17,一閃
さすがのテンペストも窓辺の景色に硬直した。外にただようのものが大人しい魔物であったとしても、見た目だけはそれなりである。
(外から見たらゴーストハウスね)
「すごいね。もう、こんなに寄ってきてたんだ。さすが魔物が住まう森だ」
楽観的な声音に違和感を覚えるも、テンペストにとってフェルノがどんな人物かなどどうでもいいとことだった。彼女にとって大事なことはただひとつ。
「フェルノ。約束は違えないでね」
「もちろん。街道の人々に迷惑はかいけないよ」
フェルノの笑みを確認すると、テンペストは窓を開けた。彼女は自分が外に出ることしか考えていなかった。フェルノの体質を失念していたというより、理解していなかったという方が正しい。
窓が開かれた瞬間どっと魔物たちが入り込んだ。テンペストの脇、足元、頭上から無数の魔物がすり抜け、室内へ流入した。勢いに押され、よろめくテンペストは、魔法のほうきの柄を両手で握りしめる。
居室の空間に魔物たちが漂う。
震えあがった羊たちは額を床にこすりつけ、白いきのこのように丸まった。
魔法使いは呆れかえり、騎士二人は身構える。座ったままのフェルノは、涼しい顔で空間を見つめ、片手の平を三人に向けた。
「いいよ。私が、何とかするから」
騎士二人は、構えを解いた。魔法使いは、扉の隣の壁にもたれて腕を組む。勇者は、そっと立ち上がった。
しまったという思いを抱えて、両目をつむるテンペスト。彼女に近づき、その肩にフェルノは手を添える。
「大丈夫、行こう」
もう片方の腕を掲げる。右から左へ払う仕草をするだけで、魔物が目の前からずざっと後ろに引きさがった。
(何をしたの?)
手に魔力が通っているのは、魔力を駆使するテンペストも理解できた。その動きは滑らかで、まるでレースのカーテンを開くぐらい簡単な仕草だった。
(この人、どれだけ魔力を備えているの)
テンペストは肩に手を添えたフェルノを斜め上に見上げた。表情は柔らかい。強い魔力を行使してなお、涼やかな雰囲気はそのままだった。
フェルノに押されて、テンペストは窓から外に出た。室外にフェルノが出ると、室内に入り込んだ魔物たちもずずずっと外へと流れ出て行った。
「あれだけ室内に入ったら、私が一度外に出ないと収拾がつかないよね」
「開けちゃまずかったわね」
その点は、自分の落ち度だとテンペストも思う。肩に置かれたフェルノの手が離れた。
「この魔寄せ体質……前より強くなってる気がするんだ」
フェルノは空を見上げた。魔物たちは、ただよいながら、フェルノの様子を見ている。
テンペストは抱いていた魔法のほうきを下ろした。浮かせたほうきに腰をかける。
「行くわ」
「魔王城で会おうね」
「不本意だけど、待っているわ」
彼女はそう言うと、空へとほうきを滑らせて行った。
フェルノは、星も月も隠すほど、飛び回る魔物を見つめた。彼らを蹴散らす気はなかった。無害なものをいたぶる趣味はない。魔法使いのような捕食者ではフェルノはない。ただ、これだけ集まってきたら、大人しい種族ばかりではないとは確信を持っていた。
フェルノは、腰の業物へ手をかけ、静かに重心を落とした。
魔物にも捕食する者と、捕食されるものがいる。猛獣が草食の獣を食らうように。大型な獣が、小型な獣を食らうように。
これだけ大人しい魔物が集まれば、捕食する魔物から見れば楽園だ。ましてや、フェルノもいる。
いつもは涼しい顔で、騎士や魔法使いに任せている。それが彼らの仕事だからだ。フェルノは、他者の仕事を押しのけてまで目立つ気はない。
フェルノの手が添えられた剣は、鍛冶師が打ち、魔術師が魔法陣を施した魔術具である。魔力が通じる武器は、第一王子専用にあつらえた逸品だった。
魔物を払うには魔力がいる。フェルノの傍に、魔力を相応に備えた者が配属されたにも意味がある。魔物を屠るには魔力がなくてはならない。
眼球や光の玉、蜥蜴や蛇のような実体を持つ魔物ばかりではない。影のような、無機質な魔物もいる。そのような霧散する魔物にも触れることができるのは、魔力を持つ者だけである。何より、魔力が無ければ、魔物の核を破壊できない。
テンペストは言った。二年も一緒なのにあんまり親しくない、と。さらに、気まずいって感じ? とまで。
(女の子って勘がするどいのかな)
フェルノは口角をあげた。
旅に出る前から知っていることがある。
ーー あの三人は私へさしむけられた刺客だ ーー
大人しい魔物に紛れて、身を潜ませた捕食者【薄闇 ゴーストブルー】が黒い影をうねらせて、地を這うように進んできた。フェルノを下から食わんと草を薙ぎ払い、迫る。
腰の長剣を抜きながら、フェルノは魔力を刀身に満たす。抜かれた刀が月光を反射したかのように青白く照り光る。
迫る影に向かい踏み出した一歩により、更に腰を落としたフェルノは水平に刀身を薙いだ。
それはただ横一線に一筋の光がきらめき、闇に消えた程度の刹那でしかなかった。
真っ二つに裂いた影の片方をフェルノはつかみ上げる。手に浸透させた魔力を炎に変える。青く揺らぐ炎に着火した影が、のたうちながら燃えていく。
魔物には核がある。その核をすべて破壊すれば、魔物は死ぬ。フェルノは、青い炎の中で、その核の一部が燃えはじけ飛ぶさまを無表情で見つめた。
足元でのたうつ影が、痙攣する程度になるまで、フェルノは命絶える魔物を静観する。
生贄の魔物を灰も残さないほどに燃やしきった。
そして、顔をゆっくりと上げる。
窓ガラスの向こうに、騎士二人と魔法使いが口元を引き結んでこちらを見ていた。
フェルノは目を細めた。口角が自然にあがる。
(殺れるものなら、こいよ)
フェルノは、たまにこうやって力を示し、三人を牽制することが好きだった。魔物など怖くない。本当に怖いのは、身内の敵だ。
テンペストは上空からフェルノを観察していた。なにかしようとしているというのはただの勘に過ぎなかった。
「あいつ、なに」
一太刀で、【薄闇 ゴーストブルー】を切り裂いた。テンペストには、剣を構えて、気づけば引き抜かれた刀身が、真っ直ぐに閃いたに過ぎない。抜かれた剣はすぐに鞘へと納められた。
何が起こったのか見えなかった。
ただ、その後、無残にも青い炎によって、影は焼き払われている。
「絶対、普通じゃない」
テンペストは、最大速度で魔王城にほうきを走らせた。




