12,窓辺の魔物たち
大きな窓がある居室にフェルノは通された。その窓辺には、丸い四人掛けのテーブル席が置かれている。
(真夜中なので真っ黒で何も見えないはずなのだが……)
フェルノが座るなり、案の定、少しづつ魔物が寄ってきた。
【根絶 サイコ】が右から左にふよふよと流れていく。外には森が広がっていた。昼間なら、深緑を眺められる特等席のようである。
明滅する【根絶 サイコ】が漂うぐらいなら、綺麗だなとフェルノも眺めていられた。
そこに【眼球 サイコ】が飛んできて、ピカッと突如光る。すると、生々しい眼球が浮かび上がる。窓に張り付いた眼球の白目部分には、赤い筋が浮かぶ。その様はなかなかにシュールだった。
さらに赤黒い影がゆらゆらと漂い始める。黒い影も左右に流れるように回遊する。【虚無 アイミーマイン】、【闇黒 イリュージョン】が漂えば、まるで墓場を徘徊するゴーストを思わせた。
フェルノは、足元で震えはじめた羊を膝にのせた。怖くないよとばかりに頭をなでるも、フェルノの下腹に額を埋めて、丸まってしまう。仕方ないと苦笑し、ふわふわとした毛玉の感触を楽しみながら、暗がりにあつまる魔物たちによって、ホラー色が強まってくる窓先の風景を、ゆったりと眺めることにした。
「なに、この景色!」
驚愕するテンペストの声が響く。
「ごめんね。私の体質のせいで、森に住む魔物たちが寄ってきたようなんだよ」
苦笑し、謝罪しながら振り向く。お茶のセットを用意したおぼんを震えながら持つテンペスト。その後ろには、羊たちが恐れおののき重なり合い、震えあがっている。
(怖がりな羊だな)
フェルノはがたがたと震えながら、重なり合う羊たちに苦笑する。
「ちょっと、待って、ねえ」
テンペストは、後ろにかたまって押してくる羊たちにバランスを崩しそうになる。
お盆の上に載っている茶器などがカチャカチャ鳴る。お盆が少し傾けば、茶器がすべり、片方にずずっと寄りそうになる。慌ててテンペストは引っかけるようにバランスをとった。しかし、横からも羊たちが押し寄せてくる。
(やだ、ころんじゃう)
フェルノは膝にのせていた毛玉を椅子の上に置き、立ち上がる。音もなく、テンペストに近づき、彼女が持つお盆に手を添えた。
「私が持つよ」
目の前に、現れた王子様に、テンペストは目を見開く。
(えっ? この人、座ってなかった?)
思わず手もとが緩んだ。おぼんを受け取ったフェルノは悠々とテーブルに引き返す。とんとおぼんをテーブルに置き、テンペストたちに目を向ける。
その時、窓が一瞬真っ暗になった、再びカッと光った時、下からずいっと大きな赤黒い影が立ち上った。明滅する光が、白と黒のコントラストを交互にうみ、浮かびあがった【虚無 アイミーマイン】に恐怖の演出を施した。
「うきゃあああああああ!!」
「………………………!!」
【歌う羊 スプーキートラウマ】たちが、金切り声ともとれる絶叫をあげた。
その悲鳴を皮切りに、テンペストと【水銀羊 ジャンクション】たちは声にならない悲鳴を上げつつ、口をぶるぶると小刻みに上下させ、血の気が引く思いで、全身総毛立ち震えあがる。
(反応がはっきりしてて、面白いね)
変わらず、くすりと笑むフェルノはのんきであった。
絨毯にのっているアノンは、相変わらず【闇黒 イリュージョン】をいじめていた。
いじめられ過ぎて、くったりとしている魔物を、哀れに思いつつも、二人の騎士達は、魔法使いの為すことを止めることはしなかった。
その騎士達にはそれ以上に気になることがあった。
「遠いと思わないか、ライオット」
「そうだな。フェルノ達もまだ歩いているのかな」
二人が消えてから、準備し出立するまで、気持ちは重くても、行動は遅くなかった。にもかかわらず、追いつくこともなく、いまだ相当な距離を歩いている。
山頂から下り、それなりの距離を進んだ。騎士達の足は速いし、前を絨毯で進む魔法使いはなお早い。にもかかわらず、追いつけないとはどういうことだろう。
疑問に対して、魔法使いが絨毯の速度を落とし、騎士達の間に浮かんだ。
「あの娘は、魔法使いに性質が近いよ。闇空間を利用して、移動魔法を使ったんだ」
「移動って、絨毯みたいにか」
「そうだねライオット。【闇黒 イリュージョン】を二体使ったんだよ。
一体を僕たちを閉じ込めるため、もう一体を自分たちを隠すため、重ねていたんだ。
フェルノと女の子が消えた瞬間に、重ねて使っていた【闇黒 イリュージョン】を分離させているんだよ。で、その小さな闇空間を絨毯のように移動させたんだと思うよ。それなりの大きさで飛ぶことになるから、相手はけっこうな魔力を備えていると考えられる」
騎士二人は魔法使いの説明に納得するとともに感心した。
「さすがだな」
「僕も魔法使いの端くれだからね。蛇の道は蛇だよ」
リオンに得意げな目をむけたアノンの視界の端で、森の彼方が光った。思わずアノンは絨毯を止めた。
ライオットとリオンが、数歩進む。アノンがついて来ないと気づき、振り返る。
「どうしたんだ、アノン」
アノンは、森から目をそらせなかった。
「あっちでなにかうごめいている」
震えながら、羊たちがお茶の準備をする。すでにポットにそそがれたお湯により、液体は橙色に染まっていた。
フェルノから見て、三匹の羊が肩車し、テーブルの脇に立ち、一番上の羊が額に汗してポットを傾ける様はとても興味深くあった。
テンペストは、窓辺に近づき、カーテンをざっと閉めた。羊たち一同、ほっとする。
最小限の数がテーブルまわりで作業する他、羊たちは部屋の隅っこで団子になっていた。よほど窓向こうの景色が怖かったらしい。
ふるふると震える様に、さすがのフェルノも可哀そうになってきた。
「おどろかせてしまって、すまないね」
膝上にいた羊も、仲間たちの元へ行ってしまった。
テンペストが、フェルノの前に座る。
王子様の容姿がどうのと言っていられなかった。長女として、あの魔物の吸い寄せ方は、尋問する必要があると気構えが変わっていた。
涼し気な青年である。爽やかなというよりは、柔和で穏やかな印象。にこにこしているから心根が優しそうに一見見えるけど……。テンペストの思考がぴたりと止まる。
(……この男、なんか嫌……)
カチャカチャと羊たちが、フェルノとテンペストの前に紅茶を差し出す。
「ありがとう」とフェルノが言うと、ぬいぐるみみたいな羊が照れながら、二三お辞儀をした。役目を終えたとばかりに、羊たちはテーブルから離れ、団子になる仲間たちと合流していった。




