


 フェルノもいなくなった。

 また一人ぼっちになった。


「悲しくない、かなしくないもん」


 ジャッジはがしがしと両目を腕でぬぐった。


 毛先からつんと懐かしい香りがした。くんくんと腕をかぎ、体の匂いも確かめる。


「フェルノの匂い?」

 

 ジャッジはぶんぶんと頭を振った。


「違う。違う。違う」


 腕をもう一度かぐ。フェルノが抱きしめてくれた時の残り香を追いかける。


「フェルノから、コアの匂いがする。なんで?」


 ジャッジは空を見上げた。割れた空はもう元に戻っている。青空に向かって、両手を広げた。


 空に亀裂が走る。ばりばりと割れて、破片が散っていく。


「コア? コアがフェルノ。フェルノがコア。なんで、なんで」


 ぼろぼろと世界の色が落ちていく。森も、芝生も、屋敷も、すべて欠けて崩れてゆく。ジャッジは真っ白い空間に投げ出された。






 リオンは魔神の尾を払い続ける。尾の動きを一切考慮せず動くフェルノが、尾の対応をすべて任せていると理解していた。


 地表で先端の火を消し、天に駆け上った尾は九本に戻っていた。燃やしても、切っても再生する。傷を負っているはずなのに、動きに疲労の色も見えない。


 リオンは、動き回っていた。早朝からジャンとともに石切り場に行き、アノンが残したナイフで作った矢を放ち。魔神を動かせば、森の民の居住区を破壊させないために誘導した。魔寄せの体質を受け動き出した魔神に一撃を食らわせて、環の国へと飛んだ。アノンが環の国の中心部に魔神を連れてきて、今度は元の世界へと戻される。

 それ以降も、ライオットの補助、魔神の遺骸の処理、フェルノ救出ととめどなく魔力を燃やし続けている。疲れ知らずの魔神と違い、体力と魔力の連続した消耗はリオンから注意力や判断力などを自覚なく削り取っていた。魔力だっていずれは底をつく、限界は足音を立てずに近づくものだ。

 息をつきたかった。ライオットの背に手を伸ばした時、すでに限界を振り絞っていた。


 リオンの周囲を魔神の尾が取り囲んだ。鳥かごのように縦方向に尾が落ちて、下から救うように、跳躍したリオンを狙う。


 横に薙げば、尾は鞭のようにしなり交わす。まるで、リオンとの戦いながら、尾の使い方を学んでいるかのような柔軟な動きだった。


 下方から硬化した尾が迫る。下方より少し斜めに剣から生み出した火球を放つ。尾を巻きこんで、爆ぜた火炎の圧に押される。剣を持たない片腕で顔をかばう。

 

 背骨に魔神の尾が垂直に当たった。

 斜めに逸れていた火炎の威力を逃れた尾が炎を突っ切った。

 剣で払おうとするものの、煙に巻かれ反応が遅れた。

 魔神の尾が直進する。硬化し速度を上げて、リオンの利き手側の鎖骨下を貫いた。

 利き手のちからが削がれ、剣が落ちる。

 フェルノから譲り受けていた腰に佩く剣の柄に、顔を覆っていいた腕を伸ばし、掴んだ。

 払おうと剣を抜く最中、魔神の尾が上方に逃げた。

 尾が肩を裂いた。胸から肩にかけて、ばっくりと傷口が開く。


 肉を露に、傷を負った半身からどくどくと血を流すリオンが、吐血した。 




 フェルノはリオンを顧みない。

 己の剣にそそぐ魔力を、風から炎に転換する。青白い炎が刀剣から火の粉を散らす。渦巻く炎はフェルノの身体周辺にも躍りだす。

 

(魔神をすべて燃やし尽くす)


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