165、すれ違う
ジャンの単車は、球体の魔物を飛び終え、急降下し、砂漠へと飛び込んだ。
後部に座るリオンの視界に、広大な砂漠にぽつんと浮かぶ環の国が映る。改めて、砂漠に囲まれた狭い国土に驚きを禁じ得ない。
(こんな狭い世界で生きているのか)
薄い緑色の円形を成す環の国の中央部。その地上近くで黒々とした影の魔物たちが渦を巻いていた。遠方からもその光景だけで、中心にフェルノがいることが分かる。
目的地がはっきりした矢先、単車が環の国への直線へ進むルートから逸れ始める。真っ直ぐに環の国へ向かうと思っていたリオンはジャンに話しかけた。
「どこに向かっているんだ。ジャン」
「先に単車に燃料を補給する。石切り場まで行き、戻ってきた。今のままだと、燃料が不足して環の国まで飛べない」
「渡し場は破壊されているぞ。補給する場所なんてあるのか?」
「運搬車が砂漠上を走っている。左側を見てくれ、そこに行く」
「燃料を積んでいるのか」
「そうだ」
リオンが砂漠の左側に目をやれば、渡し場から飛び出した運搬車が砂漠の砂を吹きあげながら、大きく直線ルートから迂回するように、走っていた。
「さすがだな」
「どうなるか分からない状況だろ。首領たちが、補給用の物資を運搬車に乗せて出す指示を出してたんだよ!」
「ありがたい」
リオンは運転をジャンに任せ、改めて環の国全体を見渡した。砂漠が彼方まで続く。その上に生き物の気配は感じられない。森の際には、蜥蜴が木々から顔を出し、立ち往生している。球体の魔物たちも、砂漠を前にして、その場で浮遊するのみ。
(魔物が砂漠に近寄らないのはありがたい)
このまま多数の魔物がフェルノに引き寄せられ、球体の魔物や大蜥蜴、大蛇が迫ってきても厄介だ。魔物から環の国を守り、同時に魔神と対峙するなど、さすがのリオンもぞっとする。
大蜥蜴のように魔神が砂漠で立ち止まってくれるなら、それはそれで砂漠より戦いやすい。環の国へと誘導する手間も省ける。
(魔神はこの砂漠を渡るのだろうか。他の魔物のように立ち止まってくれるものか。期待はできないな)
魔神は他の魔物より大きい。俊敏で、移動速度も速い。他の魔物の動きは参考にならない。巨大さや機動性、回復力、様々な能力が通常の魔物の数倍はあるとリオンは体感していた。
(魔物と呼ばず、魔神と呼ばれるだけはある)
ジャンが運転する単車が急降下し始める。眼下に、運搬車の荷台が迫る。
ジャンは運搬車にたどり着くなり、転げ落ちるように荷台に倒れ込んだ。
リオンは飄然と立ち、砂漠の状況を確認する。
「ジャンさん。リオンさん。僕が全部準備しますから、休んでてください」
荷台に乗っていたコラックが、単車の点検と燃料補給を始めた。
「ありがてえ……」
仰向けに寝転がり、両手両足を投げ出したジャンが、うめく。
リオンは、速度を落とし、砂漠の中央で止まった運搬車から、砂漠全体を見渡していた。
球体の魔物の間をすり抜けて、砂漠の際に単車が一台飛び出してきた。
追うように魔神の尾が飛ぶ。鋭い尾の先が一体の球体の魔物を串刺し、砂漠に落ちる。刺した球体の魔物を横殴りに引きずれば、球体の魔物から尾が抜けた。半死の球体の魔物を砂漠に置き去りにして、しなる尾は空中へと振り上げられる。
球体の魔物たちは、左右に散って、森の奥へと消えた。
大蜥蜴たちも森の中へ顔を引っ込めていた。
ライオットとブルースを乗せた単車が空を駆ける。追うように森側の渡し場に魔神が姿を現した。魔神は半壊していた渡し場をその前足で踏み散らかし、躊躇なく砂漠へ一歩を踏み出した。
魔神は砂漠を越えると悟ったリオンの眼光が閃く。
「コラック! 補給は済んだか」
「済みました。いつでも、飛び立てますよ」
顔をあげたコラックは青ざめる。
見たこともない巨大な魔物が、森の渡し場を踏みつけていた。渡し場の床板は砕け散り、砂漠へと飛び散っている。
年少者のコラック、あわあわと唇を上下に動かすも、声も出ないまま、数歩後ずさり、しりもちをついた。
背を向けていたリオンが翻り、近づいてくる。
「出るぞ、ジャン」
声を荒げるリオンに、ただ事ではないとジャンは体を起こす。ジャンの目にも、球体の魔物が一発で仕留められていく様は目に入っていた。
「ライオットを助けに行くのか?」
「いや。環の国へ向かう」
「環の国へ!?」
ジャンは素っ頓狂な声をあげる。彼にはリオンの意図がつかめない。前のめりになり両手を荷台につけ、ジャンはさらに叫んだ。
「なんでだよ! ライオットとブルースが魔神に叩き落されたらどうするんだ」
「ライオットはやわじゃない。俺はフェルノの護衛だ。守る対象にも優先順位がある」
ジャンは口をつぐんだ。
今日一日、ジャンはリオンの足である。彼の意向を呑み、彼の望むまま、単車を駆るのが仕事である。森の民の居住区、その周辺を守る者たちに役割があるように、ジャンにはジャンの役割がある。
リオンにも優先順位や役割があるのなら、ジャンは足としてそれに従うが筋であった。
「分かった、分かったよ! リオンの望む通り、環の国の中央、聖堂に向かうさ。今すぐだ。今すぐ、向かうぞ!!」
ジャンは半ばやけくそ、自分に言い聞かせるために叫んでいた。
魔神は魔物であって、魔物ではない。只人のジャンは、魔神の攻撃を間近で確認しながら、飛行した。その恐ろしさは骨の髄に沁み込んでいる。
しかし、今のジャンはリオンの足だ。仕事をまっとうしようと立ち上がる。仲間が心配だという私心は、深く深く飲み込んだ。
飛び立ったジャンの単車は環の国へと直進する。リオンは向こうから、単車より高速で移動してくる黒い点を見止めた。それはだんだんと大きくなり、魔神が進むであろう直線ルートを驀進する。
黒いローブをなびかせて、前方を凝視し、アノンはリオンの斜め上空を移動する。前だけを見ていたジャンにアノンの飛行を目視する余裕はない。ただただ、環の国の中央に向けて、単車を駆る。
アノンがライオットの元へ行くなら、リオンの行くべき道は確定する。
「ジャン。聖堂上の影の魔物は気にするな。すべて、俺が薙ぎ払う」
ジャンはリオンの声など聞こえない。
耳に入らなくとも、何を言うか予想できた。
(どうせ、あの魔物の大群の中に突っ込めって言うんだろ!!)
自暴自棄一歩手前になるかと思う、張りつめた心境で、ジャンは単車の速度を緩めず、走り続けた。




