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189/223

186,空っぽ

 フェルノが廊下に出ると、リキッドとキャンドルが待っていた。魔女は涼やかな表情で三人をむかえる。


「戻ろう」

「戻ろうね」


 魔女二人は軽やかに廊下を引き返していく。始祖について触れる気はないようで、フェルノも説明しない。


(分かっているのだろうね)


 魔女二人は、なにも知らない少女を演じているだけで、理解している。自身も知って知らないふりをする傾向があるフェルノは、彼女たちの態度を尊重する。


 フェルノを先頭に、ライオットが続き、アノンは最後尾をついていく。


「のんびりはしていられないね」

「はい」

「魔王様もご高齢だ。魔女様のようになにがしかの魔物の能力を備えられていても、相手は魔神だ。早めに戻りたい。急ごう、ライオット」

「はい」


 アノンは、二人の会話を眺める。


(僕はお呼びでないよね)


 一歩しか離れていないのに、前に並ぶ二人の背が遠い。


(僕には、もう魔力がないから……)


 アノンの身体には、最低限の身体機能を維持する魔力しか残っていない。性別も女の子のままである。


 戦力外。

 ぽつんと残される感覚に襲われる。置いていかれないように、歩調の速い男性二人を追いかけていたら、自然に額に汗が浮かんできた。


(どれだけ、体力ないんだよ)


 悔しさに奥歯を噛む。

 

『ごめんね。魔力が多ければ多いほど良かったんだよ』


 始祖ゴシックが残した言葉がアノンの脳裏に反響する。

 

(異世界からこっちの世界に渡る最中に死んでいることだって考えられるんだな)


 生きてはいるけど、今まで当たり前に、湯水のように使っていた魔力がない。内なる感覚が削ぎ落さていたアノンは、虚脱感を覚えていた。

 魔力と一緒に心まで失ったかのようだ。


 悲しい、腹立たしい、悔しい。色んな感情があるはずなのに、なにも感じられない。心のどこかが、ぽっかりと空いている。


(フェルノとライオットが、声も届かないほど、遠いところにいるようだ)


 寂しい、置いて行かないで。

 気持ちを表現できない不自由さを抱えて追いかける。歩幅が違う二人との距離が、自然と二歩分開いた。


 前を行く二人が塔の最上部へと続く階段を上り始め、アノンは足を止めた。一生懸命、フェルノとライオットを追いかけているだけで、息が切れはじめていた。


(もう、無理だ。一緒に行けない)


 コツコツと苦も無く昇って行く二人に、喉の奥まで、置いていかないで、という言葉がせりあがってきた。

 うつむいて、唇を噛んで、降ろした両手の拳を握る。





 背後から足音が聞こえてこないことに気づいたライオットが振り向く。階段を上ってこないアノンの頭部が見えた。

 ライオットの足がくるりと向きを変えた。とんとんと階段を降りてゆく。


「私は先に行くよ」

 フェルノは、降りるライオットと、佇むアノンに声をかけ、先に進む。

 

 降りきったライオットがアノンの横に立つ。

 足音が近づき、横に人の気配がを感じたアノンが顔をあげた。


 力なく、アノンが笑う。上手に笑えず、左右非対称な表情に、ライオットは胸苦しくなる。


 アノンが魔力を失って、かける言葉が出ない。浮かんでくる、どんな言葉も不適切な気がした。発した言葉は引っ込められないことを思うと、どうしても無言になる。


(……塔に残ってくれ)


 言いたかった。

 無事でいてほしい。危険な場に来てほしくない。色々な気持ちが渦巻くが、アノンに届く意味が、役立たず、になってしまいそうで怖かった。

 太々しさがなりを潜めたアノンは、無力な少女にしか見えなかった。


「ライオット。僕は、もう、のぼれない」


 呟いた言葉は階段を示しておいて、戦場を意図しているようにも聞こえた。よくやった、頑張った、環の国も森の民も無事で、みんなを守ったんだぞ。言葉が浮かんで消えた。どんな言葉も慰めにならないと口にするには、ためらわれた。


「ライオット。なにか言ってよ」


 無理に笑おうとするアノンを見ているのも切なくなる。泣きそうになっているのはライオットだった。

 アノンの両手がライオットの頬を包んだ。


「泣かないで、ライオット。僕は、大丈夫だ。僕は、生きている。

 生命維持程度の魔力は残っているから……。

 僕は、魔神の元には行かない。僕は、足手まといだ」


 足手まといとアノンが自ら口にした刹那、ライオットに自責が渦巻く。言わせてしまった悔恨に押されて、ライオットはアノンを抱きしめていた。






 ライオットの腕の中で、アノンは小さくなる。

 体のなかがスカスカの空っぽになっていた。


 悲しいはずだった。

 小さい頃から、悩まされてきた魔力も関わった人も消えてしまった。

 大きすぎる悲しみがあるはずなのに、虚無感しかない。


 すがるようにライオットの背に腕を伸ばして、アノンはしがみついていた。

 

 




 しばらくじっとして、アノンが顔をあげた。額に前髪が張り付いていて、ライオットの指が軽く払う。


「行こう、時間がないよ。ライオット」

「階段のぼるの、辛いだろ」

「……」

「おぶってやるよ」


 ライオットはアノンの肩を掴み、引き離す。目を白黒させるアノンにくるりと背を向けて、しゃがみ込んだ。


 しゃがんだライオットの背を見下ろすアノンは、躊躇する。誰も見ていないのに、急に恥ずかしくなった。


「時間ないだろ。急ごう、アノン」

 

 顔を横に向け、視線を向けられたアノンは、左右を見て、意味もなく誰もいないことを確認する。恐る恐る手を伸ばし、背後からライオットの首周りを抱いた。

 背に体が密着すると、ライオットの手がアノンの臀部にまわり、立ち上がった。


 アノンはライオットの首筋に頬を寄せる。じんわりの目じりが濡れてきた。鼻筋に雫が一つこぼれ落ちる。

 見上げたライオットは無言で階段をのぼっていく。





 フェルノが塔の最上部に到達する。サッドネスは、窓辺に手をかけ、外を見ていた。

 先んじて階段をのぼっていたリキッドとキャンドルが絨毯とほうきを抱えて立っている。


「案内ありがとう」


 フェルノが笑むと、二人の魔女も軽く笑った。

 進み出たフェルノはサッドネスの隣に立つ。


「フェルノ様……」

「始祖と会ってきたよ」

「ご足労おかけしました」

「まさかゴシックが、始祖だったとは思わなかったね」

「私も最初に聞いた時は驚きました」


 窓辺から、魔神を包む魔力の箱が見えた。

 青白い箱内部に、赤黒い影が充満している。


「三百年も生きてきた人間がいたとはね」

「始祖は、どうしました」

「私が殺してきたよ」


 サッドネスが瞠目する。 

 フェルノはくすりと笑む。

 

 その時、階段の入り口から、アノンを背負って登ってきたライオットが顔を出した。最上部に到着したライオットがしゃがみ、アノンが地面に足を降ろす。

 バツ悪そうにアノンが苦笑いを浮かべ、会話が途切れたまま並んで立つフェルノとサッドネスを見た。


「僕、魔力がないからさ。疲れやすいんだよ」


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